デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

ショウミーの事件、そして家族について考える

2007-09-21 17:19:20 | 思ったこと・気づいたこと
 この前のよく晴れたすばらしい3連休の中日、私達家族は高麗川のバーベキューに行っていました。コアになっている人たちが何かの折に企画してるもので、今回は総勢60人くらい(!)の大勢で、おいしいお肉、気持ちのいい青空、そして飲んで喋って楽しい時間を過ごしました。本当にいい天気で、空が広くて気持ちがよかったです。私も友達や知り合いを中心に、パーティー気分を楽しんでいました。

 しかし、その高麗川で遊んでいたショウミーたちが川に向かって石を投げ、なんと、それが泳いでいた11歳の女の子のまぶたに命中してしまうという事故が起き、そのすばらしい気分が一転、ショックと慌しい対応に追われることになってしまったのでした。

 他にも同じグループ内、またたまたま居合わせて一緒に石を投げて遊んでいた男の子たちがおり、皆で楽しく石を投げていたのですが、ショウミーはおそらく自分の投げた石がもっと遠くに着地すると思ったのか、コントロールができなかったのかで、運悪く、手前で泳いでいた女の子に当たってしまったというのがいきさつのようです。

 私の友人が女の子を連れて病院に連れて行き、女の子のお母さんとは病院で落ち合いました。けれども休日だったということで、他の病院に移動し、そこの形成外科で縫合という処置を行いました。傷自体は時間とともに治る程度だったと思いますが、今回、傷跡が残るのではないか、それが本人にどのくらいのダメージを与えるのかということが何よりの問題でした。

 本当にたまたま、今月からこういったケースに適用される保険に入っており、保険会社が示談(といっても相手が怒っているわけでも、何か請求してきたわけでもない)から担当してくれることになり、また慰謝料も含めて支払われることになり、それでだいぶ気持ちが軽くなったのですが、保険が適用されるかどうか判明する前は、また相手方の経過などを聞くまでは、本当にいろいろなことを考えてしまいました。

 何か子どもがらみのことが起きるだびに、「女は女に生まれてくるのではない、女になるのだ」という言葉を私は思い出します。「母親は母親に生まれてくるのではない、母親になるのだ」という言葉に置き換えながら・・・。

 自分の息子が悪意はないにせよ、他人の大事な子どもを傷つけたこと、それに対して私は誠心誠意、謝るしかありませんでした。もし逆だったら、私はどんな思いをするだろうと考えると、つらい気持ちになりました。一方で、もし顔だから責任を取れと言われても、一体、他人の人生に対して、何の責任が取れるというのだろう?取れるわけがないのに、と暗澹たる思いになりました。お金で解決するのでしょうが、「責任を取る」という言葉の重みと不可能さと難しさを改めて考えてしまいます。

 そうしてひたすら親として謝罪をしつつ、同時に気づいたのが、私がショウミーを守らなくてはいけないとどこかで私が考えていることでした。もし相手方がショウミーを、ショウミーの行為を責めてきたら、私は今度はショウミーを守るために、おそらく必死で戦うだろう、と。この気持ちに気づいたとき、加害者と被害者の線引きの難しさや、「加害者も被害者」という言葉などが浮かんできました。

 それから結局は人は自分の子だけが、どこまでも大切なのでしょうね。大げさですが、殺人者の親も、相手への謝罪をしつつも、やはりそれでも我が子には生きて欲しいと願うんでしょうね、相手がすでに死んでしまっているというのに。こういう親の何よりも強い気持ちがあるからこそ、人間は途絶えずに続いているのかもしれませんが。

 今回のことは「私にとっての家族」ということが明確になったことが収穫です。私にとっての家族・家庭とは、それぞれが自分の個性を伸ばす場であり、それぞれの人生を生きるために必要なものを供給しあう場であり、人生を楽しくする場であること、同時に真に互いにサポートし、守りあう場であること。それが私の家族・家庭の定義ということがはっきりしたのでした。


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5 コメント

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往き来できる (53)
2007-09-22 01:09:02
ブログへのコメント、どうもありがとうございました!
デンマークをキーワードに辿って行き着いた先で、コミュニティトークができるとは思ってもいませんでした(笑)。目白庭園はいま鴨王国です。この3連休は日曜日から涼しくなるようですし、お散歩がてら行ってみては?

今日のテキスト、とても興味深く読ませていただきました。目の前で起こっていること、そこに関わる様々な方の状況や感情、そして自分のまとまったり散らかったりする内心。それぞれを往き来して、それぞれの細かな変化や動きを感じてここに書けるということは、なかなか簡単そうでできないことだと思います。面倒だけれど、ひとつひとつ丁寧に付き合っていく、そういう生き方をぼくもしたいと思っています。

いや、自分事のように嬉しくなってしまって、なにやらおかしなコメントになってしまいました。失敬しました。
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Unknown (els)
2007-09-24 04:47:49
大事に至らなかったのかな?
うちも、ちょっと前に交通事故があったので、そのショックの大きさはよくわかります。
子供がこういう事故の当事者になったときに、親としてどう対処するべきか、本当に考えさせられるよね。
わたしは、娘の不注意のために、むしろ加害者に申し訳ないというきもちをもちながら、同時に、事故のせいでMがトラウマをもってしまい、一時期セルフエスティームが落ちて、「Mは本当にバカだから。」というようになっていきなり自信回復にケアをしなければならなかったり、、、本当に子供って経験値が浅い分、こっちが予測しえないことをしでかし、その結果大事に至ることもあって、どうやってその問題に向き合わせるべきか、考えてしまいます。
でも、そうだよね。たとえ加害者側の立場になっても、基本的には子供のきもちに寄り添うことになるんだと思う。難しいけどね。
それにしても、うちもちょうど今、家族のことでゴタゴタがあり、改めて親がどのようにして子供に寄り添うべきなのか考えています。家族で互いに助け合う一方で、やはり成長する場でなくてはならないのではないか、と。いずれにしても、家族の影響は大きいと思います。
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Unknown (halfkids)
2007-09-24 06:54:15
53さん、

池袋勤務なんですね。

いえいえ、本当に文章で表現するということは難しくて、いつも書ききれたような、書ききれてないような、というところで終わってしまいます。

今回のことを通じて、いろいろな気持ちになったこと、そこから見えてきたものを書いたつもりですが、人の気持ちはときに2つの相反する気持ちが混じっていることもあり・・・。矛盾しているんだけど、確かにそれらが存在していて、自分でも受け入れるのに時間がかかったりします。でもなんでも私は「経験」が一番大切で、そこから出てくるものを大切にしたいと思ってます。


elsさん、

事故とはどういうものなのか、加害者側の気持ちなどが今回ちょっとわかりました。相手方への対応についてどうすればよいか、おばに相談してアドバイスなどもらったのですが、電話を切るときに彼女が「そのうち慣れるわよ」と言ってました。「?!」。慣れるほどこういうことがあるのか、あるいは、子供の成長に事故はつきもので、それを含めて子育てと言うのか・・・。
はぁ~、ひたすらため息です。

でもブログに書いた通り、今回のことで本当に私の家族とはということが、よりクリアになりました。家族は互いに助け合って、それぞれが力を伸ばす(elsさんの言うところの成長ですね)、そして危機のときには守りあうものなのだ、と。何か家族に不幸なことが降りかかったときに、その家族の真実が見える気がします。(まあ、これは家族だけじゃなく、友情においても不幸があったときに真の関係が見えるということもありますよね?)そしてこういうことを乗り越えながら、家族の結びつきが本当に強くなるんでしょうか、ね?
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Unknown (53)
2007-09-24 12:05:12
>人の気持ちはときに2つの相反する気持ちが・・・・

そういうものですよね。それでいいんだと思います。「矛盾」を自分の真向かいに座らせて、「さあどうする?私たちの関係を」なんて話し合いをはじめるとややこしくて。逆に、隣の席に座ってもらって、窓の外の景色を一緒に眺めることのほうが、関係性は保たれたりするのかなあ、と。「受け容れ」られなくとも、一緒にいてくれたらいい。そういう付き合い方が、家族、友人や同僚、年代も所属も国籍も異なるひととのあいだでできたらなあ、なんて思います。
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Unknown (halfkids)
2007-09-28 08:19:41
53さん、

でもそういう気持ちの受け止め方って、なかなかできるようになるまで時間がかかることもありますよね。だからこそ、できるようになったとき、自分を少し嬉しく思うのだけど。
ありのままに受け止めつつも、変容して成長していく。そういうことを繰り返して、人は心の広い、やさしい人間になれるのかもしれないなーと思います。
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