デンマークには法律で定められた閉店法というものがあり、日曜日などは原則お店の営業を禁止されています。これは日常生活として、もちろん不便でありますが、観光客などは特に気をつけていないと少々大変な目にあうことになります。私たちもある町に着いたときに、ちょうど日曜日でお店どころかインフォメーションセンターまで閉まり、丸一日ぼんやり過ごしたことがありました。翌日、お店が開き、活気のある通りを見て、ほっとしたものでした。
ちょうどこの閉店法について詳しく書かれたブログがありましたので、興味深く読みました(西村美紀ブログ 「普段着のデンマーク」)。これによると、2012年にはこの閉店法を廃止するという計画があるそうです。もし実現した場合、デンマーク人の生活は便利になりますし、売り上げも伸びるかもしれませんので、メリットが大きいと思います。
けれども一方で、デメリットもあるように私は思います。現在は日曜日は消費行動が取れないために、人々は違う時間の使い方をしていて、それがある意味とてもよいことのように思えるのです。それが家族や友人とのかけがえのない温かな時間を生み出し、消費とは違う、クリエイティブな時間を作り出しているのではないかと思うのです。日曜日にお店が開くようになったからといって、すぐにそういう時間がなくなるわけではありませんが、落ち着いた時間が少し損なわれることはありえるでしょう。また、お店で働く人達が日曜日に仕事に出ることになってしまうことも、もうひとつのデメリットでしょう。デンマークでは共働きで皆が忙しく、それでもやはり日曜日にお店が開くことは、やっぱりメリットになるのでしょうが・・・。
話は変わって、私のある友人が今年、あれよあれよという間に結婚しました。彼女はODA関係で働いており、その出張先のアンゴラにいた日本人と恋に落ち、半年ほど離れ離れの生活を送っていましたが、夏前にめでたく結婚し、仕事を辞めて彼の赴任先のアンゴラで生活をしています。
今月、日本に一時帰国しており、アンゴラでの生活をいろいろと聞いたのですが、アンゴラはとにかくいろいろな意味でのインフラがまったく整っておらず、日常生活がとても大変だそうです。停電がたびたびあり、いつ電気が戻るかわからず、もちろん夜間も困るし、昼間もパソコン環境としては非常に危険で困るそうです。夕食を作っている際に停電になると、作っている途中でストップし、いつ戻るかわからない、洗濯機も回している最中に停電になるとアウト・・・。そんな生活の中で電気が戻ってきたときの嬉しさといったら、叫んでしまうほどだそうです。
買い物もままならず、車はかならず賄賂目当ての警察に停められる、あげくにアパートの上階床下の配管からの水漏れがあり、床上30センチほど浸水し、何もかもぬれてしまったり、家具の立て付けが悪く、扉を引いたらそのまま重い扉が倒れてきて、鼻をひどく打ちつけてしまってしばらく立ち上がれなかったなどなど、彼女の大変な生活の話は続きます。
でも彼女はけっこう幸せそうでした。「新婚で、こういう過酷なスタートを切ったら、絶対二人の絆も強くなるわよ。そしてこの先何があっても、このときのことを思い出せば笑って乗り越えられるんじゃない?」と私が言うと、彼女はまんざらでもないという微笑を浮かべて、同意していました。何もないところで、サバイバル的な生活をしている二人は、さぞかし、お互いの存在を喜び、非物質的な幸福感を味わっているのではないでしょうか。
もうひとつ、不便といえば私の今の生活は、ある意味不便です。時間やお金が自由にならなくて、いつも制限されているし、頭の中にまで子どもが「ママー!」としつこく呼んで侵害してくるので、思考さえもいつも制限されます。この中で勉強と思うと、本当にきつくもあるのですが、逆に限られているからこそ、いい面もあるのです。集中するしかないし、切り替えるしかない、勉強だけの生活でない分、子ども達との時間で癒されたりリフレッシュしているのかなと思います。逆に勉強だけだったら、私は耐えられないかもしれません。
いろいろ思いつくままに、不便さの中だからこそのよいことを書いてみました。便利なことももちろんよいに決まっていますが、不便さもまたよし、と最近なんとなく思っています。不便さがあるからこそ、人間同士のつながりを強くし、それがほんわかとした、本物の幸福感を作ってくれているということがあるのではないかなと思います。
ちょうどこの閉店法について詳しく書かれたブログがありましたので、興味深く読みました(西村美紀ブログ 「普段着のデンマーク」)。これによると、2012年にはこの閉店法を廃止するという計画があるそうです。もし実現した場合、デンマーク人の生活は便利になりますし、売り上げも伸びるかもしれませんので、メリットが大きいと思います。
けれども一方で、デメリットもあるように私は思います。現在は日曜日は消費行動が取れないために、人々は違う時間の使い方をしていて、それがある意味とてもよいことのように思えるのです。それが家族や友人とのかけがえのない温かな時間を生み出し、消費とは違う、クリエイティブな時間を作り出しているのではないかと思うのです。日曜日にお店が開くようになったからといって、すぐにそういう時間がなくなるわけではありませんが、落ち着いた時間が少し損なわれることはありえるでしょう。また、お店で働く人達が日曜日に仕事に出ることになってしまうことも、もうひとつのデメリットでしょう。デンマークでは共働きで皆が忙しく、それでもやはり日曜日にお店が開くことは、やっぱりメリットになるのでしょうが・・・。
話は変わって、私のある友人が今年、あれよあれよという間に結婚しました。彼女はODA関係で働いており、その出張先のアンゴラにいた日本人と恋に落ち、半年ほど離れ離れの生活を送っていましたが、夏前にめでたく結婚し、仕事を辞めて彼の赴任先のアンゴラで生活をしています。
今月、日本に一時帰国しており、アンゴラでの生活をいろいろと聞いたのですが、アンゴラはとにかくいろいろな意味でのインフラがまったく整っておらず、日常生活がとても大変だそうです。停電がたびたびあり、いつ電気が戻るかわからず、もちろん夜間も困るし、昼間もパソコン環境としては非常に危険で困るそうです。夕食を作っている際に停電になると、作っている途中でストップし、いつ戻るかわからない、洗濯機も回している最中に停電になるとアウト・・・。そんな生活の中で電気が戻ってきたときの嬉しさといったら、叫んでしまうほどだそうです。
買い物もままならず、車はかならず賄賂目当ての警察に停められる、あげくにアパートの上階床下の配管からの水漏れがあり、床上30センチほど浸水し、何もかもぬれてしまったり、家具の立て付けが悪く、扉を引いたらそのまま重い扉が倒れてきて、鼻をひどく打ちつけてしまってしばらく立ち上がれなかったなどなど、彼女の大変な生活の話は続きます。
でも彼女はけっこう幸せそうでした。「新婚で、こういう過酷なスタートを切ったら、絶対二人の絆も強くなるわよ。そしてこの先何があっても、このときのことを思い出せば笑って乗り越えられるんじゃない?」と私が言うと、彼女はまんざらでもないという微笑を浮かべて、同意していました。何もないところで、サバイバル的な生活をしている二人は、さぞかし、お互いの存在を喜び、非物質的な幸福感を味わっているのではないでしょうか。
もうひとつ、不便といえば私の今の生活は、ある意味不便です。時間やお金が自由にならなくて、いつも制限されているし、頭の中にまで子どもが「ママー!」としつこく呼んで侵害してくるので、思考さえもいつも制限されます。この中で勉強と思うと、本当にきつくもあるのですが、逆に限られているからこそ、いい面もあるのです。集中するしかないし、切り替えるしかない、勉強だけの生活でない分、子ども達との時間で癒されたりリフレッシュしているのかなと思います。逆に勉強だけだったら、私は耐えられないかもしれません。
いろいろ思いつくままに、不便さの中だからこそのよいことを書いてみました。便利なことももちろんよいに決まっていますが、不便さもまたよし、と最近なんとなく思っています。不便さがあるからこそ、人間同士のつながりを強くし、それがほんわかとした、本物の幸福感を作ってくれているということがあるのではないかなと思います。
思うに、デンマーク人は、労働時間が短く自由を得るために、サービスが悪いという不便さも受容しているのだと思います。
しかしわたしも、不便さにいいところはあると思いますね。デンマーク人はできる限り自分でやるという自立心があるし、デンマークに移住した日本人のかたがたも、ないものを作ろうといろいろ工夫されている人が多いですよね。
人間制約があるほうが、知恵をふりしぼる機会も増えるのではないでしょうか。
結婚して少し不便になって、そして母親になって私の生活がものすごく「不便」になり、それが最初はマイナスだと思っていました。でもその不便さがあったからこそ、自分に力がついたり、成長したりがあったと思うし、より生活が充実したように思います。ある程度の制約って、実は人をより幸福に感じさせるんじゃないかなって常日頃思っているの。
それでデンマークで生活していない私(笑)としては、デンマークの日曜日の過ごし方がとてもよい過ごし方に見えています。本来の日曜日の過ごし方のように思えて、いいことだなーと。でもデンマークではもちろんそれは不便なこと。もしこの法律が撤廃されたら、デンマーク人がどのように思うか、変化するのか、気になるところです。