朝日新聞の『暮らしの風』という冊子で、脳科学者の茂木健一郎さんのエッセーが連載されています。3月号では「ありがとうも言わずに」というタイトルで書かれており、卒業・入学のこの時期、読んで本当にしみじみとした気持ちになりました。
エッセーの内容は、茂木健一郎さんが高校のときに教わった数学の先生について書いており、その先生に数学の精神そのものを情熱を持って教わったこと、そして卒業の日に力を込めて話してくれた「お前らいいか。いつか、今日の卒業がどれくらいありがたいことか、わかる日が来るから」という言葉、高校の同じ仲間との濃密な空間・・・。そして卒業以来、一度も会っていない先生に、今こそこの場を借りてずっと言えずにいた言葉、ありがとうを言いたいと締めくくられていました。
エッセーの中で、茂木さんは子供というものは、「ありがとう」といわずに成長していってしまうもの、と書いていますが、本当に、本当にそうです。私は親になって、自分の子供たちの入園や卒園、入学などを体験してから、自分がどんなにありがとうを言い忘れていたかを気づき、ときどきとても心苦しく思います。
私がここまで来れたのは、どんなにたくさんの人に助けてもらったことかと子供を持って初めてわかりました。両親、担任の先生、幼稚園中、学校中の先生、近所の人たち、いろいろな場所での先輩や大人たち、みんなみんな、私を陰になり日向になり、見守ってくれていたのだと実感しています。
卒園式でくったくのない笑顔を見せる子供たちは、すでに小学校への期待で胸がいっぱい、しばらくの間は決して後ろを振り向くことはないでしょう。そして、それでもいつか心のそこに眠る幼稚園の楽しい記憶が思い出されることを、大きな気持ちで先生たちは知っているのでしょうけれど、大人たちばかりが、大きな未来のある子どもたちを喜び半分、せつない気持ち半分で見送ります。
私も今まで自分のことだけを見て、ずっと来たのだと思います。そして、子供を持って改めて今までお世話になった人たちみんなに「ありがとう」と言いたくても、もう、言うチャンスはほとんどありません。
でもこうして人間は順番に、見返りを期待しないで、ただただその子のために何かしてあげるものなのでしょうね。こうやって、脈々と人から人へと続いてきたことを、季節柄、ひたすら感慨深く感じています。
エッセーの内容は、茂木健一郎さんが高校のときに教わった数学の先生について書いており、その先生に数学の精神そのものを情熱を持って教わったこと、そして卒業の日に力を込めて話してくれた「お前らいいか。いつか、今日の卒業がどれくらいありがたいことか、わかる日が来るから」という言葉、高校の同じ仲間との濃密な空間・・・。そして卒業以来、一度も会っていない先生に、今こそこの場を借りてずっと言えずにいた言葉、ありがとうを言いたいと締めくくられていました。
エッセーの中で、茂木さんは子供というものは、「ありがとう」といわずに成長していってしまうもの、と書いていますが、本当に、本当にそうです。私は親になって、自分の子供たちの入園や卒園、入学などを体験してから、自分がどんなにありがとうを言い忘れていたかを気づき、ときどきとても心苦しく思います。
私がここまで来れたのは、どんなにたくさんの人に助けてもらったことかと子供を持って初めてわかりました。両親、担任の先生、幼稚園中、学校中の先生、近所の人たち、いろいろな場所での先輩や大人たち、みんなみんな、私を陰になり日向になり、見守ってくれていたのだと実感しています。
卒園式でくったくのない笑顔を見せる子供たちは、すでに小学校への期待で胸がいっぱい、しばらくの間は決して後ろを振り向くことはないでしょう。そして、それでもいつか心のそこに眠る幼稚園の楽しい記憶が思い出されることを、大きな気持ちで先生たちは知っているのでしょうけれど、大人たちばかりが、大きな未来のある子どもたちを喜び半分、せつない気持ち半分で見送ります。
私も今まで自分のことだけを見て、ずっと来たのだと思います。そして、子供を持って改めて今までお世話になった人たちみんなに「ありがとう」と言いたくても、もう、言うチャンスはほとんどありません。
でもこうして人間は順番に、見返りを期待しないで、ただただその子のために何かしてあげるものなのでしょうね。こうやって、脈々と人から人へと続いてきたことを、季節柄、ひたすら感慨深く感じています。
私も親から常日頃から「感謝の気持ちを忘れてはいけない」と教えられてきましたが(今もですが)、年齢を重ねてようやくその意味が理解できてきたかな、というところです。
周りのお世話になった人に対してももちろんですが、自分や家族が健康に暮らせていることも有難いことですし、世界に視野を広げると何不自由なく生活できることって、それだけでもすごく恵まれていることなのかもしれませんね。
グラスに水が半分入っていて、「半分しか入っていない」と感じるか「半分も入っている」と感じるか?というの、ありますよね。
同じことでも見方によって、いいようにも悪いようにも捉えられる、というもの。いつも思っていることですが、自分は後者のように感じられる人でありたいです。
その方が自分自身はもちろんですが、ひいては自分の周りの人たちもきっと幸せにできると思うので、、
そう思えば自分の周りで起こっていることなど、自分の考え方次第である意味どうにでもなる(どうとも捉えられる)ことなのかもしれません。
ポジティブに今ある幸せに感謝しつつ、そんな毎日を積み重ねていくことで、先々で振り返ってみたとき、幸せな人生だった、と思える人生が送れたら、きっとそれ以上の幸せってないですよね。
「好きな言葉は?」と聞かれて「感謝」と答える人がいるけれど、本当に私もその大切さが子どもを持ってやっとわかるようになったように思います。
どんな人でも、そこにいてくれるだけでありがたい、という意味もあるし、王子ママさんの言うように健康に暮らしているだけでもありがたいという意味もある、それから、感謝できるような自分であること=自分が幸せと感じられること、なのかななとど思います。
そうそう、自分の考え方次第で、いかようにもなる!
とわかっているんですけど、でも感謝しつつも、幸せだと思いつつも、やはりいろいろな希望や思いも出てくるわけで、だからこそ人間は向上していくわけで・・・(笑)。
そのへんのバランス、持っているものに満足し、感謝しつつ、その上でいろいろと変化していきたい、という自分の気持ちも大切にしつつ、上手に生きていきたいものだと思います。
そしてもう一つが入学・卒業、卒園式。昔は面倒な習慣だなぁなんて思っていましたが、やっぱり一つの節目、区切りとしてあって良いものだなぁと思います。そういう機会がないと、何となくさよならして、気が付くともう二度と会わないなんてことがあるので、きちんと挨拶と感謝の気持ちを伝えられる、そういう機会なんだなぁと思い、改めて良いものだなぁと思いました。
ありがとうという言葉の重み、年を取ったから?子どもを持ったから?、とても実感するようになりますよね。これからもっとこういうことを実感するようになるのかな?
デンマークはあまりそういう節目の行事がないようですが、また違う人生観、他人との関わり方、節目に対する考え方があるのかな。
この春の行事に対する思い、日本人はどのくらい特別な感情を持っているのかなとあやさんのコメントを読んで思いました。世界一(笑)?
卒業に関する歌とかゴマンとあるものね、日本は・・・。