ごく最近の私の大ショックは、公園でたまたま同じ幼稚園の親子に会いました。たわいのない近況報告のあと、なんとなく「お兄ちゃん(小2)だとまだお手伝いとかはできないのかな?」と聞いたのでした。すると「うん、それに男の子だからねー、頼んだりもしてないし」と彼女は言うのです。・・・そっか、と私は暗い気分になったのでした。夫は小さいときから家のことはいろいろ手伝わされたと言っています。男でもなく、女でもなく、家族のメンバーだから手伝い、助け合うのは当然という考え方だと思います。日本人の家庭を見ていて、妻だけが家のことをやっているという図は今もよく見られます。それでも彼女達が文句を言わないのは、どこかに男女の役割分担が男性だけでなく、女性にも根付いているのでしょうか。そして彼女達はそうやって自分の子どもも育てているのでしょうか。日本の男性は(とひと括りにするのはいけないのでしょうけれど)家事をやっているではなく、やってあげているという意識が強いと思います。そしてそういう男性達を相変わらず母親達は育てているようです。なんだか暗い気持ちになってしまいました。
そしてまた母親達が子どもの世界に介入しすぎることも、最近は気になっています。遊びの中で、何をするか考える→準備をする→遊び始めるというのが流れだと思いますが、まず何をするかを親が提案する→準備をしてあげる(組み立てる、持って来る、など)→一緒に遊んであげる、と親がすべてに介入するのです。これでは子どもは自分で考えるというトレーニングができなくなってしまうと思います。親は何でも先回りして、子どもに質問をします。何々をやる?のど渇いた?暑くない?と。子どもは赤ちゃんでない限り、必要なものを要求してきます。できないときは「やって」と言いに来ます。そうしたら助けてあげればいいのではないでしょうか。日本人はよく自分で考えられないと言われますが、こんなふうに他人が察してくれて当たり前という状況に置かれて育てば、もちろん自分で考えられなくなるはずです。
また喧嘩をさせないように親が介入することも、その子が自分を知る機会や他人との付き合い方や遊び方を学ぶ機会を奪っているように思います。強い子は喧嘩をして自分が強いことに気づき、同時にやりすぎると周囲に嫌われることを学んでいきます。弱い子は自分が弱いことに気づき、強くなるには、あるいは何か勝てる分野はと考えるようになります。そして年齢とともに暴力は何も生まないこと、話し合いが大切なことを学び、でも充分に暴れた、という満足感を持っていくのではないでしょうか。そして大人になる過程で、話し合いをするだけの民主性を身に着ければ、それこそが本物の大人になれると思うのですが・・・。
親が先回り先回りして、子どもが自分で感じ、そして学ぶチャンスを失っていること、そういうことがもしかしたら今の少年犯罪や引きこもりなどの問題につながる場合もあるのでは、と最近思っています。
デンマークの親はあまりマナーなどの躾けには厳しくないといいます。確かに日本人から見た食に関するマナーなどは、どうかなと首をかしげるようなところもあります。それでもデンマークの子どもは自分で考えるように学校でも家でも教えてもらっているようです。男女の平等についても然りです。こういうところが将来、日本人は、デンマーク人は、と言われるような特性に結びついていくのだと思わずにはいられません。
そしてまた母親達が子どもの世界に介入しすぎることも、最近は気になっています。遊びの中で、何をするか考える→準備をする→遊び始めるというのが流れだと思いますが、まず何をするかを親が提案する→準備をしてあげる(組み立てる、持って来る、など)→一緒に遊んであげる、と親がすべてに介入するのです。これでは子どもは自分で考えるというトレーニングができなくなってしまうと思います。親は何でも先回りして、子どもに質問をします。何々をやる?のど渇いた?暑くない?と。子どもは赤ちゃんでない限り、必要なものを要求してきます。できないときは「やって」と言いに来ます。そうしたら助けてあげればいいのではないでしょうか。日本人はよく自分で考えられないと言われますが、こんなふうに他人が察してくれて当たり前という状況に置かれて育てば、もちろん自分で考えられなくなるはずです。
また喧嘩をさせないように親が介入することも、その子が自分を知る機会や他人との付き合い方や遊び方を学ぶ機会を奪っているように思います。強い子は喧嘩をして自分が強いことに気づき、同時にやりすぎると周囲に嫌われることを学んでいきます。弱い子は自分が弱いことに気づき、強くなるには、あるいは何か勝てる分野はと考えるようになります。そして年齢とともに暴力は何も生まないこと、話し合いが大切なことを学び、でも充分に暴れた、という満足感を持っていくのではないでしょうか。そして大人になる過程で、話し合いをするだけの民主性を身に着ければ、それこそが本物の大人になれると思うのですが・・・。
親が先回り先回りして、子どもが自分で感じ、そして学ぶチャンスを失っていること、そういうことがもしかしたら今の少年犯罪や引きこもりなどの問題につながる場合もあるのでは、と最近思っています。
デンマークの親はあまりマナーなどの躾けには厳しくないといいます。確かに日本人から見た食に関するマナーなどは、どうかなと首をかしげるようなところもあります。それでもデンマークの子どもは自分で考えるように学校でも家でも教えてもらっているようです。男女の平等についても然りです。こういうところが将来、日本人は、デンマーク人は、と言われるような特性に結びついていくのだと思わずにはいられません。
日本の親って、よくも悪くも手をかけすぎていると思う。
わたしなんて、日本で本当に浮いていたもん。放任主義だったので。
でもね、公園で物の取り合いになると、すぐに親が仲裁するでしょう。それを求められる雰囲気があるせいもあるけど、そういう子供同士の喧嘩で、どういう加減でガマンしたり譲り合ったりするのを学ぶことができるのに、そういう大事な経験を親が奪っているんだよね。それなのに、「しまじろう」で、「お友達に貸してあげようね。」とかなんとか、そういう感情も体感させないで、ビデオで教えようとするの?って。
わたしだって、小さいときは殴り合いのケンカしたけど、それで暴力が悪いことだって認識できるようになったしね。
やっぱり、経験が大事!本なんかで学べない。
わたしが思うには、日本の親は、生活そのものよりも、現実からは離れたなんらかのスキルを磨くことに注力しているような気がします。家事を手伝わせることよりも、テストの点数を気にしたりするでしょう?習い事をたくさんさせたりするでしょう?
それに対して、デンマークはあまりそういうことを気にしないというか、一緒の時間を純粋に愉しもうとしている傾向があるような気がします。
学校の宿題もなく、それよりも充実した家庭生活を送ってください、ってなもので。
だから、デンマーク人は本当にプラクティカルなことに強い。社会の動向に敏感だし、自力で問題を解決しようとするしね。風呂場を自分で作っちゃうんだもの。
わたしは、今まで結構プラクティカルな能力を求められることが多かったので、デンマークのやり方に共感します。
私も偉そうなことは言える立場ではないのですが(汗)、日本人の教育の仕方ってどうも的が外れている?ような気がしてなりません。上手く言えませんが、人間として必要な「土台」となることは教えずに、なくてもいいような「おまけ的」なことばかりに捉われているような、、土台が成っていないといくらあれこれと付加価値を付けたところで崩れ落ちて無駄になってしまうと思うのです。
良い結果として実を結ぶのであれば、そのようなやり方もありかと思いますが、今の日本の現状を見ていると、そうは思えませんよね。
たとえ少数派であっても、子供にとって本当に良いと思える子育てを実践していきたいですよね。
お邪魔いたします。
突然書いていいものかと悩んだのですが・・・。
私が幼稚園に通っていた頃はお皿洗いや拭き掃除をし、小学生になるとご飯を作りや洗濯、お風呂掃除もやるようになりました。
私自身好きだったこともありますが、両親共に「女の子は家のことができないと恥ずかしい」と考えていたことが大きな理由です。
年子の兄は「男の子だから」という理由で、お手伝いするよう言われたことはありませんでしたし、夏休みは一応当番と言う形でお風呂掃除と食器洗いを兄妹で交互にやることになっていましたが兄はいつもさぼり、私が請け負っていました。
父は特に「男の子はしなくていい」という考え方でしたので、兄がビニールプールで遊んでいるのを見ながら「何で兄と私は違うんだろう」と思ったものです。
結果、兄は家事が嫌いになり、洗濯物も苛々すると言ってしません。
ただ、ここまではっきりしているのは日本人の友人の間でもあまりないようです。
女子は家事を覚えるべきだが男子はいいという育てられ方をしましたが、私はそれに染まらなかったので多少居心地が悪いです。
ですが、男女関係なく1人暮らしをした時に何も知らないと困りますので、本当に簡単なことだけでも「やる習慣」をつけておくというのはいいことだ思っております。
長くなりましたが、もう1点だけ。
子供の頃、親が一緒についてきて子供を見ているということはありませんでした。
近所の子と公園に遊びに行ったり路地を探検し、夏は6時、冬は5時に流れる「帰りましょう」の放送に従って各自帰りました。
自分1人で公園でいることも普通でした。
親が遊びをセッティングすることは全くありませんでした。
時代、地域によっても違うのでしょうが、私からしますと、「自分の好きなように遊びたい」と思う子供さんもいらっしゃるんじゃないのかなと考えてしまいます。
長々と申し訳ありませんでした。
そうなんですよね、親が子どもに何を伝えていきたいのかというところがポイントだと思います。私はまずちゃんと生きていけることだと思うんですね。
他人との共存のしかた、自分の生活の支え方(つまりは生活能力上も経済上も自立するということですね)、男女の(夫婦の)ありかた、家族の一員としてのありかた、そして人間性、スキルや能力の習得、そして生きていく上での哲学、そういったものを日々の子ども達との時間の中で私は伝えていきたいのです。
elsさんのおっしゃるように、日本人はやや表面的なのだと思います。そしてどういう大人になってもらいたいか、ということよりも、目先のことだけで育てているように思うことが多々あります。
そう、デンマーク人はプラクティカルなことを教える傾向がありますよね。それはとてもいいことだと思う。夫も子ども達に大工仕事などを見せてあげると子どもも一緒にやりたがる・・・こういう親子の楽しい時間の中で、いろんなスキルを伝えていけたら理想的!です。
王子ママさん、
私が子育てをするようになってから、新聞沙汰になるいろんなことがちょっぴり理解できるようになりました。
虐待、親殺し、子殺し、キレる子ども、引きこもり・・・(まだニートのことはよくわからない)、そういうものの源にあるのがやっぱり親子関係、特に生まれたときから小学校に入るまでの人としての基礎を作る期間にあると思います。(もちろん小学校以降もいろいろと大切です!)
このへんってあまり本人は記憶に残っていないのだけど、すべてのコアとして大切な時期なのではないでしょうか。
私達の夫は違う文化の中で育っていますね。私がいいと思うことを、うちの夫もいいと思ってくれるので夫と一緒に子育てをするのはとてもやりやすく、よかったなーと思います。(別にデンマーク人だからすべてよし!というわけでもありませんが。)そういう意味では夫がデンマーク人ということのいい面のように思います。
ヨシハさん、
コメントくださってありがとうございます。
幼稚園でお皿洗いはけっこう進んでましたね!
親の側からすると割られるのが恐かったり、ナイフなどで手を傷つけるのではないかと心配したりしてしまいます。でもきっと子どもを信用してやらせればできるのでしょうね!
男女はやっぱり非常に違うと思います。男の子を育てていて、特に上の子の単細胞ぶりにはあきれるくらいです!
でも将来一人暮らしをする、家庭を運営する、という意味では誰でもある程度の家事をこなせるほうが、本人の生活が楽しくなるし(たとえ一生結婚できなかったとしても料理を作ってパーティーを催すこともできる)、時間の使い方がうまくなったり、家にいる時間を気持ちよく過ごせると思うんですよね。
今の都内ではなかなか子ども達だけで遊べる環境がなくなりました。小学生になればそろそろ自分達だけで遊ぶかもしれませんが、幼稚園くらいの子どもはいろいろな危険から守るために、親が傍らにいる必要があります。そういう意味では子育てがしにくい環境になったし、子どもだけで遊ぶ楽しさは半減しているかもしれません。せめてあまり子どもに介入しないで、危険なときだけ出て行くようにしたいものです。
「日本人はよく自分で考えられない」って本気で思ってるのでしょうか?事実ならば具体的にどのようなことなのでしょうか?主張を正当化しようとするあまり日本をけなしすぎているような気がしてなりません。
これは私の子育ての体験を通して、私が個人的に感じたことを書いています。
書いている内容はすべて日本で驚いた体験したことであり、もし海外で子育てをしていれば、そこでの驚いた経験を書いていたことでしょう。家族の中に外国人がいるので、そういう観点(デンマークでの見聞、夫からの情報に起因した)から見てはいますが、日本はダメだという内容を書いてはおりません。
日本人は自分で考えられないというのは、もちろん私の一意見です。それに賛同する方もいるでしょうし、賛同しない方もいると思います。
aaaさんは逆に日本人は自分で考えられるとお考えなのでしょうか?もしそうでしたら、そういった内容のご意見をいただけると興味深く思います。
あるいはaaaさんはお子さんをお育てですか? その上で日本人は自分で考えられるという意見も非常に興味があるところです。
もしよろしければ、どうぞ次にコメントをくださるときには自己紹介をしていただけるとこちらも返信しやすく、ありがたいです。よろしくお願いいたします。