大学院が始まって、そろそろ2ヶ月近くたち、やっと少しからくりが見えてきたかなという今日このごろ。が、一言で言えば、「やっぱり大変」です。
やっぱり大変その1。それはもう、ずばりデンマーク語です。毎週、2クラスデンマーク語を取っているのですが、ほとんど下地のない私。ごくごく簡単な会話もできない状態で、文章を読んでいくのは本当に暗澹とした気持ちになります。この1年はとにかく我慢、我慢、とにかく読むしかないとわかっているのですが、デンマーク語の授業の日は重ーい気持ちになります。が、先日友人が「今は1行で10回、辞書を引くかもしれないけれど、いつか1回になるよ。語学ってそういうものだよ」と言ってくれた言葉に救われ、がんばろう!とちょっぴり前向きになったところです。目的があればきっと読むのが楽しくなるでしょうから、そう思えるまで、この1年はがんばってみようと思います。
やっぱり大変その2。これは「発表」とか「報告」です。日々の授業で十分大変で追いついていないのに、いったいいつ、自分の研究(と言うのもだいたいおこがましいのだけど)をすればいいんだろう?と思うのですが、6月から7月にかけて、発表やら報告やらが目白押しです。だいたい何を言えばいいのかもわからなかったのですが、あれこれ聞きまわった結果、とりあえず大学の卒論を説明して修士論文の根拠とする、自分の研究の対象について説明する、あるいは解題(といって、読んだ本を消化して説明する。そんな言葉も先週知りましたわ)など手当たりしだい、とりあえず話してみればいいようです。あとは皆さんが意見してくれるので、それにまたヒントを得て、どんどん前に進みましょう、というもののようです。
発表などは準備が大変だけれど、でもそれをしないと、逆に日々の勉強に追われて終わってしまうのでしょう。そうしてお尻をたたいてもらって、少しずつ研究が進むというわけでしょう。自分の考えを皆さんが一生懸命聞いてくれて意見してくれるというのは、本当にありがたいことでもあります。
6月だけでそういう機会が6回もあるのですが、ぼやぼやしていると前期が終わってしまうので、ここはできるところまでがんばってみようと思います。
そして、大学院について最近思うのは、大学院生って守られているなぁということです。学士論文をほとんど放任で書いた私としては、先生方が参考文献をピックアップしてくれたり、話を聞いてくれて方向性を出してくれようとしていたりするだけで、本当に「やさしい!」と思ってしまいます。
もちろん大学院側は学生たちにちゃんと論文を仕上げてもらって、ある程度で出て行ってもらわないとと思ってもいるのでしょうが、論文を書くのに人を頼れるのか・・・と私は少しびっくりしています。まあ、お金を払っているので、確かに先生方はそういう役割なのですが、学生が本当に守られていること、そういうわけで修士論文は誰でもなんとか書けることは書けるのだろうなということに、最近気づいたのでした。大学院は学生に論文を書けるようにするために存在している、ってことに気づいたのだけど、あまりに当たり前でした??? でも大人になって、なんでも自分だけで何とかしなくては、とずっと思っていた私にはとても新鮮な発見だったりしています。
やっぱり大変その1。それはもう、ずばりデンマーク語です。毎週、2クラスデンマーク語を取っているのですが、ほとんど下地のない私。ごくごく簡単な会話もできない状態で、文章を読んでいくのは本当に暗澹とした気持ちになります。この1年はとにかく我慢、我慢、とにかく読むしかないとわかっているのですが、デンマーク語の授業の日は重ーい気持ちになります。が、先日友人が「今は1行で10回、辞書を引くかもしれないけれど、いつか1回になるよ。語学ってそういうものだよ」と言ってくれた言葉に救われ、がんばろう!とちょっぴり前向きになったところです。目的があればきっと読むのが楽しくなるでしょうから、そう思えるまで、この1年はがんばってみようと思います。
やっぱり大変その2。これは「発表」とか「報告」です。日々の授業で十分大変で追いついていないのに、いったいいつ、自分の研究(と言うのもだいたいおこがましいのだけど)をすればいいんだろう?と思うのですが、6月から7月にかけて、発表やら報告やらが目白押しです。だいたい何を言えばいいのかもわからなかったのですが、あれこれ聞きまわった結果、とりあえず大学の卒論を説明して修士論文の根拠とする、自分の研究の対象について説明する、あるいは解題(といって、読んだ本を消化して説明する。そんな言葉も先週知りましたわ)など手当たりしだい、とりあえず話してみればいいようです。あとは皆さんが意見してくれるので、それにまたヒントを得て、どんどん前に進みましょう、というもののようです。
発表などは準備が大変だけれど、でもそれをしないと、逆に日々の勉強に追われて終わってしまうのでしょう。そうしてお尻をたたいてもらって、少しずつ研究が進むというわけでしょう。自分の考えを皆さんが一生懸命聞いてくれて意見してくれるというのは、本当にありがたいことでもあります。
6月だけでそういう機会が6回もあるのですが、ぼやぼやしていると前期が終わってしまうので、ここはできるところまでがんばってみようと思います。
そして、大学院について最近思うのは、大学院生って守られているなぁということです。学士論文をほとんど放任で書いた私としては、先生方が参考文献をピックアップしてくれたり、話を聞いてくれて方向性を出してくれようとしていたりするだけで、本当に「やさしい!」と思ってしまいます。
もちろん大学院側は学生たちにちゃんと論文を仕上げてもらって、ある程度で出て行ってもらわないとと思ってもいるのでしょうが、論文を書くのに人を頼れるのか・・・と私は少しびっくりしています。まあ、お金を払っているので、確かに先生方はそういう役割なのですが、学生が本当に守られていること、そういうわけで修士論文は誰でもなんとか書けることは書けるのだろうなということに、最近気づいたのでした。大学院は学生に論文を書けるようにするために存在している、ってことに気づいたのだけど、あまりに当たり前でした??? でも大人になって、なんでも自分だけで何とかしなくては、とずっと思っていた私にはとても新鮮な発見だったりしています。
大学院生が守られている、というのはそう考えたことがなかったので意外な気がしました。きっと先生方がマメで面倒見が良い方々なのでしょうね。そして先生方の専門分野に近い研究をしている学生が多いのかな。私の大学は野放し状態でしたので、何人かの学生が修士論文の試問で落とされて(つまり卒業延期)いて、先生方の指導者としての責任のなさを見ていて感じていました。でもhalfkidsさんのおっしゃるように、あぁ大人だから自己責任なんだなと思ったり。
面倒見の良い先生方でよかったですね。
日本では実験の方向性は大体決まっていたけれど、論文に関してはそれほど深い議論に至らなかったような気がしますが、デンマークでの指導教官は、実験は放置だったけれど、論文は非常に厳しく、もちろん文献の紹介もあれば、考察の内容など一時期すべて書き直しさせられることもありました。レポートも10往復はしましたかね。でもこれは非常によかったです。修士のときは自分勝手に書けた分、ひとりよがりで、あとで読んでみるととんでもないものでしたが、ここで書いたものは指導教官にきっちり客観的に意見をもらったので、結果的には納得のいく内容になったので。
でも、別の教授は、実験も論文も完全放置なんだそうです。
デンマーク語は、わたしもいまだに結構辞書を使っているし、しょっちゅう夫を辞書がわりにしています。たまに同室の同僚とかにも。。(苦笑)
語学はいばら道ですよね。お互いにがんばりましょう。
学士論文をほぼひとりぼっちで書き上げた私だったので、発表をして、「これは整合性がないんじゃない?むしろ○○は君の言っていることと逆のことを意味していると思いますよ。」なーんてコメントをくれるだけで、すごく教えてもらっている気になります。正してくれる存在がいるだけでありがたいです。
それと私の研究科が先生が7-8人、今年の学生が10人というこじんまりした科で、多分どの先生もすべての学生のことをよく知ってくれることになるので、より関わりが深くならざるを得ないのかもしれませんね。
でも私の指導教官自身は私に対しては「まあ、好きなようにやんなさい」という感じです。でも他の学生には細やかにコミットしているところもあるので、きっと私は年齢のせいでそういう対応なのだと思います(笑)。
今年は主に3人の先生方と関わっていますが、どの先生とも授業半分、雑談半分という雰囲気で、今の学生たちの就職活動のありかたについて、子育てについて、現代美術って何か、などと話が多岐に渡り、これも楽しいです。授業もしばしば1対1などというのもあり、それだけ雑談も増えるのかもしれませんね。これもきっと私の年齢ゆえだろうなと可笑しくなりますが・・・。まあ、大人としての大学院を、しっかり楽しんでいきたいと思っています。
将来書く(だろう)論文については、やはりできれば厳しい赤がほしいなと思います。そこで厳しくされればされるほど、elsさんのようによい論文が書けることになるでしょうから。私が学士論文でまったく達成感がなかったのは、この点が抜けているからだと思うので。(すごく辛い作業になりそうだけど。)
デンマーク語は本当にだめです!
単語、覚えられず~!
でももう語学のセンスはないのはわかっているので、すらすら読めることはなくてもいいや、とにかくひたすら辞書を引いて、長文読解ではなくて、私は長時間読解タイプでいこうと覚悟を決めた今日このごろです。