昨日放映された番組「泣きながら生きて」を見られた方もいらっしゃると思いますが、これは約10年に及んで追い続けられたドキュメンタリーで、中国人の3人家族が3つの国に別れて住みます。お父さんは娘の学費のために東京で働き、お母さんは上海に残り働きながら娘を育て、その娘は医者になるという夢のために18歳のときにNYに留学します。両親は15年ほど離れて暮らした後(その間会ったのはたった一回だけでした)、今は上海で一緒にまた暮らしており、娘さんはもうすぐ医師になれるというところで番組は終わるので、明るい気持ちで見終ることができました。
ご両親は非常にさみしい、辛い15年間を過ごしました。お父さんはどんな仕事でもやり(3つの仕事を掛け持ちしていたり)、風呂のないアパートに住んで、夜中に夕食と翌日のお弁当を作っていました。でも泣き言も言わず、ひたすら「父親として子どもを立派に育て上げる義務がある。その義務を果たしたい」と軸がぶれないのです。見ていて、お父さんはひたむきな、美しい目をしているなと思いました。お母さんがNYに行く娘さんを空港まで見送り、別れるまではわりとさばさばした感じだったのに、娘がゲートに向かって歩き出した途端、わっと泣き崩れた姿も印象的でした。彼らは文化大革命の時代に育ったそうですが、耐え忍ぶということをその時期に身に着けたのでしょうか。それとも中国人の持つ、真の強さなのでしょうか。彼らの姿は私には非常に美しく見えました。
私にはこの番組は将来の私を少し疑似体験させてくれるものでした。いつかは子ども達を留学させたいというのが、私のうちの子ども達の教育上の願いなのですが、一方で、子どもを手放すことに強い怖れを感じています。そして留学させた暁には、二度と私の元に(または私の住む国に)戻ってこない可能性も高いと覚悟しなくてはいけません。13-4歳くらいで彼らをデンマークに送り出せる?そしてもしそのまま彼らがデンマークの学校を選択したら?とときどき考えてしまいます。
子どもにとってよい教育とは何かということを優先して、ひたすら働き、もっと稼げるところに移動している人は今の日本人には少ないかもしれませんが、例えば日本ではメイドやベビーシッターにフィリピンの女性が多いようですが、彼らは母国に小さな自分の子どもを残して、日本人の他人の子どもの面倒を見るという仕事についているわけです。彼らの心の強さが私にあるのだろうかと自問してしまいます。選択の余地があるかないかという問題なのでしょうか?
子どもにとっての本当の幸せは何かということを、決断するのも難しいことです。貧しくて高等教育も受けさせられないけれど一緒にいることが幸せなのか、子どものころは離れて互いにさみしい思いをしても、離れて子どもの学費を作ることのほうが最終的には子どもの幸せなのか・・・。
私がこれから子育てに置いて選択するときに、いつも「私」ではなく、「子ども」を主体として考えて選択していけるでしょうか。私も含めて、自分優先という風潮をしばしば感じることがあります。それも悪いことではないのかもしれませんが、番組の中で出てきた人が言った「親は子どもの踏み台になるもの」という言葉は真実でもあると思いました。
ご両親は非常にさみしい、辛い15年間を過ごしました。お父さんはどんな仕事でもやり(3つの仕事を掛け持ちしていたり)、風呂のないアパートに住んで、夜中に夕食と翌日のお弁当を作っていました。でも泣き言も言わず、ひたすら「父親として子どもを立派に育て上げる義務がある。その義務を果たしたい」と軸がぶれないのです。見ていて、お父さんはひたむきな、美しい目をしているなと思いました。お母さんがNYに行く娘さんを空港まで見送り、別れるまではわりとさばさばした感じだったのに、娘がゲートに向かって歩き出した途端、わっと泣き崩れた姿も印象的でした。彼らは文化大革命の時代に育ったそうですが、耐え忍ぶということをその時期に身に着けたのでしょうか。それとも中国人の持つ、真の強さなのでしょうか。彼らの姿は私には非常に美しく見えました。
私にはこの番組は将来の私を少し疑似体験させてくれるものでした。いつかは子ども達を留学させたいというのが、私のうちの子ども達の教育上の願いなのですが、一方で、子どもを手放すことに強い怖れを感じています。そして留学させた暁には、二度と私の元に(または私の住む国に)戻ってこない可能性も高いと覚悟しなくてはいけません。13-4歳くらいで彼らをデンマークに送り出せる?そしてもしそのまま彼らがデンマークの学校を選択したら?とときどき考えてしまいます。
子どもにとってよい教育とは何かということを優先して、ひたすら働き、もっと稼げるところに移動している人は今の日本人には少ないかもしれませんが、例えば日本ではメイドやベビーシッターにフィリピンの女性が多いようですが、彼らは母国に小さな自分の子どもを残して、日本人の他人の子どもの面倒を見るという仕事についているわけです。彼らの心の強さが私にあるのだろうかと自問してしまいます。選択の余地があるかないかという問題なのでしょうか?
子どもにとっての本当の幸せは何かということを、決断するのも難しいことです。貧しくて高等教育も受けさせられないけれど一緒にいることが幸せなのか、子どものころは離れて互いにさみしい思いをしても、離れて子どもの学費を作ることのほうが最終的には子どもの幸せなのか・・・。
私がこれから子育てに置いて選択するときに、いつも「私」ではなく、「子ども」を主体として考えて選択していけるでしょうか。私も含めて、自分優先という風潮をしばしば感じることがあります。それも悪いことではないのかもしれませんが、番組の中で出てきた人が言った「親は子どもの踏み台になるもの」という言葉は真実でもあると思いました。