ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

お墓参り

2011-11-03 22:32:58 | 日々の出来事
先週は父のお墓参りをした。正確には父方の墓参なので、曾祖父母、祖父母、叔母(分骨)、父に手を合わせた。都立霊園は古く、敷地がとても広いので墓所も沢山あって、お彼岸はそれはそれは混雑するのでいつもお墓参りは少しずらしていくのだが、今年は大幅に遅くなり先週やっとお参りできた。この春、大震災で隣りの墓所の松や紅葉の大きな木が倒れ、教会の石が壊れた。いつもなら落葉が多い時期なのに、さっぱり綺麗でしかも陽射しも多くて明るくなった感じがした。
祖母は女学校がカトリック校の2期か3期生だったこともあり、次男が病を得た時に家族で洗礼を受けたと聞いている。私の孫まで数えれば5代のカトリック信者ということになるのだが。という訳で、お墓参りをするときは皆でロザリオを唱える。小さかった頃、祖母を中心に叔父や叔母、従兄弟たちが皆集まって30人以上が皆で祈った。おばあちゃまのお祈りはとっても長くて、ロザリオ一環…大変でした。段々に簡略化して、ロザリオ一連になった。大勢集まるのが好きだった祖父母は、お彼岸の時期には教会でミサに与り、大移動してお墓参り、お昼をどこかで一緒にというのが習いだった。

今も実家でお正月に始まり、母の誕生日、母の日、敬老の日(父がいた時にはもっと頻繁に行事があったことになる)に皆に声をかけて集まるのはその頃から刷り込まれた習慣だ。昔より若い人のそれぞれの都合を尊重する所がイマドキかな。

今日は、母方の祖父母と伯父の眠る霊園に行った。母は毎年一回行く。私は3年ぶりかもしれない。母方もお正月と祖父の誕生日には皆が集まってお食事を一緒にした。小さかった時にその時にテーブルに並ぶ一本を3つか4つに切ったバナナはすごいご馳走だった。普段、ちょっと近寄りがたかった祖父がとてもにこやかな笑顔を見せていたのを思い出す。母は末っ子なので、祖母は母のことが心配だったのだろう。よく顔を出してくれた。

お墓参りは、小さかった頃から色々なことが走馬灯のように思い出される。そんな年齢になったのかなぁ。


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