ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

会津若松 鶴ヶ城

2013-06-17 21:22:35 | 日々の出来事
会津若松 鶴ヶ城


鶴ヶ城天守閣 天守閣から望む 天守閣にいたお侍さん キャラクターオシロボくん お堀端 八重の桜に出てくる秋月悌次郎碑 天守閣全景以外は全部F子が写しました。

4人連れて、駐車場からお城まで、5層の天守閣を階段をのぼり、ゆっくりと緑の木々の間を縫って楽しんで歩きました。1歳から7歳、良く頑張りました。展示物はゆっくり見られませんでしたけれどそれはまたの機会にとっておくことにしました。

4月から5月、母方の曾祖母の出自が会津と分かり、戊辰戦争の恭順のその日の様子からルーツ探しになったのでとても興味深い会津落城の日です。
曽々祖父K尾は江戸留守居役だったという説と京都守護の任にあったという説があるが、その日は会津にはいなかった模様。家臣に登城の振れがあってから曾々々祖母・曾々祖母は官軍が屋敷に入ってきても恥ずかしくないように家を掃き清め、掛け軸をかけなおすなどして手間取り、刻限に間に合いそうになかったので娘E子とH子を城門に向かわせた。が、間に合わず彼女たちは城門外で領主容保の恭順の意を聞きなく家臣らの声を聞き、官軍に恭順の意を伝えるために肩を落とした裃すがたの重役たちが官軍の前に平伏する図も見ていた模様。その後中元の家に逃げ延びて、祖母・母と会い、十和田ともいわれるところへ落ち延び、のちに父Hと函館で再会する。

曾々祖父はK尾姓。会津藩初代藩主は秀忠と愛妾(元北条氏家臣であったK尾何某)との子・保科正之は信州高遠で育っている。直系ではないとしても、会津に残っているK尾姓にゆかりを感じる。曾々祖母は今「八重の桜」の中で佐藤B作演じる家老田中土佐に養女に入ってからK尾家に嫁いでいる。

曾祖母は母の思い出の中ではとても凛とした方だったようだが、祖父は「女性の中で尊敬できるのはただただE子義母様だ」と言ったとか。もう少し時間をかけてみたい歴史がいろいろなところでつながってとても面白いです。


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