W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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妙見山のエントツ 「エントツは平和な町を60年」

2005年04月20日 | 歴史
この風景は我が家から遠望できる妙見山(標高77m)、WAKIが勝手に付けた名前は「エントツ山」だ、昔この辺りは陸軍工廠、香里弾薬庫があってこのエントツは唯一の当時の名残でいまは「不戦の誓い平和のシンボル」として市が保存している。作られたのは1939年(昭和14年)頃、煙突の高さは20m下の方の直径2m、当時日本最大の規模、砲弾に使用される火薬は湿気をきらい、下に繋がる煙道は多くの火薬の乾燥のために用いられたと言う、今も残るエントツの鉄の角(つの)は、当時飛行機からの攻撃をカムフラージュするための草や木を引掛けるためのものだったが幸か不幸か攻撃は全くなかったそうだ。そしてここの火薬は近くの禁野というところで砲弾に加工されたが、同年(昭和14年3月)にはこの禁野火薬庫が大爆発を起こし、大阪からも遠望できたと言う、もちろん報道管制が敷かれて新聞にも載らなかったという、これらの砲弾がどこに送られて消費されたのかはWAKIは知らない。
隣接の水タンクは一日7,000トンの水道水を団地に供給している。淀川から取水されて浄水場を経たタンクの水は毎日2~3回入れ替わるそうだ。
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都会のトンボ 「このトンボ本物よりもよくできて」

2005年04月19日 | 自然
これは、駅前の若者がたくさん集まるファションビルのおもちゃ売場、昆虫のプラモデルのなかに大きなトンボがケースに入れて展示している。WAKIの「トンボの目」がこれを見逃すはずはない。
小学校5~6年の頃夕方になると西の空からトンボ(ヤンマと言っていた)が次々やってきて、輪ゴムに鉛と糸を付けた「ぶり」と言う道具?で採った、この模型は雄だが腰の辺りが茶色の雌は大事にして翌日、竹の先に糸をつけその先に雌をしばって振り回すとかの雄がいくらでも捕れた。男の子たちはこうして性の仕組みを実践で覚えた。

ところできのうの新聞広告、「トンボのすべて」井上清・谷幸三 共著が出版されている。主な日本産トンボをカラー写真と幼虫の図で解説。日本産全種の情報が判る一覧表と世界のトンボ全科を解説。税込み3.78k 「トンボ出版」(名前も面白い)どこかの本屋さんでWAKIは立ち読みしようと思って楽しみにしている。

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大川の夜景 「通り抜け迷子はみんな大人です」

2005年04月18日 | TOWN
造幣局の通り抜けは、早々に済ませて、対岸の桜ノ宮公園へ、ここからだと一望に見渡すことができる。実際の通り抜けは対岸の内側になるので全く見えない、川岸は通り抜けの複路にもなっているが、ここのソメイヨシノは散ってしまった、そして、名物の露店が延々と続く、川面にはイルミネーションを点けた観桜船が次々とやってくる、桜ノ宮橋(通称銀橋)はすぐ隣にひとまわり大きな橋が工事中だ、古いのを残すかどうかはWAKIは知らない。
この風景はWAKIの愛用のデジカメで撮影したパノラマ写真だが、WAKIは夜景の撮影は全く苦手でいままで失敗ばかりであった、この写真は失敗の原因を証明している。それは、造幣局の上に写っている白い一本の線である。これは大阪國際空港から飛び立った飛行機で、つまり夜景はこれだけの露光時間がいるのである。したがって三脚は必携品となる。
それにしても、デジカメはすごい機能を備えていることが判ったのは収穫であった。
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近隣公園の掃除 「落ちているゴミは世相を映し出し」

2005年04月17日 | 環境
ここは、家から100mいちばん近い公園だ、WAKIはときどき気分のいい日はここでラジオ体操もする、そして時折ゴミ拾いも二人でする、このあいだからあまりゴミが目立たないのですこしサボっていたら、おとといはこんなにたくさんのゴミに出くわした、このように、市からいただいている袋に入れておくと、収集日には必ず持っていってもらえる。分別はむこうでやってくれる。
今回はやっと暖かくなってきたので、空き缶が増えたのと雨で濡れたいかがわしい雑誌が3冊もあった。煙草の吸殻は相変わらず多い。
 
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ケヤキのトンネル 「木漏れ日がやさしく路に降りそそぐ」

2005年04月16日 | TOWN
このケヤキのトンネルは文字通り枚方市が自慢の枚方八景「ケヤキ通り」だ何回も紹介しているがこの新芽の頃の通りはすばらしい。
公団の開発と同時に植樹されたのでそれから40年は経っている。自然はどうしてこうもうまくできているのだろう暑い陽射しが掛かるようになると葉が生い茂り木陰をくれる。
とくに新芽の今頃は木漏れ日もやさしい。
自動車の排気ガスにも耐えて今年もいっせいに芽吹いた、どこにこんなエネルギーがあるのかと思う。
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無差別爆撃「これほどの酷さは見るに耐えられぬ」

2005年04月15日 | 歴史
ついに恐れていた空襲が突然やってきた。それはあまりにも大規模で想像を絶するものであった。空襲の翌々日父の特命を受けたWAKIと兄の二人は堺市の伯母の家に向かって、いまの堺東駅から出島まで焼け跡を歩き続けた。


WAKIの戦時体験(第6回)「焦土・焼け跡」
    
翌朝はやっぱり黒い雨が降り
空襲で堺全市が灰になり
被災した総数実に2万軒
やってきたB29は110機
親戚の家はどこかとたずね行く
そこかしこ火のこり異臭鼻をつく
あちこちに倒れた人が焼け焦げて
むごいこと母子の遺体川原に
手も足も無い亡骸が川原に
親戚の家は全焼人は無事
土居川の川原に積んだ家財だけ
恐ろしや頭かすめた焼夷弾
焼け跡は元気でいますと札が立ち
ピカドンの噂は子供も知っていた


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鷺のコロニー(3) 「青鷺は梢の先をひとり占め」

2005年04月14日 | 自然
一番高い梢を独占しているのは青鷺だ、見ているとそれぞれ枯れ枝をついばんで巣の補強に励んでいる。この場所は池の全体が見渡せて一等場所だ、葉が茂りだすと鳥たちも隠れてしまってよく見えなくなってしまう、以前、北海道の釧路湿原の丹頂鶴の生息地を見たが、それははるか彼方で人は近づけなかった、でも、おおいに感動した、青鷺は極めて大型でよく見れば美しい鳥だ、何といっても自由に空を飛べる、WAKIはここの鳥たちもそっと見守ってやりたい。(3回シリーズ終わり)

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電球と竹 「とり合わせ聞けば納得すごいこと」

2005年04月13日 | TOWN
ここはエジソンがはじめて電球のフィラメントに、ご当地八幡市の竹から作ったカーボンの繊維で電球を作ったという由緒ある町である、かれは試行錯誤の末、このフィラメントで電球を完成させた、ご覧のように駅前のロータリーには記念のモニュメントがあって町おこしに役立っている。
また、後ろの男山山頂には石清水八幡宮があってエジソン記念碑が立っている。初詣は近在の電気に関わる各社の人たちが初出勤の後、お祓いを受けにケーブルで登ってくる。

竹と言えば、これからが筍のシーズン、八幡から京都にかけては日本一の筍の産地、WAKIの好物でもある。美味しすぎてつい食べ過ぎてしまう。
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鷺のコロニー(2) 「純白のコートの主は池の鷺」

2005年04月12日 | 自然
対岸のこのグループは白鷺のコロニーだ、それぞれの枝を、確保して鳥たちが群れをなしている。水面にも姿を映してきれい、彼らの餌は目の下の水のなかにいくらでもあるらしい、冬の間は、近くの天の川や淀川に出掛けて数羽単位で行動しているようだがこの時期になるとここに集まってくる、もっと道路に近いところにもたくさんの巣を構えて子育てをする、彼らの餌は小魚なので鳥たちの糞の匂いはたまらない、風向きで歩くのもはばかることがある。
でも、彼らの飛翔の姿にはうっとりと見つめて飽きない、どうしてあんなに美しく飛べるのだろうかと思う。

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八幡の背割堤 「堤にはソメイヨシノが咲き誇り」

2005年04月11日 | 自然
ここは木津川と宇治川それに桂川が合流する八幡市背割堤(川の流れを整えるための堤防)、全長は1.4kmに及び250本の見事な桜並木だ、それは堤の両側に植えられていてその間を人は歩くわけだからずっと桜のトンネルを抜けることになる、人出も最高、思い思いにシートを広げて宴会も盛ん、もうこれだけの桜だ、多くの説明はいらない。 

ゆったりと流れる川を見てWAKIは想い出したが、ここから自作のカヌーで枚方まで下ったのは今から10年も前であった。

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