W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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無差別爆撃「これほどの酷さは見るに耐えられぬ」

2005年04月15日 | 歴史
ついに恐れていた空襲が突然やってきた。それはあまりにも大規模で想像を絶するものであった。空襲の翌々日父の特命を受けたWAKIと兄の二人は堺市の伯母の家に向かって、いまの堺東駅から出島まで焼け跡を歩き続けた。


WAKIの戦時体験(第6回)「焦土・焼け跡」
    
翌朝はやっぱり黒い雨が降り
空襲で堺全市が灰になり
被災した総数実に2万軒
やってきたB29は110機
親戚の家はどこかとたずね行く
そこかしこ火のこり異臭鼻をつく
あちこちに倒れた人が焼け焦げて
むごいこと母子の遺体川原に
手も足も無い亡骸が川原に
親戚の家は全焼人は無事
土居川の川原に積んだ家財だけ
恐ろしや頭かすめた焼夷弾
焼け跡は元気でいますと札が立ち
ピカドンの噂は子供も知っていた


コメント
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