桑名の中心部まで来ました。
桑名宿はもうすぐです。
桑名といえば、なんと言っても、歌行灯、柿安です。
本店は市内にありますが、支店は、七里の渡しにもあります。
有名な大鳥居です。
いよいよ、七里の渡しです。
七里の渡しの入り口に来ました。
船着き場です。
熱田神宮から、七里の海路を経て、揖斐川河口から、上って来ます。
揖斐川河口方面。
松林の向こうが、七里の渡しです。
濃尾平野方面。
長良川河口堰が見えます。
その向こうが、なばなの里です。
空気が澄んでいれば、遠くに、御嶽山が見えるのですが、この日は、あいにく、霞んでいて見えませんでした。
以上が、四日市から、桑名宿、七里の渡しのレポートです。
次は、、石薬師、鈴鹿、亀山方面をたどって見たいと思います。
その頃から比べるとだいぶ変わったところも
あるようです。
この銅製の大鳥居はよく覚えています。
桑名で焼き蛤を食べたかったのですが、店が
お休みで食べることができませんでした。
15年前でしたか。
ずいぶん変わったことでしょうね。
桑名宿、公園などは、ずいぶん後から整備されたものです。
大鳥居は、昔のままのようですが。
焼き蛤屋ですか。
今回も、見当たりませんでした。
どちらのお店も横浜にもあります。
ある意味、スガキヤより有名!?(笑)
先日はありがとうございました。
お気遣いにありがたいなと思いました。
また、機会がありましたらよろしくお願
いします。
さて、桑名と言えばやはり幕末維新期の
桑名藩ですねぇ。会津・松平容保さんと
とは桑名藩主さんはご兄弟。歴史に翻弄
された一時期を持ちますよね。ぼくは
桑名という地名にはそれを感じます。
やはり、食い物の話になってしまいますね。
柿安、歌行灯、焼き蛤、桑名には、美味しい物がたくさんあります。
それで、七里の渡しは、いかがでしたか?
ぜひ、ジッチャマとご一緒に、お出でください。
桑名藩四代藩主で、会津藩主松平容保の実弟、定敬ですね。
幕末の鳥羽伏見の戦いでは、桑名藩、会津藩が主力で戦いましたが、戦運むなしく敗れました。
定敬は、京都御所代の要職にあった為、指揮することはかなわなかった様です。
徳川慶喜が、大阪決戦を前にして、江戸へ逃亡した為、定敬は、薩軍と戦いながら、江戸を目指しますが、苦戦の連続でした。
慶喜の優柔不断に嫌気をさして、兄の容保を頼って会津に入り、力をを合わせますが、この地でも、戦況の回復はならず、榎本武揚を頼って、五稜郭へ入場しました。
幕末の英雄でした。
(携帯でしたので上手く撮れていませんが)
松の木の間に真新しい鳥居。
この鳥居が、25年の神宮式年遷宮で、譲り受けた、壱の鳥居です。
内宮、宇治橋にあった、あの大きな鳥居が、まさしく、この鳥居で、今年5月に、桑名の宮大工さんたちによって、こちらに建てられたものです
桑名へ行ってこられましたか。
そうでしたか。
この鳥居は、今年の遷宮で、伊勢神宮から、移されたものだったのですね。
道理で、立派な鳥居でした。