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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

戦後70年の記憶 ⑥ 食糧難

2015-03-30 05:47:37 | 日記
腹が減っては、戦は出来ぬ。
戦争中なのに、食糧難であった。

米などは、もう、無かったと思う。
食べる物は、全部国が統制して、戦争を遂行するために使っていたと思う。
一般人の口へ入れる物は、国が配給していた。
大体、一家の人数に応じて配分されていたが、品物も、公平に行き渡るほどは用意されていない。
配給がある日は、隣組数軒が集まって、話し合って分け合っていたようだ。
家庭の好みなどもあったのだろう、要らないものや、要る物などを交換しあって、丸くおさめあっていたようだ。
我が家は、6人兄弟の大家族の方だったから、母は、不味くても、量の多い方を選んでいたようだった。
思惑通りに配分された時は、嬉しそうに、持ち帰っていた。

学校へ通う道路わきに、ヒマが植えられるようになった。
南方の石油基地をアメリカに抑えられて、原油の輸入が、思うようにならなくなったたのである。
飛行機を飛ばす、ガソリンにも、事欠くようになっていた。
ヒマの実から、ひまし油をとって、飛行機を飛ばそうと言う作戦である。

ある日、高学年生が、校庭に出て、鍬をふるっていた。
校庭を耕して、サツマイモを植えると言うのである。
グランドは、すべてサツマイモ畑に代わり、生徒たちは、その脇の、狭い通路を通って教室に入って行った。
その通路の両脇にさえ、トウモロコシがびっしりと植えられていた。
生徒達は、授業はほどほどにして、農作業に駆り出される毎日であった。

低学年のmcnj達は、草取り位が仕事であった。
午後の授業を休んで、熱い日中の日差しの中、せっせと、草取りをしたものである。
作業が終わると、駄賃に、一握りのサツマイモの茎をくれると言う。
母に渡すと、喜んでくれるので、それがうれしくて、小さい手の平に、茎が潰れるほど思い切り握って、家へ持ち帰って行った。


木蓮とコブシ、 スモモとクリスマスローズ、 花の初獲物、うれしいお客様

2015-03-29 05:27:09 | 日記
近所に咲いていました。












庭のスモモと、クリスマスローズ


花の獲物





ブログのお友達に、うらんママさんが、訪ねて来てくださいました。

お土産をもって。

我が家の、クリスマスローズとスモモの花をご覧になりたいとおっしゃって。
去年も、今頃、のんきさんとご一緒にお出でくださいました。

ココちゃんも一緒でした。

この日は、ちょうど、孫達とのバス旅行の前日でしたので、みたらし団子は、持参させていただきました。

うらんママさん、どうもありがとうございました。

今日から明日まで、法事のため、松本のほうへ行きますので、コメント レスは、遅くなります。

バス旅行 1 駿府匠宿 ①

2015-03-27 14:22:35 | 日記
孫達と、バス旅行に行ってきました。

行く先は、おいおい、ご紹介します。


ナガシマスパーランドの遊園地。


木曽川。
伊勢湾岸道路の木曽川大橋です。

バスは、伊勢湾岸道路から、新東名に入って、さらに走り続けます。
豊田東JCから先は、すべてやっまの中。
見るところは、ほとんど有りません。
豊川、浜松、遠州森町、島田と過ぎて、ついた所は、静岡市駿府匠宿。

創ったり、見たり、学んだり、遊んだりできる、伝統工芸体験工房、匠の宿だそうです。



まずは、腹ごしらえしてからというので、昼食です。

食事処匠亭の麦とろろ御膳。



お腹がいっぱいになった所で、見学です。
本日は、ひな人形展と東海道歴史体験です。

















戦後70年の記憶 ⑤ 神風

2015-03-27 05:44:17 | 日記
mcnjの住んでいた所は、美ヶ原のふもと、いくつかの中小河川が造った扇状地の上であった。
小学校名の清水もそうであるが、源池、出川など、湧き水に因んだ地名が多くあるところであった。
魚屋、八百屋、酒屋など、商売屋は、たいてい、年中こんこんと湧き出る井戸を持っていた。

一般家庭でも、隣組で井戸を持っており、主婦たちは、共同で炊事洗濯に使ったり、文字通り、井戸端会議に、
花を咲かせていたものである。

下流の方には、水神様が祀られて、ちょっとした、池があった。
きれいな水が蓄えられており、その端には、樹齢数百年と言われた、大きな欅の木があった。

mcnjが、小学校に入学した、昭和19年4月は、日本海軍が、南方の大きな戦争で負けた後で、教室でも、教師達が、
アメリカが、どこどこの島に上陸したと言うような話を、深刻そうな顔で、話しているのを、子供心に、不安げに聞いて
いたことを覚えている。

戦況は、ますます、悪化するばかりであった。
近所の年寄達は、大昔の、蒙古来襲の話を持ち出して、いざと言う時は、神風が吹いて、アメリカの艦船を吹き飛ばして
しまうから、心配するなと言っていた。
新聞や、ラジオでは、どこかの大きな神社の鳥居が、揺れて傾いたのは、神様が出兵されたのだ、と言うような話しが、
まことしやかに報道されていた。

そんな折、ある夜、水神様の欅の木に雷が落ちて、欅の木は、半ばから折れてしまった。
人々は、それを見に行って、いよいよ水神様も、ご出兵なさって下さった。
これで、神風が吹いて、日本が勝つことは間違いない、と言って、大いに喜んでいた。
しかし、その後も、神風が吹くことはなかった。




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