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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

土手の様子、2019.7.下旬

2019-07-31 00:00:12 | 日記

 

 先の台風で、オニユリは、、すっかり終わってしまいました。

 

 

 

 

 

枯れる前に、ムカゴをたくさんつけています。

 

 

 

 

 

変わって、百日草が咲いてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

槿も元気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

2番咲きのるり菊。

沢山の蕾が、また、ついてきました。

 

 

 

高砂百合の蕾も、大分膨らんで来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだまだ頑張るオイランソウ。

 

 

 

 

 

 

 

フレンチラベンダーのうさぎの耳。

 

 

 

マリーゴールドが咲いてきました。

 

 

 

 

 

 

 


戦後70年の記憶(過去ログ)、供出

2019-07-29 00:00:15 | 日記

4年前、戦後70年の記憶70年の時の過去ログである。

昭和の戦争の幼い語り部の記憶である。

 

昭和20年4月、mcnjは、2年生になった。
戦況はますます厳しくなって来ていた。
教室で話す教師たちの会話からも、その容易ならざる戦況の様子が伝わって来た。
国民は、食うものにも事欠く様になっていたし、軍部には、制空権を奪われて、燃料や物資の補給もままならず、戦争を遂行する手だてにさえ事欠いている始末であった。
飛行機や、戦艦を建造する材料が無いと言って、国民に、鉄、銅、他、貴金属などの供出を迫った。
生産や、生活に直接関係の無い、ふすまの取っ手、柱の釘、余分な鍋、フライパンなど、手あたり次第供出させられた。
供出は、1回だけで無く、戦況がひっ迫するたびに、たびたび行われたのであった。
我家は、貧乏だったので、そう、金目のものは無かったが、有る所では、結婚指輪なども供出させられたとのことであった。
日本が勝つためには、あらゆることをしようと言う、国民の気概もあったのだろうが、内心は、隣近所のタレ込みを恐れたのであろう。
戦時中には、向こう三軒両隣と言う、自助組織がもうけられて、お互いに協力し合ったのであるが、一方で、互いに、監視させる機能も果たしていたのである。


戦後70年の記憶、君が代、(過去ログ)

2019-07-27 00:00:14 | 日記

4年前の過去ログである。

終戦当時、国民学校低学年だった、幼い昭和の戦争の語り部の記憶である。

 

不思議なことに、戦後70年の記憶として、真っ先に残さねばならない、君が代の記憶が、あまりない。
教室でも、教えてもらったし、毎週月曜日の朝礼でも、歌わせられた。
歌詞の意味が、小学1年生にとっては難解でありすぎたのかもしれない。
何かの儀式のときに歌うものだくらいの認識だったのだろうか。
教師はじめ、高学年の生徒たちは、直立不動の姿勢で歌っていた。
1年生達は、周りを見習ってそうしながら、口を動かしていたかもしれないが、はっきりした記憶が無い。