木曽三川公園のすぐ傍らに、宝暦治水神社があります。
松林に囲まれた、静かな場所に建てられています。
丸に十の字は言うまでもなく、鹿児薩摩藩の旗印です。
宝暦3年、大藩、薩摩藩の勢力を恐れた徳川幕府は、木曽三川の治水工事を薩摩藩に
命じ、その威力をそぐことにしました。
当時、木曽川の堤防は、徳川御三家の一つ、尾張藩のために、美濃側は、三尺低かる
べしとされていたため、度重なる洪水に悩まされていたのです。
これを口実に、三百里も離れた薩摩藩にその工事をやらせました。
薩摩藩は、平田正輔を総責任者として、総勢947名で苦難の末、88名もの死者をだしな
がら、その、難工事をやりとげたのです。
平田正輔は、工事完成の翌日、全責任をとって、木曽川堤防の上で自決しました。
この神社は、工事の完成記念と、死者たちの霊を祀る ため建てられたものです。
この堤防には、1.3キロにわたって、松が植えられ、堤防を補強しています。
この辺り一帯は、千本松原と呼ばれ、大変に景色の良いところです。