blog.mcnj

花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

運動会

2014-09-29 00:51:00 | 受験・学校

秋晴れの良い天気の土曜日、孫の運動会がありました。

Img_3023

開会あいさつの後、全員の準備運動から始まるようです。

孫は、紅組ですが、1年生で、一番前の方らしく、見えません。

ここは、三重県菰野町。

鈴鹿山脈釈迦ケ岳の真ん前です。

Dscn1354

正面の山が釈迦ケ岳。

ここから見ても、お釈迦様の寝姿には見えません。

いまだに、修行が足らないようです。

左端のとがった山は、御在所岳。そこまで、菰野町です。

Img_3043

田圃の畔にヒガンバナがきれいに咲いていました。

Img_3024

Img_3031

4年生です。

最近の子供は、大きくなりましたね。6年にもなると、大人顔負けです。

Img_3067

大玉ころがし。昔もありました。

Img_3039

Img_3076

1,2年生のお遊戯。妖怪ウォッチがテーマだそうです。

Img_3036

父兄と一緒に。

楽しい運動会でした。

Dscn1359

Img_3071

Dscn1357

Dscn1356

楽しいお弁当。

生徒たちは、父兄の席に行っていただきます。

昔は、生徒3,4人に、父兄二人くらいでした。

今は、生徒1人に、親二人、爺婆4人があたり前です。

少子高齢化になるわけですね。

Img_3040

↑鈴鹿セブンマウンテン竜ケ岳。

釈迦ケ岳の右(北)の山です。

Img_3045

↑御在所岳。四日市から眺める御在所岳の山容とはずいぶん違います。

Img_3046

↑鎌ケ岳。

Img_3047_2

御在所岳、鎌ケ岳の前衛の山、キララ(雲母)峰。

この真後ろに、入道ケ岳、能登山(ののぼりやま)と続くのですが、ここからは見えません。

   --------------

孫の運動会を見て、爺は、昔のことを思い出してしまった。

爺は、1年生の8月15日に、終戦を迎えた。

国民学校である。

その日のことは、良く覚えていないが、長男の自転車に乗せてもらって、どこかを走っていた記

憶がある。

どこかのラジオが、雑音混じりに、天皇陛下の、玉音放送を伝えていたことは、かすかに覚えて

いる。それが、玉音放送であったことは、知る由もないが。

戦争に負ける前の、国民学校の運動会も、かすかに覚えている。

あのころの、国民学校の、運動会の高学年の競技と言えば、騎馬戦と棒倒しであった。

学校の、体育授業と言えば、身体訓練の激しい運動ばかりであった。

お前たちは、陛下の子供である。

立派な体になって、戦争に行って、立派に死んでお役に立て。

これが、そのころの、教育方針であった。

体育の授業で怪我をすることは、当たり前であった。

そのことに、文句を言う国民は、非国民として扱われた。

国民は、国のため、陛下のために死ぬことが、名誉とされた時代であった。

今の時代で、そんなことをしたら、とんでもないことになる。

学校で怪我をしたら、学校の責任にされる。

教師も、事なかれ主義になるわけだ。

日本が戦争に負けて、進駐軍が、進駐して来た。

最初の、校長の挨拶が、体育館であった。

それまでの、校長の出る集会と言えば、普段は、校庭の一角にある、奉安殿に納めめられてい

る、陛下の御影を正面に飾り(もちろん、教師他一同は、それを、直接見ることは許されない

が)、一同最敬礼の後、校長の挨拶が始まったものであるが、敗戦後は、それが無かった。

校長の話の途中で、米軍の、爆撃機が、低空を飛来してきて、驚いた。

戦争中は、日本軍の戦闘機が、飛来することは良くあったが、爆音が全然違った。

小学1年生には、その機体の大きさに驚かされたことくらいだが、大人は、これでは、戦争に勝

てなかったはずだと、実感した事であろう。

マッカーサーが進駐して来て驚いたことと言えば、今になって考えて見れば、戦時中に、日本軍

が、国民を、戦争遂行の具にするために、教育していた事だろうと思う。

彼らは、日本兵の、一対一での強さには手を焼いていたはずである。

その強さの原点が、国民学校の教育方針にあったと知って、真っ先に、その改革に着手したの

であろう。

国民学校を、小学校に改編し、学校の体育授業から、体育教練をはずした。

騎馬戦や、棒倒しは必要ないとして、フォークダンスを取り入れた。

それから後、小学校、中学校(改変前は、「高等小学校」で、2年制であった)の運動会では、

騎馬戦、棒倒しに変わり、ダンス、遊戯が行われる様になった。

兄たちが、最初の運動会で、ウサギの帽子をかぶさせられて、ピョンピョン跳ねていた時の、

憮然とした表情を、今でも覚えている。

    -------------------

孫の運動会を見ての、爺のたわごとである。

戦後70年を迎えようとしている。

原爆被災、東京大空襲、特攻攻撃、従軍慰安婦、記憶すべき問題は、多いが、国民学校1年

生の目で見た事実も、ありのままに、後世に残しておきたいと思って、ブログにした。

人生も残り少なくなったが、これからも、思い出すたびに、記して行こうと思う。