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現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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日本語文法の説65 文章体

2019-08-26 | 日本語文法
文章体、会話体また談話体を対比する。あるいは、文章を文語とする、文語体、それに対する口語体をおく。文章体を文体とすると、文体論における扱いがある。文法における文体に、ていねい体、ふつう体といったスタイルを持つが、文章体とは異なる。文章体に文語を見るから、そのような形式をもつ文章語、文書語などを考える。文法分析は、言語現象の対象を文章に置くことが、日本語の長い歴史による必然であった。記録された文字言語にあった。時代とともに、書きことばについてより、話し言葉の現象を言語資料に用いることが多く、またメディアによって可能となり、言語は音声から分析対象にする考えかたが広くとらえられている。 . . . 本文を読む

日本語教育学入門書の語彙⑤ 基本語彙カバー率

2019-08-26 | 日本語語彙
日本語教育の教授法で動詞活用を効率的に学習することができること、そのステップアップが説明になくて、語彙を文法と切り離す記述になっている。日本語習得だけではない、これは語彙の分野であるということから、語彙習得の困難さのひとつに、活用変化形をあげて、言語の特徴にしてしまうのは、記述説明の内容に教育方法がないことだけではなさそうである。漢字語彙はとくに難しいので、日本語での漢字の習得には工夫があることを教育実践として推測すればよい。基本語彙の考え方は出現率による統計値にあるが、語彙の数値を結果による比較をする場合は、とくに気をつけなければならない。使用頻度が高い基本語彙を、カバー率からみて上位語の選定にするのはよいとして、言語によって上位1000語の語彙が単純比較されると、誤解が起こる。 . . . 本文を読む

日本語文法の説64 一語の文章は

2019-08-25 | 日本語文法
文章の単位に一語文を入れるか、認めるかどうか。そもそも一語文はどうして議論されるようになったか。現代語の文法の説明で、文の規定が述語の品詞に着目する構造の規定で、文の成立に説明が広義の解釈で拡大すると、名詞だけで一語の文、同様の形容詞を表出すると一語で場面を見る、そして、述語動詞にも文の成立を捉えるから、日本語を主語述語動詞と見るより、主語述語の構造だとする解釈が現れる。文とは何かの長い間の議論に主語を抹殺することで生じた弊である。さきの一語文についても時枝説によると伝達論で成立する語法であるから、その一語で文、ひいては文章であるとするかどうか。キャッチコピーの表記に、句読によって標語を示すことで、それを文章単位とする発想も現れた。 . . . 本文を読む

日本語教育学入門書の語彙④ 基本語彙

2019-08-25 | 日本語語彙
基本と基礎と、この語の違いをとらえる。まさに語彙のかなめである。語彙論をその立場でいえば、基本もとにすれば、語彙の定義となって、基本語彙は明らかである。しかし、学習語彙として基礎と基本を決める作業は、それぞれに選定理由のあるところであり、意味内容も基礎、基本に重なり合うことが出てくる。語彙論において基礎語彙の用語をとくに定義するかどうかで基本との違いがさらに分かることになるが、これは基本語彙の規定で、その用語をまずとらえて、その立場を持つかどうかである。基礎語彙を学習語彙で定めるのは、これまでの用法として、学習上の重要な語を、日常によく用いる語、あるいは基礎語という用法で、いわばその連想による語の捉え方がある。外国語学習、とくに英語学習などで基礎英語という用法があって、そこにも基礎の用い方が影響してきた。それで、日本語学習で基礎日本語という用法がどうであるか、日本語の基礎という言い方もあったりして、基礎語彙の選定にこれまでの経過と知識で、2000語の範囲で選定をするということが試みられた。日本語教育の指導者に複数のかたがたに以来のもと、集計をしてみると、同じ語を重要とする場合にも、日本語読み、漢語読み、そのほかの組み合わせと、どうしても2000語では収まらず、その作業の結果に、それぞれの2000語をクロスすることで6000語をとれば範囲に収まる、つまり2000語の基礎を選んだ結果、6000語で公表することになった。 . . . 本文を読む

日本語教育学入門書の語彙③ なにをどのように

2019-08-24 | 日本語語彙
学習語彙であるから、覚えるということで言語習得の出発を学習者に説明する。はじめに、そのことから入門を記述する、というときに、使用頻度の高い語彙として基本語彙をまず方法に挙げるのは、その通りである。ところが、基本語彙には一方で、基礎語彙の捉え方もある。しかし、この入門書ではその説明が見えない。索引に求めても基礎語彙はないので、学習の基礎となることを捉えようとしないかに思える。これは教授法にもかかわることであるから、基礎という点では、学習者の習得方法にも重要であって、語彙習得には文法と形式があることを十分に知る必要がある。 . . . 本文を読む

外海に高波の恐れ

2019-08-24 | 木瓜日記
2019夏、処暑の候となった。残暑もこれまで種が痛いが、立秋から白露までの24節気である。台風が襲った盆に、元号が令和の日々に、気づくと、外界は波打って高波が押し寄せんばかりである。米中を貿易戦争と見ている世界情勢は、双方譲らないまま関税の壁を高くして次々と築いている。経済力は生産と消費の近郊にあるが、人口比で3億と13億の後背地をもつ。ここに絡むかどうか、英国のEU離脱に、欧州経済圏が揺らぐ。兵器による緊張は米中、米ロと、そこに北朝鮮が介在していた。日韓関係に、G20大阪サミット2019 の影が及んで、制裁と提訴の応酬が始まった。そしてついには、韓国が全面戦争だという、日韓の軍事協定になるGSOMIAにも亀裂が生じようとしている。 . . . 本文を読む

日本語教育学入門書の語彙② 語彙習得

2019-08-23 | 日本語語彙
語彙習得 この入門書の記述は日本語教育経験を踏まえていないか、誇大にとらえることで、学習困難であることを日本語教師に訴えようとする、あるいはそこを譲って、学習のステップを教師にどう考えさせようとするのか、わからない。学習時間を能力別試験で標準時間が指定されているが、それによればレベルが高くなって900時間を前提にした説明が可能である。つまり能力試験を受けるために準備しているのは900時間に対して、学習語彙に、その対象を語彙表で一覧して約8009語、600時間に対して以下、同様に、約5035語、300時間に対して1409語、150時間では728語と、これはあくまで出題基準として公表されているのではあるが、それぞれ試験対策として、それぞれは、8.9 8.4 4.7 4.9 1時間当たりの学習となる。学習程度によるが、日に4時間の集中学習で20語からスタートして300時間を経た3か月から4か月後には、学習語彙は、学習した語彙に加算した数字であるので、6600語を600時間に学ぶ、日に44語という単純計算になるが、このような数字にはならないのは当然である。 . . . 本文を読む

日本語教育学入門書の語彙① 理解と使用

2019-08-22 | 日本語語彙
日本語教育で学習者は何語覚えればよいかと、説明する。理解語彙と使用語彙を捉える。ここで理解語彙は、日本語を母語とする人は、4~5万語と言う。この理解語彙は語彙量としては何によるものか、一般的に受け止めるとどうか。たとえば、日常の国語辞書をおいて開くと、ほぼ机上版辞書の項目は漢字の理解で説明を読み取ることができるようであるから、辞書の収録語数に合わせた単語の数が理解語彙となる。項目は、まず漢字などの表記を思い浮かべる、実際には発音引きにして理解するかどうかを表記によって意味を推測するので、時間と手間をかけるかどうかで変わってくる。辞書の収載語数はカタカナ表記の語によって増減が大きい。一方で、使用語彙は8000語を数字として挙げている。データは、典拠に、オンラインコミュニケーションの平均的使用語彙数のコーパス利用とある。ウェブ上の発言10万人を対象に形態素で行っている。 . . . 本文を読む

日本語文法の説61 文章の原理10

2019-08-22 | 日本語文法
時枝学説による文章論は言語過程説の言語の伝達論の帰結にある。それはどういうことか。学説によれば文章は作品である表現されたもの、それが芸術であることである。したがって文章の解釈には時枝理論の演繹が行われる。しかし、その文章を表現芸術と見る理想を理論として示したかとなると、いわば、文章分析は後世に託されている。あるいは教育の内容に及ぶことになる。時枝学説の文章は、その構成をする文の捉え方に、それは入子型構造の句になる、足の入れ子によるはめ込みが繰り返されて、文は無限に句の包摂関係となってしまうので、言語過程そのもの現われを文の構造に見ることは、それがすなわち、文章となることであるから、文の単位を句構造でどう見るかが解決されなければならない。これは、松下大三郎の断句と句の関係にある。文章論おここに介在する日本語の現象は、山田学説の述体喚体、橋本学説の連文節の拡大による修飾構造など、またモダリティと命題に及ぶ現代日本語の学説における文の規定の根本問題となるものである。 . . . 本文を読む

日本語教育学入門書の語彙

2019-08-21 | 日本語語彙
すでにふれてきたことであるが、去る4年前に、日本語教育学として入門書が出版されて、タイトルにひかれたのだが、日本語教育学というのは日本語学とすべきもの、それではまた、音声、語彙、文法とだけする内容構成には不足が生ずるように思われるので、このような日本語教育学にある分野の言語関係、日本語解説による入門書になったのであろうと、そのおりには、日本語教育入門にするのを控えた経験があって、近時、ネット検索で日本語音声の解説をPDF公開している研究社サイトのページで、その使いよさだけで、再び手にして、文法記述について引用して述べたところであった、音声の概説は入門よろしくというふうな個人感想に過ぎないのを、いま少し言うならば、文法記述には日本語教育者はどうとらえてしまうだろうと懸念し、日本語文法のベースがない、宙に浮いてしまったような、さきの個人の感想に過ぎない思いで、つぎはいよいよと、語彙の分野で、これではいけないとするところ、述べてみる。 . . . 本文を読む