国語学に語彙論があり、言語学に意味論がある。日本語には語彙・意味となる。国語の語彙は語誌を記述する。この語誌を語史と造語したことは語彙史がそうであるように国語研究らしいところ、本来の語誌という用法がわかりよい。語の形式をおいて議論すると、語の内容を取り上げることになるが、これは少し考えてみれば、とらえどころがない。意味の問題として言語の意味に限るゆえんである。日本語の意味に、意義との違いがある。これを形音義から説明することができるが、意味そのものを説明することはない。国語意味論で意味そのものを議論し捉えるのは渡辺実学説が唯一である。また、semantics という、分野については、予兆学の起こりから、20世紀に入って哲学の意味論とともに、いまや、コンピュータ用語にもなる。 . . . 本文を読む