現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

日本語文法の説65 文章体

2019-08-26 | 日本語文法

文章体、会話体また談話体を対比する。あるいは、文章を文語とする、文語体、それに対する口語体をおく。文章体を文体とすると、文体論における扱いがある。文法における文体に、ていねい体、ふつう体といったスタイルを持つが、文章体とは異なる。文章体に文語を見るから、そのような形式をもつ文章語、文書語などを考える。文法分析は、言語現象の対象を文章に置くことが、日本語の長い歴史による必然であった。記録された文字言語にあった。時代とともに、書きことばについてより、話し言葉の現象を言語資料に用いることが多く、またメディアによって可能となり、言語は音声から分析対象にする考えかたが広くとらえられている。



大辞林 第三版の解説
ぶんしょうたい【文章体】
文章語を多く用いた文体。文語体。


ぶんしょう‐たい〔ブンシヤウ‐〕【文章体】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
文章語を多用した文体。文語体。

ぶんしょう〔ブンシヤウ‐〕【文章】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 文を連ねて、まとまった思想・感情を表現したもの。主に詩に対して、散文をいう。
2 文法で、文よりも大きな単位。一文だけのこともあるが、通常はいくつかの文が集まって、まとまった思想・話題を表現するもの。
3 威儀・容儀・文辞などとして、内にある徳の外面に現れたもの。
「およそはこの大臣 (おとど) ―うるはしうして」〈平家・三〉


精選版 日本国語大辞典の解説
ぶんしょう‐たい ブンシャウ‥【文章体】
〘名〙 文章語を用いた文体。文語体。
※尋常小学読本(1887)〈文部省〉緒言「此書の文体は、最初に談話体を用ひ、漸次に進みて文章体に移り」


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
文語体(ぶんごたい)は、文語を用いて書かれた日本語の文章形式のこと。

日本語の広い意味での文語体には以下のような文体がある。
明治期の言文一致運動により、漢文体、和文体、和漢混清体、漢文訓読体、雅俗折衷体、欧文直訳体、和漢洋調和体、普通文など、さまざまな文体が使われ、美文調や高雅体といった新たな文語体が現れた

漢文
本来は中国語を表記したもの。古来、文字を持たなかった日本で最初に漢字を導入した際においては、日本語を文章に書くという概念が存在せず、漢字とともに漢文がそのまま導入された。後に訓読とよばれる方法によって日本語として読むようになった。また、日本語を漢文風に漢字だけで書いた「変体漢文体」も使われた。
漢文訓読体(漢文直訳体)
漢文を訓読により仮名交じりで書き下したもの、または初めからこの形で書いた文体。和文体よりも単純・定型的。公文書や詩などに用いた。奈良時代からのものであるが、19世紀においても一般的な論説はこの文体で書かれた。第二次世界大戦前に制定された法律の文体もこれに近い。
宣命体
主に奈良時代に日本語の宣命(詔)を漢字で書き表したもの。助詞や語尾など(後の送り仮名に相当する部分)は 万葉仮名により小さい漢字で書いた。万葉仮名を仮名に置き換えれば、後の漢字・仮名交じり文に近い。その後は祝詞に宣命書きとして用いられ、神道において現代も使われる。
和文体
平安時代中期の口語に基づく文体。当時の清少納言や紫式部の作品が代表的。中世以降書記言語として用いたものを特に擬古文と呼び、賀茂真淵、村田春海、加藤千蔭、本居宣長、石川雅望、藤井高尚、清水浜臣など[4]江戸時代の国学者が著したものが代表的である。現在でも古文教育で主に取り上げられ、短歌・俳句などでよく使われる。詳しくは中古日本語を参照。
和漢混交体
漢文訓読体と和文体を交えた文体。漢文が漢語、和文が大和言葉のみを用いるのに対し、漢語と大和言葉が併用されている。宣命体にはじまる漢字・仮名交じり文の完成形。『平家物語』などの軍記物が代表的。
候文
文末に丁寧の助動詞「候(さうらふ)」を使う文体で、鎌倉時代以降用いられた。江戸時代には、公文書や商用文書などの他、私文書[5]でも用いられ、社会活動上で書面を用いる場合の標準文体であった。口語文における「です・ます体」のようなものとも考えられ、書簡を中心に明治・大正・昭和初期[6][7]まで使われた。
普通文
明治30年代以降ながらく使われた文体。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。