指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

妹がいた

2008年09月11日 | 政治
自民党総裁選挙が告示され、与謝野馨氏も立候補されたが、私が高校生のとき、彼の妹の文子が同学年にいた。

彼ら兄妹の父与謝野秀氏は、東京オリンピック事務局長をされていたが、元は外務官僚で各国の大使をやられていたはずだ。
当然、彼らは帰国子女で、与謝野氏は日比谷高校に入ったが、日本の教育制度に慣れず、大変だったそうだ。
与謝野文子は、なかなか美人だったが、成績は普通だった。
慶応大学文学部の入試で彼女を見かけたが、私と同様合格しなかったようだ。
その後、彼女はフランスに留学し、そこで小説家阿部知二の息子である阿部良雄氏と会い、結婚されたらしい。
その阿部氏も昨年なくなられた。

与謝野馨氏は、記者会見で他の候補者との違い、良いところを聞かれ、「そうしたことを言わないところ、羞恥心があるところ」と言った。
なかなかのインテリであり、浮かれている他の4人への皮肉にもなっていた。
今回の「茶番劇」で、唯一浮かれ騒いでいないのが、与謝野氏であり、私は好感を持つ。
だが、勝利は無理である。
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新進党結成大会は

2008年09月10日 | 政治
これから選挙、そして政界再編成の話題のとき、必ず出るのが1994年12月の新進党結成大会の映像である。
パシフィコ横浜の国立大ホールの1階席に「新進党」という大きな布が広げられる映像である。
5,000人のホールを満員にしたので、新進党は結成すぐでよくそんなに人が集まったのか、不思議だった。
その後、パシフィコ横浜に二度目の出向で行ったとき、職員に聞くと、
「あれは全員、公明党の動員だったのですよ」とのことだった。

その後、今は無所属になっている江田憲司議員が、2000年6月に初めて出たときの総決起大会もパシフィコ横浜の国立大ホールであり、このときは私もいた。
大ホールの最上階までいっぱいになったが、このときも自民党主催でありながら、参加者はほとんど公明党支持者のように見えた。
聞くと、江田氏は、橋本首相に遣え、公明党とは大変良好な仲だったのだそうだ。
だが、このときの選挙では、現在横浜市長の中田宏氏に完敗した。それほど中田氏は強かったのである。
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公明党はなぜ強いのか

2008年09月09日 | 政治
福田首相辞任も、真相は公明党の言いなりになっていることに耐え切れなくなったのではないか、と言う見方が有力になっている。
では、なぜ公明党は強いのだろうか。

先日、病院から患者を退院させて選挙運動期間だけは面倒見る実例を書いたが、そこまで出来る党は日本では公明党しかいない。
今や、小泉純一郎氏は、「自民党をぶっ壊す!」と言って、本当に従来の自民党支持団体だった、ゼネコン、医師会、特定郵便局等を、すべて田中派政治として規制緩和、自由化で壊してしまった。
自民党には、もはや草の根で頼れるのは、各議員個人の後援会しかない。それ以外の支持団体というのは、ほとんど存在しない。
草の根の組織で言えば、組合等の残滓がある民主党の方がはるかに組織がある。

そこで出てくるのが、公明党・創価学会である。
彼らの強力な組織力・動員力に自民党は頼るしかなくなっている。
現在の日本の社会でも障害者、高齢者、低所得者は、数パーセントは必ず存在し、それらをカバーできるのは創価学会・公明党である。
そして、日本の選挙では、投票率は約50%である。
だから、公明党の数%は、得票数では10%近くに相当することになる。
このことに最初の気づいたのは、言うまでもなく自民党の小沢一郎だった。
彼は、公明党と一緒になって新進党を作り、日本の選挙を制圧した。だが、公明党が本質的に他党とは相容れないものを持っていることが分かり解党した。

今後、自公体制から公明党がどのように離れて行くか、これは一番注目すべき点である。
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寺内大吉死す

2008年09月08日 | 映画
直木賞作家寺内大吉氏がなくなられた。88歳。
彼は、テレビのキックボクシングの解説者で有名だったが、映画の原作者としても面白い作品がある。

増村保造の傑作『セックス・チェック 第二の性』、さらに西村昭五郎の『競輪上人行上記』も大変面白いものだった。

『セックス・チェック』は、数年前にテレビで『仮面の女』としてリメイクされたので、見た人も多いだろう。
短距離のすごいスプリンター安田道代をヤクザなコーチ緒方拳が発掘するが、実は「ふたなり」(おとこおんな・両性具有者)で失格なので、緒方は安田と日夜セックスに励んで完全な女性にすると、今度は選手としては駄目になるという皮肉な話。
『競輪上人行上記』は、競輪にのめりこみ、ついには坊主姿の予想屋になってしまう男小沢昭一の物語。
後に、日活ロマンポルノで最多作を記録する西村昭五郎監督の監督デビュー作である。
これなど、寺の住職という職業が、社会の裏側や実相までも見る実体験を生かした作品だったと思う。
自ら言った「なまぐさ坊主」のご冥福をお祈りする。
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『街角の歌』

2008年09月08日 | 演劇
土曜日の夜、鶴見公会堂で区民ミュージカル『街角の歌』を見る。
5月の高校生ミュージカル『やし酒飲み』でお世話になった村上芳信さんからご案内をいただいた。

話は、高校生、小学生らが鶴見の街を知ろうと町探検する中で、様々な人と出会うというもの。
結論的に言えば、ドラマ性が少々弱いが、音楽は大変良かった。
途中、春と冬の天使たちが出て来るが、季節の対立をもっと劇として突っ込めば「地球温暖化問題」にまで行っただろうに。
ここで、また街探検に戻る必要はない。
劇作的に言えば、「起承転結」の「転」で、ドラマとして最初と違う方向に行った方が面白かったと思う。

だが、51人という出演者がすごい。
しかし、開幕して少しづつ出すと言うのは、大変奥ゆかしい手だが、表現方法としては上手いやり方ではなかったと思う。
車掌役が「鶴見! 鶴見!」とコールし、幕が上がったとき、51人全員をステージで見せてテーマ・ソングを歌えば、それでさらに盛り上がったと思う。

高校生や中学生の女の子は、声がよく出ていて安心して見られた。
中に、鶴見の日系ブラジル人の子だと思うが、圧倒的にダンスが上手い子がいて、序幕ですぐ目に付く。
ブラジル、そして沖縄は、鶴見の「歴史的遺産」であり、今後是非題材として取り上げてもらいたいと思う。
そこには、「負の歴史」もあるが、それも街の遺産であるのだから。
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幸福はどこに 川崎ラゾーナにて

2008年09月08日 | 都市
土曜日、川崎市民ミュージアムで木下恵介の『この天の虹』を見た後、バスで川崎駅に出る。
西口に出来た「ラゾーナ」に初めて入る。東芝堀川工場跡の、巨大なショッピング・センターである。
1階から4階まで巨大な吹き抜けのアトリウムになっている。
公共部分が広く、快適な空間になっている。商品は極めて多く、種類も多彩のように思える。
若者を初め、幼児連れの若夫婦が多い。
川崎は田園都市線沿線や臨海部の工場跡などにマンションが建設されていて、少子高齢化の中で人口は微増していて、子供や若者の比率も高い。
ここの商圏は、川崎はもとより、横浜の鶴見、港北あたりまであるだろう。

客の表情を見ていると、皆幸福そうな顔をしている。
その裏にどのような事情があるかは分からないが、こうした「ハレ」の場に来た時は、幸福感に浸りたいのが人間の気分である。
木下の『この天の虹』では、大企業一家に属することが幸福だったが、ここでは豊富な商品が溢れている場を散策することが幸福であるように見えた。
それはそれで幸福なことだろう。
今の世の幸福は、こうした場で実現されるのだろうか。
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太陽族的野合はいつからか

2008年09月07日 | その他
川崎市民ミュージアムでの木下恵介の『この天の虹』は、様々なことを想起させる作品だった。
その一番が、工員高橋貞二が、自分が好きな久我美子にプロポーズするため、鹿児島からわざわざ母親浦辺粂子が来て、上司の笠知衆に菓子折りを持って来て依頼し、そこで笠が久我の父親織田政雄に頼むことである。

昭和33年頃、このような回りくどい求婚方法を取ったのだろうか。
言うまでもなく昭和29年には慎太郎の『太陽の季節』が出て、太陽族映画が続々と作られた。
木下恵介も、2年前に映画『太陽とバラ』で、太陽族に翻弄される貧乏人の息子中村賀津夫を描き、太陽族に疑問を提出している。
しかし、如何に北九州という地方とは言え、結婚の申し込みに、こんな他人を介在させるやり方を取っただろうか。
むしろ、太陽族的野合は、地方の方が常態であったように私は思う。
万葉集の歌垣などは、言ってみれば若者の「野合集会」であったのではないかと私は邪推している。
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『この天の虹』

2008年09月07日 | 映画
昭和33年に公開された木下恵介の監督作品で、公害企業を賛美したとして評判が悪く、ほとんど上映されたことのない映画。
今月、川崎市民ミュージアムは、川崎市でも公害局がなくなったのを機会に、日本の公害映画を特集しようとの企画で見る。
確かに、この天の虹とは、九州八幡市(現北九州市八幡区)の八幡製鉄所(新日本製鉄)の溶鉱炉から出る煙を七色の虹にたとえているのだから、ぜん息に苦しむ患者が見たら、怒り心頭だろう。

従業員2万人の工場の様々な作業が紹介され、近代的なシステム、福利厚生施設も紹介される。
そこで働くことは、まるで天国で、ほとんど八幡製鉄のPR映画である。
社宅、病院、体育館・プールからスーパーのような購買部まで、生活のすべてが会社によって運営されている。
「企業城下町」という言葉があったが、まさにその典型だろう。

話は、工員の高橋貞二が秘書課の美人久我美子にほれて、結婚を申し込むが、断られ、久我は以前から好きだった幹部技術者の田村高広と結ばれる、と言うもの。
その間に、高橋や川津裕介、さらに笠知衆、織田政雄らの現場の労働者、ここでは工員、作業員と言われている、田村、須賀不二夫、細川俊夫らホワイトカラーとの対立、差別が描かれる。

一番驚いたのは、高炉台公園があり、多分会社が作ったものの他、水道の貯水池まで会社が持っていたこと。
製鉄は水を多量に使用する(昔、横浜市で水道局の最大供給者は、日本鋼管、後には麒麟麦酒だったが、今は多分みなとみらいのクイーンズ・スクエアあたりの商業施設だろう)ので、工場建設には浄水設備が必要だったのだろう。現在は、どうなつているのだろうか。
多分、北九州市水道局に移管されていると思うが、当時は八幡製鉄の力は、それだけ大きかったのだろうだろう。

だが、新日鉄八幡工場は、1980年代に撤去され、スペースワールドなる遊園地が出来たが、それもバブル崩壊以後潰れた。
今は、どうなっているのだろうか。
時代の変化を考えさせられる作品だった。
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ユースホステル

2008年09月06日 | その他
紅葉丘に横浜のユースホステルがある。
ユースホステルというと、なんとも恥ずかしい気がするのは私だけだろうか。

私も、大学1年の時、一度だけ大津のを利用したことがある。
当時、付き合っていた女の子が、夏休みにそこに大学のクラブの連中(私とは別の大学)と行くと言うので、私も合わせて行った。
大津の琵琶湖を見下ろすの山の方にあり、そこは全国でも最も有名なところだったらしい。
夜、ミーティングがあったはずだが、適当にやり過ごし、その子と会って話した。
翌日は勿論別々で、私は京福電鉄で京都に出てどこかを回り新幹線で帰ってきた。

当時、まだ学生は貧乏旅行が当然だった。
その子の家は、相当に裕福だったはずだが、それでも子どもにあまり贅沢はさせなかった。
この夏、大学生の長女はフランスに行った。旅費は自分のアルバイトだが、実に時代は変わったものである。


私が学生時代、周囲で海外に行った者はたった一人で、田中大三と言う好漢だった。
「日本人でアメリカに行って、左翼になったのは田中だけだ」というジョークが早稲田大学映画研究会にあった。
先日、40年ぶりに会った金子裕君に聞くと、彼は、かの田中友幸さんの息子(と言うことは中北千枝子さんの息子でもあるが)だったのだそうだ。
東宝のプロデューサーの息子くらいしか海外旅行など行けなかった。
彼は、卒業後渡辺プロに入り、舞台、映画など多彩な仕事をしたが、大変若くして50代で亡くなられた。
金子曰く「親父を越える事は出来なかったんじゃないの」
そりゃそうだ、「ゴジラ」の田中友幸を越えることなど、普通の人間に出来ることではない。
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昭和20年代的

2008年09月05日 | 都市
4月に新たに栄図書館長になり、全国の新任図書館長研修を受けているので、今週は火曜日から神奈川県立図書館に通っている。
本来は、上野の国立教育政策研究所が会場なのだが、パソコン中継で見られる仕組みなので紅葉丘で聞いている。

そして、この県立図書館は、大変失礼だが「昭和20年代的」である。
昼休み、地下の食堂に行く。
「いまどき、こんな食堂があるのか」という、昔の大学の学食のような「安くて、不味い」、やたらに広く閑散とした食堂。

この図書館を閲覧、貸出で利用するためには、まずカバンはロッカーに入れないと内部に入れてくれない。
「人を見たら泥棒と思え」との思想。
入口には高齢者の守衛さんがいる。民間のガードマンではなく、県の職員のようだ。

書棚に並んでいるのは、私が20代の頃に「良書」と言われた本ばかり。
最近のベストセラー等は一切ないという「良識ある」開架ぶり。
利用者は極めて少なく、すぐ近くの野毛山の横浜市中央図書館が、横浜駅西口のごとき雑踏であるのとは大違いで、静かで落ち着いた室内。
利用者の数と職員の数が同じじゃないか、と思うくらい極めて少ない。

昔、森田芳光の『阿修羅のごとく』で、娘の深津絵里が図書館職員で、カード式の図書館だったので、いまどきそんな図書館があるか、とびっくりしたが、神奈川県立図書館は、それに近い「昭和20年代的」である。

この紅葉丘は、かつては神奈川県文化センターと言い、図書館、音楽堂、青少年センター、婦人会館があったが、いずれも陳腐化している。
20年くらい前には、県立図書館は相模原あたりの西部に移転させ、その跡地を含めて再開発し、「大文化センター」を作る構想もあったが、県は全く金がないので、それも消えた。
道路の反対側には、伊勢山皇大神宮が経営していた「ホテル海洋亭」があったが、倒産し解体工事が進められている。跡地はマンションらしい。
高齢化の今日、こういう高台へは誰もわざわざ昇って来ないので、集客施設は無理なのだ。
隣には、横浜市教育会館があり、ここは日教組の拠点で、以前は古びた会館だったが、いつの間にか新築されて立派なビルになっていた。
今や、金があるのは組合のみか。

紅葉坂から見れば、ランドマークタワーを初め、浜銀本社ビル、クイーンズ・スクエア、さらにパシフィコ横浜、そして桜木町駅前に建設中の森ビルの新しい鉄骨などが林立している。
時代は、完全に坂の下の埋立地に移動してしまったのである。
紅葉丘など、お呼びでない。
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公明党のものすごさ

2008年09月02日 | 政治
ちかじか総選挙になるようなので、公明党・創価学会の選挙すごさについて書く。
以前、区役所で福祉関係の課長をやっていたことがある。
高齢の女性がいて、生活保護を受け長期に病院に入院していたが、ある日突然退院し一人でアパート暮らしを再開した。
高齢・病弱なので、「退院して平気なのか」とケース・ワーカーに聞いた。
彼は言った。
「今度選挙があるから、それまでは創価学会が面倒を見てくれるから一人暮らしが出来るのですよ」
彼が言うには、冷蔵庫には食品が入れてあって、毎日誰かが来て食事を用意してくれるのだそうだ。
そして、投票日には一緒に投票所に行くのだそうだ。
たしかに、そこまでされれば人情として、公明党に投票するだろう。

本来、30床程度の病院なら、公立、民間を問わず「病院投票」制度があり、病院でも投票は可能だが、そんなことは彼らは問題にしない。
その期間、地域の支持者の面倒を見て、その見返りとして投票してもらうのである。
ここまで出来る政党は日本では公明党だけである。
私は言った。
「一年中選挙をやっていれば、行政の負担も随分減るね」
「みんなよく知ってますよ。選挙が終わればまた入院させられますよ、と言っているんですから」とのことだった。
公明党って本当にすごい。

こうした草の根のある種の「社会運動」は、多分パレスチナのハマスやアフガニスタンのアルカイダにもあるのではないかと思う。
彼ら、テロリストをいくらアメリカが攻撃しても滅びないのは、多分このような草の根の運動があるからだろうと思う。
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福田康夫首相辞任

2008年09月02日 | 政治
黒澤明の『生きものの記録』を見て、続きの香川京子の黒澤回想が特に面白くないので、ニュースに廻すと首相辞任で大騒ぎ。
内閣改造したばかりなのでとても意外。
定率減税、国会会期等で公明党との間で板ばさみになり、身動きが取れなくなったのが真相だろう。
結局、自・公体制は無理と言うことである。

私は、市役所にいる感想から言えば、公明党は決して嫌いではない。
客観的に見て、少なくとも地方行政レベルで、一番真面目に政策を考え仕事をしているのは公明党の議員である。
奇麗事の言動の裏には自己利益が大抵は付いている、多くの自民党や、ときには民主にもいる不心得議員よりは遥かに良いと思う。
だが、自民党支持者の公明党(と言うより創価学会だが)嫌い、学会アレルギーはすごい。
自民党支持の草の根の、町内会長・商店街会長、各種団体・組合・協会等の役員、こうした連中は創価学会が大嫌いである。
なぜなら、自分たちとは相容れない社会的基盤、体質を持っているからである。
貧富の差、と言えばそれまでだが、こうした社会的階層の差は明確にあると思う。
そして、公明党・創価学会が、行政の様々なチャンネルを使って、そうした階層に言わば「富の再配分」を行っているのは間違いない。
多分、そこが草の根自民党には不愉快なのだろう。
「俺たちは、汗水たらして働いているのに、連中はろく働きもせず、役所から金をもらってのうのうとしている」
この辺の対立は、サラリーマンの我々には良く分からないところで、自営業者と社会的弱者との根本的差異・対立である。

自民党と公明党は本来、本質的に相容れない政党なのである。中長期的に見れば、この二つはいつか分かれていくことになると思う。
今回の首相辞任劇は、その始まりのように思える。
また、この自・公離婚劇は、かつての小沢「新進党」が辿った道程でもある。
そうなると、この後の政治情勢の展開は、公明党との統一と別離を先に学習してしまった小沢一郎の方に「学習効果」があるように思える。
昨年の福田・小沢の大連立と解消の騒動といい、どうも福田康夫は小沢一郎にやられっぱなしのように見えるが、今後どうだろうか。
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