指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

9・11の日は

2008年09月11日 | 政治
今日、9月11日は、7年前にニューヨークのワールドトレードセンターにジェット機が突っ込み、「9・11事件」が起きた日である。
あの当時、私は横浜の病院に長期入院していた。
あの日も、前夜に起きた事件はまったく知らず、翌朝起きるとテレビが大騒ぎしていてびっくりした。
だが、あのビルでは、ぶつかれば壊れるだろうなと納得した。

1983年秋、港湾局の国際交流担当係長をやっているとき、横浜港の代表団とニューヨーク市港湾局を訪問し、あのビルの最上階のレストランで関係者と昼食し、ビルの中の港湾局のオフィスも見学した。
そのとき、気づいたのは、ビルの柱が極めて細く、全体にひどく脆弱な構造だなという感じだった。
建築の専門家に聞くと、マンハッタン島は大半が岩盤の上、地震はほとんどないので、ニューヨークでは細い柱でも十分とのことだった。
ビルの地下には、地下鉄が通っているのだが、その振動がかなり上まで響いていた。
構造全体は、網のような細い柱と梁からで来ていて、少ない材料で経済的にできたビルとのこと。そこに猛烈な力がかればすぐに壊れてしまうものなのだそうだ。
近代建築の経済性の反面の脆弱性の代表のようなものだったらしい。
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妹がいた

2008年09月11日 | 政治
自民党総裁選挙が告示され、与謝野馨氏も立候補されたが、私が高校生のとき、彼の妹の文子が同学年にいた。

彼ら兄妹の父与謝野秀氏は、東京オリンピック事務局長をされていたが、元は外務官僚で各国の大使をやられていたはずだ。
当然、彼らは帰国子女で、与謝野氏は日比谷高校に入ったが、日本の教育制度に慣れず、大変だったそうだ。
与謝野文子は、なかなか美人だったが、成績は普通だった。
慶応大学文学部の入試で彼女を見かけたが、私と同様合格しなかったようだ。
その後、彼女はフランスに留学し、そこで小説家阿部知二の息子である阿部良雄氏と会い、結婚されたらしい。
その阿部氏も昨年なくなられた。

与謝野馨氏は、記者会見で他の候補者との違い、良いところを聞かれ、「そうしたことを言わないところ、羞恥心があるところ」と言った。
なかなかのインテリであり、浮かれている他の4人への皮肉にもなっていた。
今回の「茶番劇」で、唯一浮かれ騒いでいないのが、与謝野氏であり、私は好感を持つ。
だが、勝利は無理である。
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