指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

1968年の映画・2

2022年07月04日 | 映画

1968年に私が見た映画について書く。

4月に、新宿松竹で加藤泰と『皆殺しの霊歌』と関川秀雄の『いれずみ無残』を見ている。この2本は、元東映の監督で、松竹としては異質で、当たったようだ。

               

特に、後者の『いれずみ無残』は、相当に変な映画だったが、ヒットしたので、すぐに関川秀雄の監督、荒井千寿子の主演で続編が作られた。荒井は、大船の大部屋女優で、体がでかいだけだったと思うが、ヒットしたのだから恐ろしい。

松竹では、大島渚の『帰って来たヨッパライ』があり、これは途中で同じ箇所が繰り返される作品で、見たものはすべて戸惑った。この映画で、松竹の怒りを買ってしまい、以後大島作品は松竹で上映されなくなる。

この時期、松竹では、従来の城戸四郎路線が変えられて、大島の他、篠田正浩、吉田喜重など、元松竹だが、出ていった連中の作品も上映していたのだが。

5月に蒲田の帝都座で加藤泰監督の名作『三代目襲名』を見ているが、併映は石井輝男の『徳川女系図』で、さんざ悪行をしていたバカ殿の吉田輝男が、

「こんなことがあって良いのか」と呟くシーンには、「それなら最初からしなければ良いじゃないか」と思ったものだ。

この年で最高に良かったのは、増村保造の『第二の性』、井上昭の『陸軍中野学校・開戦前夜』、そして東宝の森谷司郎の『兄貴の恋人』だった。

             

これは、蒲田国際で見ている。蒲田には洋画系が二館あって、蒲田国際と蒲田スカラ座だったが、この頃にはスカラ座は、ピンク映画に代っていたと思う。当時、流行の「洋ピン」、つまり洋物のピンク映画だったと思う。

そして、この年の最後は、内田叶夢の晩年の傑作『人生劇場・吉良常と飛車角』だった。

10月31日で、この年は劇団の公演に参加していたので、11月以降は見ていなかったようだ。


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