指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

好きな映画と言えば・・・

2015年10月09日 | 映画

日本映画では、蔵原惟義監督の『憎いあンちくしょう』、野村孝の『拳銃は俺のパスポート』、森一生の『ある殺し屋』、増村保造の『ヤクザ絶唱』、加藤泰の『男の顔は履歴書』などである。

洋画で言えば、ジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向かって撃て』が最高だが、ルネ・クレマンの『狼は天使の匂い』、アンジェィ・ワイダの『夜の終わりに』などが好きだったが、なんといってもミケランジェロ・アントニオーニの『さすらい』である。

 

                                          

だから、このブログの題名に使っているのだ。


阪神ファンである

2015年10月09日 | 野球

阪神ファンだと言うと、「東京なのに必ずなぜ」と聞かれる。

小学校の頃は巨人ファンで、特に外野手の宮本敏雄のファンだった。

三振かホームラン化の荒いバッターだったが、愛嬌があり、特に三振した時の笑い顔が好きだった。

今でも、去年まで阪神にいて、今年から広島に戻って新井などが好きなのは、そのせいだろうと思う。

だが、当時の巨人は今のように必ずしも強くはなく、セリーグで優勝しても、日本シリーズでは、西鉄、南海に必ず負けたのであって、強いものが好きだったわけではない。

阪神が好きになったのは大学に入ってからで、投手・江夏豊を見てからである。

当時は、巨人の全盛時代で、長嶋、王の打線に本当に立ち向かっていたのは、江夏豊だけだったからである。

平松や松岡、外木場らもいたが、本の一時期のことで、何年も王、長嶋に対決できたのは江夏だけである。

実際に、後楽園球場で江夏の投球をネットのすぐ近くで見たことがある。

日本ハムとのオープン戦で、東京ドームの前で、投球練習は、フェンスのすぐ前でやっていたのだ。

江夏の投球を見ると、低めの球は、一度グランドに消えてからぐっとホップしてストライクになるように見えた。

年間400三振と言い、ともかく全盛時代に江夏は、本当に凄かったと思う。

それゆえ、いまだに阪神ファンなのであるが、今年はCSのファーストステージを越えることはほとんど無理だろうと思う。

 

 


『兄とその妹』

2015年10月09日 | 映画

1939年の松竹映画、監督の島津保次郎は、これの後、東宝に移籍する。

東亜鋼管という会社の本社の社員佐分利信と妹の桑野通子の話で、佐分利の妻は三宅邦子、これが大変に西欧的なのである。

                         

 

桑野は、外国企業日本法人支配人菅井一郎の秘書兼タイピストなのだが、菅井の日本語をそのままタイプできる女性。当時、女学校出で、こんなに英語に堪能が女性がいたかなと思うが、映画なので良いだろう。まるで最所フミさんみたいだが、因みに彼女は鮎川信夫と結婚していたのであるが。

 

佐分利の部署はよくわからいが、調査課のようなところらしい。

当時の日本は「レッセ・フェール」の自由競争で、戦後のような社会的保障はなく、特にホワイトカラーは、組合もなく社内の出世争いは激烈だった。

佐分利は、囲碁が得意で、監査役坂本武に気に入られているので、それをやっかむ連中がいる。扇動するのが職員の河村黎吉で、その他経理係長奈良真養など。

桑野を菅井の知人でオックスフォード大出のブローカー上原兼が気に入り、叔父の坂本を通じて、求婚してくる。

それも社の給仕の口から洩れて、佐分利は、妹も使って出世しようとしていると非難される。

給仕というのも、この時代のもので、戦後はほとんど見られなくなった制度である。大抵は、定時制の中学(今の中学ではなく高校に相当)に行っていて、昼は会社で雑用をこなし、夜に学校に行き、卒業すると正社員に採用するというものである。

佐分利、三宅、桑野の3人が箱根にハイキングに行った時、佐分利は、桑野に上原からの求婚を話す。結局桑野は断るが、それは佐分利の会社での立場を考慮した選択だった。

だが、人事異動で佐分利は平社員から経理係長になり、自分の座を追われた奈良は、誤解して佐分利に暴力を振い、佐分利は会社に辞表を出してしまう。

そして、友人の笠智衆が独立して始めた会社を手伝うことになり、彼と桑野通子は、大陸へとDC3機で、羽田から飛び立つところでエンドマーク。

 

キネマ旬報4位と高評価で、後の小津安二郎の名作『戸田家の兄妹』に似ていると思うに違いない。

だが、この島津作品が公開された時は、中国にいて見ていないのである。

勿論、大船の連中とは頻繁に文通していたので、話と評判は小津も知っていたと思うが。

この筋は、松竹の同族企業的体質から近代企業の東宝に移籍した島津自身のことのようにも思えるが。

だが、島津の東宝への移籍の理由は、彼にはお妾さんがいて、そのお手当てのためだったと言われているのだが。

NHKBS