昨夜は、神奈川の県立図書館を考える会の定例会があったので、県立川崎図書館に行く。
ここは日本で有数の産業資料図書館なのだが、県立図書館の再編成の中で、現状では川崎市溝口のKSPへの移転が計画されている。
だが、KSPに県立川崎図書館を収容するような余地はなく、最終的には一部をKSPに移転させて残りは、紅葉ヶ丘に収容ということになるのだろうと我々は危惧している。
この夜は、記者懇話会とのことで、毎日と東京新聞の記者が、わざわざ横浜から来てくれたとのこと。
館内を岡本さんたちが説明している間、私は映画会社の社史を調べてもらい、日活、東映、そして野内映画社の社史を読む。
野内映画社など、聞いたことがないが、予想どおり映画館の50年史で、藤沢オデオン座等を経営していた会社のものだった。
「日活100年史」は、2013年の日活100年に出されたもので、資料も多数収録されていてよくできているので、借りることにする。
会の終了後、岡本さんはご自身の会社の決算事務があるとのことで横浜へ帰られる。
残った、福富さん、林さん、塚田さん、田子さん、高橋さん、そして遅れて来られた石黒さんらと近所のソバ屋で飲む。
福富さんと塚田さんからは、今話題となっている九州の武雄市や海老名市の「ツタヤ図書館」についてお聞きする。
マスコミでは肯定的に報道されているようだが、極めて問題であることをお聞きする。
そして、移転が問題になっている県立川崎図書館だが、たとえ図書、資料が分散しても機能が果たせれば、それでよいじゃないかと言うご意見もあるだろう。
だが、昔から私は思っているのだが、文化施設は形ができ、人々に見せないとダメなのだである。
なぜなら文化は本来目に見えないものなのだから、形を作って見せ「これだ!」としないと誰も理解できないのである。
その証拠に、古来から現在の新興宗教に至るまで、必ず宗教団体は、本尊を安置し、壮大な本堂を作る。
それは、宗教というものが、本来目に見えない文化であるからなのだ。