指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

終わってみれば、結局白鵬で・・・

2015年07月27日 | 相撲

大相撲名古場所は、結局白鵬の優勝になり、まだまだ他の力士とは力の差があることを見せつけた。

北乃富士が言うように、「楽しんでいたら・・・」、いつの間にか調子を狂わせたというのが先場所で、初めからきちんと少しも力を抜かずにやれば優勝するできることは間違いないだろう。

ただ、照乃富士、栃煌山など、若手が出てきているのも事実で、この際なんとか大関になったが、相変わらず不甲斐ない稀勢の里や豪栄道の引退も、そう遠いことではないように思える。

もちろん、お情けでやっと勝越した琴奨菊の引退はもうすぐだろう。

このガブリ寄りだけの大関は、今は一番好きなのだが、ケガには勝てないということである。

もう一つ、十両の若の里が大きく負け越ししたので、夏巡業の終了後にも引退するようだ。

 

                  

 

相撲ほど、個人の力がそのまま反映されるものはなく、少しでも力が落ちるとすぐに転落してしまう。

元関脇の若の里は、大関候補と言われたものだが、押し相撲だけで、技の少ない力士は、力が落ちてくると大変である。

野球などは、チーム競技なので、少しくらい力が落ちてもすぐには反映されず、結構長く活躍できるものだが、個人競技の相撲は本当に過酷である。

 


照ノ富士 優勝

2015年05月25日 | 相撲

                                       

 

関脇の照ノ富士が優勝した。千秋楽でも落ち着いて魁聖を寄り切った取り口といい、勝負度胸もあり、大いに期待できそうだ。

近いうちに大関、横綱になるにちがいない。ともかく馬力があって若いのだから、白鵬への唯一の対抗馬になるだろう。

彼が大関になれば、今場所また、かど番になった琴奨菊は、引退も近いだろう。単純な押し相撲が好きだったのだが、ケガになると技のない関取はごまかせないので苦しい。

日本人では、やはり稀勢の里、豪栄道、さらに平幕の勢くらいしか期待できそうな連中はいないようだ。

私は、別に外国人力士が活躍しても構わないが。

だが、日本相撲協会ではなく、モンゴル相撲協会日本支部に名称を変更しないといけないのではないかと思う。あるいは、世界相撲連合日本支部か。


若秩父、死去

2014年09月18日 | 相撲
今朝の新聞に若秩父が亡くなったことが出ていた。75歳。

若秩父と言っても、60代以上の人しか知らないだろうが、非常に人気が、特に子供たちに大変人気があった関取だった。
元関脇と書いてあったが、関脇まで行っていたとは知らなかった。
今の遠藤よりも、はるかに人気があったと思う。

その証拠に、大島渚が、1959年に作った松竹の若手スターの紹介映画『明日の太陽』では、
その冒頭に「若者の時代です」として、野球は長嶋、相撲界は若秩父の写真が出て、
「映画でも  」と言って十朱幸代が出て来て、桑野みゆき、山本豊三、杉浦直樹、九條映子以下のニューフェイスを紹介してゆく。
そのくらい若手の代表だったのである。
関脇まで行ったのだから大したものだと言えるだろう。
さて、人気の遠藤はどうだろうか、確かに相撲は上手いが、いつも受身で、積極的な攻めがないのが不満である。
若秩父なんて問題じゃないよ、という風になってもらいたいが。

終わってみれば結局、白鵬

2014年07月28日 | 相撲

相撲が好きだというと大抵怪訝な顔をされるが、日本のスポーツの原点は、大相撲だと思う。
日本の野球が、やたらに投球に時間を取り、間をとって投げるのも、相撲の仕切りの感覚だと思う。
アメリカの大リーグの野球に、日本的な「間」は存在しない。
だが、相撲の仕切りの間に、相手と対峙しているのは実に面白く、観客の想像力を刺激する。
その性か、日本に興味のある英米人の多くは相撲好きである。ポール・マッカトニーに至っては、懸賞を出したくらいだ。

さて、今場所は贔屓の琴奨菊が好成績だったので、気分が良かったが、最後の15日目に豪栄道にあっさりと負けて初優勝の期待は外れた。

予想通りだが、最初琴奨菊が、立ち合いで早く突っかけて、間合いが合わず、仕切り直しとなる。
「これはまずい」と思うと二度目の立合いは、気分が集中して居らず、豪栄道に受け止められて負けた。

でも、豪栄道も大関になるらしいので、一応満足した。
なぜなら、豪栄道も琴奨菊と同様の、相撲取り顔で、言ってみれば「ブス男」だからである。


遠藤のように色男が、同時に力持ちでは、やりきれないではないか。
どちらかと言えば、白鵬もいい男で、これも悔しい理由でもある。
以前は、白鵬は好きな方の力士だったが、最近は少し考えを変えている。
この男は、普段は優等生のくせに、裏に廻るとワルの連中と大して変わらないことをしている学生が中学校にいたが、それに近いのではないかと。
なにをしても俺に文句を言う人間は存在しないという態度が目につくのも嫌なのである。
ともかく強いのだから仕方がないのだが。


モンゴル4人目の横綱誕生か

2014年03月22日 | 相撲

シネマジャック&ベティを出て、黄金町のたけうま書房に行き、福田陽一郎の『渥美清の肘付き』と「はま太郎」を買って戻る。

福田の自伝は、初期のテレビ界のことが詳述されているようで、興味深い。この人は4年前になくなったが、女優の稲野和子と結婚していた

 

4月19日の「映画『細雪』の戦後史」のチラシも置いてもらう。

 



部屋につくとちょうど高校野球の前の試合が終わった時で、阪神とオリックスのオープン戦を少し見た後、4時前から小山台の試合を見る。

 

小山台の伊藤投手は悪くないピッチャーだが、本格派だったので、履正社に力で打ち込まれてしまう。

 

逆に軟投タイプの投手だったら、もう少し点は取られなかったのかもしれない。

 

まあプロとアマが戦っているようなものだから、結果は仕方ないだろう。

 


大相撲で、白鵬を琴奨菊が破ったのを見る。

 

いよいよモンゴル横綱4人目が誕生になるのだろうか。

 

私は賛成である。


欧州勢は相撲に向かないのだろうか

2014年03月21日 | 相撲

大関から関脇に落ちていた琴欧洲が引退を決めた。

今場所は、初日こそ勝ったものの、ずっと負けで、それも気が抜けているようだったので、心配だったのだが。

6年前に優勝した時は、豪快な取り口で好きだった。

すぐにも横綱になるかと思われたのだが、怪我もあるが、琴欧洲は少し人が優しすぎたようにも思える。

    

去年、やはり引退した把瑠都と言い欧州勢は、相撲に向いていないのだろうか。

このままでは鶴竜も横綱になりそうで、横綱全員がモンゴル出身になってしまう可能性もあるように、モンゴル勢の活躍に比べれば、欧州勢はまだのようだ。

いずれ欧州からも横綱が出る日が来るかもしれないが。

日本の希望は、遠藤だけだろうか。


稀勢の里、3敗

2014年01月20日 | 相撲

大相撲初場所で、稀勢の里が小結栃煌山に負けて3敗目になった。

これで今場所での彼の横綱昇進は完全になくなったが、この後連敗するようだと、さらに昇進は遠のくことになる。

だが、稀勢の里にもともと横綱になる資質があるのか、前から私は疑問に思ってきた。

各下や平幕の連中にころころと負けるようでは、横綱の資格はないからである。

それに稀勢の里が勝ったときに見せる、「ドヤ顔」が非常に不快で、いつも気になっていた。

           

勝ったのだから、「どうだ俺は強いだろう」と思うのは良いが、それが明らかに顔に出るのは大変にみっともない気がする。

だから、彼が勝っても、それを喜んでやろうという気になれないのである。

あの「ドヤ顔」がなくなり、各下相手に簡単に負けなくなれば、稀勢の里が横綱になる日がくると私は思う。


参ったなあ

2013年09月29日 | 相撲

大相撲の千秋楽を見ていると、最後に恒例の優勝力士インタビューがあった。

そこで、白鵬は、オリンピックの東京決定のお祝いを言い、「そこまでやりたい」と言った。

まったく参ったなあ。

目前の取組だけにしか頭にない、日本人の稀勢の里以下のばか者力士とは、考えていることのレベルが明らかに違う。

白鵬は、相撲界全体、さらに日本のスポーツ全体のことを考えている。

この日頃の姿勢の差で、すでに白鵬以外の力士は負けていると言えるだろう。

                          

ここで、すぐに思い出したのは、40年前の東京オリンピック、柔道無差別級決勝で、オランダのヘーシンクが日本の神永を押さえ込み、勝った時のことである。

ヘーシンクの優勝に興奮したオランダの一人の観客が、畳に上がろうとした。

その時、ヘーシンクは、

「待て、上がって来てはいけないぞ」と大きな手で押さえたのである。

この時、柔道精神をヘーシンクが完璧に会得していることが、当時高校生だった私にも分かった。

今日の白鵬の発言は、2020年東京五輪に賛成できない非国民の私にも、素直に納得できるものだった。

この上は、2020年まで、横綱白鵬にずっと連続優勝してもらおうではないか。


把瑠都はなぜ引退したのか

2013年09月18日 | 相撲

テレビの相撲放送を見ていたら、元大関把瑠都が出ていたが、その笑顔は以前のように可愛く、また話も面白い。

なぜ引退し、母国エストニアに帰ってしまうのか、誠に残念である。

私は、批評や評論は書くが、悪口は書いたことはない。だが、今回だけは例外であり、お許しをいただきたい。

彼の所属は、大田区池上にある尾上部屋で、以前地元池上に行ったときに聞いた話を書いておく。

地元の噂なので、本当はどうかは分からないが、彼の廃業、帰国を惜しむ者の声として聞いていただきたい。

さて、2012年1月に把瑠都が優勝したとき、地元池上では、盛大なお祝いやパレードをしようと考えた。

だが、地元の人たちが、計画を尾上部屋に持っていくと、

「結構ですが、その看板、垂れ幕、幟などには、すべてお金を払ってください」と言われて呆れたそうだ。

そのため、地元の優勝パレードなどは行われなかったそうである。

また、尾上部屋の稽古の見学は有料で、地元にもまったく開放しなかったとのこと。

この話を聞いたとき、「本当なの、そんなバカなことをしていたら長くないよ」と言った憶えがある。

 

大相撲では、部屋が廃業した時以外、他の部屋に移籍することもできない。

怪我が多かったが、まだ若いので、いくらでも休養して治す術もあったはずだ。

それでも引退、帰国になってしまったのは、後ろ向きの部屋の体質と、古く、封建的な相撲協会の体質に愛想を尽かしたのではないだろうか。

まことに残念なことである。

その巨体だけでで勝負できる相撲の爽快さは、本来は力比べである相撲の魅力の一つだと思うからである。

把瑠都と琴欧州の取組は、技はともかく、とにかく世に希な大男同士の対決で、それだけで見せるものだった。

それが、もう二度と見られないのは寂しいが、今後は琴欧洲に頑張ってもらうしかない。

 幸いに、今場所は、琴欧州はやる気を出していて、調子が良いようで、大いに期待したい。


杷瑠都はすごい

2010年03月24日 | 相撲
夕方、大相撲を見る。
杷瑠都と琴欧州戦は、どちらも贔屓なのだが、やはり勢いの差で、杷瑠都の勝ちになった。
巨漢、長身の琴欧州が、完璧にひきつけられたのだから、その底力は本当にすごい。
今日、白鳳戦だが、どうなるか。
今場所は、まだ白鳳の方が上手さで、勝つと思うが。
いずれ、杷瑠都に勝てるのは、白鳳のみとなるに違いない。
大関はもちろん、その内間違いなく横綱になるだろう。

相撲記録映画

2009年12月29日 | 相撲
先週、両国で芝居を見て、近くの店で酒を飲む。
と、その店の中に、相撲映画、それも各場所の記録映画のポスターが貼ってあった。
キネマ旬報の記録にも、相撲の劇映画については、勿論載っているが、記録のはすべては載っていないようだ。
1960年代は、日活が上映していたようだが。
戦前、戦中から東宝など、各社も相撲の記録を映画として上映していたようだ。
この辺は、まだよく調べないといけないことのように改めて思った。

相撲は本質的に八百長であり、それで何が悪いのか

2008年10月16日 | 相撲
大相撲の八百長が問題になり、裁判にまでなっている。
実に滑稽である。
国文学者の折口信夫は、「相撲は芝居だ」と言っている。神と人間との吉凶を占う神事、演劇だと書いている。
土俵の上にある屋根からの垂れ幕、あれは歌舞伎の舞台の上にある一文字で、これはどちらも聖域であることを示すものである。
相撲には演劇、芸能としての側面が強くある。

第一に、土俵の外に出たら負け、とか土俵の土が付くと負けと言うのも、非常に不思議なルールである。
他の格闘技で、こんな変わったルールはない。
相撲は、形の美しさを常に問題にする競技で、土俵の外に出されるとか、土が付くというのはいずれも、きたないこと、みっともないことをやったら負け、というきわめて美学的なルールに基づくものなのである。
これだけでも相撲は大変特殊なスポーツである。

相撲は劇なのだから。本質的に八百長はあって良いのである。
芝居では、毎日ロメオとジュリエットは出会い、恋して互いに死ぬ。
すべてそれは嘘であり、本当の恋でもなければ、自殺でもない。
ハムレットも芝居の中で必ず殺される。
これも嘘であり、本当に殺されるわけではない。
でも、それに文句を言う人間はいない。
「本当に殺せ」と言うバカはいないのだ。

相撲も同じで、演技として取組みをする場合もあるだろう。
それくらい出来なくて、何が大相撲の力士だと思うのである。

昔、小泉純一郎元首相が「感動した!」と言った、貴乃花と武蔵丸の優勝決定戦、あれなどは完全な八百長であろう。
ああいうのを問題にせずに、普段の取組みを問題にするのはおかしいのではないか。
あれは、貴乃花の怪我があるので、わざと負けたのは良いのだろうか。
実におかしなものだと思う。
あの小泉元首相の言葉に喝采を送った人間に八百長云々する権利はないと私は思う。

朝青龍の強さは何か

2008年03月20日 | 相撲
先日、2年前にモンゴルのウランバートルで騎馬イベントをやってきた人と話したが、モンゴルの自然のすごさ、過酷さは我々の想像を越えている。
そこでは、動物的なカンや本能が唯一のたよりで、通常の日本人の考えは通用しないようだ。
そうしたところで鍛えてきた朝青龍の強さは、大変本能的なものに思える。

相手が本の少しバランスを崩したりすると、一瞬の間にそこを突いて来て、一挙に投げを打つ。
こうした強さは、今の日本人力士には全くないもので、極めて動物的なものだろう。
だから、朝青龍に勝つには、そうした早い流れ、リズムの相撲ではなく、じっくりとした攻防に持ち込むしかない。
その意味で、白鳳は比較的緩慢な攻めであるのは、朝青龍相手には良いと思う。
今場所の千秋楽は大変楽しみである。

朝青龍と「火事場の馬鹿力」

2008年01月28日 | 相撲
大相撲、千秋楽の白鳳と朝青龍の一番を見ていて、昭和33年9月東京を狩野川台風が襲った時、私の家でも母と子供で家中の箪笥を二階に上げてしまったことを思い出した。

最後は、白鳳が投げで勝ったが、朝青龍が何度か白鳳を吊り上げようとした。
自分よりも体重も身長も上の相手を吊り上げるなど、なかなかできることではない。簡単に「集中力」というが、それは容易なことではない。
それができるのは、一種の「火事場の馬鹿力」的な力の入れ方を朝青龍は、どこかで会得したのだろう。あるいは、モンゴル相撲には、そうした秘伝・秘法があるのかもしれない。

狩野川台風の豪雨で床下を氾濫した川の水が流れ、すぐに床上まで来そうになった。
職場の小学校を守り家にいない父の代わりに、母と子供たちだけで中に着物が入っている重い箪笥を全部二階に一気に持ち上げてしまった。

翌日、水が引いた後、箪笥を下ろす時は、到底下ろせず、中身を出してやっと下ろした。

まさに「火事場の馬鹿力」だった。
朝青龍の力は多分そうしたものに違いない。
だから、追い詰めれれるほど彼は力を出すのだと思う。
彼を破るのは容易ではなく、その意味で白鳳はすごい。

新兵いじめ

2007年10月06日 | 相撲
時津風部屋の新人力士死亡で問題になっている「かわいがり」だが、このいじめは、間違いなく大日本帝国陸軍内務班の「新兵いじめ」から来たものだろう。

戦前、日本の軍隊では新兵が入隊すると必ず古参兵による「いじめ」があった。
東宝の役者南道郎などは、この悪古参兵役で有名だった。
映画的に言えば、山本薩夫の『真空地帯』から、アチャコ・伴淳の『二等兵物語』や野村芳太郎監督の『拝啓天皇陛下様』あたりまで無数にあったが、最近は少なくおそらく1963年の佐藤純也のデビュー作『陸軍残虐物語』が最後だろう。

未だにこうした非人間性が、相撲部屋をはじめ日本のクラブや運動部に残っているとは、本当に信じがたい。