狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

乾杯の歌

2006-03-31 21:06:25 | 日録

 

                   オペラ「椿姫」公演にむけ、猛練習に励む会員たち

 1992年隣村M村のコーラス同好会が、10周年記念コンサートとしてオペラ「椿姫」全3幕を村の中央公民館ホールで公演した。≪(代表:H・O(歯科医)≫
 この村は「もっとも小さな『村の第九』」公演の実績があるところだ。
 平成の大合併でも「合併」をせず、単独村を選び頑張っている県内でも数尠い文化村である。
 当時村長だったI氏の挨拶文があるので紹介する。

            椿姫コンサートに寄せて

 10周年記念コンサートを「椿姫」で飾るM村コーラスに心からお祝い申し上げます。
私も一員の末席におりますので少々氣恥ずかしいのですが、本当に嬉しく思います。
 10年前に「村民の第九」がM村コーラスにより演奏されました。一般的に予想もされないことでした。そして10年後、同じホールで、予想もされないオペラ「椿姫」が上演されます。O代表をはじめ、ものすごいエネルギーであり、何と楽しいことだろうと不思議にもなり、愉快にもなります。

「開かれた村へ」とM村は様々な文化活動を展開して参りました。肩ひじはらずに、誇りを失わず、多様な生活と多様な生活と多様な価値を認め合い、M村の文化活動は広がって行くのでしょう。

 今年から私たちは「We thank E M-MURA」運動を始めました。三つのE・Eternty(永続性)、Environment(環境)、Earnest(誠実)をキーワードにしております。これらはまさに私たちの文化の問題です。いやむしろ文化からの出発といえます。

EM‐MURA」運動が村全体の文化水準を高める力になることを願っております。そして、其の意味からも、手作りオペラ「椿姫」は、「E M‐MURA」を先どりした生き生きとした現われであると信じるものであります。
                    M村長  K・I

 (アルフレード)酒をくもう、美しい人が花をそえるよろこびの杯に
はかないこの時が快楽に酔いしれるように
酒をくもう、愛の誘う甘いときめきの中に
あの全能のまなざしがこの心を打つから
酒をくもう、愛は杯とともに ひとしお熱い口づけを受けよう

(一同)ああ!酒をくもう、

愛は杯とともに ひとしお熱い口づけを受けよう

(ヴィオレッタ)皆さんとうれしいこの時を
分かちあうことができるのよ
この世界でよろこびでないものはみんなおろかなもの
楽しみましょう、愛の歓びははかなくてつかの間のもの
咲いてしおれる花なのよ、もう二度と楽しむことはできないの
楽しみましょう、心をそそる熱い言葉が私たちを招いているわ

(一同)ああ!楽しもう!
杯と歌と笑いが夜を色どり、この楽園に私たちは新しい日を迎えよ
 

 

 私は、前原が民主党代表の辞任及び執行部の総退陣や、永田議員の辞職願いのニュースを聞いて、「乾杯の歌」を諳んずる訳ではない。呆れ果て物思うもイヤだ。何たる醜。何たる態。
憂鬱で堪らぬ。其のストレスを一気に吹き飛ばすのがこの歌だ。明日孫たちが来る。最後の(一同)の合唱団の大募集をしよう!!

 

 

 

 

   ALFREDO: S'inebrii a volutt . Libiamo ne'lieti calici Che la bellezza infiora, E la fuggevol ora Libiam ne' dolci fremiti Che suscita I'amore, (indicando Violetta) Poich quell'occhio al core Onnipotente va... Libiamo,amore fra i calici Pi caldi baci avr .

 

 

 


全集月報のこと

2006-03-31 12:54:22 | 日録

「荷風全集 第14巻」が入手できてやれ嬉やと思っていたら、最後の第28巻もないとばかり勘違いして、ITで捜したらこれもあったので、すぐに注文してしまった。翌日よく書棚をみたらちゃんと揃っているではないか。

 物忘れの度が、悪くなってきたのは、自分でも最近痛切に感じる所であるが、まだ書店から本の発送のメールが届いていなかったから、大急ぎキャンセルしたい旨のメールを送った。

 しかし一瞬遅かったようだ。「申し訳ないが昼過ぎ送ってしまったから、何卒宜しく頼む」という意味のメールが来た。
「まあいいや、金額も金額のことだし」と思っていたら、
立て続けに
「届いたら廃棄してください。」と簡単なメールが入ってきた。

一瞬複雑な気分に襲われたのは、年金生活者の哀れである。勿論代金は月曜日送金する積もりでいる。


  

 概ね全集などというものは、僕の場合殆ど読まない。しかし、そこに挿まれている「月報」は様々な多様な人が書いてあって面白いものだ。月報を編んで出版した本も数多いだろう。

漱石全集月報昭和3年版・10年版) 菊版396頁  岩波書店
寺田寅彦全集月報(昭和11年~昭和25年) 46版   岩波書店

 荷風全集第24巻に湯浅芳子の、
「荷風の矛盾」というエッセイが載っていた。大概は著者を誉める文が多いのが常だが、女性の文で、しかもロシア文学に精通した彼女の随想は、興味深々である。
抜粋を記す。


(略)
菊池寛の文学はいわば卑俗の文学であり、荷風のそれは反俗といえるだろう。しかし反俗といっても、荷風の反俗は、たとえばチェーホフの文学について言われる反俗とはたいへんちがう。
後者の意味でいうなら荷風自身が其の俗の最たるものであったといえる。

というのは、荷風ぐらい徹底したエゴイストはなかった。彼は自由を愛したといわれるが、それは自己の自由をいうので他人のことなんぞ考えるひとではなかったからである。
また彼には文学者・詩人としての高いプライドがあったかの如くであるけれども、実は人間としての真のプライド、人間の尊厳の自覚は欠いていたかに思われるふしが大いにある。

尤もここが彼の矛盾であって、変わりやすい気分の起伏によってこの矛盾も其のときどきに従い出没したのであったのかもしれない。

実際荷風ぐらい矛盾の多かった人はない。あるときは神(ホザナ)よ!と叫び、あるときはサタンよ!と叫ぶ、とゴーリキイが指摘しているアンドレーエフの矛盾どころではない。封建的なもの官僚的なものを憎むかにみえて、自身はなかなか封建的だし、また官僚的なところも大いにある。

これは出生や生い立ち方からもきているし、彼が漢籍をよくしたことにもよるだろう。つまり荷風の教養の複雑さが矛盾の複雑さを生んでいるのだ。江戸末期の文学やフランス文学への傾倒、これもひとつの矛盾を生む。また5年ばかりの海外生活でヨーロッパ文化にじかにふれたこと、しかも日本には吉原があり玉の井があって、そういう土地にも惹きつけられる点は、いわゆる取材の為ばかりではないのである。
(略)
一体荷風は芸術的な感覚はすぐれていたけれどもモラルの感覚に至っては低く4書5経的な偏見で簡単に片付けている。

また倫理的な思考は最低で、読んだ本は驚くばかりだったけれど、感性で受け止めていたきりではなかったか。これは音楽や劇についても同じで、だから彼には読後にも観劇後にも感想の記録がほとんどない。
荷風がゾラやモーパッサンや後年はバルビュースなどにも惹かれたというのはまことに奇異な思いがするけれど、荷風なりの読み方をしたので、作者や作品の深いイデアは解ろうとしなかったし、もともと解る筈のない人物だったのである。