狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

後期高齢者

2008-07-28 20:34:26 | 反戦基地
         

 町から『「○町長寿福祉計画・第4期介護保険事業計画」策定に関するアンケート調査 調査書在中』というA4版用の大型封書が届いた。(無作為抽出だそうである)
 質問の項目は分からないことが90%。一例を挙げれば、オレがいくら介護保険料を支払っているのか分からなかった。アンケートでは、「知らない」の項目にレ印を付けるのが、良いんだろうけれど、役場に問い合わせ初めて知った。
最後に、「その他要望事項」の欄がある。
 あまり大きな欄ではなかったが腹たち紛れにぎっしり書き込んだ。
聖路加国際病院理事長・日野原重明氏の朝日新聞「be」記事を引用した。

『まず、「後期高齢者」という老人に対して差別的ともえいるお役所用語を撤回してほしいことです。
近年、「老人」という呼び名は敬遠されて「高齢者」が一般的になっています。しかし「老」という言葉は、「長老」「老師」など尊敬の念をこめた言葉に使われています。老人の「老」は、長い人生の過程で得られた知恵を持つことを意味しているのです。
65歳以上を老人としたのは半世紀も前のことで、当時の日本人男女の平均寿命は70歳にも満たなかったのです。現在では80歳を超えています。老人という用語を適用する区分を底上げして75歳以上としても差し使いないと思います。
後期高齢者医療制度導入後に75歳以上の人が払う保険料は、低所得者ほど本人負担が増すと言う実態が、最近の厚生労働省の調査で報告されています。さらなる不平等を生む現行のやり方は廃止されなければならないと思います。』


 書き込み欄が小さいのでここまでで打ち切った。
書きたかったのは次の事である。

しかし、高齢化傾向は今後ますます進み、老人にかかる医療費が増え続けることは明白です。付け焼き刃な制度で国民に負担を強いる前に、もっと工夫の余地はあるはずです。
一つの提案として、自衛隊の維持費や駐留米軍への思いやり予算など軍事にかかる費用の一部を回してはいかがでしょうか。 平和憲法を守るためにも、よいアイデアだと思います。
戦後、日本は戦争を否定して平和憲法を作るという思いきった政策を打ち出しました。平和を目指すことにおいて世界の先端を走るという憲法上での約束を実践することに、今後も国の運命をかけるべきです。暴力による生命の破壊の続く今日の世界にあって、日本人の健康問題も平和への国家的行動と関連づけて考えるべきなのです。


朝日新聞題号について

2008-07-28 07:29:24 | 日録
          

凡凡学兄から、先日の朝日新聞画像の「題号」について、次のようなコメントを戴いた。こんなところに迄、気が付く学兄の識見は流石である。
掲載画像の「朝日新聞」の表題文字が奇妙に
見えるのは、小生の眼が老衰のためか・・?
新聞の新の片の下が、木ではなく未になって
いるのは何故でしょう。

勿論ボクが回答すべき問題ではないが、愛読者として朝日新聞には特に気負いがあるので、ボクの知っている範囲のことをエントリーしてみた。
ネットにもこのことが書かれていて、(参照のところにリンクを張った)朝日新聞社史とは少々異なるが、興味深い記事なので参照して戴きたい。

写真は、『朝日新聞社史(明治編)全4冊朝日新聞社』から、「新」の検索は、『常用字解・白川静 平凡社』からスキャンした。
字が読みにくいので、社史から創刊第一号の紙面の解説の一部を引用する。

 
『創刊第一号の紙面』第一号の紙面はいまの大きさの約三分の一、縦三十二センチ、横二十三センチで、一枚二つ折り四ページ、その第一面の上部に「朝日新聞」の題号が、浪華にゆかりある芦の図案でかざられて右から左へ横一段に大きく書かれていた。この大事は中国唐代の名筆欧陽詢が書いた「大唐宗聖観記」の碑の古い拓本から字を集めたものだが、「新」(立+未)の字だけはなかったので「親」(立+未)と「柝」の二字から偏とつくりとをとって、それに手を入れてつくったという。現在もこれを使っている。

三面から四面上段につづく創刊のあいさつは、主幹津田貞(号は聿水いっすい)が「社中一統の総代」として筆をとったものである。その全文はつぎのとおり。

東帝駕を促がして南枝の一蕾を綻ろばす斯花の難波津によしとあしとをかき分て世の人心に映して見る水の鑑も曇りなき明治聖代の風倍をばそを其儘の活歴史と今を盛りに開け行く文の林の効績を覔て這個に創る朝日新聞振放見れば膽駒山時まだ寒き積陰の雪気横雲の旗手を払ふ朝東風は一陽来復の前駆にて棚引き初る棹姫の霞の衣麗らかに豊栄昇る朝日児の天の御影取分て御贔屓の御影を仰く一社の幸先今日初刷のういういしさも手習ふ児童の筆始め足らぬ勝なる難波の事も浅香山の浅からぬ看官の愛顧によりて譴りもし褒もして養育玉はゝやがて世に楷草行の運筆自在と成立つ時のなからずやはと江湖の人皆の力を力に斯は物する事とはなりぬあはれ朝日の光り落ちず大八州の隅々までも到り及ばんことを願ふと思ふ旨を片端に記して社中一統の総代となり禀状でもなく祝辞でもなく解らぬ事を臆面なしに列らべ立たる小可は大坂の社員と云ふもちと厚皮しき瀬惰生朝日社では居候の中へも這入らぬ津田聿水今日ばかりは真面目になりて謹んで白す

朝日新聞の記事は総ルビであった。このブログでは振り仮名ができないので、始めのところをかな読みにすると次のようになる。
(とうていがをうながして なんしのいちらいをほころばすこのはなの なにはづによしとあしをかきわけて よのひとごころにうつしてみるみづのかかみも くもりなきめいじせいだひのてぶりをば そをそのままのくわつれきしと いまをさかりにひらけゆくふみのはやしのいさををとめて ここにはじまるあさひしんぶんふりさけみれば ゐこまやま…)
           
朝日新聞(大阪)創刊号第1面明治12年(1878年)1月25日
(朝日新聞社史 明治編明治12年(1879年)明治45年(1912年)1990年7月10日朝日新聞社発行)巻頭写真よりコピーした。
この社史は当初社内版非売品として発行されたが、1995年(平成7年)7月25日
市販本5冊函入りセットが発行された。

日雇い運送

2008-07-26 19:26:46 | 怒ブログ
           


 多くは語りたくない。
 
燃料高騰に苦しむ漁業者が、全国20万隻の一斉休業に踏み切った。消費者や流通は輸入のサケやマグロのように食べやすい魚を求めるが、国内漁業者は対応しきれず魚離れを招いている。このため魚の価格への転嫁は簡単でない。
 これは朝日新聞7月16日付第一面の見出しである。これまでにも、漁業者のストライキのような一斉休業は、新聞・テレビ等でしばしば報じられている。しかしボクは、これらの行動を冷ややかな眼で見るしかなかった。
 この集団行動が、どのような効果があるのかはわからない。
ただ、それ以上に、ほとんどまともな人間生活と思いぬような、運送業の実態を「ルポにっぽん」で新聞第1面で扱ってくれた朝日新聞に、ささやかな敬意を表する次第である。

初茗荷

2008-07-21 13:11:35 | 怒ブログ
         

  あと半世紀生きるこの庭茗荷採る   谷人

 半世紀といえば、随分長い年月と誤解されがちだが、僅か50年である。
一年経つごとに食生活が変わって行くが、この暑さを乗り切るには、「ウナギ」などより、この茗荷を刻んで薬味にした「そうめん」に限るというのが小生の持論であった。
みすず書房特集出版ダイジェストが送られてきた。その中の図書案内である。是非購入の上読みたいと思っている。

『雪国』『源氏』の名翻訳による34篇』エドワード・G・サイデンステッカー
≪谷中、花と墓地≫山口徹三編

「どの国においても、墓地は美しい…とにかく桜の花の満開の時は、賑やかな谷中の墓地は独り歩きに理想的な場所……墓地の中でもっとも惨めな墓は、高橋お伝のものであろう。墓地の端っこの公衆便所のそばに今にでも滑ってなくなりそうな感じである。私はここが大好きで、側に立ってお伝の顔を想像して、ご苦労さまと言いたくなる」
 これがサイデン氏のこの世に対する基本的な姿勢である。黒澤明よりは小津安二郎や成巳喜男の映画を好むのだ。また氏は、『源氏物語』や『雪国』の名翻訳者であると同時に、永井荷風文学の崇拝者でもある。おそらく氏は今の日本人以上に日本人らしい感受性を持った米国生まれの文人である。ひさしく東京は湯島に住みなして、三社祭の見世物化を憂い、四季の桜、藤、朝顔、カラスウリの変化を愛でながら、浮き世を眺め暮らす。これは優れた文学者のさりげない、しかし辛辣な身辺雑記・文化論である。わけても最後の愛猫花子の追悼記は猫嫌いでも泣ける名文章である。三四篇の佳什を収録。(四六変208頁・2,520円)


どうもスミマセン。

2008-07-16 11:18:14 | 怒ブログ
         

少年の小学校は、全校生徒400人前後の小さな学校である。
大概の学校には「奉安殿」という石造りの聖廟(堂)が、校門をくぐるとすぐその左か右にあるのが普通なのに、それがなかった。少年はそんな寒村の小学校に通った。
児童は登校の際、正門を入る際正面に向かって最敬礼をした。
 正門の正面には校舎の玄関があり、玄関から上がると左が先生方の職員室、右側に「奉安室」があった。その「奉安室」に対して最敬礼をしたのである。

 ある日少年は、いつもの通りピョコンとお辞儀をして校門を入ろうとした、突然正面の職員から少年の担任訓導が少年に向かって、
「やり直ぉ~し!」と校庭いっぱい聞こえる大きな声で怒鳴った。職員室の窓から訓導が登校する児童を眺めていたのである。

 少年は、それに応えて、やや節度をつけて、上半身を45度に折り曲げ敬礼した。
「やり直ぉ~し!」訓導の声は更に大きかった。
 少年は反抗的に、今度は更に極端なほど節度をつけて反抗の態度をしめした。やり直すこと3回、 遂に4度目は頭を両膝にくっつけるように、大げさなお辞儀をした。
「よろし~い!」少年は悔しくて涙が出そうになった。それでも、わずかな反抗を示すことが出来たことを誇りに思った。

 掲載の写真は大分県の写真ではない。イバラッケンで起きた中学校教員による児童強姦事件に対して、県教委、市教委、学校関係者の謝罪する会見を、地方新聞が掲載掲載した写真である。  
 この人たちは少年の敬礼を、
「なっておらん!」と怒鳴った、あの訓導より上の立場におられる方たち。
少年がこの記者会見にいたら、
「やり直~し」と怒鳴ってしまったかもしれない。

敬礼(名)ウヤマヒ、礼スルコト。オジギヲスルコト。
最敬礼ト云フハ、立礼ニ云ヒテ、敬礼ノ最上ナルモノ、直立ノ上身ヲ前ヘ折リテ、両手ヲ両膝ニ当ツルヲ云フ。(大言海)

 賞味期限改竄などが、内部告発で発覚し、お詫び会見が続出した昨年の暮、経済産業省が、「謝罪会見」のマニュアルとも言うべき「消費者生活用製品のリコールハンドブック」を、30万部も作ったのだそうだ。不祥事が続く文部科学省管轄役所でも、今後その必要性に迫られてきそうだ。それが出来たとしたら、写真に見られるような、テーブルに両手を置いたままのお辞儀は、禁止事項になるかもしれない。

ある日

2008-07-11 11:12:18 | 日録
           
 所用があって県西の町に行った。行政上は「市」である。今は平成の大合併で、「村」がほとんどなくなってしまった。イバラッケンでは、村は現在二つしかない。だから「市」の中にも字(あざ)に相当するような村落がいくつもある。ここはその冴えたる一例であろう。

 この森の上に突出した巨大な屋根は、某宗教法人の本部である。
 数年前、やはり同じような用件でこの地を通ったときは、内部を散策することも自由で、広大な講堂内を見物することが出来た。その時は友人と一緒で、彼は全く興味が湧かず信者らしい女性に出会って、
「今日はいろいろ為になくお話し合いがこの向こうの建物でやっています。一緒にお出でになりませんか」とも誘われたが、友人は腫れ物にでも触るような感覚で、
「早く帰ろう」といって、落ち着かない態度でボクの帰りを急かせた。

 ボクが、何故こんなところに拘るのかというと、20年ぐらい昔のは話になる。
嘗て運送店をしていたころ、この宗教団体が初めてこの地にやってきた。得意先の建設会社が、敷地造成から仮神殿(神道系の宗教であった)の建設工事を請け負ったのである。トラックで構内の資材の移動を依頼されていて、ボクも何ヶ月間も此処に通った。
 その懐かしい思いが脳裏を過ぎる。写真右は拙宅の庭である。あの頃造成地内の苗木のような小さな雑木が、いまはこのように大きくなったことを、対比するため並べてみたものである。年月の疾さ!!

 少年易老学難成 一寸光陰不可軽(少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず)
 今日ボクは、誰か信者の人にでも出会ったら、昔話をして懐かしむ積もりでいた。しかし道路から一段引っ込んでいる出入り口は、企業の正門のようにゲートによって遮られ、守衛所が門の中央に設けてあった。以前からみると異様だった。門前の広場に車を停めると、守衛が出てきて、つかつかと俺の車に近寄って来た。
 「何のご用ですか?」と咎めるように訊かれた。
 ボクが昔この造成工事に携わったことなどを話し、中に入って、写真撮りたいといったら、オレの話で警戒心は解いたようだったが、入門や写真撮影は強く拒否された。
 「私は警備会社のものですから、ただ言われたことをやっているだけです。撮影は絶対いけません」
 何かあったのかなと勘ぐらざるを得なかった。


摘録消費税

2008-07-06 13:15:39 | 怒ブログ
消費税制度が出来たころ、ボクはまだパリパリ現役の運送店経営者だった。
 経営者といっても、営業・運行・整備・労務・経理・運転手までこなす名刺肩書き会社代表取締役だったのである。しかしこれはボク一人だけに限ったことではない。殆どが零細な規模の業種である故、運送店に限っては、そんな事業者は今でもいっぱいある。
 それは条件さえ整えれば、資本が少なくても誰でも創められる商売だからである。といっても、以前書いたことがあった気がするが、ボクがこの免許(当時は免許事業だった)を取得する頃は、少なくとも県議→代議士の手づるを必要とし、大勢の荷主を探して、その推薦状が必要だったし、一方同業者の反対聴聞を封じる根回しなど難関を越えなければならなかった。今ではとても考えられないような、ばかばかしい歴史がある…。(とんだ回想を挿入してしまった)
 平成元年この消費税制度ができた当時、ボクはこんなことを町の文芸誌に投稿した。
    消費税
 10月から11月(1988年?)にかけては、まことに様々な行事の日々が続いた。手帳に記されただけでも、運行管理者講習会、整備管理者講習会、特別安全協議会、公共事業労働者賃金実態調査説明会、運送事業指導者講習会、社会保険説明会、年末調整説明会、職業別決算指導説明会、各種年末反省懇親会等など。さらに雲助稼業と蔑まれても、ボクにだってある程度の個人的付合いもある。日曜日毎のキリスト友の会礼拝会(年末にはクリスマスがある)、毎月末の俳句会、郷土文学研究会、ワープロ講習会、突発する慶弔付合い、その他がこれに加わる。
後者は、私的用件、趣味・教養のものであるから、欠席しても罰則は伴わないが、前者では仲々そうはいかない。
 特に運送事業関連講習会は、出席しないとギョウセイカンサの対象となるから念の為申し添える、などという脅し文句が付いているものが多いからである。
 だから、二つの行事が重なり合ったときなどは、何の役にも立たない代役に日当を支払って依頼し、出席の員数合わせにした事業者さえも散見した。

 その日の講習会(たぶん指導者講習会だったと思う)は、経営の代表者または、これに準ずる者との通達であった。
 当然免許事業の代表取締役であるボクが出席した。
 運送事業といえば、丸通も佐川急便も大和運輸も、一般区域貨物事業免許に限っていえば同列であると思うが、この日はボクのように、運転手を兼ねる社長さん経営の極めて零細な運送店ばかりの講習であった。服装をみても、ノーネクタイ、ジャンパースタイル、作業用会社のユニフォーム姿がほとんどだったし、パンチパーマや丸坊主の経営者のいた。
 300ページにも及ぶ分厚いテキスト本を、わずか数時間で纏めてしまう優秀な講師陣(運輸省中級役人)もさることながら、居眠りしながら、完璧に講習内容を理解しきって質問ひとつ出ない優等生揃いの聴講生は、さすが運送店経営者達であった。
 なるほど、改めてこの時気が付いたことは、この運送業を生業とする町民市民には、意外と議員様やPTA会長の肩書のある者が多いという事実あった。わが町でも、町議会の総元締めの議長はこのところ2代続けて運送業出身者である。

 さてさて、年が明けたらこの優秀者揃いの運送店経営陣にも、消費税という思わぬ災難がふりかかってきた。
 間接税というものは、計算や記帳の手間が省けて、利用者負担の最も公平な税金だとばかり思っていたら、とんでもなく難しい複雑極まりない計算を伴う税金であることだけが分かってきた。
 それあらぬか、消費税の説明会が、管轄税務署が町公民館、トラック協会がM市協会本部、得意先の大手建設会社が県庁所在地にある高級ホテルで開催され、その他に、法人会、商工会でも説明会の通知が続けざまに送ってよこした。

 この珍税は、連日新聞や、テレビ、ラジオでも取り上げている通り、不可解千万な間接税である。税理事務所からも、生命保険約款のような細かい字の、複数計算方法の利点、欠点、留意点、の書状が送られてきた。
 この儘では、毎日毎日何らかの講習会、説明会で明け暮れてしまい兼ねない。
ボクからはじめ、大雑把で、細かい計算などできない運送店主たちに、来月から実施という消費税に対応できる事業所が何社あるのか、すべて暗中模索であり、ただただこの説明会、講習会の開催攻勢に、ギブアップしているのが実情であろう。

(未完)

コピペ

2008-07-01 22:30:39 | 日録
         
朝飯の茶の間にテレビがかかっている。
画面番組はNHK「おはよう日本▽大学に広がる"コピペ"」
ボクはこの"コピペ"なる言葉をはじめて聞いて知った。

もう一度みたい番組なので、ネットで検索したら、Wikipediaにつぎのようにあった。

コピー・アンド・ペースト(Copy and Paste)とは、文章やデータなどをコピー(複写・複製)し、そのコピーしたものを貼り付け(ペースト)するという操作を表すコンピュータ用語である。略称としてコピペを使うことがある。「コピペ」という略は匿名掲示板2ちゃんねる等で使われることが多いという誤解があるが、GUIを使ったOSが登場した当時から使われている。

ほとんどのGUIシステム上においては、コピーしたい範囲を選択したうえで一定の操作を行うことでクリップボードにデータをコピーでき、クリップボードにコピーされたデータは、一定の操作で他の箇所に貼る(ペーストする)ことができる。異なる箇所へデータを容易に複製できる操作である。

また、似た操作にカット・アンド・ペースト(Cut and Paste)がある。これはデータを切り取り(カット)して他の箇所に貼り付ける(ペーストする)という操作で、データを容易に移動することができる。

何故ボクが「コピペ」に拘ったというと、
死刑執行に絡んで鳩山法相を「死に神」などと表現した朝日新聞コラム「素粒子」の記事が問題になっていることによる。
「死刑制度」と「戦争反対」はボクの持論である。しかし、今度の死刑執行に関して、巷の声は当然という受け止め方が多かったようだ。
事実、このことに関して町の2人の方と話し合ったが、何れの方からも反対意見は聞かれなかった。
反対意見があったとしても、被害者遺族のことを考えると口を閉ざさざるを得ない。
ボクの基本的考えは、手元にあった古い小冊子
『1960年度新渡戸稲造記念講座講演
 クエーカーの信仰の本質
     竹村豊太郎著:キリスト友会日本年会刊』
に負うところが多い。
その冊子を元にコピペを作ろうと思っている矢先である。
まずその記事が出るかどうか試すため「竹村豊太郎」のインターネット・ブラウザを開いたら、一等最初に拙ブログ「狸便乱亭ノート」のエントリー「フセイン大統領死刑執行のNHKニュース」が出ているではないか。驚いた。
早速開けてみたら、何と!すでにこの冊子がコピペされていたのであった。