狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

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竹造り工房

2006-02-28 17:19:37 | 反戦基地

大通りから少し逸れた、小道を散策していたら、ある日偶然、このような建築物に出会わした。
「森の径」と書いてある洒落た看板がかかってある〝喫茶店〟であった。
坂道になっている門口をのぼって入っていくと、庭は大きく拓けて東側片隅に竹造り建物があり、傍に『のらぼう窯』と書いた小舎が置物のように構えてあったのである。

このとき私は、別棟の喫茶店で缶ビールを1本いただいてきた。いうまでもなく喫茶店には、私が欲するようなアルコール入り飲料は一切商っておらず、困った顔をしている私をママさん (こうよんで良いのが悪いのか分からないけど) が見かねて、特別ご主人用であると思われる1個の缶ビールを冷蔵庫から出してくれたのであった。姉妹と思われる二人は明るい美人であった。

後日また足を運んだら、今度は店の方は休みで (毎月曜日は定休日だそうだ)、ご主人と思われる方が、〝のらぼう窯〟の前で何か細工ごとをしておられた。
いろいろなことを話して教えてくれた。

竹の工房は、周りにベランダが付いているので、随分広いように感じるけど、「建築確認」不必要な建坪なのだそうである。壁・屋根は全て竹であった。
製作に1年半はかかったそうであるが、内部はギャラリーになっていて、まだ未完成である。定年とは思えぬ若さに見えるが、東京での勤めを退職し田舎暮らしを愉しんでいるようであった。

さて羨んでも仕方がない。
私の「ブログ」では、高度な反戦論、政治論が次々にリンクされ、嵌りこんでしまうと、深入りするばかりで出口がない。貧しいアタマの中身が糸のコンガラかった状態になってしまった。
気が付いたら明日からはもう三月である。
あたかもよし。うちの上様も元気になった。田舎道を『サンタルチア』を口ずさみながら帰途についたのであった…。 

 私は、反戦論者である。(当たり前の事だが)しかし憲法9条を護ろうという「ブローガー」達の懸命の叫び声を革新派と名乗る地方議員たちはなんと聞いているのだろうか。動いている気配は全くない。それほど忙しいとはとても考えられぬが…。

 さきに私は今や古典になってしまったけれども泉山三六の「きん玉政治論」の語録を引用して議員族の実態を書いた。

 今日はその次の語録を書き足して溜飲を下したい。

≪近頃の国会を見ると全くいやになる。文武といって夜も寝られぬと皮肉った川柳を想い出す。
昔は国会の会期はせいぜい年にふた月か三月程度のものが、今では年がら年中、のべつに開かれて逆にお休みのほうが、ふた月か三月しかない。その上法案など驚く勿れ、1国会に2百や3百にも上る。呆れたものだ。丸で法律をつくる機械のような人間が、一人前の政治家づらをしていたとしたら、誰だっておかしくて物も言えぬだろう。

 旅は道づれ世はなさけ、仲の良い2人で世の中を行くとする。何事もない。四面の景色を眺むれば、又風情あり情緒あり、この邊りで一休みして弁当でも使うかナ、それとも一瓢を傾けようか、これも政治である。

 やがて道は岐れる。右せんか、左せんか、之また政治である。右へいってみた、川がある、これを渡る、そこにも政治があり、尚山のつきあたる、登ろうか登るまいか、ここにも政治があり、幸い山を登って、さて断崖にさしかかる、深淵にのぞむ、これを飛びこえ、これを押し切って彼岸に到達する。茲に大きな政治が必要となってくる。― 私は政治というものは、そうしたものと心得ている。≫

 ここで何故「森の径」なのか?そこまで私が説明しなくても良いだろう。国会議員ならいざ知らず、地方議員は暇を持て余している。私が言えたいのはそこだ。

 「第九条を護る演説会」を公民館ホールで開いたところで、観衆はパラパラであることはよく分かるだろう。そんなら、志井さんでも呼んで来て此処でコーヒーでも飲みながら、今後の草の根戦略でも練ったら…。
町の
革新党の町議やさん!

 

 

この「パン舗」は、上記の〝のらぼう窯〟〝森の径〟喫茶店とは全く関係のない村のパン工房である。

このお店も私の散策の行動半径内にある。
特に両方のお店も未知の間柄だし、ましてやPRを頼まれたわけではないが、明日からの反戦基地整備の為一服一休みした。明日は三月一日。

Spring has come である。

 

 

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蔵王から

2006-02-27 21:57:11 | 日録

孟浩然詩に曰く「春眠不覚暁、處處聞啼鳥」  昨日の雨止み、暖かし。今朝は、7時近くまで眠りから覚めず、テレビ体操中止した。
今日一日転んで怪我をしないよう神に祈る。

今月は二十八日しかないのだから、
明後日からはもう三月である。
机の上に豆が一粒落ちていた。わが家では、いまだに豆撒きの伝統を護り続けているのである…。

 
豆撒きの名残一粒ありにけり   

 メルトモT兄より蔵王からの便りあり。

 昨夕、2.26事件テレビ番組あるかと思って新聞を見たら見つからなかった。わが「狸便乱亭日乗」平成14年2月26日次の記事あるを発見する。

《お酒がないので街に買いに行く。何かおかずをと妻に言われて某スーパーにてネギトロ、ホッケ、ちくわなどを買って帰る。きょうは、二、二六事件の日なればテレビの特集番組があった。お終いまで見てしまった。》

 さらに次のような記事あり。(断腸亭日乗より)
正月廿五日。晴。昏暮浅草に行く

      街談録
〇或人昭和十二年より今年まで日本政府の浪費せし戦費を合算し之を支那軍隊戦死者の頭数に割當て見たりしに一人あて約二千圓になりしと云。即支那人一人殺すに二千圓を費せし事になるなり。此度の戦争の愚劣なること之を以って推察し得べし。

 

 


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2・26日

2006-02-26 22:44:33 | 日録

「二月廿六日。朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中に積り行くなり。午後二時頃歌川氏電話をかけ来り、〔この間約四字抹消。以下行間補〕軍人〔以上補〕警視庁を襲び同時に朝日新聞社日~新聞社等を襲撃したり。

各省大臣官舎及三井邸宅等には兵士出動して護衛をなす。ラヂオの放送も中止せらるべしと報ず。余が家のほとりは唯降りしきる雪に埋れ平日よりも物音なく豆腐屋のラッパの声のみ物哀れに聞るのみ。市中騒擾の光景を見に行きたくは思へど降雪と寒気とをおそれ門を出でず。風呂焚きて浴す。
[朱書]森於莵台北東門一五八文化村四条通

九時頃新聞号外出づ。岡田斎藤殺され高橋重傷鈴木侍従長また重傷せし由。十時過雪やむ。」
文の途中「〔この間約四字抹消。以下行間補〕」と書かれたところあり、これは元々は具体的に「麻布連隊」と書かれていたのではないかと思うが、憲兵に踏み込まれた時に問題になるのではないかと削除したと思うと解説する暇人あり。

これは断腸亭日乗の昭和11年2月26日である。序でに前々日を記す。

二月廿四日。昨夜霽れわたりし空再び曇りて風また寒し。午後徒に眠を貪る。燈刻銀座に往かむとせしが顔洗ふが面倒にて家に留り、夕餉の後物書かむと机に向ひしが何という事もなく筆とるに瀬く、去年の日誌など読返して徒に夜をふかしたり。

老懶とは誠にかくの如き生活をいふなるべし。芸術の制作欲は肉欲と同じきものの如し。肉欲老年に及びて薄弱となるに従ひ芸術の欲もまたさめ行くは当然のことならむ。余去年の六、七月より色欲頓挫したる事をを感じ出したり。

その頃渡辺美代とよべる二十四、五の女に月々五十円与へ置きしが、この女世に稀なる淫婦にてその情夫と共にわが家にも来り、また余が指定する待合にも夫婦にて出掛け秘戯を演じて見せしこともたびたびなりき。
初めのほど三、四度は物めずらしく揺情を挑発せらるることありしが、それにも飽きていつか逢ふことも打絶えたり。

去月二十四日のわが家に連れ来たりし女とは、身の上ばなしの哀れなるにやや興味を牽きしが、これ恐らくはわが生涯にて閨中の快楽を恣にせし最後の女なるべし。色欲消磨し尽くせば人の最後は遠からざるなり。依ってここに終焉の時のことをしるし置かむとす。

1 余死する時葬式無用なり。死体は普通の自動車に載せて直ちに火葬場に送り骨は拾ふに及ばず。墓石建立また無用なり。(新聞紙にて死亡広告など出すこと元より無用)

1 葬式不執行の理由は御神輿の如き霊柩車を好まず、また紙製の造花、殊に鳩などつけたる花輪を嫌ふ為なり。

1 余が財産は仏蘭西アカデミイゴンクルに寄付したし。その手続きは唯今の所不明なり。余が家は日本の法律にて廃家することを得ず。故に余死するとき家督相続人指定の遺書なければ法律上余が最親の血族者が余の志を重んじ余が遺産の全部を挙げて仏蘭西のアカデミイに寄付されんことを冀ふなり。

1 余は日本の文学者を嫌ふこと蛇蝎の如し。
 
1 余は死後において余の著作及著書に関することは一切これを親友[この間約六字切取]の処置に一任す。

1 余が死後において、余の全集及その他の著作が中央公論社の如き馬鹿々々しき広告文を出す書店より発行せらるることを恥辱と思ふものなり。

1 余は三菱銀行本店に定期預金として金弐萬五千円を所有せり。この金を以て著作全集を印刷し同好の士に配布したしと思ふものなり。

夜も既に沈々としてふけ渡りたれば遺書の草案もこれにて止む。

昭和11(1936)年
昭和十一年歳次丙子正月起筆
荷風散人 五十八歳





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木炭車とカツ丼の話

2006-02-25 22:03:48 | 博物館

年表を紐解くと、当時の主な出来事は次のようになる。

昭和22年(1947年)山口判事餓死
昭和23年(1948年)帝銀事件・太宰治情・東条・広田ら7名絞首刑
昭和24年(1949年)光クラブ学生社長自殺
昭和25年(1959年)泉山三六参院議員当選・朝鮮戦争
昭和26年(1960年)講話条約  

 特にこれ等の事件を検証するために、列挙したのではない。小生が生れて初めて「カツ丼」を食べた年の舞台装置を作ってみたに過ぎない。そしてこの年表最後の昭和26年ごろまでは、木炭自動車が確実に走っていたことの証明にしたいからなのだ。

∵←なぜならば。小生が自動車免許を初めて取ったのが、昭和26年半ばで、その前年、品川区の鮫洲自動車運転免許試験場に行って試験を受けようとした事実による。
そのとき試験場隣の民間経営の教習場で木炭車のトラックで1時間いくらの料金を払って練習をしたのだ。所有トラックは、全車が木炭車で、狭い練習コースを右往左往していた。
 練習だけはやったけれども、理由は分からないが、小生はそこで試験を受けた記憶がない。 免許証は本籍県の試験場で取得した。

 鮫洲での木炭車の運転練習では、運転席同乗の指導員から「うまいなあ、君は。」と褒められたこと。そしてそのときの昼食は、試験場前の大衆食堂で「カツ丼」を食べた記憶にはまず間違いないからである。  
 
 木炭車のエンジンといっても、知らない人が多いと思うので概略の構造を説明すると、エンジン本体は普通ガソリンエンジンである。但し燃料がガスであるから、キャブレター(気化器)を必要としない。
 木炭(薪を使用した装置を薪炭車といった)ガス発生炉→遠心分離機→清浄濾過器を通って導かれた木炭ガスと、途中から空気量を調整する弁が運転席のチョークボタンに連結されて、ガスの濃度を一定にしてエンジンを回転させるだけのことである。

 しかしだが、平均速度で走行中はそれほど空気量を調整する必要はないけれども、試験場のコースのようなところで、アイドリングやカラふかしを何回も続けていると、ガス濃度が絶えず変わるので、運転者はエンジンの調子に対応して、チョークボタンを手動によって微調整しなければならなかった。それは理屈ではない。パソコンのように熟練する以外に習得はできないことだと思う。 小生の無免許熟練度は非常に高かったのである。

 かくして規定の練習時間を終え、昼食は試験場前の大衆食堂へ駆け込んだ。田舎育ちの小生は、品川まで来る道順すら、メモにしてやっと辿りついた位である。 昼飯のメニユーまでは教わってこなかった。 

食堂は身動きできないほど混み合い、客はてんでに「カツ丼!」「カツ丼!」「カツ丼!」と大声で注文していた。 小生も右に倣って「カツ丼!」と注文した。しかし、カツ丼とはどんな食べ物なのか、名前を聞いたのも、現物を見たのも、生まれて初めてだったのである。

  

 写真は「大日本機械工業製マキ自動車1940年モデル 岡崎周氏提供」とあるIEから引用させて頂いたが、小生がこのとき乗ったトラックと、ほぼ同型車のようだ。

 1940年式車体は戦前のトラックである。

 

 

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思い出

2006-02-24 05:18:52 | 日録
オレは喜寿近い今日までに、法律に触れる悪い事も、結構やっている。ここでそれを羅列しても、(恥ずかしいことばかりで、とても書く気にはなれないが…)今の人には分からないことが大部分であろう。

 法律を守って「餓死」した判事がいたくらい(山口判事)、乱れていた。皇居へ「米よこせ」と大群がなだれ込んだことなど、桜井よし子だって多分実感としてはわかるまい。

中学を終え、オレは進学について迷っていた。
授業料が要らない師範学校の、追加募集で合格はした。しかし入学式に行っただけで無断欠席退学した。50円?(定かではない)の寄付金を入学式のとき言い渡され、親に話せなかったことによるのだ。

朋友S兄は、旧制高校試験に合格した。職員室に報告に行ったとき、
「ウマクやったなあ!おめえ」とO教諭に、肩を叩かれたといって、感激していた。
大概の教師が「オメデトウ」と義理一通りの白々しい言葉をかけられることに、抵抗を感じている彼だった。
O教諭は某大學哲学科出身で、その後教師を辞め「O産業」という砂利採取業(?)みたいな会社経営に転身したと聞いた。 事業に失敗したコトはいうまでもない。

 S兄はオレに
「本」の万引きを1回だけした事があると告白したことがあった。
良心の呵責に耐えきれず、その帰り途「本」を田圃の中に投げ捨てたと深刻な顔で話しかけてきた。
 旧制高校はマントを覆っていたから、本の万引きには好都合だったのである。

『学生に与う』という硬い本であった。(参照)
著者・河合栄治郎は、戦中、軍部ファシズムを臆せず批判した人物として知られる。オレは知らなかったが、平賀粛学と呼ばれる裁定によって東大の教壇を追われた教授である。

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終戦翌日

2006-02-23 11:36:26 | 反戦基地
昭和20年8月16日、学徒動員先のx廠に行った。昨日迄、此処から、数キロ先の松林の中の掘っ立て小屋に通勤(学)した。

 昨日近くの農家の庭で玉音を聞いたのだった。勿論何を言っているのか解らなかったが、始めて聞く天皇陛下の声は(神主)がお払いをしているように聞こえた。カミサマの声であった。「チンは、忠良なるナンジ臣民とともあり…。」というところで、一呼吸声を落とした。聞こえたのは此処だけだった。誰も黙っていた。勿論泣く人はなかった。意味が分からなかった。

 翌日、爆撃跡もまだ生々しいx本廠に戻った。

廠内の至るところの電柱に貼り紙がある。

已言終戦期敗戦
若人悲憤不収剣
米英必滅単夢想
落涙潸潸傳紅顔

言ヲ止メヨ終ニ戦ハ敗戦ニ期スト
若人悲憤シテ剣ヲ収メズ
米英必滅単ニ夢想ナリシカ
落涙潸潸トシテ紅顔ニ傳フ
   (あとで分かったのだがこれは朋友K/A君の自作ビラであった)

 見方飛行機が上空からビラを撒いていった。拾ってみんなで拡げて読んだ。興奮する気力も無かった。

《赤魔ノ巧妙ナル謀略ニ翻弄サレ必勝ノ信念ヲ失イタル重臣閣僚度共ガ聖明ヲ覆ヒ奉リ国民を欺瞞愚弄シテ遂ニ千古未曾有ノ詔勅ヲ拝スルニ至レリ
赤魔ノ謀略ココニ至リテ極レリ
日本ノ天皇ハ絶対ノ御方ナリ
絶対ニ降伏ナシ
天皇ノ軍人ニハ絶対二降伏ナシ
我等航空隊ノ者ハ絶対ニ必勝ノ確信アリ
ポツダム声明ヲ承服スル時ハ天皇ヲ御滅シ奉ル
コトトナル故ニポツダム声明ノ履行ノ命令ニ服スルコトハ大逆無道ノ大不忠ヲ犯ス事ナリ
外国ノ軍隊ノ神州ニ進駐ポツダム声明ヲ履行スルトキハ戦争ヲ継続スルヨリ何百何千倍苦痛ヲ受クルコト火ヲ見ルヨリ明ナリ
今ヤ大逆無道重臣共ハ皇軍ニヨリ楔祓ハレツツアリ
カクシテ国内必勝ノ態勢ハ確実ニ整備サルベシ
今コソ真ニ一億総決起ノ秋ナリ(これは畏友S・Y兄著「戦中派の中学時代」より抜粋引用したものである)》





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大嘗会の本義

2006-02-22 09:09:07 | 怒ブログ
 
佐原:先生、「喰す国」ということ自身は、どういう意味ですか?

江上:これは、日本は農耕の国だということです。農耕を食べる国だということですね。

佐原:食べる国というと、どこでも食べるはずなんですけれども、特に農作物を食べるということですね。

江上:ええ、農作物を食べるということです。天皇はこの両方の神事をやっていたんです。明治天皇まではそうだったと思います。おそらく、大正天皇で前の方がなくなって、農耕の神の霊だけになってしまったんだと思います。

佐原:そうですか。

江上:これは私も書いたことがあるんですけれども、いちばん先に喰す国の神と天皇のことを書いたのは、国語学者の……。

佐原:折口信夫さんですか?

江上:ええ。折口さんは勇敢というか、あるいは暢気というのかもしれないけれども、戦前には、皇室に関することをあまり書くと危なかった。しかし、そういう時代に「大嘗祭の本義」、ほんとうの意味はこうなんだということを書いたんです。それを私は見ておどろいたと同時に、之でよく理解できました。
大嘗会では主基殿、悠紀殿と建物を二つ造りますね。それは廊下か何かでつながるわけです。その間に廻立殿があってその間にお湯殿がある。主基殿、悠紀殿は、その片方で衾を着て寝るわけです。そしてもう片方では、何かワーワー騒いで賑やかにやっているわけです。
 その間を、行ったり来たりするわけなんです。寝ていて、それから出てくるわけです。そしてその湯殿に入られて、また出て行きます。そこでまぐわいをされるわけなんです。

佐原:誰とですか、神とですか?

江上:いや、そうでなく、女の子です。処女を何人か奉仕させて、まぐわいをされる。そして、まぐわいをした女の人は皇后になる一種の資格を得るんです。
だからけっきょく、皇后を出すような家の少女を、そこにさし出すわけです。それが要するに、農耕儀礼でいちばんたいせつな陰陽の合体なんです。これは、どこでもやるわけです。

佐原:それは、明治までやっているわけですか?

江上:そう思いますね。一夫一婦制になるとそうはいかない、大正天皇のときになくなっちゃったらしいんです。脱落しちゃったんですよ。けれども、明治天皇まではやっているんです。
 大嘗のときは、五穀を神様にあげるんです。新嘗のときには自分が食べるけど、同時にやっぱりまぐわいをしないと、来年五穀ができないということで、
――大嘗会だと自分の一代喰す国が緑豊でありまするようにと言って、それをされるんだけれども――、今年は一年一年あらためてそれをされたんじゃないかということです。これはおもしろいなあ、と思いました。

佐原:折口先生が書いているんですか。よくそんなことを、書けましたね。今だってそんなことを言ったら、右翼に睨まれそうです。

江上:私なんか年中やられているから。

これは「《騎馬民族は来た?!来ない!?》小学館」 の中の
〝皇家の系譜〟という項に出てくる「大嘗会の両義性」(江上)の中の二人の対話です。

ここに出てくる「まぐわい」とはどんなことをするのか、おおよその想像はつきますが、「広辞苑」を牽いてみました。広辞苑にはありませんでした。
次は大言海によるものです。

まぐわい(名)目合[目交合ノ約トイフ](一)愛デテ目ヲ合ハスコト。男女互ニ思フコトヲ交スコト。メビキ。メクバセ。(二)転ジテ遘合。(次條ノ語意ニ同ジ)

まぐわい(名)遘合[まぐハ妻覓(ツママギ)ノまぎノ転。(月夜、つくよ)はひハ業はひ、過はひノはひニテ、行フの意、美交合ノ約トイフ、或ハ云フ、前条ノ語意ヨリ転ズルト]男女相交ルコト。遘合スルコト。クナグコト。クナガヒ。房事交接。
垂仁紀、二年二月「大歓之、欲合」

清寧紀三年七月「與夫初交」同「終不願交於男」

著聞集、廿、魚蟲獣「サマザマニ語ラヒ契リテ、まぐわひヲナサントスレバ、云々」此語、みとのまぐわひトモ用ヰラル。(みとハ御床ニテ、御寝所ナリ)古事記上三「吾與汝行廻逢是天之御柱而、為美斗能痲具波比」

神代紀上四「始遘合為夫婦」(婚ノ條、見合ハスベシ)
「訓点は、略しましたので適当に判読してください」

 この江上波夫氏は、日本オリエント学会会長・文化功労者受章・文化勲章受章
者という肩書きの方で、三笠宮崇仁親王 殿下も、江上氏がそのような説を出していることを百もご承知で、深いかかわりがあったと、考えられます。

しかも、毎年正月に皇居で行われる『講書始の儀』で、昭和天皇の前で『騎馬民族日本征服説』の概要も解説されたといわれていますが、天照大神の後裔として天孫降臨した万世一系のはずの天皇家にとって、『騎馬民族日本征服説』などは非常に好ましからざる学説の筈だと思います。

また話は変わりますが、孝謙天皇だって、当然まつりごととして「大嘗会」を催しなければならなかったわけだがら、その辺りのまぐわいは、どのようになされたか、ご進講もなかなか、大変なことと思いをいたすところです。

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あの日の朝礼

2006-02-20 21:09:14 | 怒ブログ
 
その頃我々はまだ中学1年生だった。学校の朝礼はコノ字型校舎の中校庭で行われていた。
その年の4月、アメリカの日本本土空襲以来、朝礼には一般教師の学年別行事、注意、伝達事項の他、配属将校K中尉の特別訓示が行われるようになった。K中尉は生徒に、朝礼台の上から、敵飛行機の模型を示し、名称、特徴などを説明した。東京空襲はノースアメリカンB25であったが、コンソリデーデットB24 型や、その他の米空軍の主用爆撃機、戦闘機なども説明対称だった。

 東京空襲から翌年、その日(昭和18年2月10日)の朝礼は真に異常だった。いきなりK中尉は朝礼台に駆け上り、我々の「頭ァー中!」の敬礼に挙手の答礼した後、一段と声を奮わせ 
「米・英必滅セザルベカラーズ!!オワリ!!」と叫んで朝礼台から降りたのである。
 その後、校長から、いよいよ時局の重大なことの講話があったけれど、なぜ重大なのか明快な説明ではなかった。ガダルカナル転進という聞きなれぬ大本営発表を新聞で読んだのはその翌日である。それでも日本軍が敗退したとは思わなかったし親たちからも説明されなかった。

翌々年、昭和20年1月には我々中学2年生も、D海軍x廠に動員学徒として飛行機修理を目的とする機構に入廠することになったのである。ベンキョウをしないで済むことが先ず嬉しかった。

 何しろわが中学では英・数・国・漢の週末考査が毎週土曜日に必ず行われていたのである。


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七冊の本のルーツ

2006-02-20 11:44:49 | 日録
     
▼騎馬民族は 来た?!来ない?!
  [激論]江上波夫VS佐原眞  小学館       1,400円
日本と日本人のルーツに迫る!
 古墳時代、豪華な馬具と武器を帯びた渡来人によって日本は征服されたとする江上波夫の衝撃的な仮説が、藤ノ木古墳等の新証拠を得て不死鳥の如く甦る。いま、考古学者佐野眞の真っ向からの反論を受けて、騎馬民族論争は頂点に達した。二日間に及ぶ大激論の一部始終を完全収録!

▼新版出雲の古代史   門脇禎二 NHKブックス     750円
 *出雲の古代史については、出雲が古代統一国家の支配下に入るまで、どのような時代区分と画期が立てられるのか。こうした点さえ明確にはなっていない。出雲の現地については、新しい資料や新しい知見が、特に考古学者たちによって次々と蓄えられてきているだけに、それらの語るものと、“神話かぶせ”のめだつ古代出雲論との間の隔差はいっそう大きくなりつつあるといわざるをえない。<はしがきより>

▼飛鳥その古代史と風土 門脇禎二 NHKブックス     750円
本書を推薦します 奈良国立文化研究所長 坪井清足
*「飛鳥」を守るとは何か。この本は、6、7世紀という古代史の激動の舞台「飛鳥」を生産技術、宗教、政治制度などの歴史的背景をたくみに説きながら、蘇我氏の興亡、律令制度確立への道を独自の視点から明らかにしている。
随所に新しい発掘の成果を取り入れて、「飛鳥」存在の意義をおのずからわからせられる画期的な本である。

▼古代の近江の朝鮮  石原進 丸山竜平 新人物往来社 1,800円

▼新説古事記 コンピューターを携えた神々 山田久延彦
◎仮説論理学に基づく挑戦的な古事記解読!  徳間書店 980円

▼日本の古代遺跡5 奈良中部
   森浩一企画 寺沢薫 千賀久共著   保育者   1,300円

▼天皇は何処から来たか
 この国の成り立ちを知る 
 青森・三内丸の発見からはじまった古代史像の大きな見直し。大胆な仮説を縦横にニホンの起源に迫る、衝撃の歴史空想紀行!
                     新潮社   1,600円
                7冊の本の合計定価金8,630円也。

この7冊の本を持ち出して、ここに揃えたのは、僕が、天皇家の万世一系を暴く事や、女性天皇を肯定するためでも、まして天皇制廃止を訴える根拠を述べるつもりだったのではない。

実は、この本が全部みな、ゴミ焼却場からタダで頂いてきた本なので、参考の為、合計金額を計算したまでのことなのである。

わが町では、嘗て(約10年ぐらい以前)、町のゴミ処理場に、町民であれば、誰でもゴミは運んで持って行きさえすれば何でも廃棄できた。廃棄できなかったのは、自動車、バッテリー、自動車タイヤーぐらいで、家を立て替えるのに、解体した家屋の残骸資材ですら、全てトラックで持ち込めば、処理してもらうことができた。

当然、廃棄物の量は膨大になるわけで、町と契約した産廃業者が、ブルトザーやショベルなどを使って処理していたのであるが、分別には多くの作業員を使い、手作業に依ったのである。

焼却炉に廃棄物を焼べるのは全て高齢の労務者で、2,3人による手作業だった。
作業員でも、「勿体ない」という気持ちが起きるのは当然なことで、此処には新刊本のような綺麗な本がけっこう重なっていた。本ばかりではない。絵画、毛布、楽器なんでもあって、絵画などは役所の事務所内でもかけてあったし、欲しいものがあれば、その係に焼酎の1本も「心付け」として包んで頼んでおけば、大概のものはタダで揃えられたのである。

僕は運送屋だったので、運送資材の当てものに使う毛布類を、随分ここでいただいたものだが、わが家で使っている毛布などよりずっと上等なものばかりであった。

前記の7冊の本は、日数をかけコツコツ集めたのではない。ある日、偶然に一箇所に纏まっていたのを、そっくりそのままいただいてきたものである。
勿論作業員がその内容に惹かれてとっておいた本ではなく、ただ見てくれが新しい綺麗な本だったからのようであった。

さてこんにち、高貴なお方お1人の御懐妊によって、週刊誌のネタは山をなしている。当分のあいだ切れそうもないだろう。
皇統論争喧々諤々の折柄、思い出して物置の中から捜してきたものがこの7冊の本なのである。天武天皇本もあったような気もするがいまは見つからなかった。
おそらくこの表題を見ただけで、内容は誰でも凡その見当がつくだろう。

おりも折、今朝の新聞第一面広告に次のような本の広告が出ていたのが目に入った。

大月書店
≪明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか≫
元宮内庁記者から愛を込めて 板垣恭介著〈忽ち増刷〉
皇室を政治に利用するのは、もうやめよう。皇族を自由に、そっとしてあげよう。人間味溢れる問題提起。≫
 
いまから20年前であったら、皇室に関することをあまり書くと非常に危なかった。
つい最近あった「横浜事件」の免訴判決はまだ記憶に新しいところだが、戦争中の言論弾圧は、我々にはとても想像もつかないような拷問があったと伝えられている。

それが、いまはその危険性は皆無とは言えなくとも、まずは無事であろう。誰でも自由な発想を書くことができる。

この本にあるような考え方が、国民の世論にしみわたることを、寛仁殿下はすでにお考えになっているのではあるまいか。




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愛国心

2006-02-18 21:54:50 | 怒ブログ
 
 拙宅の、夕愛餐の風景である。
 舞台は我輩と、「愚」が付く・妻と娘の3人のいつもでの茶の間である。テレビがトリノオリンピックの映像を伝えている。俺はつまらないから「大正天皇」(原武史・朝日選書)」のページを捲っていた。

 今日娘の用意した晩餐は、少しばかり・否(いや)豪華であった。
 
先付け…烏賊・明太子塩辛(これが先付けなりや?)
前菜…  手作り朝鮮漬
造り…スーパー仕入れ盛り合わせ ツマいろいろ
吸物…玉子豆腐と青菜の吸物
揚物・焼物…地鶏のねぎ香草焼き
食事…稲荷&海苔巻寿司(勿論既成品の仕入れ品ではない)
酒…銘柄仕入れ価格秘密なり
<討論の時間>
小生:安全作業・安全運転・安全々々。と運送屋だった俺はみんなに口八釜しく訓示してきた。おれは、上からわ、安全第一!と怒鳴られた。だれもが安全々々。と騒いでいるのに、あんな危ない曲芸何故させるのか?!

2人組:それはスポーツだもん。オリンピックだから緊張するわ。普通は転倒・怪我などないのョ!

小生:すぐ隣のイラクでは、戦争やってんだっぺ。
2人組: 戦争はやってないよ。テロだわ。

小生: ニッポン自衛隊員鉄砲構えてテレビで、オリンピック見ていんだっぺか。
2人組: あっちへ行って、パソコンでもやりなさい!平和乱すわ!

 今日は愚妻の口□歳の happy birth day なのであった。
愛国心とは「戦争の恐怖心のない世界にしよう!という叫び声だな」と俺わ思ったのである。


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休憩室

2006-02-17 21:30:43 | 日録
 
こんな本が物置の中から出てきた。

 木村 泉著
ワープロ徹底入門 (創刊50年)岩波新書 定価480円
1988年3月22日 第1刷発行
1988年6月10日 第6刷発行
新書の帯の記事。
創刊50年1500点突破記念 [新しい知的生産の技術をマスターするために]
総監50周年祈念 読者プレゼント
A賞 「カセットできく学芸諸家」より3巻セット……… 50本
 (岩波の文化講演会の記録)
B賞 創刊50周年記念特製テレホンカード(宇佐美圭司画)

●申込締切は88年7月である。

最近岩波新書を買っていないので、「図書」で定価を調べてみたら、1月20日発売6点の値段はまちまちだったが、平均735円~819円であった。

<「歴史の中の天皇」吉田 孝  819円 嘗ての女性天皇はどのような背景のもとに登場したか。東アジア世界との関係を視野にいれつつ、卑弥呼の時代から現代まで、この列島の王権の系譜を1冊でたどる意欲的な試み。>とのうたい文句である。

現在ワープロ専用機を使っている人は、非常に少なくなってしまった。
ワープロのとしてのパソコンの性能・価格とも、隔世の感がある。当時を振り返ると、新書本は縦書きなので、チョッと読みづらいと思うけど、「読み物」として見るとたいへん面白い。

本の値段の変遷はというと、昭和46年(1971)日本古典文学大系日本書紀 下1,600円
                 平成2年(1990)新日本古典文学大慶続日本紀2 4,400円

因みに平成8年(1996)のノートパソコンの値段性能を記す。(最新パソコン買う時のガイド・日本実業出版 ¥.1,700)

OASYS
V-BIBLO(A4)475NU/Sモデル340富士通   ¥.328,000
メモリ 8
3.5FDD 1
HDD(MB) 340
OS Win

現在日記の整理中。
(1990年)平成2年9月とある。
この頃ワープロが、得意先の事務所に出始めた頃だと思う。オレのワープロは建設業の監督の私品を金3万で払い下げた。シャープ「書院」という機械であった。
システムファイルだの、文書ファイルをいちいち差し替えるシロモノだった。イヤハヤ。
その使い方を、上記の新書でベンキョウしたのである。


ここで休憩。お茶である。

おいしいお茶の召し上がり方
◎一番大切なことは、心をこめて丁寧にお入れ下さい。
◎お茶の葉は多めに。
◎お茶の葉のつぎたしは避けてください。
◎おいしく召し上がれのは2煎まで。
 ビタミンCなどの栄養素も、3煎目以降はほとんど、出し切ってしまいます。
◎お湯の温度をいろいろ替えてお試し下さい。同じお茶でも異なった味をお楽しみになれます。
◎お茶の葉とお湯の量は人数が増えた場合でも同じ比率で。つぎ分けるときは、少しづつ濃淡がないよううに。

 今に至るまで、キーボードすれすれの所でお茶をこぼすこと、数え切れず、しかし、ヘビースモーカーは「血痰」症状で、ピッタリと止めた。
 
 今タバコを吸っていたら、どんな事に相成っていただろう。身震いがする思いである。


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読者へのサービス

2006-02-15 22:44:37 | 日録
過日のノートで、泉山三六について触れた。
「泉山三六」も「山下春江」も、もう知る人も少なくなってしまったようだ。政治家は、その著作で、「自分史ノート」のようなことを書くけれど、選挙ではどなた様でも相当の神経をすり減らすのであろう、読者へのサービス精神は忘れていない。

巻末に、登場人名一覧表があるのは、己の交遊録の自慢話ばかりでなく、読者へのサービスなのだと思う。
それがあると、読者のほうも、
「は、はー、先生、随分顔が効くんだなぁー」と納得する。

政治家ではないが、(東京都知事立候補した?)著作の多い実業家、菅原通済がその元祖ではあるまいか。
この著書の巻末には、殆ど著書の中に登場する人名一覧が付されている。政治家、軍人、文人、俳優、歌手、料亭、女将、小説家、野坂参三まで出てきて、人名の範疇は巾広い。

ボクはさきに、泉山三六元大蔵大臣の「トラ大臣になるまで」の中から「きん玉政治論」(僕の「自分史」)を一部を引用したが、この本にも、「引用人名索引」が、50音順・掲載ページ数が記されていた。

なお両著書には、著者宛の郵便葉書を挟んである。読者へのサービス精神の表われであろう。

このお二方のはがきを比べてみる。
東京都住所
 老柿庵主人間窓
 泉山三六 行
乞御高評

東京都住所
東京生命ビル3階
 菅原通済行
ご感想、ご注意、お気づきの点がありましたら、お手数でもご連絡下さい。
著者が直接ご返事を申し上げます。

今は、「メル・マガ」(首相官邸メルマガ)など、コミュニケーションの手段はいくらでもあるが、その当時としてはこれ以上の手段は無かったのだろうと、思いを馳せている。


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○レン○イン

2006-02-14 10:37:10 | 日録
      
その頃、ボクは俳句入門講座を、町の中央公民館に申し込んでいた。
1人で参加する決断がつかなかったので、親子ほども年齢差のあるTさんを無理やりお誘いし、2人分の申込書を受付で頂いてきた。

Tさんは、その後受講を了えた人達のグループが、月1遍開いている句会での選句で、毎回高点を競う常連になっておられた。既に白寿を越えてからなくなられた。

 その講座に使ったテキストやノートは、散逸してしまって現在は手元にない。確か初めて俳句の勉強をする人たちの為に、その成り立ちや句作の上でのルールなどを、実作を交えながら進められたのである。

 そして第1回目の早速の宿題は「秋惜しむ」であった。そのことだけは、はっきりと覚えている。その季題の句が、次回に講評と添削を受ける仕組みなのであった。

 秋惜しむ百円の御神籤二枚購ふ   

つまり、ボクの処女作ともいうべき歴史的迷句が誕生したのである。あれから何年経つことだろう。
 Tさんの句は、先生の特選の対象になるときが多く、句会の度ごとに話題に上ったが、一方のボクは、ただ漫然と回を重ねただけで、見るべき進歩はなく、ただ難しい漢字・語彙・季語・仮名遣いなどをたくさん覚えたのがせめてもの救いだったような気がする。

 その後、機会に恵まれ隣村の公民館主導俳句講座に聴講生・同好会会員と、2年もの間お仲間に入れて頂き、そこでも同じような低迷がボクを待ち受けていた。しかし、継続とは有難いもので、その年は隣村から、俳句を添えた賀状が元旦の朝何通も配達されたのである。

 ある年の2月、12年もの間隣村M村にお住まいになっていて、その間俳句講座の指導に当られたS・N先生が、自宅を引き払われ、長野県のほうに転居なさることをお聞きした。
その心境だろうか、これは先生の句である。

  十二年村住ひして味噌を搗く S・N

 送別会を兼ねた句会が村長のIさんの自宅の書院をお借りして持たれることになった。
句会のほうは、予め『バレンタイン』という兼題が出ていて、それぞれの名句を披露しあった。
 
 バレンタイン明治森永ロッテかな 
 
 会長M・Tさんの句である。先生の特選句になり、ロッテ・森永・明治と逆にしたほうが、語呂や年代や野球のイメージがあって良いのではないかという講評であった。
 当家の若い令夫人がお茶を運びに来て、障子の外から、チョコレートとは全く無縁の老人たちが、製菓会社の名前の並べ方について、もっともらしい真面目なこのやり取りを聴き、思わずクスリ。
「私も俳句作れそうだわ!」と、洩らされたそうである。

 最後に村長も一座に加わり、S・N先生の俳号が、将棋の禁じ手(二歩)であることを引き合いに出しなから、俳句の邪道である《季重ね》の句かもわかりませんが、と言って自作の句を色紙に認め、先生の労をねぎらわれた。

 先生は、こちらの立場を考えて、あまり難しい用語はお避けになっておられたようだ。それでも、俳句独特の当て字や、漢字をたくさん教えていただいた。
「柚餅(ゆべし)」「箍(たが)」「蜑(あま)」「俎板(まないた)」「罅(ひび)」「田鳧(たげり)」等の熟語である。

Tさんの句に《雲に寝て頻伽が…》という句があった。さいわい「ビンガ」とルビがふってあったので、すぐ辞書で調べたこともある。そのほか、「屠蘇」「手漉き」「暖簾」「粗朶」「秣」なども、以前俳句講座で覚えた語句である。さすが先生は大概辞書を頼らずに字画の混んだ漢字を書き、ルビは振らないほうがよいと教えられた。

 さて。入試の節であった。教師を親に持つ子供たちですら、学習塾で補習しなければ、進学校への競争に勝てない凄まじい世の中である。

 当時の新聞に、過去高校入試問題に「漕」「呂」「泊」などがふり仮名もつけずに使用されたというし、ある有名私立中学での入試には、「所余性の自然認識」など、大人でも理解しにくい語句を盛り込んだ長文を読ませたことがあるというから、俳句の勉強は熟年を以て任ずる隠居道楽や、字遊びでなく、大袈裟に言えば受験生の必須の科目になるかもしれないと、句友達と笑いあった。

 S・N先生のあまりにも急な転居のお話は、先生にとっては吉兆だというのに、ボクらは大きなショックを受けた。そして今盛んに叫ばれている地震のように、明日のことは全く分からぬ老後の夢を、1枚百円(今は5百円だそうだ)の御神籤にでも託さねばならぬことになりはしまいかと、わが俳句の処女作に思いを馳せるのであった。



  
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薔薇の木に薔薇の花咲く

2006-02-13 07:38:19 | 日録
    
己の為にも、国家の為にも、世界の平和の為にも、何にもならぬ雑用ばかりが多くて、昼も、夜も短い。

 疾如風
 徐如林
 侵掠如火
 不動如山

と「武田信玄」が用いたという「孫子」の句を4行書いて今日の日記を閉じようと思ったが、それだけでは何か物足りぬ。

 今日は、新聞も来ない。産経新聞も多分同じだろうと思う。

是各新聞社の談合ならずや。碌に読みもしないのに新聞が来ないと、寂しいのは何故だろう。銭のないのも寂しいけど、摩訶不思議である。

 これまた「寂しい」1昨日の古新聞記事2件。記しておく。

▼社民党大会が11日開幕し、日本版「社会民主主義」の理念を「平和・自由・平等・共生」とした党名変更後初の綱領的文書「社会民主党宣言」を全会一致で採択した。格差と不平等の解消を目指し、自衛隊の現状を「明らかに違憲状態」と明記するなど、小泉政権との対抗軸を明確にしたのが特徴だ。質疑では、憲法改正反対などでの共産党との連携について否定的な意見が出た。

▼この日の質疑では、自衛隊の現状を「違憲状態」と明記したことに異論は出なかった。「合憲」の立場に転換した94年当時、連立政権の首相(旧社会党委員長)だった村山富市氏は同日、党本部で記者団に対し、「最小限度の自衛の戦力を持つことは違憲ではない前提は変わっていない」としつつ、「路線というのは、国際情勢や国内情勢が変わってくればそれに対応する。戦略、戦術が変わってくるのは当然」と述べた。

▼12日は、幹事長や副党首らの役員人事が行われ、主な役員が全員留任して閉幕する見通しだ。また、村山氏、土井たか子氏の歴代党首を「名誉党首」とすることも提案される。
        *************

▼ 「捜査に協力して、裁きを受け、根っこから反省して出直して」――。自民党の武部勤幹事長は11日、新潟市内で講演し、ライブドア事件で逮捕された堀江貴文前社長にこう説いてみせた。
 昨年の総選挙で応援したことに批判を浴びてきた武部氏だが、その時は「父親の気持ち」だったと言い、「挫折したからといってあきらめない」ことの必要性も語った。

▼さらに、総選挙前に堀江前社長に初めて会った際に、面談時間の半分以上を「人の心を金で買えると思っていたら大間違いだ」といった説教に費やした、とも説明。「まだ33歳。10年かかろうが20年かかろうが、能力も持っている。資質もあるとみた。石もて追い返すだけの日本であってはいけない。再挑戦の機会がなければ」と語った。

       **************

 薔薇の木に薔薇の花咲く。何事の不思議なけれど。



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再びホリエモンを擁護する!

2006-02-10 20:52:05 | 怒ブログ


今宵、「NHK」テレビ夜7時のニュースを見た。

各地の雪の事故。堀江容疑者の近況。例のご懐妊のニュース。
ニュースは1日で賞味期限が切れる。当然8日の衆院予算委員会での辻元清美議員の質問内容は、賞味期限の切れて、話題の対象にもならなかった。
だから昨日の新聞記事に頼らざるを得ない。

<「今日はヒートアップせずに冷静に議論したい」。秘書給与詐取事件で辞職し、昨年の総選挙で返り咲いた社民党の辻元清美氏が8日、衆院予算委員会で約4年ぶりに質問に立った。
「総理! 総理!」の連呼や「疑惑の総合商社」といった言葉での追及ぶりが持ち味だったが、この日はテーマを小泉首相の靖国神社参拝に絞り、「心の問題」について静かにやりとりを重ねた。

 辻元氏は、「異なる歴史観や価値観は心の問題。心のぶつかり合いにいかに折り合いをつけていくかが政治の役割だ。靖国参拝は首相個人の心の問題では片づけられない国際問題に発展している」と問いかけた。

 首相は「一年に一度くらい二度と戦争をしちゃいかんという気持ちを持って参拝するのがなぜいけないのか。私には分からない」と持論を展開。さらに「辻元さん」と呼びかけて、「日本人の心の問題を考えたことはないのか。日本の首相だって人間。心は自由だ」と反論した。

 議論はすれ違いのままだったが、辻元氏は「これからも淡々とやっていきたい」。一方で、「与党が多数になって国会に活気がなくなった」と物足りない表情も見せた。 >

<戦時下最大の言論弾圧とされる横浜事件再審の判決公判が9日、横浜地裁であり、松尾昭一裁判長は元中央公論社社員の故・木村亨さん(死亡時82歳)ら5被告に、「治安維持法が廃止され、被告が大赦を受け公訴権が消滅した以上、実体審理は許されない」として有罪、無罪の判断に踏み込まず裁判を打ち切る免訴の判決を言い渡した。

検察側主張を全面的に認めた。被告はいずれも死亡し、再審を引き継ぎ無罪判決による名誉回復を求めていた遺族らは、来週初めにも控訴する方針。再審公判で被告側の控訴は極めて異例だ。

 このほか免訴判決を受けたのは、▽元改造社社員、小林英三郎さん(同86歳)▽元日本製鉄社員、高木健次郎さん(同80歳)▽元満鉄調査部員、平舘利雄さん(同85歳)▽元古河電工社員、由田浩さん。45年8~9月に治安維持法違反罪で有罪判決を受けていた。

 松尾裁判長は「免訴事由がある場合に有罪、無罪の判断に踏み込むことは出来ない」との最高裁判決(プラカード事件、48年)を引用。旧刑事訴訟法に基づき「免訴事由がある本件では、免訴が相当」と結論づけた。

 被告側は「無実の被告の救済」という再審の理念を強調。無罪判決により確定有罪判決を取り消すことを望んでいた。だが松尾裁判長は「免訴を受けた者にも刑事補償が認められ、有罪判決は免訴判決。

 一方、即決で有罪判決を下した当時の裁判所の責任については「終戦時の特殊状況下で訴訟記録が廃棄される異常事態もあり、再審開始までかなりの時間を要した。その間生存していた被告人らが死亡したのは誠に残念というほかない」と述べるにとどまった。

 横浜事件は第二次世界大戦中の42年、雑誌「改造」に掲載の論文が共産主義の宣伝だとして、政治評論家の細川嘉六さんが治安維持法違反容疑で警視庁に逮捕されたのを発端に、神奈川県警特高課が編集者ら約60人を逮捕した事件。4人が獄死、約30人が有罪判決を受けた。戦後、特高警官3人が被告に拷問を加えたとして特別公務員暴行傷害罪で実刑判決を受けた。

 最初の再審請求は86年。第3次請求(98年)で東京高裁は昨年3月、「元被告らは拷問を受け、自白の信用性に疑いがある」として横浜地裁の再審開始決定を支持した。再審公判は昨年10月に始まり、同12月の第2回公判で結審していた。【伊藤直孝】

 ▽横浜事件第3次再審請求弁護団の話 誤判の完全除去と被害者の名誉回復の義務を課す再審の理念に徴すと、無罪を言い渡すべきである。検察と一体となって横浜事件の隠ぺいを図ったものといえ、特高警察と検察の言うがままに違法な確定判決を言い渡した横浜地裁の行為への反省の姿勢はみじんも見られない不当な判決と言わざるを得ない。

 ▽梶谷剛・日本弁護士連合会会長の話 治安維持法の下で被害者に対して行われた人権侵害行為への謝罪や補償は、戦後60年を経ても行われていない。国等に被害者の救済措置を早急に行うよう求める。

 ▽ことば(免訴) 公訴権の消滅を理由に有罪、無罪の判断に踏み込まず裁判を打ち切ること。
旧刑事訴訟法は(1)確定判決を経た(2)刑の廃止(3)大赦を受けた(4)時効完成--を免訴事由に挙げ、新刑事訴訟法でも同じ。プラカード事件の最高裁判決(1948年)は「大赦があった時は裁判所は単に免訴の判決をすべく、公訴事実の存否について実体上の審判を行うことはできない」と同法規定を追認した。
現在も免訴の性質を認定した唯一の最高裁判例となっている。

 横浜事件の賞味期限が、1日で終わってしまったのは空しい。
 堀江君の賞味期限も迫ってきたようだ。刺客(暗殺施行者)扱いにされた名誉を回復に君には全力を注いで欲しい。

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