抄本攣連草
第十三煖.
ひとりPersonal Computer のまえにて、Blogをひろげて、見ぬ世の人を友とする、こよなう慰むわざなり。
Blogは、小児の文選をよむあわれの巻々、あやしき大和ことば、博士の文集、老師のいくさびとへのくるしごと、飛鳥の篇。
この国の博士どもの書ける物も、いにしへのあわれなること多かり。
第十四段
新聞こそ猶おかしき物なれ。あやのしづ、ものはこびのしわざも、やんごとなきかたのみおしへかきつれば面白く、恐ろしき猪も、「臥す猪の床と言へば、やさしく成ぬ。
この頃の新聞のさま、ひとふしおかしく言ひ叶へたりとみゆるはあれど、古き瓦のやうに、いかにぞや、言葉のほかにあはれにけしき覚ゆるはなし。
特に怪しむに足る新聞紙ではありません。㊤は、ご近所のさる奥様が何くれと布教らしき言の葉に添えて、㊦は、老句友が、句会の折欠席した私のために、当日の資料をこの新聞紙に包んで持ってきて賜ったものです。
両紙の開祖様の仲については、愚生の詳らかとするところではありませんが、お互い敬遠の間柄の感触はあるものの、「朝日」と「産経」を併読するような「おもしろ、おかしさ」はありません。
偶然わが庵の護美と捨て去るのも、知的損失の惧れ有之やもしれませんので、両紙への表敬の念度し難きを慮り、ブログ上に保存したものであります。