狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

雑誌野鳥

2010-04-01 07:06:03 | 本・読書
  「日本野鳥の會」規約
1、本會を「日本野鳥の會」と称し、鳥類に関する研究、鳥類愛護の思想普及を以て目的とす。
2、本會は其の目的を達成する為め左の事項を定む
イ、毎月1回雑誌「野鳥」を編輯し梓書房をして刊行せしむ
ロ、随時見学旅行、展覧会、講演会、談話會、撮影會等を開催して、会員相互の交詢親睦を図る。
3、本会の趣旨目的を賛成し、左記により会費を前納するものを以て会員とす
イ、普通会員    年額   5圓也
ロ、特別会員  一時金弐百圓也
4、本會は、雑誌「野鳥」の配布を受くると共に投稿の自由を有し、本會の主催する凡ての計画に対して特典を享受し得るものとす
5、本會の事務所を東京市杉並区井萩3ノ41、中西悟堂方に置く


五月号
昭和九年四月廿日  印刷
昭和九年五月一日  発行
  編輯者    中西悟堂
   東京市神田区駿河台町一ノ八
  発行人    岡 茂雄
   東京市神田区美土代町二ノ一
  印刷所    三秀舎
   東京市芝区田村町六ノ一
  写真製版所  齋藤任弘
  ―――――――――――

本は眺めるものである

2010-03-27 11:47:15 | 本・読書
         

だいたい、買った本を全部隅から隅まで読むなんてこと自体、下品なことなのだ。永江朗さんは、「本を最後まで読むのはアホである」(『「不良のための読書術』ちくま文庫、唐沢俊一さんは「古書は集めるためににあるものである。読むものではない!」(『古本マニヤ雑学ノート』ダイヤモンド社、のちに幻冬舎)、とそれぞれ名言を吐いている。これぞ、プロというものだ。(「古本でお散歩」ちくま文庫、岡崎武志)


わが町にも、購書を趣味と自賛する著名人がおられ、私邸には書庫専用の2階造りの別棟の蔵があり、蔵書がぎっしり詰まっている。年間300冊前後の新刊書を購入しているといわれるが、氏は整理・整頓も得意趣味の分野のようだ。
 ボクも書庫内を拝見したことがあるが、目録も整備されており(パソコンはまだ非使用)、ジャンル別、出版社別きちんと整理されているので、捜すのにオレのような苦労はないようだ。
ボクの場合は、ご覧のように、整理は全くしていない。それに書棚に2重に本が詰まっているので、捜すとなるとたいへんな労力である。
しかし、正直云って本は、眺めているだけで人生は愉しい。苦労はするが、捜すのもそれにもまして楽しく、長生きする秘訣だと信じている。

湖畔吟を読む

2009-04-24 10:19:17 | 本・読書
          

中学一年生のとき、国語の教科書で杉村楚人冠を知った。
教材本文は、著書「続湖畔吟」からの採択である。湖畔とは千葉県我孫子市の手賀沼々畔を指すが、楚人冠がこんな身近な処に住んでいたのを知った時は、かなりの衝撃を覚えた。地図を頼りに楚人冠公園周辺を幾度か散策した。近くには杉村家の私邸も現存し、ご家族の住居となされているように承っている。
 この地には、血脇盛之助、嘉納農園跡、武者小路実篤旧居、中勘助、滝井孝作、志賀直哉、バーナードリーチなどの旧居や、旧居跡、沢山の記念碑等を見ることが出来る。
「湖畔吟」は、続、続々篇と三篇からなり、一括して楚人冠全集第五巻に収録されている。大正12年から昭和10年に亘って書き綴ったエッセー集で、当時の我孫子地方の地理の様子や、世情が心ゆくまで伝わってきて、どこを読んでみても飽きない。
 総ルビの平易な文体は、現在でも充分に通用し、高齢者にとっては、まことに最適な読み物というべきだが、残念ながらわが町の図書館の蔵書から楚人冠の著書を捜すのは全く困難になってしまった。


漢詩の恋文

2009-04-12 16:49:30 | 本・読書

花見に行くので、床屋にかかった。パンチパーマをかける先客がいて、オレの番になるのは相当時間がかかる。待つ間、そこに置いてあった「漢詩の作り方講座」なる分厚い本(講義録というのか)を開いてみた。この床屋のご主人は漢詩の刻字を能くするので、勉強の必要があるのであろう。
 うむ。ボクは思わず唸ってしまった。手帳を持っていたので、早速書き入れた。
 扶桑第一梅
 今夜為君開
 欲識花真意
 三更踏月来

 これまで、漢詩は男児の特許品だとばかり思っていた。
 
 これは亀井小琴という女性作の恋文である。
   扶桑第一の梅
   今夜君が為に開かれん
   花の真意を識らんと欲せば
   三更月を踏んで来たれ
と訓読する。帰宅後亀井小琴をネットで検索した。
 雷首という人の作で、『贈小琴女史(しょうきんじょしにおくる)』の返答の漢詩だそうである。

 二八誰家女
 嬋焆真可憐
 君無王上点
 我為出頭天

   二八誰(た)が家の女(じょ)ぞ
   嬋妍(せんけん)真に憐れむ可し
   君に王上の点なくば
   我れ出頭の天とならん

 大意は、あの妙齢(二八は16即ち16歳くらいという意)の女性は、どこの娘だろうか。顔姿のあでやかな美しさは、本当に可憐である。もし、貴女に御主人がいないなら、小生があなたの夫になりますよ、という意。

「王上の点」とは、「王」に点を付けると、「主」になり、「出頭の天」とは、「天」が突き抜けると「夫」になることのダジャレ。

携帯電話の時代、時の大学生の男性諸君、あなたの彼女に試してみたら如何。でもこのナゾを解ける女子大生果たしているのかなぁ。



文庫の館

2009-04-11 18:49:55 | 本・読書
            
友人と言って適切はどうかは知らぬ。年齢から云えばボクの方がうんと先輩だが…、町の行政幹部であるKさんの書庫である。
岩波文庫の創刊いらいの総発行点数が、どのくらいあるのか時々考える。
昭和62年(1987)創刊60年記念出版時の、岩波文庫編集部編「岩波文庫総目録1927(昭和2年7月)~1987(昭和62年6月)の本の帯に、
創刊いらいの岩波文庫―4360点その書誌的情報を余さずもりこんだ《岩波文庫のデーターベース》とあるから、現在では10,000点は超えていないのではないか?(調べればすぐ判ることだろうけれど)。
しかし、この岩波文庫の総点数を揃えることはまず不可能だということを、何かの本で読んだことがある。
しかし、これも友人からの話だが、杉浦明平が、全点を揃えて持っているという話を聞いたことがあるとか何とか。

             
Kさんはそういった意味でいう本のコレクターではないと思う。
Kさんの「購書・読書月録」というエッセーがあるので、その最初の書き出し部分を引用する。
 購書・読書月録
いろいろな機会に書いたり、公言したりしているように、購書=本を買うこと、は私の趣味であり、長年続けている道楽のようなものである。
 もとより本を買うことは、その本を読むことを前提としている訳だし、その都度、自分の必要と好みに応じて買い入れている本の多くを、」出来るだけ効率的に読み上げようと努力していることは確かである。

言海

2009-04-04 14:33:15 | 本・読書
            
大言海には、昭和57年に冨山房創立95周年記念版として、見出し語を現代仮名遣いに、変体仮名を普通仮名に新改めた「新編大言海」全1冊本と、これより少し前に出版された「新訂大言海」全がある。
また、大言海の親辞書とも言える「言海」は、2004年筑摩学芸文庫として復刻された。辞書が文庫化されたのも驚きだが、この分厚い文庫本は、わが町の書店に購う顧客の現れるのをしばらく待っていたが、(訳1年間位は書棚に1冊おいてあった)今は愛書家の許へ収まったようだ。

内容(「BOOK」データベースより)
近代的なスタイルの国語辞典の第1号『言海』は、「読める辞書」としても絶大なる人気を誇ってきた。語釈には「堂々めぐり」がほとんどなく、意味の本質に迫るキリッとした名文づくし。とりわけ動物・植物・鉱物などの語釈がシブい。ユーモアすら漂う。明治時代の俗語もまじり、方言などの注記もある。用例も豊富で、古典のアンソロジーのような一面も。巻頭の「語法指南」は日本最初の近代的な文法書として愛用された。明治のことばの辞典として、また古語辞典としても役に立つ。国語辞典として使うための詳しい解説つき。縮刷版(明治37年)の内容をそのままの大きさで覆製。

巻頭「言海」の題字の後にある、次の「御達」も復刻されたかどうかは、立ち読みしていて気がつかなかった。

宮内大臣ヨリ編者ヘノ御達
日本辞書 言海 四部
右今般編輯ノ趣ヲ以テ
天皇陛下
皇太后陛下
皇后陛下
皇太子殿下ヘ献上被致候ニ付夫々
御前へ差上候右ハ斯道ニ裨益不少
善良ノ辞書ニシテ精励編輯ノ段
御満足ニ被思召候此段申入候也
明治二十四年七月二十三日
      宮内大臣子爵 土方久元

大言海

2009-03-21 12:53:01 | 本・読書
           
まず辞書からの出発である。
大言海:大槻文彦 冨山房 昭和10年9月印刷・発行・初版。定価金6円50銭也。
期間限定特価金5円のシールが貼り付けてある。この辞書は索引を入れると5巻本で、索引を除く4巻はわが町にある古本店「H書房」で魂消るほどの安値で購い求めたものだ。ここの主人は古本屋としては若いオーナーだった。しょっちゅう出入りしていたから、奥さんのいたときなどはお茶をよばれたこともある。
「古本H書房」と書いた看板の〝古本〟の文字がバカでっかい。
あるときボクが「〝古書〟と書き代えたら?」といったことがある。
その時主人の詞、店内の割と広いスペースのあるコミック誌コーナーを指さして、
「これでは〝古書〟とは言えないでしょ。これがバカに出来ないのよ」と笑うのだった。(平成の現在はギャラリーを設けて、文庫本は、岩波と中公以外は扱はず、硬派本と稀覯本限定本のネット販売が主流で、コミック誌のコーナーはない。
 索引付きは神田のY書店で、高い買い物だったような気がする。
だから私は現在2組の「大言海」を所持している。欲しい方、本を大事にする方だったら4巻の方を譲ってあげても良い。月報が付いているかいないかで本の「価値」は違ってくると言うが、この月報にはいろいろの人がかいてあり、面白いものだ。

道草をくって、「大言海」彙報 第一号の一部を引用紹介する。
大言海並に本紙表題に用ゐた大言海の三字は唐代の名筆、柳公権字は誠□の、玄□塔碑中より集字したものであります。

陸軍軍楽隊出張演奏の初記録
          堀内 敬三
 明治九年九月二十八日、東京本郷金助町五十三番地に新築された大槻磐渓氏の邸で故大槻水翁の五十回追遠会が行はれ、陸軍軍楽隊の出張奏楽があった。
 大槻磐水翁は玄澤と称し奥州一関の藩医の家に生まれた。誕生は宝暦七年九月二十八日。家業をついで医術を修め、江戸に於いて蘭医杉田玄白・前野良澤に学び、また長崎に遊学して蘭学・西洋医学の蘊奥をきはめたので、仙台藩の侍医に挙げられ更に幕府から蘭書翻訳の命を受け、「蘭学階梯」「重訂解体新書」を初めとして多くの名著を残し、文政十年(即ち明治九年の五十年前)三月晦日に七十一歳で逝去した。
 その子の磐渓(清崇)氏は大儒として知られた碩学で、孫には文学者大槻如電先生と、「大言海」の大槻文彦博士とがある。
 この時の追遠会は午後三時先ず磐水翁の遺像の前に於いて祭典を行ひ、それがすんでから祝宴が催ほされ、宴半ばにしてロシアの宣教師ニコライ氏が立って日本語で祝辞を述べ、宴終って庭園内で陸軍軍楽隊の奏楽があり午後九時すぎに参会した。
(略)
三浦俊三郎氏著「本邦洋楽変遷史」の第82頁に陸軍軍楽隊沿革の一部として
『又一般庶民の奏楽依嘱に応ずるの規則を設けられた。而して同年(明治八年)十一月には初めて仙台の大規模の祝賀の宴席に於て奏楽した。之が洋楽を市井に開放したる最初の試みで現時の出張奏楽請求手続きに依る奏楽のイニシャチヴと云ふべきである。』と記してある。此の『仙台の大槻某』が爰んぞ知らん大槻磐渓・如電・文彦の三氏であったのだから驚いた。
 この会の記事は如電先生の編んだ「追遠会誌」の中に記してある。此の本は明治十年四月二十三日に出版された和綴六十二頁のもので四号活字で組み、書だの画だのは木版で入ってゐる。
 付録として此の会の事を叙した新聞記事が転載してあるが、朝野新聞の記事として
『…陸軍の楽隊二十有八名盛装し、前堂に環列して楽を奏する数曲(頃日士民の礼会に陸軍楽隊を貸与せらるる事を許すの令有り故に松本君陸軍省に乞ひ本日楽隊を大槻氏に送る蓋し官許を受け楽隊を私事に用ゐるの嚆矢なり)其音洋々賓主皆楽しめり…』とある。


 

小学生の読書感想文審査に参加して

2008-10-29 15:19:06 | 本・読書

   2年前、ボクは町の教育委員会 生涯学習課から、
御名御璽ならぬ、当該推進会議会長である、町長名と大きな会議長の判子の押した委嘱状を頂いて、「読書推進委員」なる崇高な委員に任命された。非常に名誉あることであり、感激して拝受した。名刺があれば、肩書きが目立つように、太字ゴシック体活字体書で書き入れたいような名称である。残念ながら、名詞を差し出すような身分でもないし、そんな機会もない。(これから、そうなりたいとは念じているが、高島易断には、あっさり絶望の卦をたてられた。)
委員活動は、年間を通じて、生活に差し障るような行事や、会議の回数は少ない。
町が企画した、この「○○(郷土が生んだ著名小説家の冠名)記念賞」の「読書感想文・感想画のコンクールが主たる行事のひとつであり、
その審査員を小生が依頼されたのである。 

 読書感想文は、小中学生の夏休みを利用して児童に書かせたもので、一般社会人の部門はない。

 わが町の、小学校・中学校合わせて、11校からの応募作品、125点の中から、最優秀作品1点。優秀作品を数点選ぶ、予備審査である。

この審査結果を元に、最終審査を行うのであるが、2次結果と変わる可能性があるので、審査結果などについて「守秘」をお願いしたいという文書が配られた。
当然当たり前なことであるが、ボクは、今まで2年間の会議で、町の教育長は、短いご挨拶をされ退席なされたが、教育委員はお一人もお見えにならなかったことが、不思議でならない。

 選考の所感を書くつもりがったが、夜長とはいえすでに10時を越している。
今日は、会議風景と、記念撮影の写真を添付してみた。
 男性の発言は余の意外は無かったと言ってもよいだろう。

 


たっぷり字書きさんバトン

2008-06-28 15:29:17 | 本・読書
尊敬するleprechaun兄の硬派ブログ「日々のたわむれ」拝見。"バトン"なる懐かき語彙に出会った。また記事中に、学兄の名コラム「皇居買収計画」にも話題が及んでいた。
それは、ぼくがブログを始める原点となった作品である。
バトンの意味すら分からず、学兄に解説のコメントを頂いた記憶もある。あの頃を思い出しながら、謹んでバトンを接がせていただく。
 意に沿わない内容かも知れないが、それは通りすがりの雲助の雑言と聞き流してくだされ。

■小説を書き始めたきっかけは?
中学卒業後。仲間と文芸誌を出したことがある。清水基吉「雁立」(芥川賞受賞作)に啓発され、甘い初恋物を一編書いた。
太宰治の「晩年」や鷗外の「ヰタ・セクスリアス」のような自伝を書きたいと思った。
■創作を始めてどのくらい?
作家ではないから、創作を始めてどのくらい、などという大袈裟なことは言えない。書いては破ぶり、破っては書き改め、遂に纏まったものは1篇も書けなかった。
■書いているのは版権ですかオリジナルですか? 両方書く人は、版権とオリジナルで書く違いをどうぞ(長所短所も織り交ぜて)
パス。
■本(いわゆる小説)を読み始めた時期は?
幼年倶楽部(大日本雄弁会講談社)の頃だ。古すぎーるかな。
■簡単な読書遍歴を。または、好きな作家さん、特に印象に残っている本を挙げてください。
①小学時代は、佐藤紅緑・吉川英治・江戸川乱歩・山中峯太郎(これらは幼稚すぎーるか)など乱読。
 幼年倶楽部は、小学低学年向けの雑誌だったが、山中峯太郎「見えない飛行機」が連載。樺島勝一の挿絵と共に心に焼き付いている。
②以後は、主として少年倶楽部。
佐藤紅緑「少年讃歌」「満潮」
吉川英治「天兵童子」
山中峯太郎「亜細亜の曙」「敵中横断三百里」などなど。
海野十三「怪鳥艇」
③中学時代は本も雑誌も数少なかった。戦争一色・旺文社の「蛍雪時代」「ユースコンパニオン」を買ったが、小説は載っていなかったかなぁ。
真珠湾攻撃を描いた「海軍」獅子文六が、岩田豊雄の筆名で朝日新聞に連載した。読み応えある大作だった。横光利一「旅愁」長いことだけが印象。一巻だけ拾い読み。
戦争が終わり、小説は改造社のいわゆる円本「現代日本文学全集」で森鷗外・永井荷風・夏目漱石・志賀直哉などを知る。
④オレの学歴は中学だけで終った。貧乏家業手伝になった。無給で働かせられた。
 横光利一「紋章」・太宰治「人間失格」「斜陽」・坂口安吾「堕落論」・椎名麟三「永遠なる序章」・野間宏「暗い絵」・三島由紀夫「岬にての物語」「宴のあと」等々。
(けっこう乱読した)
⑤今は小説というよりエッセーに近いものしか読んでいないない。
杉村楚人冠・高橋義孝・内田百・菅原通濟・D・キーンE・Gサイデンステッカー・等など。本の冊数だけは多い。
現代作家は、平野啓一郎の「日蝕」「日月物語」2冊買ったが読んだのは数ページだけである。
■どんな小説が好き?
 出久根達郎古本もの。
■オリジナル(版権)のジャンルをどうぞ
 質問の意解らず。パス。
■これまで書いてきた、または書いている作品のテーマ(主題)は?
二十代の時「二十歳」。以後「三十歳」、「四十歳」・「五十歳」と次々表題を代えて書き始めたが、何一つ纏まらなかった。
何れも身辺雑記の域を越えられず。
戯曲を一篇ものしたい。題名「振り袖」。畏友主宰劇団「Sの会」に捧げる。
■一番気に入っている作品を教えてください。
『「皇居売却計画」は、何気に評判が良かったですね。』とleprechaun氏が自賛しておられるので、ボクのブログについて述べれば、07.02.24.茨城巡査。06.02.24.
思い出。他愛のない小品ばかり。
■書きやすいキャラ、書きにくいキャラは?。
パス。
■舞台設定の特徴・下調べはしますか?
パス。
■調べる際の愛用の文献(ツール)などあれば。
やはり『広辞苑』第5版。月曜日に第6版を買いに行きたい。
■一作の主要人物は、何人くらい?
パス。
■主人公は男女どちらで書く場合が多いですか?
パス。
■主人公は自分にとってどんな存在? 例:自分の分身、あくまでも舞台の中の一役者、など
パス。
■どんな作風が多いですか? 例:シリアス、コメディキャラへの愛着に、差はありますか?
パス。
■ハッピーエンド派?バッドエンド派?
パス。
■作中で「死」を書くことはありますか?
ある。
■それに対する考えなど。
特に。
■恋愛は書きますか?
今では関係もないし書けない。
■小説の書き方を教えてください。 例:登場人物を決める、プロットを組む、書きたいシーンから書くなど自由に
エッセイ風小品。
■一話の所要時間は? 最短・最長なども踏まえて。
 不明。
■タイトルはいつ決めますか? また、タイトルへのこだわりは?
 タイトルだけで終わってしまうことも多い。
■物語の始め方。プロローグをつけますか?
パス。
■起承転結は意識してますか?
そんなものない。

■会話文と地の文、書きやすいものは?
解らない。
■中心人物を決め、その視点でストーリーを進めますか?それともバラバラ?
パス。
■他に気をつけていることはありますか?
 特にない。
■創作の上で最も苦労するところは?
酒を呑みすぎ前後不覚に陥る。
■自分の文章はどんな文章だと思いますか?(長所と短所も織り交ぜて)あくまで自己評価。
ダメだなあ。慨嘆!
■どんな文章が書きたいですか?
範をleprechaun三希堂茶室にとりたい。
■他人から言われた評価で印象に残っているものがあれば。
全く評価されていない。
■お気に入りのBGMはありますか?
ない。
■答えて欲しい方に回してください。
受け取って下さる御仁あらば幸甚の至り。

本の品格

2008-04-11 21:06:45 | 本・読書
          
「女性の品格」という本が大評判のようだ。数日前の朝日新聞全面広告を見ると、「ミリオンセラー300万部突破」と大きな活字である。すごい売れ行きらしい。
 実は今日、町の大手書店チェーン店の本屋を覗いてきた。 きまり悪かったが、時間が惜しかったので勘定受付場でこの「女性の品格」の置いてある場所を訊ねてみた。
 ふだんは、コンピューターで検索してから、店内をぐるぐるめぐり、置き場に案内するのだが、今日はその必要がなかった。アルバイト学生のような若い女性だったが、コンピュータ検索をせず、直ぐにボクを案内した。そばの、「ベストセラー本」のコーナーに山と積まれてあったのである。
 新書版の本である。
 本に品格があるかどうかは分からない。ただボクは先月さる読書・講書家のK氏所蔵の、「鷗外の遺産・小堀鷗一郎、横光桃子編/小尾俊人篇註」を拝見したばかりであった。ふと両者を心のなかで比べてしまった。
【註】鷗外の遺産全3冊。
第1巻-林太郎と杏奴- 第2巻-母と子- 第3巻-社会へ- 幻戯書房刊
 
 本の場合、ベストセラーになる条件は、66もの法則はないと思う。
 我が家の茶の間のテレビでは、いま和田アキ子女史が盛んに吠え捲っている。

小説「火の華」について

2008-04-05 20:45:19 | 本・読書

 文芸仲間の畏友K・A兄が、若い頃(昭和54年)地方新聞の懸賞小説に応募し、佳作入選を果たし、毎週土曜日の新聞文芸欄に連載された。この地方新聞は、中央の大手新聞と違い、購読者数もある程度限られていたから、この快挙を知った人は数少なかった。殆どの人が知らなかったといってよい。
 次は小生がその紹介を兼ねて、町の文芸仲間達の発行する文芸誌に投稿したものである。(平成11年発行)

K・A氏の創作「火の華」については、本誌の第2号で、私が「わが町の文人たち」という題名で触れたことがあります。それはJ新聞社が創設した文学賞「長塚節賞」に、氏の作品が佳作入賞した事実を簡単に述べたものでした。私は、その作品の掲載された紙面を切り抜いてスクラップ帳に大事に貼り付けて、とっておいたのですが、毎週土曜日ごとに、14回にわたる大作の小説であったのに対して、私の所持分は回不揃いの僅か6回分だけでした。ですから、その内容は全く断片的なもので、わずかに諳んじていたのは、
 《長い梅雨も後期の七月に入って急に寒い日が続き、それは百年ぶりとかの異常低温を記録したのだが、ちょうどその時期には、三木は夜勤であったため、季節感とは全く逆行する寒さを経験したのだった。》の書き出し部分の数行だけでした。その名文に感動したのを覚えています。 この四百字にして約五枚半の掲載一回分は、(2)回目から空白が(7)回まで続き、(8)回目の物語は、いきなり主人公三木の職場内での同僚との会話で、彼が熱中しはじめたラジコン機についてのやりとりへと展開していく行くのですが、この空白部分がと、(11)回目から(14)回の完結までの分が欠けており、またその切り抜きも、発行年月日のところが抜けてしまっていたのです。 作者K・A兄がもしかして保存してあるかも知れないと思って、探して頂きましたところ、残っていたのは「長塚節賞」選考結果の社告の載っていた昭和54年1月1日付のJ新聞だけでした。年月日が分かったので、今度は新聞社へ出向き綴じ込んだ当時の新聞を片っ端から閲覧して探し出し、コピーして頂きました。
その時の新聞社での対応や、当時の新聞記事から、思い出に残るその時代の世相なども伺い知ることができて、20年前に遡った感想を書き留めたいことがいっぱい出てきました。しかし冗長な駄文になりかねませんので、今回は、其の《社告》の全文を紹介することにとどめることに致しましょう。それは、次のようなものです。
                ◇
  社告《長塚節賞》佳作3編を選出
    賞金三十万円は分割進呈
  第二回長塚節文学賞を決定する第二回選考委員会は、十一月三十日午後五時M市B亭においてM、H、Hs、Hr、I(Hk氏は急病のため欠席)の四選考委員が出席、慎重審査した結果、応募作には該当者なしと決定、代わりに左記三編を佳作に選出しました。従って賞金三十万円は佳作三編に分与いたします。
 B氏(31歳)の「校舎」は、戦争を戦争そのものを描かず側面を描き乍ら、かなりの成功を見ており、後味も良いが、将来への疑点がないでもありませんでした。
 S氏(28歳女性)の「寂として夜明けは…」は、かなりの達筆者で、土地解放の「少しばかりの百姓」の生態を真摯にえがいていますが、混乱の嫌いがあり、視点にやや難があります。しかし表現力もあり、もっといいものが書ける人のようです。
 K・A氏(□□歳)も、戦後の農業生活者の生態を描いたもので、やや表現が粗雑だったり、人物の描写が類型的だったりで、難点はかなりありますが、落とすことの出来ない作品でした。
 以上が、佳作三編についての大方の意見です。なお五十四年も長塚節文学賞の作品募集は引き続いて行いないますので、大方のご協力をお願い致します。
  ▽佳作三編の題名。氏名・年齢・住所

昭和五十四年一月一日
                                J新聞社 


読書感想文を読んで

2007-10-21 12:27:52 | 本・読書
←打ち合わせ風景
今年も、町教育委員会主導による、小、中学生低学年児童の読書感想文の審査員の末席を穢すことになった。
小生が、どういうことをする部門を担当するかというと、予め渡された、小学3・4年生児童の読書感想文3学年分15篇。4学年分14編計29編作品の予備審査にあたる。
○読書の喜び、楽しさが感じとれるか。
○読書によって得た自己の変革が見られるか。
○登場人物の心情や作品の語っているものを的確にとらえ、自分の意見、感想を具体的に述べているか。
○応募規定に合っているか。
の4項目について、「大変よい」3点
         「よい」    2点
「もう一歩」  1点
の合計点数から、最優秀賞 1作品。優秀賞 1作品。
        優良賞 上記以外の作品 。を決める。
その各作品の評価と、その合計点数を審査するということがボクの役目になる。

外字エディタ奮戦記

2007-08-23 19:09:27 | 本・読書

  この「くいな」という黒偏に鳥の漢字は、(JIS)の漢字コード体系外の文字である。この漢字は、過年浅草の浅草寺(何とか殿とか名前があるのだろうけれど)内見学の折、廊下の壁に掛かっていた絵画の題字で、ルビが「くいな」と振ってあるのをメモ帳に書き留めてきた。

 気になっていたので「大漢和辭典」で確めてみた。
 
いうまでもなく、「大漢和辭典」は諸橋轍次の著になる全13巻、本文12巻索引1巻という大辭典である。字訓索引を見ると「くいな」は、登偏に鳥の1字だけであった。黒と鳥部は第12巻に収まっていたので、割合作業は簡単であったが、実は両の部で見つけられなかった。

 この大漢和辭典で牽けない漢字はある筈がない。 ところが、とうとう見つけたのは、『大漢語林 鎌田正、米山寅太郎 大修館』である。同クラスの漢和辞典「大字源」山田俊雄他5共編角川書店、「字通」白川静 平凡社では何れも牽けなかった。

 この苦労を小生は自分のブログにして残して置きたかった。そこで思いついたのが、「外字エディタ」である。昨日と今日2日がかりで字を作ってみた。

 この外字エディタの使い方は、I.Eで調べると極めて簡単な様であるが、やってみるとなかなか難しい。とうとう今日パソ博士H氏のご指導を仰い出しまった。

 しかし、結論を先に言ってしまいば、外字エディタで作成した文字は、作成したパソコンのみ使うことが出来、メールやブログに載せてもダメだことが分った。
 それでも出来上がってしまった気分は、ちょうど横浜ベイスターズが優勝したような、秋空の広がる清々した気分にってしまったのであった。

 


休憩室

2007-07-18 23:16:00 | 本・読書

新潟中越沖地震、災害に遭われた方々に対し、心からお見舞い申し上げます。
各地で、義献金募集の運動が始まっています。小学生までが募金の函にお金を入れている姿がテレビ画面で放映されました。
 参院選候補者が、高額の義献金に応じたら良いのか、いけないのかボクは分かりませんが、あるいは、既に億単位の浄財私財を匿名で寄付しておられる、候補もおられることとお察しいたします。しかしこんな時こそ、堂々と、匿名でなくて、大いに候補者が実名で献金金額の公表できる、特例法が出来ても良いのではないかと小生は思うのでございます…。

筑波山

2007-04-05 21:40:50 | 本・読書


関東の名山といわれる筑波山の容姿は、山を中心にして、東・西・南・北から眺めてみて、ひとそれぞれの好みにも依るが、ボクはこのカメラアングルがいちばん好きだ。

 この写真は、連日のように筑波山周辺の「花」を撮り続けている、T氏から送られてきたものである。
撮影した場所については触れられていないが、恐らく西側から撮ったものと想像出来る。筑波山の枕詞になっている「ふたなみ」男体、女体の双峰が重なるようになっているからである。
 もう少し場所を南に移すと、長塚節の「土」に出てくる舞台となるが、勿論現在では、その小説に描かれている頃をイメージすることは全く出来ない。

尤も、〝長塚節〟を知らない人も多くなってしまい、〝長塚ブシ〟と民謡と感違えする人も多いとか…、昭和も遠くなったけれど、明治は更に更に遥か彼方となってしまった。

長編小説『土』は、明治43年(1910)に『東京朝日新聞』に連載されたもので、ボクの中学1年の時の『国語』教科書に載っていたが、岩波文庫の『土』は所持しているけれど、まだ読み終えていない。

      
小春の岡    長塚 節
 小春の日光は岡の畑いっぱいにさしてゐる。岡は田と檪林と鬼怒川の土手とで囲まれ、他の一方は村から村へ通ふ街道へ傾いてゐる。
 田は岡に添うて狭く連なってゐる。田圃を越して、竹薮交じりの村の林が
田に添うて延びてゐる。竹薮の間から草家がぽつぽつと見えかくれする。箒草を中途から伐り離したやうに枝をひろげた欅の木が、そこにもこゝにもすくすくと突ったってゐる。
 田にはもう掛稲は稀で、竹の「をだ」だけがまだ外されずに立ってゐる。「をだ」には黄昏に鴨でも来てとまる位のことだろう。見るから寂しげである。
(中略)土手の篠に上には、対岸の松林が連なって見える。更にその上には、筑波山が一脚を張り、他の一脚を上流まで伸ばして聳えてゐる。小春の筑波山は、常盤木の部分を除いては赭く焦げたやうである。その赭い頂上に、點を打ったやうに観測所の建物がぽっちりと白く見える。やゝ不透明な空気は、針の尖でつゝくやうに其の白い一點を際立って眼に映じさせる。(「国語」巻二岩波書店)