狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

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編集室拝見

2008-02-26 21:46:19 | 日録


編集長正月末から、多忙。自治体班内(お隣さんのお葬式)外傷、風邪、嘔吐、下痢。異常寒波。日記を紐解いて見たら、去年は2月中に製本が完成している。3月いっぱいと勘違いしていた。一所懸命徹夜ではりこめば、編集だけは2月に終える。閏年といっても、29日しかない。命あっての物種。深呼吸して今夜はこれでお終い。内容の一部をSnippingを使ってコピーした。「一太郎」2007文書である。

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インド洋では?(改題『学業就成』)

2008-02-23 21:35:51 | 日録
           
今年初めてのZ寺朝詣り。(1月は冬休み。2月から開始)
読経を終え客殿で朝茶を頂く。
導師が「世界平和・除災招福祈願 比叡山の大護摩」のチラシを配った。
別に賛同者の申込書がある。冥加料・願い事・住所・氏名を書き込む。願い事は、殆どが「家内安全」、住所は茨城県からのフル住所である。ボクは迷わず願い事に「世界平和」と記した。

隣席のT君がボクに訊いた。
T君「taniさん。『学業じょうじゅ』の『じょうじゅ』はどう書くんだっけ?」T君は国立大4年生である。
小生「えーと、しゅうしょくの『しゅう』だっぺ。」ボクはメモ用紙に「就」と書きその下に「成」と書き入れた。
T君「あ、分かった」彼は「学業就成」と記入した。

帰宅してから、何だか気になっていたので辞書を引いてみる。
 まあ読めればいゝや、T君も気が付かなかった訳だし。ーそう思って諦めた。

名前がちょっと浮かんでこないが、(内田百だったかなぁ??)「数珠」を「珠数」と書く癖の作家がいた。そのことについて、ボクのある友人が話題を提供してくれたことがあるので、特に記憶に残っているのだ。

ところで今朝の朝日新聞コラム、「天声人語」にこんなことが書かれている。
若い世代の漢字力を案じる一文を、1974(昭和49)年の当欄が書いている。教え子の高校3年生から便りをもらった先生が、一読びっくりしたそうだ。「秋も段々深まりました。姉も段々色づきました」。「柿」のつもりが「姉」に間違えたらしいと、当時の筆者は苦笑ぎみだ▼いまの筆者はその年に高3だった。柿を姉とは間違えなかったが、何かのおりに祖父を「粗父」と書いた。「年寄りを粗末にするな」とクラスで教師にからかわれ、頭をかいた覚えがある▼


補記:連日、イージス艦騒ぎで、守屋前防衛事務次官も、インド洋も、額賀大臣の名前も何処かに消えてしまった。「人の噂も75日」とか、あれほど有名を馳せた、安倍総理大臣も、苗字は出るが、名前が浮かんで来なくなってしまった。
エージス艦と衝突事故の漁船の船体を、クレーンで引き上げる作業の映像を見て、この小舟を連想した迄のことで、本文とはなんら関係がない。
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閑話休題 むだばなしはさておいて

2008-02-21 18:31:26 | 日録

          

 ボクの書棚の片隅に、いくつかの荷風の本が散在している。
荷風全集については、かつてこのブログに、『やっと棚に納まった荷風全集』という表題でエントリーしたことがある。全28巻は、庭先に置いてある物置代わりのスーパーハウスに入ったきりで、今ではほとんと手にすることはない。通常読むのは、現役書棚(パソコン室内)の岩波文庫『摘録 断腸亭日乗』(上)(下)ぐらいなものであろう。
いくつかの本とは、
小説 随筆 裸体  中央公論社 昭和二十九年刊
墨東綺譚  六興出版社 昭和二十五年刊(初版)
腕くらべ(精選 名著復刻全集 近代文学館)ほるぷ出版 昭和五十一年(第8刷)
などを指す。稀覯本という類の本でもないが、装丁がクラシックなので、書棚のアクセサリー代わりに、置いてあるようなものだ。

昨日はふとこの「裸体」を手に取ってみた。正直まだ一度も見ていなかった本だ。
まず目次を見ると、巻末に『荷風戦後日歴』という、昭和二十一年が、一月一日から十二月三十一日まで戦敗第二年目に当たる年が綿密に記されてあった。

この項は「摘録断腸亭日乗」(下)にも載っているが、それは、八月十六日から一気に十二月三十一日迄飛んでいる。しかしこの「裸体」にある日歴は、この年の一年分がもれなく掲載されていた。荷風散人68歳である。

…と云うような事をしている間、堅い論調で知られていた『反戦塾』ましま様から"葛飾土産"というサイトのトラックバックが本ブログ送られてきた。ほとんど同時刻である。
前記バックナンバーにも、反戦塾前身(反戦老年委員会)ましまさまから、「大黒屋」というタイトルで次のようなコメントを頂いていた。奇縁である。

税務署へ行った帰り、荷風晩年お馴染みの大衆食堂・大黒屋。やや高級な構えになりましたが、京成線路沿いに健在なることを確認しました。(ましま) 

          

 むだばなしはされおいて、昨日20日は陰暦十四日、である。あまりにも見事な満月だったので、携帯電話デジカメに収めた。(上)荷風全集の納まっているハウスが下に小さく写っている。
 (下)日の丸の選択画面と間違われたらゴメン。これこそ今日(十五日の満月、旧小正月)の月である。
Tさんにメールで撮影を頼んでおいた。早速送ってくれた。
 手持ち撮影で撮りました。と解説が付けてあった。

 

 

 

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蕗の薹の話

2008-02-19 21:17:55 | 日録
毎年今頃になると「蕗の薹」では大騒ぎする変な家庭である。だが、今年はまだ、2回目の蕗の薹である。厳密に云えば、昨日も今日と同じ場所で一掴み採ったから、3回目になるのだが、昨日は天ぷらにする程の数ではなく、お午に妻が「蕗味噌」をつくってくれただけで消費した。だから勘定に入れない。
1日違いでこの様な収穫である。記録のため、新聞の日付を入れてカメラに収めた。
註:これは収穫の一部である。格好良いのは選んで友人宅に届けた残りものである。

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軍歌

2008-02-18 09:40:34 | 反戦基地
自衛隊小部隊が、小銃などを携えて、後部を開けっ放しの幌付きトラック荷台両側に分乗して走って行く光景や、同じような自動車部隊が、高速道サービスエリアの駐車場などで休憩している姿は、よく見かけるのであるが、歩兵(もちろんこんな名称はないだろうけれど便宜上そう呼ぶ)の行軍演習(これも便宜上の表現である)に出会うのは、長く自衛隊の町にいても初めての事だった。10人乃至15人の小部隊が間隔を置いて、国道を東へ移動した。それだけに異様だった。
偶然午後、これらの小隊が帰隊のため合流したのだろう、道路の側面の広場で5~60人が休憩している処を通って、目の当たりにした。

私の町は昔海軍の町だった。航空隊が主流の海軍基地だったが、一般道を隊伍を組んだ縦隊の列が指揮者の号令に従って、軍歌を歌い歩調をとった光景は特に珍しい事ではなかった。
こんな軍歌がよく歌われたのを憶えている。


一、
四面海もて囲まれし
我が「敷島」の「秋津洲(あきつしま)」
外(ほか)なる敵を防ぐには
陸に砲台海に艦(ふね)
二、
屍(かばね)を浪(なみ)に沈めても
引かぬ忠義の丈夫(ますらお)が
守る心の甲鉄艦
いかでかたやすく破られん

この昔々の光景をダブルイメージしてしまった。…自衛隊員が遠足に行っても特に不思議な事ではないし、当然過ぎるほど当たり前の筈なのに、何故こんな事を考えるのか私にも分からない。
また逆に、これらの陸上自衛隊大部隊が、歩武堂々の行進を路上で一般公開したら…。それこそ北の某国と戦争になるかも知れないなどという杞憂に襲われるだろう歟。

憲法上で軍隊の保有が禁止されている事から自衛隊は軍隊ではないとされる。
だからこれで良いのだと納得するしかなかった。
 
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和歌の原点

2008-02-17 09:13:06 | 日録


ご来光  メル友S・T兄撮影

明治天皇御製
さしのぼる朝日の如くさわやかにもたまほしきは心なりけり

昭憲皇太后御歌
朝ごとにむかふ鏡のくもりなくあらまほしきは心なりけり

小学国語読本巻十二(文部省)より





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歩兵の遠足

2008-02-15 09:43:29 | 怒ブログ
         
>なんだこれは。新聞(毎日新聞2/14)に出た写真は、イラクでもアフガンでもない。東京の隣(相模原市)だ。防衛省が公開した新型戦車。開発費用が約484億円、1両の値段は約7億円。世界最高レベルだと鼻高だかの由。
反戦塾(ましま翁主宰)が毎日新新聞写真を貼り付けて怒りをぶち撒けた。

その開発費用や1両あたりの値段も、灯油18㍑と比較して、何とも見当もつかないが、
これ以前は、特車だったのが、いつの間にか、防衛省になったら堂々たる戦車だ。
聖バレンタインや、陸軍記念日とは関係みたいだけど、
小生は今朝、陸上自衛隊の遠足光景を目の当たり見た。
弁当のことも気になったが、児童小銃をブラブラ携えてた行列は平和を満喫しているように見えた。

そうだった!忘れていた。3月10日がすぐやってくる。
今日は何の日?

"戦局は勇戦鬼神も哭く”ガダルカナル新作戦の基礎を確立したのだった。

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良薬は口に苦し

2008-02-13 20:55:43 | 日録
         
3回投薬の処方を変えた。
5日分、一週間分、5日分、薬の数だけでも17日分。
最後に拝受した粉薬飲み辛いこと夥し。
カプセルを買ってきたが、詰める作業困難。"良薬は口に苦し”とか。今夜一晩我慢して粉薬をそのまま飲むしかあるまい。ああ、考えただけて塩梅悪くなった。焉!
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建国記念日

2008-02-11 17:14:18 | 日録
昨日は、早朝から吐く、下るの両波状攻撃一時はどうなる事かと思った。
何回くり返したか、勘定出来ないほどの頻度であった。
しかし、夜6時(18時)の攻撃を最後に小康を得た。夜半目を覚ましたが何でもなかった。朝、冷たい水をがぶがぶ飲んだ。美味かった。大丈夫だった…。
          

"岩国市長選 米軍機容認の新顔当選 ー反対の前職を破る"
充分予想されていた結果だが、朝日朝刊第1面は冷静に伝えた。投票結果は 
     当  福田 良彦①無新   40,000
        井原 勝助 無    40,000
                   (開票率86%)
とあるだけで、最終得票数はまだ確定出来なかったようだ。

 30面に関連記事がある。
市北西部の山あいの地で1608年、毛利藩に対する一揆が起こった。
「お上」に7割を超える年貢を減らすよう求めたが、首謀者の庄屋ら11人は首をはねられた。その1人が井原氏の先祖だったことはあまり知られていない。
 それから400年。米軍再編をきっかけに始まった「岩国の乱」は、国の補助金・交付金凍結という兵糧攻めに屈した。

 ところで、3連休という事は頭にあったが、今日の祭日が「建国記念日」とは知らなかった。
これも朝日4面"月曜コラム"[(東京大教授(宗教学)島園 進)で啓発された。

(略)大正時代の後半に生まれた私の両親の世代は、2月11日の紀元節に小学校で歌われた次のような唱歌はそらで憶えていた。私なども子供の頃、その歌詞を聞いた記憶がある…。


実はボクは大正生まれではない。
しかし3番まで完全にそらで読むことはあやしいが、一番だけなら一字一句間違いなくそら読み出来る。

   雲に聳える高千穂の 高根おろしに草も木も
   なびき伏しけん大御代を 仰ぐ今日こそ、たのしけれ。
 殆ど60数年歌う機会はなかった、いわゆる「四大節」の唱歌ある。それでもいま全部そら読みできる。

 午後、まだ外出する体調ではなかったが、近くのコンビニに清々した飲み物を捜してくると、妻にウソをついて、カメラ付き携帯電話を忍ばせて、外出した。
 コンビニは約500㍍の距離のところにある。時間がかかったので妻に心配をかけた。
 防衛省研究所所は、完全休日で国旗掲揚はなかった。また祝祭日必ず立てていたSさん宅にはなく、元旦になかったNさん邸に立っていたのを撮った。
 
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こんにゃくの作り方について

2008-02-07 16:31:35 | 日録
食べ物などというものは、その時の気候や、体調、雰囲気によって、上手い不味いの評価に差が出来てしまうと思うのだけれど、その地方特産の手作り食品名を記するとすれば、わが県ではまず県北のそば、こんにゃくなどを挙げることが出来るだろう。
 しかし、それを商っている何処其処の店が良いと、指定するとなるとぱっと浮かぶところはない。

 わが県の観光地には、こまめに足を運ぶような名所も多くはないし、行く機会も少ない。 またこういうところの食事や土産品は、内容がお粗末な上値段ばかり高いことがよくある。基本的に私は観光地で食事をしたり、土産を買うのは敬遠している。

 県北の「竜神峡」という吊り橋を見に行った事があった。予備知識を持たないで、初めて行った場所なので、かなり手前の駐車場に車を入れてしまった。番小屋をかねた土産品売り場にお茶の接待があり、こんにゃくの試食品をおいてお茶を振る舞っていた。こんにゃくが、千切ったものを、無造作にどんぶりに入れて置いてあり、手塩皿に醤油が注いであっただけである。むろん衛生的見地からすれば、褒められたものではなかったが、その美味さは忘れ得ぬものとなった。

 「宜しかったたら、帰り買っていってください」店番のいう通り駐車場に戻ってから何袋か買って帰った。
 家で食べたら、?マジックに遇ったような気がした。味が落ちている…。

 その後、仕事の関係で袋田地方へ何回か足を運んことがある。その度出店に置いてあるこんにゃくの袋を覗いて見たが、買って帰りたくなるようなものには一向出会わせなかった。手作りこんにゃくは、店に並んでいる段階で、容器の水が変色しているものが多かった。
 それが昨日、自宅から歩いて数分のところに、かつての感激そのままに売っていたのである。

 何のことはない。上手かったのは、畑のこんにゃく芋から食品になるまで、僅か半日ぐらいしか経っていない、作りだてこんにゃくだったからである。

 この作り方は、いろいろあるらしいが、何れ手間暇がかかる作業である。基本的な事は、「こんにゃくの作り方」で幾通りでもネットで検索することが出来る。だが、売るほど作るには、熟練が必要だし、コストを下げようとすれば、市販品と同じような「こんにゃく」になってしまうことを、念頭におかねばならないだろう。
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これでもか。これでもか。

2008-02-06 20:34:53 | 日録

一昨日(4日)なんと朝起こされてみたら、水道が出ないとのこと、これには参った。
トイレは用を足した後、風呂水をバケツで汲んで流せば事足りる(いやぁ。オレはそんな面倒な事はせず、庭隅から下に広がる刈田に向かって条々と鬱憤を垂れ流した)が、洗面は風呂水では気持ち悪かった。
ボトル入りの醤油より高価な水で口を漱いだ。
直ぐ友人のデンキ屋に来て貰って、10時頃までには完全修復出来たが、もう機械が全部錆び付いてしまっているので、次は修理が利かないという宣告である。この水道ポンプは正確には分からないが、15年以上経っていることは確実なのだ。
この日は蕗の薹の天ぷらで昼食をとり、体調もまずまずだった。

 昨日は、これまた春のような陽射しである。
風邪を引く前、両足の外傷で、殆ど歩いていない。妻の許可を得て、携帯電話持参で約1㌔先の湖畔堤防を散策した。
 新しく始めたばかりの産直店があった。此処で生まれて初めて喰うような、自家製こんにゃく製品にであった。試食品を頬張り、疑わず2丁買い入れた。
今日こそは風呂に入って、このこんにゃく刺身(ぶっちぎり)で晩酌と心躍らせ帰路に急いだ。

 ところが今度はこれまた大変。再び重大な不具合の報告がオレを待っていた。
 風呂を初め、温水機を通る水はすべてストップしてしまったのである。
 ガス屋ともすぐ連絡がとれ、直ぐ駆けつけてくれたが、機材は修理不能との結論である。これも部品保存期限切れ。水道ストップよりは我慢できる範囲だが、交換見積もりの金額にはびっくりした。風邪が逆流してきた。
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水鳥

2008-02-05 14:59:16 | 日録
           
伊勢物語九段より

むかし、をとこありけり。そのをおとこ、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方にすむべ国求めにとて行きけり。もとよりともとする人ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。その澤のほとりの木の蔭に下りゐて、乾飯食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろくさきたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすへて、旅の心をよめ」といひければよめる。

から衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり。
行き行きて、駿河の国にゝいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗らう細きに、つたかえでは茂り、もの心ぼそく、すゞろなるめを見ることゝ思ふのに、修行者あひたり。「かゝる道はいかでかいまする」といふを見れば見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

駿河なる宇津の山辺のうつゝにも夢にも人にあはぬなりけり

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。

時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ

その山は、こゝにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
なを行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、皆人、ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人、見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふをきゝて、

名にし負はゞいざことゝはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

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早春

2008-02-04 11:37:55 | 日録
                   
朝日新聞コラム「天声人語」の一節。
 「きょうは立春。今年も名ばかりの節目になりそうだが、ここからの冷え込みは字面も音も弱々しい余寒(よかん)となる。寒寒寒(カンカンカン)という乾いた一本調子に、遠からず暖(ダン)の音が混じり始めるのだろう▼〈立春の光ついばむ雀(すずめ)かな〉中島伊智子。陽光も新たに昼の勢いが増せば、暮らしの随所に色が戻ってくる。

 久しぶりに読む明るいコラム。なるほどなと思った。しかしこのあと、杉花粉の話題に転ずる。だから、ここまでで読むのを止めておこう。
正月半ばに引き込んだ風邪。
 熱は出ないのだが、咳込むと止まらない。咳、涙、水っ洟人間ぼろぼろになった。
後半、咳が納まったと思ったら、今度は微熱。クスリも2回代えた。
節分の前夜祭、ドクトルのお墨付きで、風呂へはいり、軽くパッカリやったのがいけなかった。
死ぬのかかなと覚悟を決めた。
何とか危機を乗り越えらたようだ。死んだらお終いだものね。
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何はなくとも

2008-02-02 11:53:18 | 日録
         

そりゃ、何でもあるに越したことはありませぬ。
たとえ、家の中に、おれのいうとに、いちからじゅうまで、あさから晩まで文句を付ける人がいたとしてもだ…。
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