狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

責任をとるということ(1)

2006-03-09 22:20:03 | 反戦基地

   責任をとるということ
       ―天皇の靖国公的参拝問題
せきにん【責任】①[荘子天道]人が引き受けてなすべき任務。「―を全うする」「―を持つ」「―をとる」②政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責(せめ)・科(とが)。法律上の責任は主として対社会的な刑事責任と、主として対個人的な民事責任とに大別され、それぞれ一定の制裁を伴う。=広辞苑第5版

 実はこの表題の「責任をとるということ」の文は、何かの雑誌か、あるいは会報に載せられた(日本キリスト教団上大岡教会牧師)角田三郎氏の論評文で、いま僕の手元にあるのはそれをコピーした片面6枚のパンフである。

 フレンド派キリスト友会の研修で頂いたものである。部屋の片付けで何処からか出てきた。内容を見ると、

 その結びは、次のような文で締めてある。

 <最後に、天皇の靖国公的参拝の可能性とその対応について一言する。靖国問題にかかわる多くの人々が宮内庁や官房長官や各政党に回って説得に努めている。
しかし、自民党や新自由クラブ、民社党までは、まず、殆どその問題性に無感覚である。推進側であるといってよい。一番(といっても表面しかわからないが)慎重なのは宮内庁であるけれども、これも、高知における天皇の護国神社参拝のように、いつどうなるか予測できない。

 したがって、私たちは、靖国問題を風化させずに持ちこたえて、真剣に、私たちの信仰と良心と市民の権利の問題として、徹底的にたたかうという姿勢を堅持すればよいのだと思う。相手は、常に変わらずに、天皇制的であり軍国主義的であり憲法改悪的なのだから、こちらも常に変わらずに、私たちのあり方をはっきりと明示してゆくほかにない。公的参拝は、こちら側の姿勢が弱ったり弛んだりした時点で起こる。一見きれいな中道路線などというものは、実際には靖国問題ではありえない。天皇志向か、否か、である。教会でも、もっとこの点は常に明らかにされるべきであろう。>

このパンフにには日付が入っていないが、「新自由クラブ」「民社党」などと懐かしい党名がでているので、1976年(昭和51)~1977年)の頃の記事だと思う。
『高知における天皇の護国神社参拝』とは、どのようなことだったのか、調べようもなかった。文脈から推して、天皇が高知にお出でになったとき、護国神社を参拝したということだろうと思う。

※戦後初の任期満了による選挙。自民敗北、過半数割れで衆院委員長の独占がくずれた。公明、民社、新自由クラブ躍進。新自由クラブブーム。共産は大敗。<投票率73%>
[自民]249、[社会]123、[公明]55、[民社]23

筆者をIEで検索したら、(参照)
<1925年生まれ。陸軍航空士官学校卒業。戦後、「キリスト教者遺族の会」に携わり、靖国合祀取り下げ訴訟原告に。著書に「靖国と鎮魂」他。>とあった。
 
以下は『8月15日の靖国事件に抗議する声明』の抜粋である。
<2005年8月15日、軍国主義と民族排外主義を掲げる右翼団体が靖国神社にあつまり、6千人の大集会を行いました。核武装を主張する安倍晋三、石原慎太郎をはじめとして、複数の閣僚と多くの国会議員が、右翼団体とともに靖国神社に参拝し、戦没兵士への「哀悼」の意を表しました。それは、かつての東アジアへの侵略戦争から現在のイラク戦争に至るまで、他国の民衆への虐殺行為を不問にし、自らの加害と被害を無関心の淵に沈めることで、戦争を容認するものです。(略)>