狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

農協青年部長

2008-05-28 10:58:46 | 日録
              
 懇意に願っている町内のHさんを頼んで、一日植木の刈り込みをやって貰った。
Hさんは、専業農家の経営主である。どのくらい耕作面積があるのか知らないが、大型農業経営者であるには間違えない。稲作の他レンコン造りもやっている一方、耕耘機や田植機も常備してあるので、余所の農家の賃稼ぎもやる。
 今は、農家でも農業を専業としている人は数少なく、田圃をつくるといっても、Hさんのような人に、田うない、代かき、田植えを一切やって貰い、自分は田回りして、水の管理をしたり、追肥や除草剤をばらまくぐらいが、主な仕事になってきている農家が多い。
 Hさんは身体も丈夫に出来ている上、手先が器用なので、庭師や、大木の枝払い、伐採なども手がける、生真面目な人だから、村人には貴重な存在で方々から頼みが殺到する。
 拙宅では、何ヶ月も前に頼んでおいてやっと来ていただいた。

 お茶のみ休憩時間の雑談は農協が話題になった。
「オレはまだ、農協青年部長なんだ」と笑いながら云った。あとから農協に入って来る人がいないので、いつまで経っても青年部長なのだという。

 小生も自称青年を気取ってはいるが、正直いって何歳までが青年なのか、「後期」という熟語が流行語になっている折柄、大いに気になってきた。
 因みに広辞苑に『後期高齢者』は載っていても、『後期青年』はなかった。
 青年とは一体何歳までを云うのか?
 せいねん【青年】(名)わかもの。一五・六歳から二十四・五歳の頃の人。(辭苑)
(参考迄)
【後期高齢者】一般に七五歳以上以上の高齢者のこと。この年齢層は有病率や日常生活上の困難が急増する。(広辞苑第5版)
調べた序で余計なことを記せば、
創価学会青年部
    男子部:40歳未満男性。
    女子部:未婚かつ40歳未満の女性。

    壮年部: 40歳以上男性。
    婦人部:既婚または40歳以上の女性。
    
    多宝会: 65歳以上の男女。東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」と呼ばれる。 (Wikipedia)

    
 

サンマータイム(なぜかそう呼んだ)

2008-05-24 15:34:46 | 怒ブログ

 我が家の夕食時間は7時半ごろから始まって、終わるのは大抵9時近くになる。一般的ご家庭の場合はどんなパターンだか知らないが、年齢、家族構成など、似たようなご家庭の場合を考えてみても、この時間になってしまうだろう。
 余所様では、水戸黄門再放送や、大相撲放送テレビ番組は、欠かさず見ているという話を聞く。相撲放送が終わるのは6時であるから、その後雨戸を閉めたり、風呂に入ったり、(或いは拙宅のように、これから風呂の用意をするご家庭のあるかも知れない)して、般若湯を戴いてからの食事となると、(宗教人はご宝前に向かう時間も、3分や5分では納まらないだろう。)まずこの時間構成は標準型だと思っている。
 処でそれからだが、ボクは10時半から11時頃までパソコンに向かう。日記を書いたり(勿論ノートは使っていない)ブログを更新せねばならぬからだ。

 いまボクはまた水面下の「夏時間」が、いよいよ現実化して来たことに大きな不安を抱いている。単純に、時計の針を1時間進ませた時刻を想像するからである。 パソコンが出来なくなる…。寝る時間がなくなる…。

 
自民、民主、公明、国民新各党議員らの「サマータイム制度推進議連」は22日、夏季に時計の針を1時間進めるサマータイム(夏時間)制度を導入する法案を今国会に提出すると決めた。民主党の議連幹部も「今国会の成立をめざす」と語り、2年後から導入される可能性が出てきた。
( 2008年05月22日アサヒコム)

ボクは嘗て、この制度を身を以て体験した。その頃(1948年)は、自らもハンドルを握る零細運送店経営者であった。
 サンマータイムのメリットは何もなかった。デメリットばかりだった。

 わが国におけるサンマータイムは,昭和23年4月28日に「夏時刻法」として制定された。国民一般がこの制度に対する経験を重ねてくるに従って,漸くこれに対する批判の声が高まり4年後廃止された。廃止されたときの開放感を今でも忘れられない。

朝三題その2

2008-05-20 14:56:27 | 怒ブログ
        
 朝曇りのこの日は、入梅の前兆のような空模様であった。静かである。田植えの済んだ田園風景、土曜日にやっと立て終わったトマトとキュウリの手や、植木の剪定をやったあとと、前の道路に投げ捨ててあったガラス壜など、我が家の周囲をパチパチ写真に撮った。
 このうちから三枚をブログに貼り付けて、「朝三題」としたわけなのだが、道草をくった畏友の詩集「朝の場所」の話が長くなって、幕引きが出来なくなってしまって収まりきれなくなってしまった。
 それで後の2題を今日に持ち越してしまった次第である。

 この道路上の異物は、昨日の朝道路端に、一応片づけて置いた割れたガラス瓶を、写真に撮るため今日また道路上に戻したものである。
 細かい欠片が沢山散らばっていたのは塵取りで、掃き寄せてしまったので、復元はしていないないから、昨日の実際とは著しく違ってしまっているのはヤムを得まい。しかしこの道路には、必ずといって程毎朝何かが投げ捨てられている。
 むかし6国茨城町の橋上で、トラック運転をしていたオレの直前を走っていた乗用車の客席から、ガラス瓶を外に投げ捨てた女性を目撃したことがあった。真っ昼間である。之は橋の下の涸沼川に投げ捨てる積もりが届かず、橋上を中央まで転がって来て、思わずひやっとしたのである。この橋は狭い上通行量の多いところだ。いまだにこの光景が強烈に頭に焼き付いている。普通の常識では考えられないようなことだが、我が家の前にも現実にあるのだ。


        
このトマトときゅうりの「手」は、まだ未完と言えばその通りだが、ボクはこの程度の規模の畑(?)を屋敷内にあと3カ所作っている。
だから、「手」も別の1箇所に結ってあるので、結構手間がかかっている。
横棒を何段か縛りつけないといけないのだが、それはキュウリやトマトの成長の度ごとの補修である。
これは建設資材の足場に使う筋違をばらしたもので、今年初めての試作品である。
この畑を朝の三題に加えたのは、理由がある。
此処には野生の「茗荷」や「女郎花オミナイシ」が群生している。
また世迷い言が続くと、後期高齢者の轍を踏むなと言われそうだが、隣の農家は、田圃の畦にいつの間にか除草剤を撒いて行く。
 この農薬は、稲には無害なのだそうだが、雑草にはじわじわと効いてくる。
畦との距離はかなりあっても浸透してくる。女郎花が半分既にやられている。茗荷も除草剤に弱い。それは良いとしても、オレにはこの野生の花が惜しくて堪らないのだ。 

朝三題

2008-05-19 07:43:26 | 日録
     

        朝の場所    

     追想に染まった音楽の木立を離れて
     うるんだ夜空の別れを告げる時
     ひとつのロマンは終わるのである

     上方より移ろう彩色の中を
     軽やかなとまどいで逃げて行く
     山腹の寝ずの番の楽士たち!

     夜明けだ
     
     工事中の鉄板は
     その肌の上
     うまし露の味を舌に感じる
     古代の神秘の鍵が見える
     交錯する道路は
     新しい影を
     清められた「日」の上に作り出す

     泥と火の眠りが
     足を鳴らして通りすぎ―
     
     空では!不安の平面が
     あらゆる武器を巻き込んでいる
     
     松林の夜明けには 時として
     濃い霧が潜んでいた
     少女への愛だ
     彼女は目覚めと共に霧の中にいる

     さあ 光だ 鳥だ
     朝に耀(かが)よう黄金だ

     泡のしたたる断層で
     お前の目覚めを待っていた
     
     光があふれる 鳥が鳴く
     昆虫どもも 毒を食え
  
     鍬取る手こそ本物だ
     ひとりびとりは祝福をうけろ

     さあ 光だ 鳥だ
     朝に耀よう黄金だ

           町川則幸(仮名)詩集『朝の場所』より
     
 またまた回想録になるが、(1981年)畏友町川則幸兄が、処女詩集を出版した時の頃のことを持ち出してしまった。

氏の処女出版に当たる詩集『朝の場所』の出版記念会が、T市K観光ホテルで催された時、小生は参加者全員に配布するこの詩集に織りこむ(全集本などに添付挿入されている「月報」を意識したもの)小冊子を作ったことがあった。
 その冊子には、住井すゑはじめ、小生の予想外の各界著名人の寄稿が沢山届いて、むしろ当惑した。その冊子に書いた小生の気負った「あとがき」である。
(あとがき)
 氏が、町川則幸の筆名で、詩集『朝の場所』をものしたのには吃驚した。そう思ったのは、小生ばかりではあるまい。夥しい善良な市民が、この快挙に呆れ果て、仰天し、絶句して仕舞った。
氏は、これまでこの詩集出版に就いて、噯(おくび)にも出さなかったし、建設業と村議会の議員という変哲もない職業上の組み合わせが、氏への評価を更に複雑にして仕舞ったのである。

さて、この詩集であるが、頗る体裁に富む本だとみる。段ボール風の外函に本体を嵌め込んだあたりは、妙に格調が高い錯覚を起こし、著者の油絵を配した扉の部分が、古風で閃きがあるなと思った。恐らく内容にも相当なものがあるであろう。

嘗て小生は、西脇順三郎の詩に嵌り込んだことがあった。
" AMBARVALIA"それはT町のI書店書棚の片隅に睡っていたのを、定価五十五円で購い求めたものだ。
其処には、カプリの牧人があり、哀歌があり、生命の破裂があった。遂に鼠は屋根から落ちることを知らなかったのだが…。
この著名な詩人は謂う。(小生の要約であることを赦してくれ給え。)
「科学的哲学的考え方は自然界人間界宇宙会にある物の存在の関係を何かしらの法則という組織の中で統一し整頓することであるが、この動かすことの出来ない関係が少しでも破られた場合は自然界に重大変化が発生する。
詩の方法はこのこの破壊力乃至爆発力を応用して即ちかすかに部分的にかすかに爆発を起こさせて、その力で可憐なる小さな水車をまわすのである。今日の多くのシュルレアリスムの芸術は人生が破壊された廃墟にすぎないし、昏倒した夢の世界にしか過ぎない。この水車の可憐にまわっている世界が私にとって詩の世界である。」―東京出版"LE MONDE MODERNE"より。
(略)

 聞く処によると、氏の同僚達が、この機会に出版記念の、盛大なる宴を準備進行中なりと謂う。友情に囲まれた実に倖せ男が此処にいるではないか。
それ以前、実は近邑の住人として、就中、小生を含め建設業に関わる知人同士らが、一等先大袈裟な振る舞いでなくとも、ささやかな祝賀の集いを催す計画であた。それを彼らに先手を越されて了ったのは、他意はない。不況の所為であると諦めている。
そこで、これから実現出来るひとつの可能性として、詩集に挿入する文集を編むことを試みた。小生の最初の考えは、氏の作品に酷評を加え、叱咤罵倒し、かつ氏に関わる週刊誌的ゴシップの類を網羅する計画であった。それは商売柄「詩」とは無関係な我等が出来る氏への最大の表敬手段であろうと思ったからである。
併し識者は明らかにこの企劃には拒否反応を示した。酷評どころか詩集「朝の場所」への讃辞は、止まる処を知らぬ。加之「町川宗」は、巷の宗教を凌駕した。
編集に当たり玉斧を乞うた執筆者各位には、小生と全く面識がなかった方々も多かったにも不拘、快諾を得、文集は短期間で成った。電話連絡に終始した欠礼をお詫びすると共に、心の底からの謝意を表する次第である。
之と謂うのも、至極月並みな言葉になるが詩集「朝の場所」の卓越した作品と、氏の人徳に拠るものと断言せざるを得まい。(tani)




2008年よさようなら!

2008-05-15 22:30:55 | 日録
            
短期間ではあったが、タケノコ君には随分お世話になった。
おそらく今日の食膳が君との最後の別れであろう。
君のために別れの歌を斉唱した。

仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや いくとせ
おもえば いと疾しこのとし月
いまこそ わかれめ いざさらば

互いに むつみし 日ごろの恩
わかるる後にも やよ わするな
身をたて 名をあげ やよはげめよ
いまこそ わかれめ いざさらば

朝ゆう なれにし まなびの窓
ほたるのともし火 つむ白雪
わするる まぞなき ゆくとし月
いまこそ わかれめ いざさらば

ちょっと大袈裟かな?否!否!おれの心境に最も近い歌である。

男の料理

2008-05-12 21:15:17 | 日録
           
「男の料理」と、さもその道の通人のような表題で書き始めたが、筋を取ったあとは、どうしたのかはさっぱり分からない。世の中には「企業秘密」というものもあり、あまり勘ぐりたくない。内部告発すべき問題でもない。
即ち、男のやることは、蕗の筋を取るところ迄である。
蕗料理のレシビを読むと、茹でたり塩もみをして皮をむくと大概はうたっている。
それが小生には納得いかない。
どだい筍であれ、山蕗であれ、茹でてしまいば春の季節の香りは吹っ飛んでしまうだろう。その旬の香りを蕗に求めるのであって、それを茹でて取ってしまったら、あんなもの美味いと言う方がどうかしている。
美味いものを食するには、手が灰汁で黒くなる位は致し方がない。
だから、そこまでは男のやる仕事なのだ。ひとつだけ云いたいことは、茎は手で千切ると細かい筋までとれるので、包丁で刻んでダメ。
ボクはこれまで3回も食した。
そのたび、茎が堅くなっている。もう旬は終わったのかも知れない。美味いものはは小さいうちに一刻も早く処理すべきものであるとオレは思っている。

シルバーカー

2008-05-09 10:32:35 | 日録
          
シルバーカーというのだそうである。
小生が持っている"現代語の解説を最重視"したと銘打った「大辞泉」小学館には、(1995年版)まだ載っていなかった。
[シルバー]の項に、他の語に付いて高齢者の、高齢者のための、の意を表すとあり、「―世代」「―ライフ」「―パス」などの例句を挙げている。
これは近所にお住まいのH子婆さんが、日常愛用する手押し車で、荷台の篭には鍬、鎌、鋏などの農具の他、レタスみたいな野菜が1個積んであった。
畑からの帰り彼女の親戚の家に寄った処である。
たぶん『後期高齢者』の仲間入りは、まだされていない方だと思う。
しかし農家に育った彼女は、昔取った杵柄というのか、まだまだ馬力があるときいている。この重そうな鍬がそれを裏付けしている。

追記:
ハイクブログの山珊瑚さんから次のようなお便りを頂戴しました。勿論ボクも、その背負篭の事を思い出しながらエントリーしたのです。
>昔だったら背負った大きな籠に入っていた筈の物でしょうね。
祖父母が八ヶ岳の麓で農業をしていたので、姉さんかぶりに背負い籠や、背負子を懐かしく思い出しました。<

話によると、背負い篭は、背負って歩いた方が楽なのだそうで、歳をとった婆さんたちは、いまこのシルバーカーを押して歩くように、空っぽ篭でも背負わないと調子が出なかったと聞き及んでいます。
ボクの地方では、「しょい篭」と言っていました。(5/11記)

        
     「想い出の水郷」N・K氏写真集より作品「家路:昭和42年」より転載
     ―ごお本人の転載許可を得ております。
 


こどもの日

2008-05-05 17:23:28 | 日録
朝のテレビからこんな唱歌が流れてきた。
♪屋根より 高い こいのぼり   大きい まごいは お父さん
小さい ひごいは 子供たち   面白そうに 泳いでる

 実は、ボクは偶然にも「教科書から消えた唱歌・童謡」横田憲一 産経新聞刊
を見つけ出して、昔を思い出しながらパラパラページを捲ったばかりだった。
本の掛帯の見出しによると、"「靴が鳴る」「背比べ」「月の砂漠」「めだがの学校」「村の鍛冶屋」「汽車」……かつてはよく子どもたちが口ずさんだあの歌、この歌が教科書にのっていない。日本の歌心を守るため、親から子、孫へと歌い継いでいきたい。"とある。
とうぜん、この歌も文部省唱歌だとばかり思っていた。そして今の教科書にあるとしたら何年生で歌うのだろうと思ったりした。
              
調べてみたら、この唱歌は、
岩波文庫「日本唱歌集 堀内敬三・井上武士編」に次のように載っている。
昭和年代(昭和元年ー昭和20年)
コイノボリ
ヤネ ヨリ タカイ コイノボリ、
 オオキイ マゴイ ハ オトウサン、
  チイサイ ヒゴイ ハ コドモダチ、
   オモシロソウ ニ オヨイデル。
   ―『ヱホンシャウカ(ハルノマキ)』昭和6・12
ボク等が習った「鯉のぼり」もあった。しかしこの頃は太平洋上浪高かった時代で、派手な事をすると、国賊扱いにされた時代なので、鯉のぼりが建てられたかどうか記憶にない。

    鯉のぼり
            文部省唱歌

一 甍の波と雲の波、
   重なる波の中空を、
    橘かおる朝風に、
     高く泳ぐや鯉のぼり。

二 開ける広き其の口に、
   舟をも呑まん様見えて
    ゆたかに振う尾鰭には
     物に動ぜぬ姿あり
三 百瀬の滝を登りなば
   忽ち竜になりぬべき
    わが身に似よや男子と
      空に躍るや鯉のぼり
―『尋常小学唱歌(五)』大2・5

      
 随分難しい漢字が並んでいる。「甍」や「尾鰭」などには当然ルビがあったと思うけれど、ボクは今でも見ないと書けない。三番 「百瀬の滝を登りなば…云々」
子どもたちは分からなくても良いけれど、(バカにしてはいけない。受験生は塾でちゃんと習って知っているかも知れない)それより今のお父さん達のほうが意味わかるかなぁ。

 しかし朝風に高く泳ぐ鯉幟は、村でも滅多に見られなくなってしまった。今後絶滅の恐れありだ。
ハイクブログで四国にお住まいの秋光さんが、
 凪に寝る港野町の鯉幟      秋光
をサイトに披露なされたので、早速
 鯉のぼり屋根より低き時代なり  谷人  
と冗句をお返ししたら、
>『谷人さん、おはようございます。最近では高層マンション用に部屋内に飾る鯉幟もあるそうです。そうそう、風船みたいな物にヘリウムガスが入ったものです。情緒もへったくれもないですよねぇ。(笑)』
という、メッセージを戴いた。感謝。

追記:こどもの日の今朝の朝日新聞は『<こどもの日に―白鳥も君も同じ命なのに> 細く長い首が優雅なハクチョウやコクチョウを、どうして力まかせに殴ってしまったのだろう。
 連休のさなかに流れたニュースに、なんともやりきれない思いがする。』と社説に載せた。これは最近茨城県都水戸市千波湖で起きた事件を扱ったものである。
 全く頷ける社説だったので、丸ごとエントリしておいた。
 それでなくても、土浦市で起きた無差別殺人事件で、イバラッケンが全国に知れ渡ってしまった折でもある。めでたい鯉のぼりの日を勘案して、削除してしまった。
 お許しを乞う次第である。 (5.6日午後記)


仏の顔も…

2008-05-02 21:16:58 | 怒ブログ
        
仏の顔も二度、三度。
いかに穏和で慈悲深い人(たとえば小生のような)でも、たびたび無法を加えられれば、しまいには怒りだす。

★ブラックユーモア★
木更津市が後期高齢者医療制度の保険料徴収の通知書を黒い縁取りのある封筒で発送し、「縁起が悪い」などといった苦情が相次いでいたことが判りました。
木更津市は、今後、封筒のデザインを変えることにしています。

この封筒は、後期高齢者医療制度に基づく保険料徴収の通知書を届けるため、木更津市内の75歳以上の高齢者およそ8100人に宛てて先月10日、木更津市が発送したものです。
封筒は、灰色の紙に、名前などのあて先部分が黒い縁取りで囲まれているデザインで、受け取った人などから「縁起が悪い」などといった苦情が20件以上、寄せられました。
このため、木更津市は、市の広報紙やホームページで「配慮に欠けていた」などと謝罪するとともに、今後は封筒のデザインを変え、この制度に関する文書を送ることにしています。          5.2 NHKニュース