狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

どぶろくを飲む

2009-04-26 06:31:51 | 日録
    

『狸便乱亭ノート』ブログ開設時の辞 複刻

昔(昭和天皇の時代)前田俊彦さんという大人がおられた。
大人は《自分が飲む酒は自分でつくる、わが家でのむ酒はわが家で作るという主張は、人間の自由にとってもっとも根本的な問題提起という、非常に重要な意味をもっている。すくなくとも私は、単なる趣味や道楽としてではなく自由なる人間の尊厳にかけて、酒は自分でつくろうではないかとひろく日本人の全体によびかけたいとおもう。》と叫び続けた。
『瓢鰻亭通信』(ヒューマニティを捩った)を発信、「どぶろくをつくる」をライフワークとしたのである。
前田大人の意をうけて酒造りから「怒ブログ造り」に発想を展開したいのが
『狸便乱亭ノート』である。
サブタイトルの「大宇宙への発信」はチョッと拙かったな…である。
             2005年7月26日(友引)     狸便乱亭主人

時は連休初め。巷は新緑の風。処はどぶろく特区指定地域イバラッケン北茨城市。
山中にある民宿さ、どぶろくを賞味に山歩き仲間と4人で気まぐれの小さな旅。
楽しかったけれど、悔やまれるのは、一番大事なお方(わが町では名の知れたヒューマニストであり、お酒に関しては八釜しい)へのご招待をおろそかにしてしまった事である。氏は温厚なお方であるから、後で市販の吟醸酒でもぶら下げて、謝りに行けば、あっさり簡単赦して戴けると思う。

         

湖畔吟を読む

2009-04-24 10:19:17 | 本・読書
          

中学一年生のとき、国語の教科書で杉村楚人冠を知った。
教材本文は、著書「続湖畔吟」からの採択である。湖畔とは千葉県我孫子市の手賀沼々畔を指すが、楚人冠がこんな身近な処に住んでいたのを知った時は、かなりの衝撃を覚えた。地図を頼りに楚人冠公園周辺を幾度か散策した。近くには杉村家の私邸も現存し、ご家族の住居となされているように承っている。
 この地には、血脇盛之助、嘉納農園跡、武者小路実篤旧居、中勘助、滝井孝作、志賀直哉、バーナードリーチなどの旧居や、旧居跡、沢山の記念碑等を見ることが出来る。
「湖畔吟」は、続、続々篇と三篇からなり、一括して楚人冠全集第五巻に収録されている。大正12年から昭和10年に亘って書き綴ったエッセー集で、当時の我孫子地方の地理の様子や、世情が心ゆくまで伝わってきて、どこを読んでみても飽きない。
 総ルビの平易な文体は、現在でも充分に通用し、高齢者にとっては、まことに最適な読み物というべきだが、残念ながらわが町の図書館の蔵書から楚人冠の著書を捜すのは全く困難になってしまった。


漢詩の恋文

2009-04-12 16:49:30 | 本・読書

花見に行くので、床屋にかかった。パンチパーマをかける先客がいて、オレの番になるのは相当時間がかかる。待つ間、そこに置いてあった「漢詩の作り方講座」なる分厚い本(講義録というのか)を開いてみた。この床屋のご主人は漢詩の刻字を能くするので、勉強の必要があるのであろう。
 うむ。ボクは思わず唸ってしまった。手帳を持っていたので、早速書き入れた。
 扶桑第一梅
 今夜為君開
 欲識花真意
 三更踏月来

 これまで、漢詩は男児の特許品だとばかり思っていた。
 
 これは亀井小琴という女性作の恋文である。
   扶桑第一の梅
   今夜君が為に開かれん
   花の真意を識らんと欲せば
   三更月を踏んで来たれ
と訓読する。帰宅後亀井小琴をネットで検索した。
 雷首という人の作で、『贈小琴女史(しょうきんじょしにおくる)』の返答の漢詩だそうである。

 二八誰家女
 嬋焆真可憐
 君無王上点
 我為出頭天

   二八誰(た)が家の女(じょ)ぞ
   嬋妍(せんけん)真に憐れむ可し
   君に王上の点なくば
   我れ出頭の天とならん

 大意は、あの妙齢(二八は16即ち16歳くらいという意)の女性は、どこの娘だろうか。顔姿のあでやかな美しさは、本当に可憐である。もし、貴女に御主人がいないなら、小生があなたの夫になりますよ、という意。

「王上の点」とは、「王」に点を付けると、「主」になり、「出頭の天」とは、「天」が突き抜けると「夫」になることのダジャレ。

携帯電話の時代、時の大学生の男性諸君、あなたの彼女に試してみたら如何。でもこのナゾを解ける女子大生果たしているのかなぁ。



文庫の館

2009-04-11 18:49:55 | 本・読書
            
友人と言って適切はどうかは知らぬ。年齢から云えばボクの方がうんと先輩だが…、町の行政幹部であるKさんの書庫である。
岩波文庫の創刊いらいの総発行点数が、どのくらいあるのか時々考える。
昭和62年(1987)創刊60年記念出版時の、岩波文庫編集部編「岩波文庫総目録1927(昭和2年7月)~1987(昭和62年6月)の本の帯に、
創刊いらいの岩波文庫―4360点その書誌的情報を余さずもりこんだ《岩波文庫のデーターベース》とあるから、現在では10,000点は超えていないのではないか?(調べればすぐ判ることだろうけれど)。
しかし、この岩波文庫の総点数を揃えることはまず不可能だということを、何かの本で読んだことがある。
しかし、これも友人からの話だが、杉浦明平が、全点を揃えて持っているという話を聞いたことがあるとか何とか。

             
Kさんはそういった意味でいう本のコレクターではないと思う。
Kさんの「購書・読書月録」というエッセーがあるので、その最初の書き出し部分を引用する。
 購書・読書月録
いろいろな機会に書いたり、公言したりしているように、購書=本を買うこと、は私の趣味であり、長年続けている道楽のようなものである。
 もとより本を買うことは、その本を読むことを前提としている訳だし、その都度、自分の必要と好みに応じて買い入れている本の多くを、」出来るだけ効率的に読み上げようと努力していることは確かである。

椎茸工場

2009-04-10 11:35:23 | 日録


花見の帰途、グループ内に地元出身の方がいて、この椎茸栽培所に立ち寄った。
女性が多いので、産直と呼ばれる売店を見て歩くのも一つの愉しみである。
椎茸栽培は、農家が片手間にやるものとばかり思っていたので、初めて見るこの大型椎茸栽培にはびっくりした。栽培ではなく、椎茸製造工場と云った方が適切のような気もした。

言海

2009-04-04 14:33:15 | 本・読書
            
大言海には、昭和57年に冨山房創立95周年記念版として、見出し語を現代仮名遣いに、変体仮名を普通仮名に新改めた「新編大言海」全1冊本と、これより少し前に出版された「新訂大言海」全がある。
また、大言海の親辞書とも言える「言海」は、2004年筑摩学芸文庫として復刻された。辞書が文庫化されたのも驚きだが、この分厚い文庫本は、わが町の書店に購う顧客の現れるのをしばらく待っていたが、(訳1年間位は書棚に1冊おいてあった)今は愛書家の許へ収まったようだ。

内容(「BOOK」データベースより)
近代的なスタイルの国語辞典の第1号『言海』は、「読める辞書」としても絶大なる人気を誇ってきた。語釈には「堂々めぐり」がほとんどなく、意味の本質に迫るキリッとした名文づくし。とりわけ動物・植物・鉱物などの語釈がシブい。ユーモアすら漂う。明治時代の俗語もまじり、方言などの注記もある。用例も豊富で、古典のアンソロジーのような一面も。巻頭の「語法指南」は日本最初の近代的な文法書として愛用された。明治のことばの辞典として、また古語辞典としても役に立つ。国語辞典として使うための詳しい解説つき。縮刷版(明治37年)の内容をそのままの大きさで覆製。

巻頭「言海」の題字の後にある、次の「御達」も復刻されたかどうかは、立ち読みしていて気がつかなかった。

宮内大臣ヨリ編者ヘノ御達
日本辞書 言海 四部
右今般編輯ノ趣ヲ以テ
天皇陛下
皇太后陛下
皇后陛下
皇太子殿下ヘ献上被致候ニ付夫々
御前へ差上候右ハ斯道ニ裨益不少
善良ノ辞書ニシテ精励編輯ノ段
御満足ニ被思召候此段申入候也
明治二十四年七月二十三日
      宮内大臣子爵 土方久元

旬の筍

2009-04-02 18:17:07 | 日録
          
筍の旬である。「大言海」の講釈に入る前、「旬」をこの辞書で牽いてみよう。

志ュん(名)旬 [字ノ漢音、物ノ初ノ意カト云フ](一)古へ、禁中ノ公事ノ称。夏ト、冬トニアリ、夏ナルヲ、孟夏(マウカ)の旬ト云フ、夏ノ時候ノ改マル初ニ、臣下ニ御酒(ミキ)ヲ賜ヒ、政ヲ聞召ス義ナリトゾ、扇ヲ給フ。冬ナルモ、同ジコトニテ、孟冬の旬ト云ヒ、氷魚(ヒヲ)ヲ賜フ、合ハセテ、二孟ノ旬ト云ヘリ。其他、内裏新営ノ後、始メテ南殿ニテ行ハルルヲ、新所の旬と云ヒ、即位ノ後、始メテ政ニ臨ミ給フヲ、万機の旬ト云ヒ、十一月一日、冬至ニ当タル年ニ行ハルルヲ、朔旦の旬ト云フトゾ。
(参考出展例句略)←かなり長文の記載あり。
(二)二孟ノ旬ノ物ハ、扇、氷魚ナル意ヨリ転ジテ、果、蔬ナド、スベテ、食物ノ成熟シテ、恰モ食フベキ時ノ称。「旬ノ筍」
(三)又、」転ジテ、物事ニ、其時ニ至リ、其度ニ相応スルコト。

添付写真は小生の本家の竹山から掘ってきたものである。日付けを証明するため、
当日(2009年4月1日)の朝日新聞を証人台に立たせて頂いた。