狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

新聞記事から

2009-02-17 21:29:30 | 怒ブログ
           
ましま氏「反戦塾」の塾長塾話に、
《「偉い!!。村上春樹さんが戦時下のイスラエルで反戦演説をした。国際会議場でヨイヨイの醜態をさらす国辱大臣がいる一方、こんな立派な日本人もいる。結婚式に招待され、新郎新婦の悪口をいうどころではない勇気のいることだ。感激のあまり、当塾としてはめったにしない全文を(YOMIURI ON-LINE)から引用する。」》という記事があった。
 ボクはその新聞記事を見落としていた。慌てて昨日の〝朝日〟を引っ張りだして拡げたが何処にも見つからない。それもその筈、今日の朝刊社会面に、僅か14行の見落として然るべき見出しと内容しか出ていなかったのだ。
 午後、健康診断に町のかかりつけ医院に妻を連れて行き、待合室の「スポニチ」でこのことを再確認した。
 中川大臣は雅子さまのゴシップ記事を凌駕したが、村上反戦講演記事は小さかった。
 それにしても、恥も外聞もない日本政治家には、オレですら、「怒るというより笑っちゃうくらい、ただあきれる」ばかりである。 
 新聞を捜していて、
『秀歌連発のホームレス歌人へ「連絡とれませんか」』を見つけた。全文引用する。

朝日歌壇に「ホームレス・公田耕一」と名乗る歌人が現れた。昨年末以来ほぼ毎週入選を重ねている。経歴も年齢も不明だが、投稿数に比例して“気になる存在”度は高まるばかりだ。
 初投稿で初入選したのは08年12月8日掲載の
〈(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ〉。
冒頭は、ダリの時計の絵を連想させる。

 4人の選者のうち佐佐木幸綱、永田和宏両氏が「真に迫る、知的な歌」と注目した。投稿には「住所明記」の規定があるが、「住所という存在証明を持たないホームレスという立場は実際にある。排除すべきではない」と、選者の考えが一致した。住所表記は(ホームレス)にすることになった。
 入選歌は12月22日掲載の
〈鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄(す)てたのか〉、
1月5日は
〈パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる〉ほか一首。
19 日
〈日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る〉。
26日の
〈親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす〉は3氏が選んだ。

 投稿はがきの消印は「横浜」。本日付の歌壇欄に掲載の歌には、寿町や長者町の地名が詠まれている。
 選外の作品からも人物の輪郭が見えてくる。
〈ホームレス襲撃事件と派遣村並ぶ紙面に缶珈琲(コーヒー)零(こぼ)す〉や〈美しき星座の下眠りゆくグレコの唄(うた)を聴くは幻〉。

野宿の日もあるのか。今の境涯に対する自嘲(じちょう)も見える。
〈百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞〉。

朝日歌壇は原則、月曜朝刊掲載。カップ麺(めん)を我慢しても歌を取る姿が浮かぶ。歌壇係には、ホームレス歌人を思う歌や、「短歌を拠(よりどころ)に生きぬいて」などの励ましが寄せられているが、(ホームレス)では、これらの厚意を届けることができない。

 公田さん、何とか連絡がとれませんか。あなたが手にすべき入選一首につきはがき10枚の“投稿謝礼”も宙に浮いているのです。(河合真帆)


昨年

2009-02-14 21:02:12 | 日録


まことに変な陽気である。
《水戸や土浦で24度超:各地2月の最高気温更新》
県内は14日、14観測地点で2月の最高気温を更新するなど、軒並み6月上旬の暖かさだった。
水戸地方気象台によると、
最高気温は
   つくば 24.5
   竜ヶ崎 24.4
   水戸市 24.3
   鉾田  24.2
   土浦  24.1など。
 15日の最高気温は16~17℃の見込み。引き続き晴天で、行楽日和だという。
(朝日新聞15日付地方版)

「引き続き晴天」だけは外れたが、曇天無風状態の日曜の午前である。
一体去年はどうだったのだろうと、去年の日記をひっくり返して見た。

二月十四日(木)
 今朝は殊の外寒かりき。庭の植え込みの下に、蹴飛ばすには勿体ないような、霜柱ができていた。近来にない凄ごい立ちようである。
 Tさんより座禅会に行ってきた事と、朝詣り仲間N氏の母堂逝去の新聞記事があったとのメールあり。オレは風邪で座禅は欠席した。
 Iさんが、老人養護施設に入所中のOさんに、N氏家の葬儀のことを知らせてきたとお立ち寄りになる。OさんはN氏とは特別に関係深かった間柄だったからである。すぐ帰るというのを、無理矢理部屋に上がって貰ってお茶をやっていたら、今度は町議Fさんがお出でになる。
 途中でIさんは帰られたが、Fさん1時を過ぎてもなかなか腰を上げてくれなかった。来月は町議改選があり、勿論立候補なされる筈。
今日は、午後町から委嘱されている「□□委員会」開催なる由、Fさんもその1員である。一緒に行こうと、用件ををかつけに、選挙運動方々お誘いにお寄りになって下さったのだと思うけれど、オレは「委員会」のあることを、すっかり忘却していた。またノロウイルスらしき症状で悩まされている最中である。
風邪で行けないから、宜しくたのみたいとの言伝をFさんに託した。
 県民共済保険の集金に班長さんお出でになる。一人900円。2,700支払う。
 Fさんゆっくりしていったので昼飯遅くなる。そばを茹でて食べた。
 今日も終日西風強し。腰の当たりがスースーしていたが、就寝後、足首冷えて眠れず、夜中に靴下を穿いて床に這入った。

二月十五日(金)
 今朝も寒かりき。されど風だけは収まり、昨日や一昨日の寒さとは比較にならぬ穏やかな日和となる。朝食終え、妻が自衛隊の隊伍が行く風景を見つけて、オレに知らせにきた。急いでカメラを持ってきて出てみたが、間に合わなかった。諦めていたら、やや間隔をおいて、12~3名の小隊が数分間隔で次々にやってきて、国道を東に向かって移動した。どこから来たのかはよく分からないが、防衛省技研入り口のところに、軍用(?)トラックが止まっていた。カメラに収め、ブログにのせる。自動小銃を手にして、規律はなくでれでれと歩いていった。小学生の遠足みたいだった。
午後街に用足しに出て、 帰途国道に出る坂道を下りて来たら、演習帰りの自衛隊の部隊が、砂利置き場付近と、国道のやゝ空き地が広くなっている処に屯(たむろ)していた。停まってカメラを向けたら、あまりのだらしない光景だったので、咎められはしまいかと撮しそびれた。コンテストものの作品が出来たと思う。惜しい事をした。

 下痢は止まったので、夜10時近くまでパソコン室にこもった。
夜半、昨日同様足首冷たく目を覚ます。まだ12時前だった。小便を垂れ、靴下を穿いてまた寝た。

女学生と管弦楽

2009-02-11 21:48:47 | 日録
《うむ。この写真は、小生が撮ったものではありません。
社会福祉協議会H.P障害児(者)「なかよし広場」の研修視察「川越菓子屋横町」でのスナップ写真からクローズアップしました。》

ボクは、ワルトトィフェル ワルツ「女学生」の曲が好きだ。
カセットテープ(←オレも車も旧式なので、今でも使っている。)を、時々聴きながら走っている。
実に爽やかな明るい管弦楽である。
しかし今の女学生(女子高校生)<←こういう言い方はあまり好きでないが…。>の姿から、このワルツのイメージが涌いてこないのは何故だろう。
「管弦楽」と言えば、
ジャジャ、ジャーン。指揮棒を奮うのは見覚えのあるライオン髪スタイルだ!!。
 
小泉純一郎元首相は十二日夕、自民党本部での郵政民営化推進派議員の会合であいさつし、麻生太郎首相の郵政民営化をめぐる発言について「怒るというよりも笑っちゃうくらい、ただただ、あきれている」と不快感を表明。「政治で一番大事なのは信頼。首相の発言に信頼がなければ選挙戦は戦えない」と、厳しい麻生政権批判を展開した。 

 小泉氏は、二兆円の定額給付金の財源を確保する二〇〇八年度第二次補正予算関連法案について「三分の二を使ってでも成立させなければならない法案だとは思っていない」と、衆院での再可決を行うべきではないとの考えを示した。(東京新聞引用)



埋蔵金

2009-02-09 18:29:38 | 怒ブログ
             


ムカシ ムカシ、アル所 ニ、オヂイサン ガ アリマシタ。
犬 ヲ 一ピキ カッテ、大ソウ カハイガッテ ヰマシタ。
アル日、犬 ガ、ハタケ ノ スミ デ、 
「ココ ホレ、ワンワン。」
ト ナキマシタ。
オヂイサン ガ、ソコ ヲ ホッテミマスト、土 ノ 中 カラ、オカネ ヤ タカラモノ ガ、タクサン 出マシタ。

トナリ ノ オヂイサンハ、 ヨク ノ フカイ 人 デシタ。コノ ハナシ ヲ
キイテ、犬 ヲ カリ ニ 来マシタ。
サウシテ、ムリ ニ 犬 ヲ ナカセテ、ハタケ ヲ ホッテ ミマシタ ガ、
キタナイ モノ バカリ 出マシタ。
オヂイサン ハ、オコッテ 犬 ヲ コロシテ シマヒマシタ。
犬 ヲ カワイガッテ ヰタ オヂイサン ハ 、大ソウ カナシミマシタ。サウシテ、犬 ノ オハカ ヲ ツクッテ、ソコ ヘ、小サナ 松 ヲ、一ポン ウヱマシタ。

松ハ、ズンズン 大キク ナリマシタ。オヂイサン ハ、ソノ 松 ノ 木デ、ウス ヲ コシラヘマシタ。ソレ デ 米 ヲ ツク ト、オカネ ヤ タカラモノ ガ、タクサン 出マシタ。

   
 これは、文部省『《名称変更「→文部科学省」》←パソコンが勝手に嗤っている』小学国語読本:尋常科用巻2(小学1年生後期用)にある、「花サカヂヂイ」の一節である。
 花サカヂヂイさんは、日頃の心の優しさが実って、埋蔵金を掘り当てた美談なのだが、最近はすっかり世相が変わった。心の良い人でも、良くない人でも、お金持ちでも、貧乏な人でも『霞ヶ関に埋めてあった埋蔵金』が平等にいただける制度だ。
 ボクも2人合わせると加算金も付くらしいから相当纏まった金額になる。正直云って複雑な気分で日々を送っている。(民主党に献金する気には到底なれない)

  

埋蔵箱

2009-02-05 21:52:18 | 怒ブログ
            

所用があって、町内のYさん宅を訪問した。
所用といっても俳句会の月例会報を届けるだけである。丁度Yさんは、庭先の建て替えたばかりの車庫前で、何か片付けごとをやっていた。会報を渡して、すぐ帰ろうとしたら、
「物置の中から出てきたものなんだけど…。」と相談を持ちかけられた。
「埋蔵金?」
「そんなもの有るはずがないわ。」
 拝見すると、埃の集った昔の茶箱である。
 開けてみると、古い新聞紙に包んだ漆塗りのお椀のセットが詰まっていた。
「主人は早く棄ててしまえというのですが、勿体なくて…。でもどうしようもないし。誰か貰ってくれる人はないでしょうか?」
 昔は、(約半世紀近く前のことだろうなあ。)冠婚葬祭は、みな自宅でやったから、こういう漆器やお膳が何組もセットになっていて、組合や個人の所持品として土蔵のある家に保管して置いて貰ったものである。漆器の裏にY家の屋号が記されていたから、個人の所有物である。Yさん宅はおそらく大尽どんだったのだろう。 茶箱(お茶を作る農家も大尽どんに限られていた。)がしっかりしていたから、塗りは全く剥げたところはなく、まだ新しかった。
「埋蔵金」や仏像が盗まれる世の中なんだから、盗んでくれる人がいないかなぁと二人で笑ってしまった。

 古新聞は、沖縄返還交渉佐藤首相訪米の読売新聞だった。だから、入ったいたのは1971(昭和46年)頃の世相である。
 この時の交渉で、沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用四百万ドル(当時の換算で約十億円)を、日本が肩代わりする密約があったとされている。
 当時の十億円は現在の兆単位の金額になるのではないだろうか。密約とは公開されないことが原則であるから、この費用も埋蔵金で支払われたものではないだろうかとふと思った。