狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

梅酒考

2006-05-31 21:49:59 | 日録

 梅酒の季節が今年もまた巡ってきた。拙宅の上様(カミさまとルビを振ってください)をのろける積もりではないが、彼女は毎年何升かの梅酒を漬け込む。城主である小生はこれには全く目もくれないし、勿論彼女はアルコールと聴いただけで目を回すくらいの超下戸であるから、写真のように歴史的梅酒が存在するのである。

 現在の住まえを建て替える時、何所からか出てきた梅酒である。随分他所さまへも差し上げたがまだまだウンと残っている。 新聞紙に包んで製造年月日が記してあるのが貴重な存在だ。

 ここに写っている最古のものは51.5.7と読める。
 昔は焼酎に「梅の香の甘味料」で割った「梅割り」というヤツを駅前の屋台なんかで飲んだものだが、いま屋台なんてきいた事がないねえ。

 今年は雪が降った所為なのか梅が何処でも此処でも大当たりの年らしい。わが家でも他所から頂かなくとも、2~3升梅酒を漬け込む量は充分にあるようだ。

 そろそろ上様その騒ぎが始る頃だろう。
 さてさてわが夫婦はこれからの人生、一体幾つまであると思っているのだろう。墓相なども考えなければならないのだが…。

 


上様のお供で

2006-05-30 21:40:50 | 日録

ウチの上様、朝からご機嫌斜めなり。目を覚まし、壁に掛かっているカレンダーを見るに、眼鏡をかけても全く見えないというのだ。

近くにある大學病院は、眼科にかけてはこの地方では、人口膾炙の誉高いのだが、兎に角混む。駐車場へ行くだけでも、とんでもない遠くの方に回される。
 そしてよい医者に出会いば幸いだが、これでも医者なんだっぺか?と思う若いアンちゃん(学生?)医師が診る可能性もあるので、掛かりつけ医師の紹介状が必要となる。そうなると今日1日オレもオシャカになってしまう…。

 そういう理由から、とりあえず掛かり付けであるT市の町医者に行ってみた。
 午後手術があるので外来診察は午前中のみとの貼り紙があった。しかしそれほど混み合っていなかったので助かった。

 待合室で上様の診察を待っている間、持って行った角川文庫「堕落論」坂口安吾を居眠りしながら読んだ。
Lさんがブログで引用した項はすぐ見つかった。

「続堕落論」である。
Lさんは、
「…朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」の2行しか引用していないので、ボクがもう少し引用を延ばしてみたい。

>我ら国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形のごとくにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終わることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分といい、また天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。

 
 坂口安吾の本は、若いとき太宰治や織田作之助とともに随分読んだと思っていたが、長い間ご無沙汰して、読み返して見ると、今の時代にピッタリの書だ。
 特にこの「堕落論」は良い。そしてさらに読みやすい平易は文体だ。

 新ためて読み返して見たいと思う1冊である。


 


ゼロ戦

2006-05-29 21:10:34 | 怒ブログ

 

この写真は、ご存知靖国神社遊就館入り口のホールに展示の〝ゼロ戦〟である。
 蛇足になるが、正式な名称は『零式艦上戦闘機』。排気管の出具合などから見て、いろいろ型式ある中の最も最新型式の52型だろうと思う。

<ゼロせん【零戦】零式艦上戦闘機の通称。太平洋戦争当時、日本海軍の主力戦闘機。堀越二郎設計>=広辞苑

 日本では陸軍と海軍ではあらゆる面で、システムが違っていた。例えば飛行機の符号名称についてでも、海軍の方が整然と分類されていたが、陸軍では飛行機は「キ」、発動機は「ハ」の通し番号で分類されていただけのようである。

 

 


過去は過去

2006-05-28 22:25:34 | 怒ブログ

 二十七日に八十八歳の誕生日を迎えた中曽根康弘元首相の米寿を祝う集いが二十六日、都内のホテルで開かれ、全斗瑍元韓国大統領や森喜朗元首相、石原慎太郎都知事ら約六百人が集まった。中曽根氏は

過去は過去 きょうは米寿の衣替え

などの俳句を披露し、衰えぬ政治活動への意欲を現した。
また中曽根氏は安全保障政策に関連し「日米関係がいつまでも良好な状態なのか。非核三原則が、核抑止力を米国に依存する日本の防衛体制を半永久的に運命付けたが、これがどんな状況で変化するのか、考慮すべき時期に入った」と指摘した。
                (5.27産経新聞総合面コラム)

万世一系のあやめ

2006-05-28 12:12:13 | 怒ブログ

 今日は午後1時より俳句会なり。
兼題は「あやめ」1句 当期雑詠4句計5句。 
※兼題とは(兼日題の略)歌会・句会などを催すとき、あらかじめ出しておく題、またその題で詠んでおく歌・句など。=広辞苑

新聞の俳句投稿欄を見ると、その殆んどが旧仮名遣ひを踏襲しているやうですが、
ウチの俳句会はで、めいめい文語、口語、新旧仮名遣ひ自由勝手主義です。

 山門に万世一系あやめ咲く

 眼前に展ける山は笑ひたり

 実感のなき好景気梅当たる

 象徴は窓なる小さき鯉幟

 春愁や募金盗られし思ひなり

 玉評を頂戴できましたら幸甚の至りです。昨日書きかけの「堕落論」は今晩書き足します。


堕落論

2006-05-27 21:48:04 | 怒ブログ
 半年のうちに世相は変わった。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかえりみはせじ。若者たちは花と散ったが、同じ彼らが生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがわじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女たちも半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ。    坂口安吾「堕落論」より

すぐ近くに居を構えるボクの義兄は「サンケイ新聞」を取って(購読して)いる。
理由は購読料が他の新聞と比べ安い理由による。年金生活だけでは、新聞と云えども家計に与える影響は甚大であることはいうまでもない。

ボクだって年金生活の悲哀はいやというほど味合わされている。しかしまだ朝日新聞から、産経や東京新聞には踏み切れないのが実情だ。両紙の購読はあまりにも負担が多すぎる。家内はどうしても朝日だという。「折々のうた」や、以前「花折々」を切り抜いていたからである。

産経と朝日の喧嘩は面白いといえばそれに違いない。ボク自信「産経新聞」見たさに義兄宅に行くこともあるし、「つくる教科書」問題が論議された頃には随分切り抜きをさせてもらった。
今日また昨日の産経(総合版)を頂いてきた。
      ***********

安倍氏  自主憲法の制定必要
麻生氏  教育勅語徳目を肯定
 教育法特別委  持論を展開
安倍晋三官房長官は二十六日の衆院教育基本法特別委員会で「個人としての感想」と断わったうえで
持論を展開。憲法改正の必要性を力説した。麻生太郎外相も、明治天皇の名で国民道徳や国民教育の理念を明示した教育勅語に関して自説を披露した。

安倍氏は「私はもともと改憲論者だ。それには三つの理由がある」と指摘。「一つは憲法の制定過程。占領下に(連合国軍総司令部の左派グループの)若きニューディーラーを中心に原案がつくられた。そして制定から60年近くたって、現状と必ずしも合っていないところがある。三つめはやはり、私たち自身の手で憲法を変え、時代を切り開く精神こそが新しい時代をつくっていくからだ」と訴えた。
 また、「自民党も(昭和三十年の)結党の精神は、占領体制化でつくられた枠組みである憲法や教育基本法は、自分たちでつくっていこうと掲げていた。しかし、これが後回しにされてきた。しっかりとした決意を持って教育基本法改正に臨んでいる」と強調した。

麻生氏は「教育勅語は私の世代にはもうなかった」と断わりながらも「朕思(本文は旧字)フニ…」で始る教育勅語をそらんじてみせた。「お父さん、お母さんに孝行しなさい、兄弟、夫婦は仲良くしなさいと当たり前の事が書いてある。ここまでは全然おかしくない」と指摘した上で「『天壌無窮(テンジョウムキュウ=永遠に続くこと)ノ皇運(コウウン=皇室の運)ヲ扶翼(フヨク=助けること)スヘシ』と書いてあるのが引っかかる。『国運』ならばよかった。しかし、戦争に突入したこととの関係はなかなか見いだせない」と解説した。5.27付産経新聞(総合)


閉ざされた校門

2006-05-26 21:34:28 | 怒ブログ


最近パトロール中と書いたシールを貼った軽乗用車・軽トラが目立つようになった。また近くにある小学校の正門も裏門も、南側や西側からの校庭への出入口はすべて頑丈な鉄のゲートで閉めきられ、鎖で施錠されてある。
世情に疎い私は最初なんだっぺと思っていたが、説明されるまでもなく、その理由はテレビや新聞のニュースで解した。

  酒顛童子?

2006-05-25 21:31:51 | 怒ブログ

>国会議員らが国政の調査活動のために使う目的で税金から支出されている「国政調査活動費」のうち、衆院で02、03年度の2年間で総額約1億円が懇談名目などで議員らの飲食代に支出され、その約半額が高級料亭やスナックなどでの酒食に使われていたことが、朝日新聞の情報公開請求で明らかになった。

現行の情報公開法では、対象を行政機関に限定しているため、国会は対象外になっている。朝日新聞は会計検査院に対し、衆院から提出を受けた支出関連の書類を情報公開請求した。国政調査活動費の使途がまとまった形で明らかになったのは初めて。(朝日新聞)

記事関連で掲載の写真、料亭からの請求書の写しを読み取ると次のようになる。
 お料理代       5   55,000    275,000
  冷酒         5    2,000      10,000
  焼酎         1    8,000      8,000
 ミネラルウォーター 2    1,000       2,000
日本酒          8    2,000      16,000
ひれ酒        20    2,000      4,000
 ビール         6    1,200      7,200
 小計                      358,200
サービス料      20%           71,640
消費税                      21,492
三月十一日 副議長等と懇談  (議長)と添え書きがある。

社会面には   豪遊、払いは衆議院 
  銀座で高級ワイン/赤坂の料亭でひれ酒
      料亭に45万円、スナックに14万円――の見出しで

請求書の住所をたどって調べたという、
04年2月、政党国対関係者と情報交換会 111,300円
02年11月、議運理事会と懇談        100,800円
02年7月、 参院議長等と懇談        610,000円
3例の人数や請求内容が書かれてあり、前記請求書については、
「かつては慣行だった」などとする駒崎事務総長の1問1答も載っている。
 
 さて写真にある請求書の料理代の1人あたり55,000円也にも魂消たが、
「おねいさんやコンパニオン、芸者や番頭さんを呼んだとき、請求書にそんなこと書けないから料理代に上乗せしたこともある」
 権威に見合った支出として…前事務総長の答えを読めば、まあ仕方がない、正直でいいだろうとは思う。

 政治とはこんなものだと思っているし、随分過去の話で、すっぱ抜いたソースが朝日新聞となるとこれまた信頼度も薄れてくるから、べつに腹も立たないけれど、議員諸公の日本酒に対する知識があまりにもお粗末なのには呆れている。

 冷酒、日本酒、ひれ酒、焼酎そしてミネラルウォーター???
酒に強い人が揃っていたから…と前事務総長は言うけれど、一体この4種類の酒と水とを呑み比べしたのだろうか。下品な成金趣味である。
 酒呑みの風上にも置けない。

「礼を正し労をいとわず、憂をさけ、鬱をひらき気をめぐらし、病をさけ毒を解し、人と親しみ縁をむすび人寿を延ぶ 」のが酒であり、酒呑みの最低のマナーであると思うのだが。喝!

写真「“亀の尾〟来福」について書く積もりだったが、酒顛童子の如き議員たちの振る舞いに驚き、話がそれてしまった。 これは後日にする。
 


愛国

2006-05-24 21:45:11 | 反戦基地

代表的な東京大空襲の被害データ/警視庁調べ 
                                                              出典:『東京大空襲』
                 主要地区       投下焼夷弾        死傷者       被害家屋             罹災者
昭20.3.10    城東地区        48,194         124,711        268,358        1,008,005
4.13/14     現千代田他、       4,553          135      160,539        547,690
4.15           城南地区          4,856             124        55,151        224,367
5.24       都内、全域         74,617         2,096        64,155         213,120 
5.25              同上              多数           5,31       157,039         624,271


 60年前の今日、アメリカは首都東京に最後の止めを刺すべく大規模な空襲を行った。東京方面の空が真っ赤なのが、地図上では約5~60キロ離れている我が家からも遠望できた。多数の紙の燃えかすや灰も飛んできた。

 昭和 20年3月10日以来の被害数字の単純計算では、
        投下された焼夷弾は、132,220、    
              死傷者   127,597、    
              罹災者  2,617,452 に上る。
 その実態を経験した人は年々少なくなる。勿論国会議員に中にはいない。
 天皇陛下に おかれては、安全な所に疎開されていて、東京にお戻りになったのはいつ頃であるか庶民の知るところではなかった。

  荷風散人日録を捲ると、昭和16年12月8日は、開戦のことに関しては「日米開戦の号外が出づ」のみの記述である。
 その後、おりにふれ、風聞録、巷の噂、町の噂、街談録、流言録、噂のききがき、冗談剰語が挿入されているが、特に流言、街談録は18年~19年に集中している。
荷風散人65歳前後。
昭和18年6月初1。晴。電車7餞のところ拾銭に値上げとなる。また酒肆及び割烹店にて酒を売ることこれまでは夕方5時よりなりしがこの日より夕方6時に改められしといふ。
[欄外朱書] 6月1日より電車値上げとなる。  

    街談録
 頃日南洋において山本大将の戦死、つづいて北海の孤島に上陸せし日本兵士の全滅に関して、一部の愛国者はこれ即楠公が遺訓を実践せしものとなせり。これに反して他の憂国者の言ふところをきくに戦死の一事がもし楠公の遺訓なりとせば吾人はむしろ楠公戦死の弊害を論ぜざるべからずとなせり。
 
※筆者註 「北海の孤島云々」はアッツ等「玉砕」を謂う。
横光利一は18年7月号「改造」の〝アッツ島を憶ふ〟で次のように述べている。

<…自分の国を賞することを自己讃美といふ。私もそのやうなことに気付かぬわけではないが、私も自己讃美せざるを得ない。病院船を襲ふアメリカでさへ、「アッツ島には日本人の捕虜が一人もゐなかった。これは世界戦史上かつてなかったことである。」と報じてゐる。敵国でさへ感動する心、かういふ精神の美しさは弾丸にも篭るのは自然であろう。>

  楠公の事跡は建武年間の歴史を公平に冷静に研究したる後始めてその勲功を定むべきなり。楠公と新田義貞とを比較し1を忠臣の第一となし1を尋常平凡の武士となすは決して公平の論にあらず。
これあたかも日魯戦争において東郷大将の勲功を第1となし上村中将をその第2位に置くが如きものなり。

凡そ一国の興亡は一時の勝敗と1将帥の生死によりて定まるものに非ず。戦敗れて1将軍の死するはその人の自暴自棄に基づくものにして1個人の満足に外ならず。自己の名誉とその1刹那の感情のための多数なる無辜の兵卒を犠牲にして顧みざるは、利己主義の甚だしきものといはざるべからず。

  かつて福沢先生が楠公の敗死を持って1愚夫が主人より託せられし財布を失ひ申し訳なしとて縊首せしものに譬えたりしは、今日においてその比喩のいよいよ妙なるを知るに足るべし。云々。

昭和18年7月初5.晴。午後土州橋注射。  
    冗談剰語
1 東京市を東京都と改称する由。何のためなるや。その意を得がたし。京都の東とか西とかいふやうに聞えて滑稽なり。

1 日本人は忠孝及貞操の道は日本にのみありて西洋になしと思へるが如し。人倫5常の道は西洋にもあるなり。但しやや異るところを尋れば日本にては寒暖の挨拶の如く何事につけても忠孝々々と口うるさく聞えよがしに言ひはやす事なり。また怨みありて人を陥れんとする時には忠孝を道具につかひその人を不忠者と呼びかけて私行を訐くことなり。忠孝呼ばはりは関所の手形の如し。これなくては世渡りはなりがたし。

1 日本人の口にする愛国は田舎者のお国自慢に異らず。その短所欠点はゆめゆめ口外すまじきことなり。歯の浮くような世辞を言ふべし。
 
腹にもない世辞を言へば見す見す嘘八百と知れても軽薄なりと謗るものはなし。この国に生まれしからは嘘でかためて決して真情を吐露すべからず。富士の山は世界に二ツとない霊山。二百十日は神風の吹く日。桜の花は散るから奇妙ぢゃ。楠と西郷はゑらいゑらいとさへ言って置けば間違はなし。押しも押されもせぬ愛国者なり。

1 隣の子供の垣を破りておのれが庭の柿を盗めば不届千万と言ひながら、おのれが家の者人の無花果を食ふを知りても更に咎めず。日本人の正義人道呼ばはりはまづこの辺と心得置くべし。

1 近頃の流行言葉大東亜とは何のことなるや。極東の替言葉なるべし。支那印度赤道下の群島は大の字をつけずとも広ければ小ならざること言はずと知れたはなしなり。Greatest in the world などと何事にも大々の大の字をつけたがるは北米人の癖なり。今時北米人の真似をするとは滑稽笑止の沙汰なるべし。

        *********  
 児童生徒の「愛国心」をいかに評価するのか。24日の教育基本法改正に関する国会審議では「評価なんか必要ない」とする小泉首相と、「総合的な評価」を主張する小坂文部科学相の答弁が食い違った。
 実質審議入りしたこの日、首相は民主党案にも言及しつつ自らの教育論を自在に語ったが、政府案へのこだわりの薄さも浮かび上がった。
 「こういうことで小学生を評価するのは難しい。あえてこういう項目を持たなくていい」  小泉首相はこの日の答弁で、福岡市内の小学校で使われた「愛国心」をランク付けする通知票に違和感をあらわにした。 (朝日新聞)

 


エベレスト征服記録

2006-05-23 22:17:24 | 日録

朝NHKテレビで、世界最高齢でエベレスト登頂に成功した神奈川県の荒山孝郎さん(70)が22日、無事下山したことを伝えてきた。

その映像写真は、髭もじゃもじゃの貌だったけれど、インタービューに応える声は、若者同様であった。世界最高齢者であることを実証するには充分な姿だった。

ボクは登山などということとは全く無縁の世界で生活をしてきた。だがその充実した「世界最高齢」のエベレスト征服者の姿が映し出されるニュースをみると、
「オレもまだまだ大丈夫だ!」と発奮したくなった。

必然的に、わがメル友Tさんを対比してしまったのである。Tさんは69歳。今年劒岳はじめ日本アルプスの山々を殆ど征服した。日本アルプスとエベレストではチョッとばかり桁が違うだろうけれど、おのれを励ます積もりで今朝メールを送った。

Oは酔うございます。
 来年、エベレスト登頂成功すれは、貴T青年〝ギネスBOOK〟にのっかる!!   夢ではないぞ!。。。美女を長めて、若さを!!!!!!》

写真集『宮沢りえ 篠山紀信Santa Fe』の新聞紙1ページ大の平成3104日付朝日新聞の広告の写真を添付した。

返信には「今眼科医から帰ってきたところなので良く見えた。」とあった。

 


片岡に露みちて

2006-05-22 22:07:13 | 怒ブログ

戦争が天皇陛下のご聖断で終わり、われわれは
また英語の勉強を始めました。教科書は何と説明したらいいのがなァ…、藁半紙を折りたたんだ一枚の紙切れでした。
サンモンに上田敏の「片岡に露みちて…」名訳がありました。

God's in his heaven all's right with the world.

The year's at the spring,
And day's at the morn;
Morning's at seven,
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven
All's right with the world!

時は春
日は朝(あした)
朝は七時
片岡に露みちて
揚雲雀なのりいで
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ
神 そらに知ろしめす
すべて世はこともなし

アサヒ読本

2006-05-21 22:28:53 | 日録
昭和16年(1941)3月1日、国民学校が交付せられ、70年の歴史を持つ小学校名は廃されて、国民学校の呼び名が誕生した。4月1日よりその初等科1・2年生用教科書が使用されることになり、第5期国定教科書の時代に入る。
*********
(この項5月22日追記)昭和45年ごろ本屋の店頭に並べてあった復刻「小学国語読本」巻1と巻6の2冊を見つけて買ったのを今なお所持している。
年代はその奥付から判断した数値である。一冊180円であった。そのとき全巻本屋に予約しておいたが、そのまま立ち消えになってしまって、いまこの2冊が手元に残っているだけである。
 貸した本は戻らないのは常識で、貸すときはそれを承知で貸すのだが、巻1はとうとうそのままになって紛失してしまうのが諦めきれず、2回ほど催促してやっと返してもらった。

 表紙に醤油をこぼした跡が大きく付いてしまっていた。あの不快さが今なお忘れられない。

 その後平成になってから古書店で保存用布装帙(ちつ)入り全巻12冊を購入した。「文部省 小学国語読本 (国定第四期・昭和期・通称サクラ読本)全12巻)」(秋元書房)である。
 
 この秩内奥付には前記2冊と同じ昭和45年4月10日印刷、同年4月15日発行と一致した日付であるが、前者は良質の用紙を使い、巻末の奥付に復刻出版社名秋元書房が印刷されてあるのに対し、後者は表紙、奥付、活字、さし絵、本文用紙、表紙の用紙、製本様式まで、当時のままの復元である。

 これは破格値段であった。しかし帰宅して中身を調べてみたら巻9が2冊入っていて巻10が欠本である。偶然ボク自身が小学生時分に使った、表紙のとれてしまっている本物の巻10を持っていたので、一応は全巻揃っていることになった。

 過日反戦老年委員会ブログに、
>昭和18年発行国定国語教科書「初等科国語・八」に、「修行者と羅刹」という、いろは歌の由来を書いたものがある。筋書きを簡単に紹介すると…。 とあるのを見て、ボクは直ちにその内容を察知できた。
 当時の教科書の挿絵まで覚えていた。しかし巻八と言うのがどうも解せなかった。

 そのブログの書き手である、ましまさんのプロフェイル欄を拝見し、よく考えてみたら、氏よりボクの方がわずかばかり歳嵩が大きかったのである。その僅かな差の年月の間に、日本も教科書も大きく変遷することになったのだった。

 昭和16年「国民学校令」により初等教育も臨戦態勢下におかれた。これと戦後との国定教科書を併せて、国定5期「アサヒ読本」(昭和16~20年)・国定6期『暫定本』「いいこ読本」(~24年)として国定4期までとは区別されている。

「国民学校令」では教科は国民科(国語・修身・国史・地理)、理数科(算数・理科)、体錬科(体育・教練)、芸能科(音楽・図画・工作・習字)となり、それらは全体で皇国民としての基礎的錬成という目標達成をめざした構造的なものであった。

 僅かの差でボクは「サイタ読本」ましまさんは「アサヒ読本」だったようだ。アサヒ読本はボクは全くその内容を知らない。
 
 国民学校ではヨミカタ1,2、よみかた3,4、初等科国語1~8となり、巻八は6年生後期のもので、ボクらが読んだ「修行者と羅刹」は尋常科用国語巻読本巻12だった。
ましまさんは、
  アカイ
  アカイ
  アサヒ 
   アサヒ

 ボクらは
  サイタ サイタ
   サクラ ガ サイタ
から出発したのだと思う。
 
 終戦後、修身・国史・地理は授業停止となり、その教科書は回収・焼却された。国語読本も不適当として期された部分を墨で塗りつぶすことになった。これが所謂「墨塗り教科書」である。


 

員数合わせ

2006-05-20 21:57:16 | 怒ブログ

>イラク南部のサマワで活動する陸上自衛隊の第9次人道復興支援群(群長名略)は19日、隊員の准陸尉(52)が拳銃の弾丸1発を紛失、発覚を恐れて武器庫にあった別の隊員の拳銃から弾を移して隠蔽していたとして、職務義務違反による停職5日間の処分とした。(以下略)

これはMさまの今日のブログでの毎日新聞引用の部分である。昔軍隊の「員数合わせ」は知ってはいたが、まさかイラクサマワであったとは初めて知った。信じられないことだ。

 この「員数合わせ」は、帝国陸海軍ばかりでなく、浅田次郎が自衛隊内部を描いた「歩兵の本領」にも出てくる。しかしその舞台は1970年ごろの話だ。「小村二等兵の憂鬱」がそれである。支給品の靴1足に悩まされる新隊員の憂鬱な日々が、描かれてある。

 演習用に使用したから薬莢をすべて拾って歩くような組織だ。官品の紛失には、ことさら厳しいとある。

以下「小村二等兵の憂鬱」からの引用。

 >和田士長は小村の襟首を掴んで、足が地べたから離れるぐらいまで吊り上げると、怖ろしげな声をしぼった。
「小村ァ、おまえさっき、部屋長を叩き起こしたそうだなァ」
「叩き起こしたなんて、そ、そんな」
和田士長は顔まで筋肉が付いている。5厘の坊主刈にはち切れんばかりの青筋が浮いていた。
「そのうえ、半長靴を員数つけられたそうだなァ」
「は、はい。実は――」
「半長靴には、桜のマークが入ってるの、知ってるかァ」
「はい、知っています。それが何か?」
「今から20年前にはよォ、桜のかわりに菊のご紋章が入ってたんだぞォ。それがどういうものか、オヤジに聞いて知ってんだろ」

和田士長はグローブのような手で小村の襟首を掴んだまま、ずるずると廊下を引きずって行った。非常階段に出る。
「小村二等兵、気ヲ付ケ!」
反射的に、小村は不動の姿勢をとった。
「足ふんばれ、歯をくいしばれ」
とたんに鉄拳が飛んだ。靖国通りのビルのネオンがグルリと一回転した。


在日総連・民団に関する思い出

2006-05-19 21:33:00 | 日録
 いつの日のことだったろう。妻も覚えているというし、その時のトラックの年式は1960年車(昭和40年頃以前は西暦表記だった)と記憶していることなどから推して、たぶん昭和30年代後半の頃だった。

建設資材配送先の運転手から事故があったと電話がかかってきた。状況を訊くと、対向車とすれ違う際、相手がハンドルを切り損ね側溝を飛び越え、路肩の電柱に衝突したものだという。そしてその乗用車はK国人(朝鮮という言葉は禁句らしいので以後このように表現する)のもので、相手が警察沙汰にしたという報告である。

相手との接触事故ではなさそうだし、ただすれ違いざまに起きた事故だったのである。そういうわけだったから私は現場に急行しなかった。
帰ってきた運転手からの話では、駆けつけた警察官が状況を見て、
「何だ、お前が悪いんじゃないか!」とK国人を窘めたそうだ。
そうしたら、
「何っ!警察官のお前が、良い、悪いを決められるのか!」とK国人に詰め寄られ、警察官は何も調べず逃げ帰ってしまった。何処の駐在所なのかもさえ判らないというのだった。

 何が非常に気になる事件だった。胸騒ぎがした。

 翌日その予感がほんとになって現われてしまった。労働者風の男が、住まいと事務所を兼ねるわが家の玄関先に現われ啖呵をきった。腕の刺青をちらつかせた。
「オレは昨日の運転手だが、車の修繕費用を主人に弁償せねばならない。その金がない。お宅で働かしてもらいたい。住み込みで働く」一段低い玄関の板の間に手胡坐で腰を下ろした。まさに芝居の〝玄関先の場〟であったのだ。

「明日そちらのご主人に合いにいく」との約束で、その場はやっとお引取りを願った。相手は隣県S市の人だった。

私は、K国人には知り合いがあった。評判の焼肉店の主人、Sさんである。また親しくしていた共産党T市議会議員I氏とも交流があり、革新思想被れだった私は、I氏共々来日したK国歌舞団公演などにも招待されたこともある。また不定期ではあったが「画報」なども送られてきたのを購読していた。K国人はすべて社会主義信奉だとばかり思っていた。

 私はその夜、I市議と一緒にSさんの焼肉店を訪れ、2階の会議室でことの次第を打ち明けて仲介を依頼したのだった。

 そのとき初めて「朝鮮総連」と「大韓民国居留民団」の2つの組織があることを知らされた。
 Sさんは総連系、隣県S市の相手は民団系のK国人だったのである。

 Sさんはこのとき私にこう言うのだった。
「小承知の通り、私の祖国は南北に分かれています。この町にもあちらの事務所がありますが、あちらとは話致しません。お話になりませんから。この相手の名前はきいただけで、もうタメです!!
 私の仲間そんな理不尽やりません。やったとしたら、九州(キュウスと発音した)でも北海道でもすぐ飛んでいって話つけます」対敵関係をあらわにした。

 ここでその時どうなったか、詳細のいちいちを回想記として書くつもりはない。結局仲介者は誰も頼めなかったということだ。

「事故があったのはお前の車が通ったからだ。双方があって事故となった。片方だけでは事故は起きない。修理代の半分、20万円を即座に払って貰いたい」という強硬な相手に反駁できなかった。その頃は今のように保険制度が完備されていなかったのである。
 
 この事件から、私はK国の人、特に「民団」系の人々を警戒するようになった。

 しかし現在韓国よりも、北朝鮮に対する国民世論は非常に厳しい。Sさんたちと交流があったことなども若しかして控えるべきかもしれない。

 年月が流れ、Sさんも、I市議もすでに他界された。あれほど繁盛した焼肉店は、駅前という場所にも恵まれていたにもかかわらず、いつの間にか店は閉じてしまったようだ。総連系であったこと、朝銀の破綻なども大きく影響しているのかもしれない。
 
>在日韓国・朝鮮人はいまや3世、4世が中心になりつつある。日本人との結婚が9割を占め、日本国籍を取る人も毎年1万人を超える。日本に対する考え方は変わり、本国とのつながりよりも日本でどう生きるかを考える人が増えている。そうした人々のための団体に脱皮できるかどうかが問われているのだ。
 これは5月19日付朝日新聞社説の抜粋である。

和解へ…喜ぶ在日社会「地域での交流は先行」
半世紀以上を経て、在日の団体に和解の兆しが見えてきた。朝鮮総連と韓国民団との「トップ会談」の知らせに、在日の人々に喜びが広がった。一方で、「政治的な意図では」との冷めた見方もある。=1面参照
これは5.17付朝日新聞第社会面記事である。

筆坂秀世『日本共産党』を読む

2006-05-18 22:47:05 | 怒ブログ

久しぶりに、本屋を覗いた。
学習塾講師のVさんのブログで「転落の歴史に何を見るか▼奉天会戦からノモンハン事件へ 齋藤 健(ちくま新書)の記事があった。Vさんは、

>本当は別の本のご紹介をするつもりで、探していましたが、今ふと本書の著者の名前を見て、「サイトウケン?」 あれ?「さいしょはぐー、さいとうけん」の千葉7区のあの候補者と同姓同名だと…。同姓同名どころかご本人の著作を読んでおりました。実にお恥ずかしいのですが、偶然、気付き、ぜひご紹介したいと思って書いております。

と断わったあと、その内容を最大級に評価して、
>齋藤氏に勝った『補導歴のある元キャバクラ嬢』と冠が付く、民主党公認の太田さんが云々ではありません。私には千葉7区の選挙権はありませんが、選挙の構図を、【エリートの落下傘候補VS地元苦労人議員】、または【小泉パフォーマンス戦術VS新生小沢民主党】 という形にすっかり自分が乗ってしまっていたことを深く後悔しました。

>小沢氏の登場と同時に、自分の知名度が低いためにあわてたのでしょうが、くだらないパフォーマンスなどするから、逆に人をバカにしていると取られるリスクの方が大きいと思うのです。選挙というものは、私のようなしろうとが考えるほど単純ではないでしょうが、それでも、正々堂々と自分の主張を掲げ、普通にマスコミが報道していれば…。と思わずにはいられません。
というように結んでおらた。

勿論ボクも、千葉7区の選挙権とは無関係からの故ではないが、何もかも知らなかったことを恥ずかしいと思う。ただ落下傘候補が敗れたという痛快感だけが印象に残るだけであったから。

ボクの雑本購書量は、近所を見渡してみて、同年代の人や、嘗ての同業者たちと較べると比較的多いほうだと思っていた。
ところが気が付いてみると、ちくま新書は、これまで一冊も所持していなかった。

Vさんのブログに刺激されて今日は町の大手系列の本屋の店頭に立ち寄ったワケである。

まず一番最初新書コーナーに直行した。2002年3月発行のこの本が並んでいる筈はない。目的は「ちくま新書」を眺めたかったからである。
しかし、ボクはすぐ傍に大量に並んでいる新潮新書
 筆坂秀世著「日本共産党」に釘付けされた。迷うことなく購入したのがこの本である。(2006・4月20日発行、2006.5月15日 5刷)たいそう売れているようだ。

 ボクは筆坂秀世のセクハラ事件、その電撃的議員辞職には何か煮えきれぬものがあった。ご丁寧にも、その朝日新聞記事を日記に写し取っておきた記憶がよみがえったのである。

 日付は冒頭の「序章なぜ私は入党し、離党したのか」で2005年7月とすぐ分かったから捜すのには時間がかからなかった。まずとりあえず日記にある朝日新聞記事を引用貼り付けてみる。

>筆坂議員、セクハラで辞職 「酒席」で事実認める。(筆者書き込み・朝日新聞の一面記事なり)

 共産党製作委員長の筆坂秀世参院議員(55)は24日午前、自らのセクハラ問題の責任を取って、倉田参院議長あての議員辞職願を参院秘書課に提出した。同党の市田忠義書記局長が同日、緊急に記者会見して明らかにした。セクハラ問題を理由にした国会議員の辞職はきわめて異例だ。

  政策通、突然の退場 党側「詳細言えぬ」

 鋭い国会質問で知られる共産党の筆坂秀世参院議員(55)が24日午前、突然、議員を辞めた。理由は、酒席での女性に対するセクハラ行為。国会やテレビで与党の腐敗や醜聞を追及してきた政策通が、自らの醜聞で引責辞任した。(1面参照)
24日午前11時。国会の党控室で市田忠義書記局長があわただしく緊急記者会見をした。

「5月27日、ある女性からセクハラの通知があり……本人も認め自己批判し……辞職した」

いつも朗らかな市田氏が沈痛な面持ちで語り始めた。質疑では、「相手の立場もあり、詳しいことは言えない」を連発。「電撃辞職会見」は20分ほどで打ち切られた。この問題は党内でも、党中央委員を兼ねる国会議員だけが知らされていたという。

しかし、同党は不祥事の詳細を発表していない。「ある女性に酒席でセクハラ行為をし、精神的苦痛を与えた」と説明しただけ。筆坂議員も「私の行為で不快な思いをさせてしまった」「今後、一人の党員として、初心にたちかえって生きていく所存です」などとする談話を発表したきり報道陣の前に姿を見せなかった。

「がっかりした」「どういうことなのか」
都内の共産党中央委員会には、テレビで議員辞職が伝えられた後から、党員による問い合わせが殺到し始めた。

同党職員は「まじめな人という印象。政策面では党をリードし、テレビの討論番組などで党を代表して出ていた人だけに対外的な影響も大きい」とショックを隠しきれない様子だった。

横浜今日も1点差で負けた。(筆者書き込み:プロ野球の結果)

   議席の重さ  辞める人、辞めない人

すっかり免疫ができたせいか、国会議員の不祥事を聞いても驚きはない。しかし、今度ばかりは違った。
共産党参院議員の筆坂秀世氏がセクハラ問題を起こした責任をとる、と突然辞職した。セクハラ辞職は国会でも例がない。

いったい何があったのか。酒席で被害を受けた女性から告発があり、本人も認めたというが、それでは不十分だ。
ふだんから疑惑追及の先頭に立っている共産党ではないか。中でも筆坂氏は鋭い質問でお茶の間の人気がある。「辞めます」だけでは済まないと思う。

セクハラは許されない。社会的な地位を笠に来たのなら、なおさらだ。被害者に配慮しつつ、辞職したいきさつを語るべきだ。国会議員の職務や責任はそれくらい重いはずである。

中学校の公民教科書を開くと、「民主政治は国民の代表者である議員がつくる議会によって行われます」とある。
しかし、不祥事や疑惑まみれになっている議員は、もはや私たちの代表とは言い難い。秘書の口利き疑惑が発覚しても、暴力団関係企業に秘書の給与を肩代わりしてもらっても、辞めない議員たち。彼らは「代表者」としての身分保障に悪のりしているとしか言いようがない。

かばうつもりはさらさらないが、こんな人たちばかり見ていると、筆坂氏が潔くさえ映ってしまう。それほど国会は世の常識から離れている。

「国会は疑惑のデパート」とはよくいったものだ。松浪健四郎、大島理森、鹿野道彦、額賀福四郎ら……。中には事実関係を認めながら、廊下をかっぽしている議員がいるのだから、何をかいわんやだ。
更に剛の者は、汚職で逮捕され拘置所暮らしながら議員歳費をもらっている鈴木宗男、坂井隆憲の両被告である。

「何があっても議員は辞めない」
いっそのこと、そんな綱領を掲げて新党を結成してはどうか。名前は日本疑惑党とでもすれば、わかりやすい。

プロ野球界では、八百長疑惑をもたれて野球界から永久追放された選手たちがいた。その厳しさと、「私たちの代表者」の甘えを比べること自体が悲しい。

この間、国会を去った議員もいる。山本譲司、加藤絋一、田中真紀子、辻本清美の諸氏である。参院でも、KSD事件で小山孝雄、村上正邦両氏は逮捕され辞職に追い込まれた。現参院議長だった井上裕氏は秘書の裏金疑惑で辞職した。

厚顔無恥な居座りよりは、もちろんましだ。しかし、辞めればすべてが解決するわけではない。筆坂氏の辞職は、改めてそんな思いを起こさせる。
公民教科書はこうも言う。「国民が選んだ国会議員がどのような活動をしているか、注目していきましょう」。そう、最後はまた私たちの問題なのだ。ー以上

本は一応終いまで読み終えた。しかしまだ感想を書くまでには至っていない。
新聞記事引用だけに留める。