狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

ポスターある静かな朝の風景

2007-02-28 09:29:47 | 怒ブログ
〔2007.2.24朝写す〕

この写真に特に深い意味はない。土曜日の朝Z寺「朝詣り会」の帰途少し遠回りして撮った。静かな朝である。
ちょっと長い画題だが、「ポスターある静かな朝の風景」である。
もう一枚この手前の家の入り口に、太田代表と比例区候補らしい顔写真のポスターが貼ってある。だが、早朝で、誰も見ている人はいないとは云え、他人の家につっ立って、玄関ごとまるっきり撮るようになるので、遠慮せざるを得なかった。

帰宅するとポストに聖教新聞(日曜版バックナンバー号)が入っていた。
以前にも書いたが、町内の熱心な創価学会信者Hさんのボランティア(?)による配達である。
雨の日にも負けず、風にも負けず、雨の日はちゃんとビニール紙に包み、メモ用紙に手書きのメッセージまで貼りつけ、ポストに入っているのだ。
家内が、
「どうせ読まないんでしょう。いくらバックナンバーでも、タダだからいいわでは済まされないわ。ちゃんとハッキリ断ってょ。」と気を揉んでいる。
しかしHさん一体何時ごろお出でになるのか。配達する時間恐らく、3時~4時だろう。顔を見たことがない。
 【メモ】 当紙に『(1)面、ブラジルパラナ州歴史地理院池田SGI会長を「在外会員」に、(3)面、名誉会長の〝わが忘れえぬ同士〟是非お読み下さい。(8月27日号)』

相変わらず、「寸鉄」の竹中。日顕への攻撃はその手を緩めない。
◇「破折(はしゃく)精神」を失うと魔に食われる。正義の学会(強調傍点)の怨敵は猛然と蹴散らせ ◇ 偽(ニセ)相承や偽学歴。豪邸にちぢこまる(強調傍点)日顕・竹入ら。太陽が怖いナメクジ悪魔(強調傍点)。

 

引退・勇退

2007-02-27 14:26:43 | 日録
「引退」と「勇退」ってどう違うのか気になる。
いんたい【引退】官職・地位から退くこと。また、現役から退くこと。「政界から―する」「―興行」
ゆうたい【勇退】後進に道を開くため、自ら進んで官職からなどから身をひくこと。「定年をまたず―する」―-こうとう【勇退高踏】官職から勇退し、俗世間を避けて生活すること。(広辞苑第五版)


円楽さんが、引退を表明した。会見の様子を、テレビが繰り返し繰り返し放映していたから、相当人気のある落語家だったに違いない。案に違わず新聞社会面でも大きく取り上げられていた。

 テレビ番組「笑点」の司会で知られる落語家三遊亭円楽さん(74)が、25日「ろれつが回らない。もうもう恥はさらせない」と記者会見で引退を表明した。円楽さんは05年10月に脳梗塞で倒れ、リハビリを続けて06年10月に関西の高座に復帰。
この日、「出来次第では、引退を覚悟している」と話して東京の「国立名人会」に臨み、古典「浜芝」を口演した。

口演後に会見した円楽さんは開口一番、「だめですね」。約30分予定が40分余り長引いた最後の浜芝を「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺のニュアンスが伝わらない」と総括。「もう、よくなるということが全然ない。今日が引退する日ですかね」。と話した。
会見では、評論家から引退の再考を促す質問も出たが、円楽さんは「黙って去っていく形が自然かもしれません。お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さないんです」ときっぱりと語った。(2.26日付朝日新聞社会面)


話は変わる。地域劇団〝「S」の会〟代表I氏が58歳で村の最高職を辞したのは、平成11年(1999年)であった。そのとき小生が呼びかけ人代表を引き受け、ささやかな、祝賀会をやった事がある。
そのときの案内状は次のようなものであった。
 
『村長さん(前)と一緒に
        おそばを食べて見ませんか』
  ―I(前)M村長を囲む集いのご案内

若葉の薫る爽やかな季節となりました。
皆様には、ご健勝のことと存知ます。
さて、M村長を4期16年間に亘ってお努めにになったIさんが、本年5月14日付けを以て退任されました。誠に残念でたまりません。ご存知のように、Iさんは、《村長さん》として、村民の暮しを向上させるための努力されたと同時に、先駆的とも言える「村」の《第九》の演奏会、オペラ《椿姫》の公演を実現させるなど、格調高い教育、文化の発展に寄与され、近隣のの市町村の模範ともなっております。
つきましては、
《村長》という肩書きを外されたIさんに、改めて喝采を送るべく、左記のようようなささやかな催しを企画いたしました。
銘酒《久慈の山》での乾杯、手打ちのおそばなどを賞味しながら、裃を脱いだお話合いを持ちたいと思います。
お忙しいところでしょうが、趣旨にご賛同の上、ぜひおでかけ下さるようご案内申し上げます。

          記
1.  日時   6月27日(日)午前11時30分~
2.   場所 Kギャラリー
3.  参加費   7,000円  当日申し受けます

   平成11年5月吉日

          呼びかけ人
           A   出版社代表
           B   俳人・T大学非常勤講師
           C   歯科医 コーラス代表
           D(代表連絡先)
               運送店経営   

各位様


当時の多くの新聞は「4期16年に亘って村長を務めたI氏がその職を引退した。」と報じた。
そのとき参加者の皆さんに配った冊子に小生はこのように書いた。再録しておきたい。

青島幸雄の東京都知事選急遽の不出馬の声明を、『引退』と称したかどうか失念してしまったが、I君の場合小生はどうもこの「引退」という表現だけは全く気に食わぬ。
そもそもこの言葉は、負け越した相撲の横綱や、優勝が出来ない巨人軍のかの名監督に注文を付けたり、当選が覚束ぬほど高齢で耄碌した老政治家が、出馬を断念したとき使う用語のことであって、出馬表明をしただけで、無投票当選が確実視されていた、若い働き盛りのI君への記事としては、語彙貧(ボキャヒン)この上なしと見るべきではなかろうか。

 どこの国に、迫られてやっと引退せざるを得なくなった、さる政党の前委員長みたいに雲の上のようなお方を引っ張り出して、吟醸酒「久慈の山」で乾杯する馬鹿がいるものですか。
 I君が選んだ名誉ある「勇退」は、かつて4期目就任の当初からの不動の信念であり、決意だったという彼の談話を耳にした事があった。今その談話が実現したわけであって、改めてI君の勇退を惜しみ、敬意を表するものである。この事実はまさに快挙であったと小生は断言したい。云々。

 われながらうまく出来た巻頭言だと思った。
会は主催者、小生の意見で、全くの政治家不在の集いになった。最後に本人と歯科医のかつて「椿姫」を演じたO女史との共演で、歌劇「夕鶴」の一こまを披露、一段と薫り高い祝宴となった。

こだわりの酒『農』

2007-02-26 07:08:31 | 反戦基地

 わが県のN農協で常勤役員を勤められるM氏は、超辛口の農協論客である。毎月新聞3紙の他、数誌の会報雑誌等に農業の持論を展開されている。昨年10月日本経済評論社から「農協に明日はあるか」を出版された。一体これまでの著作が何冊あるのか、ご本人も即座にお答えできないかもしれない程の夥しい数の本を出版されている健筆家である。
なぜ、ここで「」なのか。
実は、先日の地域劇団「Sの会」の観劇にお出でになるのに、わざわざこのお酒をご持参下され小生に恵与されたものである。
M氏は、常勤役員という多忙な日常生活、講演・執筆活動、の他に「酒」に対する情熱も人後に落ちない方だ。
 生憎25日は小生が留守にしていたので、お会いできず、このお酒についてのルーツについてお話を承れなかった。
 ただ前日「お酒が出来たので明日観劇に行く時お届けます」という電話が入った。
M氏は酒蔵『菊盛』とはどういう関係であるか知らないが、蔵の出入りはフリーパスである。(お陰さまで小生も酒造会社「菊盛」社長木内酒造夫(みきお)翁と直接お話できる栄に浴したことがある。)
思うに、M氏が、生涯のテーマとされる、「農」の冠した限定酒を木内酒造に依頼してビン詰めしたものだろうと勝手に想像した。因みに製造年月日は07.02.20であった。 

                菊盛『』しぼりたて1.8L詰

 しぼりたての純米吟醸酒をそのままビン詰めにしました
爽やかな風味をお楽しみ下さい。
尚ビン底に滓が溜まる事が有りますが、酒の中に溶けた米の成分です。
   また活きた酵母が入っております。
ビンの中で二次醗酵し
シャンパンのようなガスを醸します。
            
    原料米    茨城五百万石  100%
    精米歩合   53%
    日本酒度   +2(やや辛口)
            おすすめする飲み方  ○ ロック ○ 冷やして ○ 常温

 これは、ビンの裏ラベルだ。蛇足になるが、いうまでもなく「菊盛」のこだわりホームページにはこの銘柄酒は出ていない。敢えて同社製品に当てはめるとすれば、
「ビン底に滓が溜まる事が有るとか、活きた酵母が入っておりますとか、ビンの中で二次醗酵しシャンパンのようなガスを醸しだす」とかあるので、
同社製品の、季節限定酒
春一輪に近いのではないかと想像する。ただ精米歩合が、「春一輪」は55%であるのに対し、「農」は53%と記されているから、それよりもグレードは高い。

ハテ?お早めにお召し上がり~。急がねば成らぬ。だが、ひとりではねえ。あの人は奈良漬で酔っ払うチョコレート派なんです!

みらパパさんお出でになりませんか。 


成功!

2007-02-24 21:35:45 | 反戦基地
ものがたり
第二幕より
…昭和20年8月2日、郡役人はご神木の大樹の供出を「切らねば非国民」と迫る。戦死した夫や、おなじく友人の早大生H…、2人が愛した「命の水が流れる」杉の古木。
S子は自らの黒髪とともにに切る覚悟をする。そこへ早大生Hの戦死の知らせを受けたk子が飛び込んでくる。
「非国民ですって!2人の兄も戦死した!私の婚約者も死んだのよ!」K子は髪にあてたS子のナイフを奪い、自らの首に当てる。
10日後、八月十五日、天皇の敗戦の詔書が途切れがちに流れた…。

Sの会代表の挨拶
…今回は戦後60周年ということを考え、戦前から戦後を生きた女性の物語を取り上げました。いや、あえて言えば、戦後60年を過ぎたこの時代が取り上げさせたと言えます。
 先の大戦ではどんなに多くの命が失われ、どんなに多くの犠牲が払われたことでしょう。自らの悲しみに耐え苦労に打ち克つ、人々の支え希望を分かち合って生きるひとりの女性の姿は、また多くの母親たちの姿にも重なります。「戦争の記憶」が風化の波にさらされ、何もなかったかのように尊い犠牲もその上に建つ私たちの希望も歴史認識も「再び戦争へ」と変容を迫られているいま、その生きた「伝説」は、その強さと優しさとともに何かを語りかけます。生きる命を一片の機械のように見なし、あるいは生きる命を無念にも戦場で倒れる兵士さながら消耗品として扱うごとき軽薄な時代風潮、人間洞察も哲学も肌寒い政治風潮の中で、その生きた「伝説」は何かを語りかけます。詩人・辻井喬氏は、わが村に寄せて下さった一文で、「思想性とは知識ではなく、生活の中から生まれた感性の結晶なのだ。」と記されましたが、まさにこの地に生きた女性の「真実の結晶」を伝えたいと思ったのです。…(略)




白菜畑と辛夷

2007-02-24 12:54:33 | 怒ブログ


白菜の隊列放心錬兵場

白菜を閲兵政党広報板

辛夷の樹予報を睨み空に起つ


梅の木が何処にでもある空景気

日本一短い手紙梅日和


右電柱下部にあるのが某政党代表大写しのポスターです。
もうこの政党では参院選開始しています。これから益々おびただしいポスターの洪水に見舞われるでしょう。
この村では憲法改正(悪?)を堰き止める元気は、ポスターの数で見る限り全くないですね。
「戦争」を実感できないからです。クライスター爆弾が降ってくるかもしてないのに!






劇団「Sの会」公演

2007-02-22 21:58:58 | 反戦基地

昭和8年12月23日、皇太子誕生を祝う提灯行列の中、18歳のS子は東京からI県K湖畔の旧家に嫁ぐ。しかし時代は戦争へと向かい、彼女の身にも様々な苦難が降りかかる。

 それを乗り越え、戦後は戦病死した夫の家業を引き継ぎながら、農繁期に子どもたちを預かる季節保育所づくりに尽力する。

 ときは流れ、やがて平成の世に。かつて保育所に通った少女は、S子とその生き方を慕い、歳老いたS子を訪ねる場面――。
少女たちの成長ぶりに目を細めながら眠りに落ちるS子。そこで彼女はどんな夢を見るのだろうか…。

これは、明日(24日~25日)隣村、小さな村の地域劇団「Sの会」の創作劇(三幕もの)公演を報じた某地方紙に載った劇のあらすじである。
主人公のS子はこの劇の副題である「我が母の伝説」の通り、脚本、演出を手がけるI氏の実話に基づいたものだ。

この「Sの会」代表のI氏と僕は、親子ほどの年齢差はあるが、母堂S子さん共々これまで親戚同様の付合いをさせていただいてきた。勿論明日は禿頭席の観劇となる。

創作劇の公演は今回が5回目である。氏は嘗て、
日本で一番小さな村のベートーベン「第九」、さらに、オペラ「ヴェルディ : 『椿姫』」公演の実績もある。

今回の創作劇には、おそらく友情出演なのであろうNPO法人「自然薯クラブ」の田楽舞、同代表Y氏、K女史の舞、T学園大学学長K氏の特別出演に早くも話題が集中している。
成功を切に祈るのみである。

  乾杯の歌!
♪・♪
酒をくもう、美しい人が花をそえるよろこびの杯に
はかないこの時が快楽に酔いしれるように
酒をくもう、愛の誘う甘いときめきの中に
あの全能のまなざしがこの心を打つから
酒をくもう、愛は杯とともに ひとしお熱い口づけを受けよう

(一同)ああ!酒をくもう、愛は杯とともに ひとしお熱い口づけを受けよう
 

くじら餅

2007-02-21 08:50:12 | 日録

写真は「山形県」ホームページから引用させていただいた。


 姪聟の家での一夜は、イバラキから来た珍客への、たいへん大袈裟なもてなしの宴となった。
村中の親戚に触れを回したらしい。それぞれ酒や、搗きたての餅、(餅を搗くのは最大の振る舞いだそうである)大型の菓子折り、なめこの缶詰の籠などを持参して5~6人が集まって来た。

 家族構成は両親、跡取り長男夫婦で、台所仕事は御母上さまが長男嫁さんを指図しながら、懸命の労を執られた。その作り方も解説もなされたが、いばらぎ人には不可解なウラルアルタイ語だった。
 そのときおよばれした馳走が「くじら餅」である。そのほか郷土料理と思われる味噌を紫蘇で包んだ珍品があった。
親戚のひとりが、
「今日捕って来た」という鮎をバケツいっぱい持参した。オレはこのときやっと念願が叶った気分になった。
 酒は「初孫」超特選。である。

 しかし、残念なことに、鮎はフライパンで焼いたので、ゴジャゴジャになってしまった。見ただけで手をつける気にはなれなかった。とうとうあの矢祭町の「鮎焼」は幻のものとなってしまったのであった。
 帰途は日本海側に出て、坂田→新潟→長岡→小千谷→沼田のドライブコースだったからである。
勿論その頃は高速道路は全く整備されていなかった。
沼田までは順調に走ったが、以後盆の帰省の車の渋滞で5~6時間かかった記憶がある。

鮎の塩焼きの話

2007-02-20 21:38:52 | 日録
約20年ぐらい前、山形県の鄙びた村まで行ったことがある。さしずめ「小さな旅」に当るわけだが、ボクは零細な運送店主、たとい1泊2日でも、連休を取るのは容易なことではなかった。
 そのため比較的長い休暇となる8月の旧盆を選んだのである。義兄の次女が山形の寒村出身の青年と結婚したため、その実家に挨拶を兼ねた義兄のための2人の旅であったのだ。
 この結婚には猛反対した親子の間だけに義兄は緊張していた。そのためボクをダシに使ったわけなのである。

 こちらを朝5時前に出発した。夏の朝5時はそれほど苦にならない。この時の車は、「トヨペットクラウン41年車」である。
 予定の行動では、握り飯持参で行き、今では合併しない町で有名になった「矢祭町」で、まず鮎の塩焼きで朝食をとるという単純な計画で始まる。
 ボクも兄貴も、常磐道を通って仙台とか、福島県も会津若松あたりまでは行ったことはあるが、山形県にはまだ足をふみ入れたことはなかった。だから2人は地図をたよりに、夕方までに着けばよいと気の長い考えであった。

 今思い出すと、矢祭町で塩焼きが食べられなかったことばかり頭に浮かんで、その先の途中の行動について記憶に残るものは全くないといって差し支えない。
 6時ごろ矢祭町についてしまった。塩焼きを商う店はまだ1軒も戸が開かなかった。

 1時ごろ山形の目的地近くまで来てしまい、最上川周辺に「若鮎の里」などと書かれた大きな看板を何回もであったが、それらしい茶店もレストハウスも、とうとう見つからなかった。

酒の話

2007-02-19 19:12:26 | 怒ブログ


かつて〝武士は食わねど高楊枝〟とも〝鷹は死すとも穂をつまず〟ともいった。
 なによりも凄いのは、
〝渇しても盗泉の水を飲まず〟
という諺である。私は、この諺を耳がタコになるほど聞かされて育った。
 わが家は八代つづく宮大工系の棟梁の家で、祖父も腕の良い大工であった。
(略)
 そんな家で育った私たち兄妹六人に、父親が噛んで含めるように言い聞かせたのが、
「ただ酒は飲むな!!」
ということであった。
 お酒は、自分の稼いだお金で、自分のペースで飲む、これが一番である。
 お酒を飲むのに理屈はいらない。嬉しいから飲む、悲しいから飲む、腹立たしいから飲む、苦しいから飲む、いろいろな理由はあろうが、たゆとう酔いの中で人間性の回復をはかる。
(略)
 そのためにも、身銭を切ってのまなけばならない。タダ酒ばかり飲んでいると精神的に堕落してしまう。昨今、日本の男たちは、タダ酒を飲むことに狎れきってしまったようだ。
                    私の放浪記  佐々木久子

午後蕗の薹を採ったので、灯刻義兄宅を訪問した。
 義兄は、東野英治郎「水戸黄門」再放映を見ながら焼酎お茶割り独酌中であった。
 「良いところへ来た」彼は舎弟が珍味持参で来たので、奥から新規のお酒の壜を持ち出して栓を抜いた。義兄はよほどの事がないと日本酒は飲まない。然るに、何処からか差し入れがあるのか知らないが、酒は欠かさずある。
1升壜のラベルは渡舟という地酒である。壜を一目見ただけでグレードの高い良酒であることが分った。地元酒米「渡舟」を精米度35%に磨き上げた純米大吟醸酒である。
 はしたなくも小生は軽く値踏みをしてしまった。義兄は全くの値段音痴。帰宅後ネットで調べたら、値踏みは60%にも達していなかった。

 ボクは、佐々木久子に言われるまでもなく、現役時代ではタダ酒は飲まれたことはあっても、飲んだためしは一度だって覚えがない。それは零細とは言えながら店主というプライドがあったとと、政治手腕がなかった為でもある。
 今や失業者同様の所得皆無の身の上、今日はタダ酒を心行くまで堪能してしまった。赦されよ。



神域

2007-02-16 18:12:08 | 日録


町史には、このわが村のこの神社について次のような記事が載っている。
この神社は、「和名抄」□□郡□□の本郷にあり、「常陸国二十八社考」では、祭神豊城入彦命とあるが、社伝によると祭神は武甕槌命、神体は鏡であるという。恐らくは原始古代篇で詳述されているように武甕槌命と同様に国土開拓に関係のある経津主命を氏神とする物部氏が、その御霊を奉じて□□の地に来住し、□□郡の郡家と神社を創建したのであろう。(略)
「延喜式」神名帳には、常陸国二八座に(略)記されている。

また他の地方史記などにしばしば引用されている某新聞社の郡史には興味深い記述がある。

この県社大同年間に創立し武甕槌命を祀る□□□□を一の宮、此を二の宮と称す境内老松欝蒼幽邃限りなし。
郡西四十余郷の総社也普都大神を祭る、風土記云郡北十里碓井云々今存雄栗之村従此以西□□里古老曰天地権輿艸木言語之自天来神名称普都大神巡行葦原中津国和平山河荒梗之類大神化道已畢心存帰天即時随身器伏甲戈盾剣及所執玉珪悉皆脱蹤留置茲地即乗白雲還昇蒼天とあり普都大神は經津主大神を申したるか又は武甕槌命の神を申せしか詳らかならねど二神は同功一体の神におわして共々にこの葦原中国の邪神をしりぞけて平定の功を奏したり殊に出雲より信濃に至り又陸奥の塩釜まで巡察せられ後に武甕槌命は鹿島社に經津主神は香取に鎮座あるを以て見れば此常陸国にも入り玉ひしこと云ふまでもなし、古事記に建御雷之男神亦建布都神亦名豊布都神とありて建御雷神を建布都神と申したれば普都大神はこの神の如くにも聞ゆ然るに日本紀には經津主神と武甕槌命を各々別神にして經津主は大将の如く武甕槌は副将の如くにも見ゆればいずれの神とも定めては云がたし延喜の制小社の列ねられたり凡祭礼正月七日開扉の式あり九月上旬三日より九日までを祭日とす


僕はこの神社に深い思い入れがある。戦争中僕らが小学生の頃は、出征兵士があるたび、この神社の武運長久祈願祭に参加した。
 写真では神域の峻厳はれて神さびの気品がないとはいえないが、それはまだ節分祭の名残があるからであって、も少し立つと倒産した会社のようなたたずまいとなる。
 すなわち参道はこのように掃かれてはいない。掃く人がないのだ。
二十年ぐらい昔は、労働組合にも活気があった如く、老人会も神社や寺院の清掃に労を惜しまなかった。今は、ゲートボールだってまともに出来ないような人達の老人会になってしまった。
「産む機械しっかりしてくれ!」と言うのが、正直言って老人達の叫びではあるまいか。いけなかったかな。

驀地!“まっしぐら”と読むのだそうであります。

2007-02-15 11:39:27 | 本・読書


「天神さまお願い!」

本格的な受験シーズンを前に、「学問の神様」として知られる東京都文京区の湯島天神には、大勢の人たちが合格祈願に訪れている。境内に訪れている。境内に奉納された絵馬は約5万枚。受験生たちは志望校などを今に書き込むと、鈴なりとなった絵馬かけ所に次々と結び付けていた。

これは朝日新聞1月14日付1面の見出しと記事で、その光景を撮った大きなカラー刷り写真が貼り付けてあった。
勿論20日、21日の入試センター試験の直前である。写真でみると、重量感あるこの絵馬の目方は1枚500グラムは下るまい。したがって次のような計算式が成り立つ。
5万枚×500グラム=Xton

ところで、こうした受験生やご父母さんにために【絵本から専門書まで】塾講師が、
おすすめする書籍ご紹介のブログ本を読もう!VIVA読書!がある。

 そのページを紐解けば、天神さま顔負けする読書の神様であることに疑うべき余地もないが、時節柄、受験生への心得を微に入り細に亘りたり解説されている。
そのVIVA先生もまた、最後は天神様の念力におすがりして進学・学業成就に祈願をかけられておられた。

婦唱夫随

2007-02-13 21:29:47 | 日録
1月いっぱいの冬休みが終わって、今年も2月3日の節分会を皮切りに、Z寺の「朝詣り会」行が再開した。
今は朝7時からの開始時刻であるが、4月から6時半になる。今年最初の3日の朝は6時半ではまだ、西の空に満月が残っていた。

それが1週間毎に日の出の時間が早くなるのが実感できる。これからはなおさらだ。
Z時までの道程は、約4キロで、去年は何回か徒歩で行った事があった。約45分かかる。来週あたりまた徒歩に挑戦してみたいと思っている。

 途中何組かの夫婦と思われる男女のウォーキングに出会う。何年か前までは夫唱婦随型が多かったような気がするが、今はまったく逆転してしまった。歩き方も、女性のほうが手を大きく振って元気がいい。気のせいか♂がいまいち小さくなってしまったかのように見える。

 特に抵抗感はないけれど、町の小学校には女性校長さんが2人おられ、今後だんだん多くなる傾向とか…。時代は確実に変わっていく。

 朝詣りの行は次の「開経偈」の読経で始まる。女性は今のところは2人だけである。
無上甚深微妙法
百千万劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義

(邦訳)あまりにも深く妙なる教えは、無限の時をへてもめぐりあうことはむずかしい。
今、わたくしはお経を見、仏の教えを聞き、拝受することができました。
どうか仏の真実の教えを理解させてください。

雪渓

2007-02-12 17:09:41 | 日録

Tさんからの朗報。 
悪質な風邪で、長い間不憫な生活でしたが、何とか989㌫治ったようです。今日は吾輩の誕生日酒が解禁されそうです。
 暖かくて過しやすいのですが、先日の話のように何処か狂ってきている事は確実。このまま行けば今年の夏の都会は、想定外の大雨でもなければ水不足。河童のお皿の水も干しあがりだ。

快気祝いに一昨年の雄姿を更新した。一昨年だと思うけれど、残念ながら記録していない。Mailは殆ど保存してあるが、何しろ整理がしていないのでわからない。
申し訳ない。
そこでTさんに捧ぐる一句。

 雪渓におーいと叫びたくもあり    谷人
蛇足になるが、「雪渓」は夏の季語である。
雪渓(せっけい)
高山のくぼんだ斜面や深い渓谷などを埋めた雪は、夏になってもなお消えず、四囲の山々が緑におおわれているのに、そこのみは雪を残している。この、夏にみる雪渓の壮麗さは、夏山の大きな魅力として登山家を喜ばせる。

袈裟がけに青山肌に一雪渓   福田蓼汀 
雪渓に人間といふ者小さし    上村占魚 

  合本俳句歳時記新版 角川書店


憲法九条を護ろう

2007-02-10 18:26:17 | 怒ブログ
     
    

 
 日本国憲法(昭和21年11月3日公布:昭和22年5月3日施行)

第2章 戦争の放棄

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
雨上がりの土曜日の昨日の朝。〝まもうろう憲法9条〟という小さなたて看板を見て、あ、明日は憲法記念日なんだ!と勘違いした。本当は『建国記念日』なのであった。しかし、そんな事どうでもいい。連休だけは間違いない。
 この小さなNK党さんの看板は、このごろ矢鱈に貼ってある小沢党首や、ずっとたてっ放しの自民党の衆院議員のポスターに比して、ひどく小さく惨めに、草薮の隅に、気まずささうに、ひっそりと立っていたのである。
何か、日本国民の象徴のような氣がした。

 建国記念日(2月11日)は、戦前の紀元節で、明治5年(1872)に政府が定めた神武天皇即位の日だそうである。歴史的根拠は全くないそうだ。
『日本書紀には神武天皇が元旦に橿原に宮を建てたと書かれていますので、本来は建国記念日はお正月に祝うべきものだ』という人もいる。
  ひっそりと憲法九条建国日      谷人

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。



呼子と口笛

2007-02-09 21:52:08 | 本・読書

はてしなき議論の後
                   1911.6.15. TOKYO

われらの且つ読み、且つ議論を闘わすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜の青年に劣らず。
われらは何を為すべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。

われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、
また、民衆の求むるものの何なるかを知る、
しかして、我等の何を為すべきかを知る。
実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。

此処にあつまれるものは皆青年なり、
常に世に新しきものを作り出す青年なり。
われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべきを知る。
見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。

ああ蝋燭はすでに三度も取り代えられ、
飲料の茶碗には小さき羽虫の死骸浮び、
若き婦人の熱心に変りはなけれど、
その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。

        石川啄木詩集 斉藤三郎編 角川文庫より