狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

初雪

2009-01-25 20:24:09 | 怒ブログ
             
日記から。
1月17日(2008年)
 雪降る。


       甍(いし)のうへ 
                三好達治
     あはれ花びらながれ
     をみなごに花びらながれ
     をみなごしめやかに語らひあゆみ
     うららかの跫音空にながれ
     をりふしに瞳をあげて
     翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
     み寺の甍みどりにうるほい
     廂々に風鐸のすがたしづかなれば
     ひとりなる
     わが身の影を歩まする甍のうへ

妻絵手紙の仲間と、水戸、総合福祉会館に、行く積もりでいたが、雪のため日延べとなる。
メールが入っていた。
《taniさま 今晩は。
 天気予報でも予測してない降雪があり、今朝カーテンを開けると銀世界にてビックリしました。
 昨年の10月からパソコン同好会を休んでおりましたが、次回のパソコン同好会から出席出来そうですので、宜しくお願い致します。
その際は、例の元気のないパソコンやプリンターについて、相互に意見の交換を致しましょう。
※パソコン:BIOSは起動するも、OSの起動で必要なファイルが無く起動できない。(OSのエラー、要OSの再インストール)
その後厳寒もなんのその、元気にご活躍していることと推察しております。(ブログで確認)
 OSがなければメーカーのBackup(故障している?? 又は昨年行ったBackupのリストアー(HDが老朽化??)
※プリンター:ドライバーを削除し、その後ドライバーの再インストール??? 》

早まってはいけない。23日(金)最高気温17℃。から急変初雪ちらつく。されど、ホンのちょっぴり降っただけである。
 写真は、去年1月17日の拙宅裏の黐の木の生け垣。小生が挟んで風通しを良くしたばかりであった。子供の頃は年に1度や2度は大雪があったが、今は年Ⅰ度がやっとである。
 新聞では、今日の雪を"イバラッケン"に初雪などと報じたが、雪といっても、イバラッケンが生んだ名力士「水戸泉」関の塩にも及ばなかった量であった。

鍬入れ

2009-01-17 20:51:24 | 日録

 拙サイトのバックナンバーを調べたら、去年の正月Mさんの初鍬や、ならせ餅について記してあった。
 今年もすでに半ばを過ぎている。もはや村には正月気分などは微塵も残っていない。ふと、ブログの更新に村の年中行事である「一鍬」のことを思い出した。去年まで 、近所のMさん宅では、この行事を欠かさずやっていたからである。拙宅近くの田圃に松と注連を必ず飾った。しかも自宅では臼を逆さに置いて、その上に弓張り提灯や箕(み)に一升枡に白米を入れた奉納品を土間(玄関先)に飾って、昔そのままの仕来りを正確に再現していたのである。 恐らく村でただ一軒だったろうと思っている。倅のY君(町の要職についている)が、「オレの代になったらこんなバカなことやらないよ」と親父のなす仕来りをさかんに軽蔑していた。
  それが今年はいつもの田圃にその形跡がないのだ。
  具合が悪くて入院したなどの話も伝わっていないし。はて?
  それを確かめるべく、午後Mさん宅をカメラ持参で訪れた。
  Mさんご夫婦は玄関傍の居間で炬燵に入り、うたた寝しているのがガラス戸越しに見えたから、ノックして合図をした。
 間もなく奥さん(婆さん)が、玄関先に出てきたので会話を交わした。
 
 小生「ならせ餅を拝見に来ました。」
 夫人「あ、今年は止めました。」
 小生「1鍬のやった跡が無かったけれど…。」
 夫人「あれも今年から止めちゃいました。」
 小生「写真撮っぺと思って来たんだが、残念。」
 夫人「んだ。去年撮ってもらったんだっけ。」
 オレは、座敷に上がって話も聞きたがったが、Mさんはとうとう姿を見せなかった。    すべてもの知りのMさんから、いろいろ昔話を聞きたかったけれど、仕方なくそのままMさん邸を辞したのであった。

 Mさんは勿論後期高齢者である。しかしまだ老けこむ歳には見えない。
しかし、彼と同僚である県内I市在住のY兄が数年前、
「この辺りが節目と考え、来年から賀状のやりとりを遠慮申し上げます。」の添え書きを認めた年賀ハガキを最後に交信を絶ってしまったことを思い出さずにはいられなかった。
 ※添付写真は 県西下妻市史「別編:民俗」平成6年刊に依った。


 


葬儀について

2009-01-14 21:13:01 | 日録
正月には、村の初会(新年会のような集まり)があって、村の重要(?)な取り決めなどを協議する。
もう数年前から同じ議題になることだが、今年も正月早々「葬儀」の話となった。今までの仕来り(習慣)では、隣組上、下合わせて18軒が葬儀の手伝い衆となっていた。しかしそれは、土葬をやっていた頃の昔の「ジャンボ」のやり方であって、組合葬であるから、その位の手伝い衆の頭数は必要であった。
しかるに、現在は遺体の扱いから、何から何まで「葬儀屋さん」任せで、組合衆のやることといえば、斎場での受付が3名位以外は何もやることがない。だから、隣組も2分して頭数を少なくしようではないかという事なのであった。しかし簡単なようで、なかなか取り決めとなると諸問題が出てきて纏まりがつかない。取り合えず、葬儀後、隣組各位の振る舞いごとと、挨拶回りは止めましょうということになった。

 さて、我が身に置き換える。ボクの奥津城処は、まだ更地のままでイシコロも何も立っていない。120歳まで生きるとすれば話は別になるが、我が家での葬儀は順序から云えば、小生が一番先になる。そうなったとき、こうして貰いたいという希望はある。それは、キリスト友会による葬儀が一番理想に近いと思っている。

 ここにキリスト友会「葬儀の手びき(暫定)」があるので、散逸の懼れもあるから、記しておきたい。

葬儀の手引き(暫定)
1.キリスト友会の特徴
 キリスト友会は、キリスト教の中の一教派であり、普通フレンドといわれていますが、クエーカーと呼ばれることもあります。人を救いに導くことのできるお方は、イエス・キリストだけであり、そのキリストご自身がひとりびとりに語りかけたまうという信仰を持っています。それ故、特定の聖職者がおらず、教会のすべてのことが会員の分担で行われています。
 生活のすべての面で、単純かつ質素であることを良しとしています。
2.死と葬儀について
 人はただキリストの救いを信じることによって既に救われており、永遠の命を約束され、「天国に国籍」(聖書の言葉)が与えられます。死は天にある本籍地への帰還であります。
 そこで葬儀の内容は、地上での生涯を全うして、天に召された個人を回想し、神に感謝する集会であります。
 キリスト友会では、それを「静黙礼拝」の形で行います。静黙礼拝は、参加者が黙って座り、静まって待つ中で、身近に来たりたもうキリストを体験する集会のことです。葬儀の順序は、この静黙礼拝を中心にして、その前後に故人をしのぶための幾つかのことを組み入れて作られます。

3.葬儀場の設営について

 
 キリスト教では、遺体を礼拝の対象といたしません。それは、故人が地での生涯を完うするのに、その霊を宿してきた肉体として、なつかしく愛すべきものですが、あくまでも器にすぎません。したがって、それを高い位置にまつってものを供するようなことはしません。遺体は棺に納め、黒布をかけただけで、参列者の坐位の高さに安置され、そのまわりを簡素な生花で飾るに留めます。キリスト友会では簡素であることが最も尊厳で美しいとしております。
 原則として、葬儀場内のしつらえなどの設営は、すべてキリスト友会に一任していただきますが、場外の設営(例えば受付の机、椅子、天幕等)は、当家または組合の方々にお願いします。
 葬儀場としてはキリスト友会の会堂を使用できますが、この他、個人の住居、一般の斎場でも差し支えありません。

4.通夜について
 通夜は当家のご希望があれば行うことができます。特に順序を定めた式はなく、
 二、三の賛美歌の唱和、聖書朗読、祈祷があり、故人を忍ぶ感想が一人二人から語られることがあります。ここでは静かに故人をしのぶときが保てるように、なるべく小人数の集会である方が望ましいと思います。

5.葬儀の順序について
 式としてとくに定められた形式はありませんが、標準のかたちは次のとおりです。

 前奏
 賛美歌
 聖書朗読
 祈祷
 故人略歴朗読
 賛美歌
 静黙
 賛美歌
 遺族からの言葉
 頌栄
 終祷
 献花
(弔辞、弔電の奉読はしません)

 静黙の礼拝の中で、一人か二人から故人についての感想と、すすめの言葉が述べられます。葬儀は、故人の生涯のすべてにわたって神の愛がいかに十分であったか、故人がその愛に励まされて、いかに人に尽くしたかを確認し、神を讃えることでありますから、いたずらに故人を褒め、その業績を顕彰することは避けなければなりません。「遺族からの言葉」は、故人の近親者の一人(配偶者、子、兄弟等)によって故人の晩年の心境、最後の言葉や様子などの中から、故人に代わって会葬者に伝えるという気持で、短く話していただくものです。(お礼の挨拶ではありません)。
 当家から会葬者への挨拶は、出棺の時にしていただきます。

6.香典の取り扱いや、いわゆる忌中払い等について

これらについて、キリスト友会としては関与しません。すべて、当家の意向と近隣組合方々との相談で決めていただけばよいでしょう。

7.費用の負担について

 儀場内の設営に要した諸掛かりは、キリスト友会から当家に払出を求めます(主に花代です)。
 葬儀の執行は、すべてキリスト友会の会員の奉仕によって行われます。
職業的にこれに携わる人は特におりませんので、報酬は必要ありません。
(もし、お礼の気持ちからというのでしたら、献金としてキリスト友会がお受けします。金額の基準はまったくありません。)

 この手引きは、まだ成案ではないが、月会の事務会及び総会において三年七ヶ月の長期間にわたって継続的に審議されたもので、1985年10月21日の総会で暫定的に使用していくことが決められたものである。




正月お笑い 漫才 「定額給付金」

2009-01-10 22:11:15 | 怒ブログ

可笑しくない方は、無理に笑わなくても、誰からもお咎めは受けないと思うけれど、ボクは一人で笑ってしまった。苦笑(にがわらい)というのかなぁ。
ボクはテレビを見ていない。9日付け新聞をみて思わず、ずっこけてしまった。
実際の舞台(高座)はもっと愉快だったと思う。8日の衆院衆院予算委員会。
「(裕福な人が)『1万2千円ちょうだい』というのはさもしい」と言ったばかりの首相が「その時に判断する」と軌道修正した。
パソコンの悪戯で、「1万2千円」が、「1漫2銭円」と変換され、何回も打ち直した。

菅直人氏(民主) 総理は所得の高い人が給付を受け取ったら卑劣だ、さもしいと言った。
首相 物欲しそうだと。あの時は生活給付金の色合いが濃い頃だったので、そう申し上げた。
菅氏 今でも給付を受けたら、さもしいと言うか。
首相 生活給付金のイメージに加え、消費刺激の必要が出てきた。高額所得者がもらわれた場合、それ以上を盛大に消費していただくのが一番正しい。
菅氏 総理はどうするか。
首相 予算が通っていないので、もらう前提で話すのはいかがか。今後判断させていただく。
菅氏 公明党の選挙対策費だ。
首相 公明党に対し無礼な話。私は全く見解が違う。
菅氏 自民党の渡辺喜美氏が給付金を撤回すべきだと提言した。受け入れられなければ離党すると。
首相 党でしかるべき手続きを経て決定した2次補正予算だ。決まった後に対応するのはいかがなものか。
逢坂誠二氏(民主)総理は給付金の年度内給付を約束しているのか。
首相 今のうちから準備している自治体もあれば、そうじゃないところもある。もめるところもあると思う。年度内に配りたいという希望はあるが、全市町村もれなくそういくかどうかは疑問だ。
逢坂氏 定額給付金は究極の大愚策と思わないか。
首相 自分の政策を愚策だと思って実行することは普通ではない。

(朝日新聞1月9日付記事より引用)
それにしても、与党内でも、「バラマキ」などの批判があり波乱含みなどと、新聞は解説していたが、結局は造反は渡辺喜美議員1人しか出ないのは、さもしいことだとしみじみ思う。

日の丸

2009-01-06 20:24:12 | 日録
        
 ボクの家には国旗がない。余所のお家のことは分からないけれど、多分ないのではないかと思っている。
 日教組の教員が、「君が代」斉唱の時、起立したとか、しなかったとか大問題になっている折柄、1月1日元旦祭に、国旗掲揚をしない家庭(自衛隊ですら)に、何のお咎めもないのは、誠に不思議な話である。
 だいいち国旗が何処で売っているのか分からないし、元旦に国旗を掲げたら「変人」と思われても仕方ないご時世である。
 「何とか給付金」、欲しいのは山々だけれども、それより国民の皆様に国旗一本ずつ無償提供して、愛国心を鼓舞したら如何なものであろうか。国旗メーカーから、政治献金が頂けるかも知れないのに…。不思議な政治家の頭脳である。

    ヒノマル ノ ハタ
          バンザイ
            バンザイ

             小学国語読本:尋常科用巻二 文部省
 
 
 

謹賀新年

2009-01-02 21:26:19 | 日録
            
迎春
新年は賀状から始まる。

明けましてお目でとうございます。
平素のご無音をお詫び申し上げ、今年も相変わらずのご交誼の程、宜しくお願いいたします。
 何時の間にか馬齢を加え、ふと気がついたら○寿を数える正月を迎えることになりました。
 巷では○期○霊者などと蔑まれつゝありますが、いまだ人間社会に対してご迷惑をお掛けした験しは、一切無かったと信じています。また、これからもそうする積もりでおります。
 幸いわれら二人は、大病に冒されることなく、日課となっている晩酌などにも事欠きませぬ。
 社会貢献という程のことではありませぬが、郷土文学研究の一員として、研究発表誌「○○文芸」の編集一切をお引き受け致しており、目下2009年通巻第14号発行準備に奔走です。
 諸兄、諸姉のご協力・ご指導を庶幾い、併せて皆様のご多幸をお祈り申し上げます。        2009年 元旦

 百二十歳へ力のかぎり餅を伸す    谷 人