狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

三月十日

2010-03-10 15:41:58 | 怒ブログ
          

朝日新聞「声」欄〝語りつぐ戦争〟トップに、
「東京大空襲 無表情の人、遺体の山」の見出しの投稿が載った。 無職 富田てる子 (東京都葛飾区 82歳)の方からである。
 投稿者は、単純計算すれはボクより一つが二つ年上の方である。 当時ボクは田舎に住んでいて、三月一〇日東京大空襲の現状は直接分からないけれど、このわずか3ヶ月後の6月10日、わが村もB29の絨毯爆撃に遇って、空襲の惨状を具に体験しているので、このリアルな光景は手にとるように分かる。
 爆撃の跡は道路、田圃、住宅地を問わず、大きな爆弾の穴と爆弾炸裂時の大量の赤土が盛り上がり、破壊と瓦礫の廃墟の巷と化した。火災も起きた。死傷者の数は300以上に達した。理性も感性もなかった。
 爆撃の目標は、わが村から、隣村にかけて連なる海軍軍事施設・大型飛行艇格納庫、海軍練習航空隊であったのだが、当日は厚い雲に覆われた天候で、もちろんその頃も米軍機にはレーダーなどもあったのだろうと想像できるが、間違いなく雲上からの攻撃は盲爆であった。

 投書は次のようなものである。
  
1945年3月10日、18歳の私は弟2人と東京。向島の親類宅にいた。灯火管制の、真っ暗な2階窓から見た隅田川対岸の浅草は既に真っ赤。ひどく恐ろしくなり、弟と手をつなぎ東の葛飾方面に逃げることにした。
 隅田川では、逃げ場を失い飛び込んで溺れた人が、水面を覆うように流れていた。煤けた顔で無表情に、ただ人の流れに沿い歩く被災者たち。背負ったわが子が既に焼死しているのも気付かず、あてもなく歩く女性も目にした。
家はすぐに全焼し、見渡す限り焼け野原。家が焼けると何も感じなくなるのか、焼夷弾が雨のように落ちる中をただ歩いた。死体は道に幾重にも重なっていた。
6歳の頃、両親を失い、兄は招集で戦地に赴いていた。疎開先もない私たちは都内の親類の家をさまよい続けた。
 兄は数年後、シベリア抑留後に帰ってきたが、私も兄も互いの苦労を言わぬまま時は過ぎた。兄は昨年旅立った。


3月10日は今では東京大空襲の代名詞のようなものだ。(65年経って若い人たちには知らない人が多い)当時は報道管制もあって、われわれにはその実象は何ひとつ知らされていなかった。むしろ5月25日の東京だか横浜だかの大空襲では、100キロ以上離れているわが家からも、赤く燃えている空が遠望されたし、翌朝は燃えた紙くずが無数に飛来した。凄い被害があっただろうことを実感した。
新聞発表は2日遅れた5月27日である。
[大本営発表](昭和20年5月26日16時30分)
南方基地の敵B29約250機は昨5月25日22時30分頃より約2時間半に亘り主として帝都市街地に対し焼夷弾による無差別爆撃を実施せり。
右により宮城内表宮殿その他並びに大宮御所炎上せり。
都内各所にも相当の被害を生じ火災は本払暁までには鎮火せり。
我制空部隊の邀撃戦果中判明せるもの撃墜47機の外相当機数に損害を与えたり。
(朝日新聞でみる世相50年 朝日新聞社1972年より)

見出し写真は、[核密約歴代首相ら黙認]外務省極秘メモ公開ー
今朝の朝日新聞第一面である。
コメント (2)   トラックバック (1)

日本をダメにした九人の政治家考

2010-02-11 15:54:34 | 怒ブログ
本箱の隅に眠っていた「日本をダメにした九人の政治家」講談社という本をを引っ張り出して見た。パラパラっと頁をめくってみると、
 小沢一郎の抜け目のないところ
 社会党にも腹を切らねばならない人がいる
 企業献金など欲しくない。
 金の使い方が下手な梶山、上手な小沢
 人の道にはずれることを平気でやる男
 小沢一郎が表舞台に出られないわけ
 ………
 という風に、小沢一郎を激しく罵っている項目が目立つ。
 改めて興味が湧いたので読み返してみた。

 この本の奥付をみると、1993年12月9日が初版第1刷で、小生の持っているのは、94年1月17日第5刷である。一年間で5刷というのはそう滅多にはない。この本が出る前は小沢一郎「日本改造計画」講談社がベストセラー第1位だった。
 『日本をダメにした九人の政治家』は、元衆議院議員の浜田幸一が1993年12月に出版した本。150万部を越えるミリオンセラーを記録したという。発売から1ヶ月で100万部を突破し、講談社史上最短記録となったとも。
この本主題の「日本をダメにした9人の政治家」とは、
浜田幸一(ご自身のこと。元衆院予算委員長、自民党広報委員長の肩書き。)、中曽根康弘、竹下登、宮沢喜一元首相経験者と三塚博(元蔵相、外相、通産相、自民党幹事長)、小沢一郎(元民主党代表、元自治相、自民党幹事長)、梶山静六(元内閣官房長官、法相、自民党幹事長)、田辺誠(元日本社会党委員長)、宮本顕治 (元日本共産党中央委員長)の諸氏である。
このうち、竹下、三塚、宮沢、梶山、宮本の各氏は故人となっている。
 小沢一郎について、思い当たるのは、
金の使い方が下手な梶山、上手な小沢の項だ。

梶山君は自分でなにからなにまでやらねば済まない独裁者だったので、他人のまかすことは出来なかった。野党に金を渡す場合も自分一人で渡す。ところが、小沢君は必ず人を介すか、立ち合わせて金を渡す。この差は大きい。小沢方式では証人がいるので、あとでもらっていないとトボけられない。
 野党の宮沢内閣不信任あんの提出を、梶山幹事長が押さえられなかったのは、金の渡し方が下手だったということが大きい。
 この辺りのところでも、小沢君のほうが梶山君より金の使い方が一枚上手である。


 テレビ解説者として出演した浜田翁を数回見たことがある。かつての迫力は感じられなかった。またこの本も、今では店頭で見かけることは全くないが、改訂再版したなら再びブームがまきおこるかもしれない。
 しかし、この9人のうち、
竹下登 、三塚博、梶山静六、宮沢喜一、宮本顕次の5氏はすでに鬼籍に入られた過去の人である。
コメント (1)   トラックバック (1)

わからん!

2010-01-29 11:09:23 | 怒ブログ
友人氏が此方の方に来た序でだからといって立寄りになった。 
 氏は小生などから比べると、年齢もずっと若く、政治問題や文芸趣味にも識見が長けているので、役職の肩書きも多い。町の選挙管理員にも委嘱されている。
 懇談中、何処からか氏に携帯電話がかかってきた。
 側で聞いていると、選挙事務所開きに金円を包んで行くのは違反なりやと言うことらしい。
 来月この町では久しぶりの首長選挙と、町議補欠選挙があるのだ。
 主な電話のやりとり。

 氏「選挙管理委員でありながら即答出来なくて申し訳ないが、直ぐ町の選挙管理委員会に電話してから、返事を差し上げるから…。」氏は一旦電話を切って、役所の選挙管理委員会に携帯から電話した。

 問「選挙事務所開きに行くのに、手ぶらでは行けないので、何を持っていったら違反にならないかを、お聞きしたいという方があったので…。」
 答「今日、係がいなくて即答は出来ないが、調べてこちらから電話を差し上げるから、暫く時間をいただきたい。」
 10分ぐらい間をおいて、役所から電話がはいる。
 問「酒はいけなくて、お金なら良いという説もあるが…。」
 答「酒は、持っていくのもいけないし、ご馳走になるのも違反なる。ただし、湯茶に伴い通常用いられる程度の菓子類、まんじゅうだとか、煎餅類は持っていっても差し遣えなく、また、提供してもよいとされています。」
 問「お金はどうなんでしょう。」
 答「告示後であれば、常識的金額なら差し支えありません。」
 問「常識的金額というと、100万、200百万円は、常識的金額ではないと思うけれどど、5万、10万程度の金額なら、常識的金額だと思いますが…。」
 答「そういうことです」←(電話のやり取りから、そう云ったと思う。)
 以上が側で聞いていたボクの記憶である。「まんじゅう」という言葉が繰り返されるので、側に聞いていておかしかった。
 氏は今のやり取りを先刻の電話の相手に早速伝えた。
 
 夜、妻にこのやり取りをオレが解説したら、彼女曰く、
「まるでマンガ読んでるみたい。」
「うーむ。酒は駄目だけれど、「まんじゅう」や、「ゲンキン」なら良いとのことだ。

 そう云えば、大分前の話になるが、村の議員選挙があっ時にそんなことがあったっけ。
酒を持ってきた人もあったが、制度が変わったといって、受付では、お金の入った「のし袋」は記帳して、酒はこっそり何処かへ持っていって終った。

 しかし何とも納得がいかない。
 そこでネットで検索した。
 
 選挙事務所に行く際
質問
質問者:moka23 選挙事務所に行く際
困り度: すぐに回答を!
会社の取引先のOBのかたがこの度選挙に出ています。
事務所にあいさつに伺う際手ぶらではいけないのですが…。金銭は包めないですよね?
お酒を手土産に持っていくぐらいしか思い浮かばないのですがそれでいいのでしょうか?

ご存知の方いらっしゃいましたらお教え下さい
質問投稿日時:07/04/19 15:42質問番号:2933505
この質問に対する回答は締め切られました。最新から表示|回答順に表示|良回答のみ表示 回答良回答10pt
回答者:helpoyaji 金銭は包めますよ。
祝儀袋に御祝と書いて持っていけば良いと思います。
事務所開きのお祝いとか、当選祝いという意味です。
私も今回区議選で3人の候補者にお祝いとして5千円と1万円持っていきました。
お酒でも良いですけど、あまり喜ばれません。
できればお酒ならビール券にしたほうが相手も喜びます。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:自信あり
ログインして投票する参考になった:0件
回答日時:07/04/19 16:03回答番号:No.2
この回答へのお礼 お早い回答ありがとうございます。重ねての質問になりますが
helpoyaji様は個人的にその金額を包まれたのでしょうか?

お時間ありましたら回答宜しくお願いします。
回答良回答20pt
回答者:zorro 金銭でも酒でもなんら問題ありません。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
ログインして投票する参考になった:0件
回答日時:07/04/19 15:57回答番号:No.1
この回答へのお礼 お早い回答ありがとうございます。
金銭も問題ないのですね。
重ねた質問になりますが金額は平均いくらくらい包むのでしょうか?
その際の表書きは祝なのでしょうか?
お時間あれば回答お願いします 。
コメント (2)

立腹帖2

2009-12-20 20:21:28 | 怒ブログ
「天皇特例会見を考える」今朝の朝日新聞3面は、社説を除いた全スペースを、東大教授(憲法)石川健治氏「豪腕」発揮筋違いだ。ノンフィックション作家保坂正康「運用に調整機関必要」。東大教授(政治學)「政治主導万能ではない。とご三方のご意見の特集記事である。

この天皇特例会見は、朝日、毎日、読売、産経が社説で取り上げたという。(小生は朝日以外は読んでいない。)
いずれも、政治利用批判の方に力点を置いた論調だったようにもモレ伺う。
しかし、この問題は既に賞味期限を失ってしまったのではないか。
自民党もこれ以上の批判はやらないだろうし、国民もそれほど重大とは思っていない様な気がしてないのだ。

よだんをもどして。
ご馳走帖の「序に代へて」の一部を紹介して溜飲をさげる事にしよう。
  
序に代えて        昭和二十年夏の日記を抄綴す
七月十三日 金曜日 午後出社ス。会社ニテ古日カラ麦酒一本貰ッタ。夕帰リテ井戸水ニ冷ヤシテ飲ム。コノ頃ノ麦酒ハマヅイナドト素人ガ申スナレド然ラズ。タッタ 一本デモ初メカラソノ覚悟デ飲ンダカラヤレタ。家ノ焼ケ跡ノ玄関ノ戸棚ノアッタ所ト台所トノ二ヵ所ニ麦酒壜ノ王冠栓ノ焦ゲタノガ小山ノ様ニ盛リ上ガッテヰタノヲ思ヒ出シタ。
コメント   トラックバック (1)

立腹帖

2009-12-19 20:33:38 | 怒ブログ
              
      まえがき
内田百の著書に「ご馳走帖」というのがある。ボクが所持しているのは、中公文庫1997初版第13版のものである。
一頻り百の「旺文社文庫」は人気古本で、ボクも何冊か集めてみたが、絶版図書で稀少本のため途中で断念した。
(当時はインターネットによる検索などな出来なかったから、いちいち古本屋に脚を運んで捜し出したのである。)
 今でも新輯内田百全集33巻(福武書店刊)などは、何故か稀少価値で売買されているようである。
 文庫本「ご馳走帖」の表紙カバーに、
 次のような文庫本内容の解説が記されている。
 
朝はミルクにビスケット、昼はもり蕎麦、夜は山海の珍味に舌鼓をうつ、ご存じ食いしん坊百先生が、幼年時代の思い出から戦中の窮乏生活、また知友と共にした食膳の楽しみに至まで、食味の数々を愉快に綴った名随筆

     立腹帖由来
若い頃に比べ、腹が立つことが多くなった。新聞記事の内外情勢から、隣近所の噂話まで、一つとして頷けるモノは尠い。
そうかといって、デモ行進もないし、尚更街頭演説をする機会など全くないから、ストレスは蓄積するばかりである。
 その解消にブログ日記に時折書き留めて溜飲を下そうと思った。幸い当ブログには「怒ブログ」というカテゴリーが設けてあった。
ときに応じて、怒ってみたい。暴力は絶対いけない。
「ご馳走帖」に倣って「立腹帖」と名付けた。
コメント   トラックバック (1)

十二月なり

2009-12-09 19:36:06 | 怒ブログ

当期雑詠

地球儀のカプールの冬なお捜す

極月や真相は斯くありぬべし

身構えて変な師走の街に出る

古新聞ちり紙となる煤払い

喪中葉書二通もポストにありにけり

年の暮れ欲しがりません過去の夢

柚子捥ぎる小市民たる心地なり

 

コメント

十二月八日

2009-12-07 21:12:51 | 怒ブログ


 大敵迫る
         土井晩翠
(抜粋)

千載永く史に残る
昭和十六、十二月
八日ハワイの真珠湾、
敵、驕倣のアメリカの
太平洋艦全滅の
偉勲このかた三年余。
(略)
  反 歌
十億の亜細亜の友を導きて
  光に向かふ大八州国。

揺がざる望抱きて終まで
  忍びつとめよ勝われにあり。
          『公論』十九年八月号

       復録版「昭和大雑誌 戦中編」 流動出版 より引用          
コメント   トラックバック (1)

山田風太郎「戦中派不戦日記」から

2009-09-10 20:46:07 | 怒ブログ
      解説
           橋本治
 これは、今から四十年前に書かれた、四十年前の一青年による、四十年前の記録である。
"解説"などという二文字を麗々しくも掲げるのなら、この二点に触れなければならないだろう。四十年前にこうであった、ということと、四十年前にこういう記録を綴ったその青年のことと。(以下略)

九月十日(月)曇時々晴暑し
○近頃バスの混雑言語に絶す。すでにわが村を通過するとき満員にて乗れず。八鹿まで歩いて出て、切符前日申告して夕帰る。
○戦争中の日本は、偏していたかも知れないが、少なくともまじめであった。
 敗戦後の日本はこの最後の徳さえ失ってしまった。この数日、十数日、日本に乱舞しているのは――僕は言論のことをいうのだがただ軽薄の一語につきる。いい大人が汗水たらして軽薄のかぎりをつくしている。
コメント

ある風景から

2009-08-18 21:01:25 | 怒ブログ


所用があって(実は急にサンマが食べたくなって、それを買いに来ただけの単純な用件である。) 燈刻、街に出かけてみた。
行きつけのショッピングセンター駐車場入口が、いつになく騒々しい。 近寄って見ると、「生活を守り抜く。」と 大書した幟が何本も建っていて、
数人の女性達が、「〝マニフェスト〟をお配りしています 。」を連呼しながら、派手なポーズで通行人に某政党の〝マニフェスト〟なる冊子を手渡し、さかんに有り難うございますを繰り返していた。
その振る舞いは、どう見ても選挙のため雇われた、にわか作りのアルバイト嬢ではなさそうである。
 かの有名な宗教団体の信者たち奉仕団に相違なかった。
 この度の衆院選で、ボクの住む町の選挙区では、この政党からの立候補者はいない。比例代表制という 選挙の仕組みはよく判らないけど、このマニフェスト配りは、比例区の投票依頼であろう。この宗教団体の政治活動は選挙が近くなったから急に始めたものでなく、日常が政治活動であることは、町中貼り巡らした立て看板、ポスターの数が抜群であることから見ても伺いしることができる。因みにわが町には同宗教の推薦所属政党の町議3名が上位当選の常連である。

 ところで話は変わるが、宗教団体の中には選挙の投票をボイコットしているところもある。
とある機会から、その信者の1人と懇意になった。
新聞代集金人として新聞店に勤めている既婚の女性である。彼女は、輸血を拒むことで知られる某宗教の熱心な信徒であった。
そこは、選挙はやらないという教義が徹底していた。ボクは懇意になったのを幸いに、
「貴女たちはどういう理由で投票に行かないの?」と訊ねてみた。
 彼女の答えは次第に熱を帯びてきた。聖書の言葉をしばしば引用した。理論整然(?)である。しかし、立て板に水を流す如く、滔々と引用する聖書の章、節を述べられても、こちらは困惑するばかりである。
「いろいろ言われても、さっぱり解らない。紙に書いてきて欲しい」ボクは彼女にそう頼んでおいた。
 翌月彼女が集金に見えた。
「このあいだ選挙をしない理由を、紙に書いてきてくれといわれましたが、書くということは大変容易なことでないので、ここにその根拠を書いてある本があります。これを差し上げますから、お読み下さい。」
彼女は、分厚い「新世界訳:聖書」と「聖書から論じるQ&A」というその教団の発行する本を、ボクに恵贈してくれたのである。
 ボクもタダで頂いたのでは恐縮だから、代金はお支払いしますといった。
「プレゼントします」彼女は、代金は受け取らなかった。
その宗教の教義を集約してあるテキストであった。

選挙をやらない理由
輸血を拒む理由
戦争・兵役に関する見解
そこに栞を入れてお帰りになった。
>定義:2者あるいはそれ以上の紛争当事者のどちらの味方もしない、あるいはどちらも支持しない者の立場。古代と現代とを問わず、真のクリスチャンがあらゆる国で、又あらゆる状況のもとで、世の党派間の紛争に関し徹底した中立を保持してきたことは、歴史上の事実です。真のクリスチャンは、愛国主義的儀式への参加、軍務に携わること、政党への加入、行政職に立候補すること、投票などに関して他の人々が行う事柄に干渉しません。しかし心のクリスチャンは聖書の神エホバだけを崇拝します。それらのクリスチャンは無条件で神に献身しており、神の王国を全面的に支持します。

一般の政府の権威に対するクリスチャンの態度と関係があるのはどんな聖句ですか。

この「聖書から論じる」ではローマ13:1、5‐7を引用している。小生にはちょっと馴染めない「新世界訳」なので、改訳(文語訳)を覗いてみたが、それでも抽象的語彙が次々に並び、ボクには全く理解出来なかった。
※この添付写真では、駐車場の喧噪音は聞こえて来ないが、メーン会場は道路を挟んだ左側の第二駐車場入り口でパノラマ写真の右端と思って下されば、ある程度の雰囲気が理解出来ると思う。
コメント (5)

回想

2009-08-01 05:42:27 | 怒ブログ

今日から8月である。

狸便乱亭ノートの開設当時の余の日録を記す。
平成17年
8月1日(月)
終日蒸し暑く何もやらず。
Tさんにメールを送る。
《昨夜から今朝にかけての蒸し暑さでは、2回も起こされてしまいました。
足の脹脛が攣れてとんだめさらいました。
 今日から8月。今Z寺から戴いた天台こよみを開けてみています。テレビ体操も始まったようですが、暑くて全くやる気なし。
八月は 四日 天台宗平和記念日 庚申
    六日 広島原爆記念日
    七日 立秋
    九日 長崎原爆記念日
   十三日 迎え火  己巳
   十五日 敗戦忌
《わが家のヤマアジサイ咲いています。今日は月曜日なのに何もやる気ありません。〝怒ブログ〟執筆のテーマを熟慮中。
 もう少しで 食事のラッパがなりそうです。そんでわ。(6:44)
《H大兄
略 朝から猛暑の様子です。家の廻り草ぼうぼうで朝涼しい内に、1時間ぐらい…と心がけているのですが、とてもとても…毎朝やっているテレビ体操も今朝は流石に省略しました。
16日は出席します。はがき出すの忘れました。謝。謝。謝。医療問題。小生はN・K兄の7年間に及ぶ闘病生活と向き合って来ました。誤診のことはさておいても(小生の感想では彼も恐らく院内感染による疑いが充分あります)今の病院のあり方には疑問をずっと持ち続けております。
彼は記念病院→T病院→T・S病院→T・C病院→U病院→T病院(再)→T 病院(癌の疑い検査のため)→T病院(再々)と盥回しされた。彼が最後に追いやられたT病院などは痴呆症専門病院らしかったです。
患者はまるで動物扱いでした。廊下にはいつも紙おむつを回収した大きなビニール袋が山と積まれてあったのを覚えています。
 いまの動物病院は、脱腸になってしまったわが家の猫君をM町の動物病院に入院させた事がありましたが、実に親切で、猫君の待遇も非常に良かったのを記憶しています。
話は飛びますが、近所に住む独り住まいのI女史、K町のある病院に回され、身のキケンを感じてやっと退院させて貰ったーと、親戚の人がその病院の様子や、あるいは民生院委員について話していた。痴呆扱いで、病気はなんでもないのに退院するまでの手続きが大変だったと胸をなでおろしていました。
長くなります。とりあえずメールで出席の通知失礼いたします。そんでわ。                         (8:39)》
テレビ長岡洋治衆院議員の自殺を報道していた。


8月8日(月)
二階の窓から見ていると、下のバイパス添えの電線が落雷の音とともに激しくスパークしたが停電は短い時間で済んだ。数回短い停電があった。
 郵政民営化法案が今日午後の参院本会議で採決され、自民党から22人の反対、8人の欠席・棄権が出て17票差で否決された。何故かテレビに釘付けされた。
H高校が延長12回を制した。

8月9日(火)
今日は殆ど何もやらず。
  衆院解散9.11総選挙
郵政法案参院で大差否決賛成108、反対125

9月5日(月)
閑話休題(オット、むだばなしはさておいて)。
日本列島はいま選挙戦真最中。わが選挙区は無風であるけれど、異変が一つできた。宗教団体が自民党候補の選挙運動をかって出ていることだ。わが町のちょっとした広場や、至る所の交差点には自民党候補の看板と小泉自民党総裁、神埼公明党代表の写真のたて看板が、ずらりと並ぶ。社民党や、元自民党なのに無所属で立候補した父親が防衛庁長官までした候補は、法定の掲示板以外はほとんど立っていない。共産党が自民党、公明党からやや離れた所に、小さく縮じこまって立っているのが実情である。
そこで勲章に話題を戻そう。
 元公明党の竹入委員長、矢野絢也、運輸大臣まで務めた二見伸明氏の消息である。この中で竹入・二見の両氏は創価学会を破門になっているらしい。
 二見元運輸大臣が勲章をもらったかどうかは不明だが、学会が竹入氏を嫌う理由には、
氏が勲一等勲章を貰った事と、朝日新聞に回想録を書いたことに起因するらしい。
因みに、池田大作は諸外国でさまざまな叙勲、名誉教授、感謝状をもらっているが、何と日本国内からはほとんどそれらがなされていないという。勲章の功罪は思わぬ所に落とし穴があるものである。
 
問題の朝日新聞の切りぬきを添付する。

これは「虚偽報道」ではない。宮沢りえの写真広告を重ねたのは他意はない。これも朝日新聞の1ページ大の新聞広告で勲章には関係ない。時代考証の為と思っていただきたい。
宮沢りえ 篠山紀信「Santa Fe」1991・11月13日全国の書店で発売。予約受け付け中。定価4,500円B4版変形140ページ朝日出版社
秘話55年体制のはざまで―竹入元公明党委員長が政界回顧 1998、8,16~

「秋の生存者叙勲」と広辞苑にあるくらいだから、勲章授与は国の年中行事なのだろう。待てよ。年中行事とは宮中で、1年のなかに1定の時期に慣例として行われる公事。民間の行事・祭事にもいう。

九月十一日(日)
 近所のTさん電話ありて後来訪さる。奥さんが沖縄に行ってきたといってお土産を下さる。今日も暑かりき。倅嫁E子から昨日と今日とメールあり。
 Tさん帰りし後、床屋さんに行き、5千円両替す。香典三千円。通夜見舞い二千円を包みて義兄に村付き合い某の香典を頼みに行きたれば、隣家のK翁いたり。これも香典の依頼かと思ったら、単にお茶のみの遊びだったらしい。故人とは軍恩の仲間にて、香典五千円もキマリがあると云。
 Y君、草刈機で近くの下水溝の回りの草を刈っていた。
 夕方雷雨あり。強く降りたる数分に過ぎず。村内に選挙ポスターを軽トラにて撮りに行く。やゝ涼しくなりぬ。選挙は棄権した。

九月十二日(月)
三時半に起きてしまった。自民党が予想通り圧勝した。それほどの興奮も感激もない。

※ 『朝日新聞が問われている
虚偽報道』
相手に会っていないのに、一問一答の取材メモをでっち上げる。そのメモをもとに記事が出来上がる。報道にたずさわる者にとって決して許されないことが朝日新聞で起きてしまった。総選挙を控え、新党が結成されつつある時期だった。亀井静香・元自民党政調会長と田中康夫・長野県知事が会ったという情報があり、政治部から取材を依頼された長野総局の記者が、田中知事から話を聞いたかのように虚偽のメモをつくり、政治部記者にメールを送った。(2005.9.2付朝日新聞)
コメント   トラックバック (1)

憲法危念日

2009-05-03 20:47:17 | 怒ブログ

大日本帝国憲法
告 文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト倶ニ挙行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威霊ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ神祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
神霊此レヲ鑒ミタマヘ
--------------------------------------------------------------------------------
日本国憲法前文
--------------------------------------------------------------------------------

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)

コメント   トラックバック (1)

自らの身は顧みず

2009-03-23 20:31:23 | 怒ブログ
           
「米、英と言えどもおそるるに足らないのであります。」
嘗ての兼攝陸軍大臣の獅子吼は今でも覚えている。

身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも とどめおかまし大和魂

んだ!小学校のとき教わった吉田松陰の和歌今でもオレは今でもソランじる事が出来る。
恰好は良かった!!堂々たる歩武。神宮外苑。
しかしニッポンは大変は事になったのであった。
繰り返してはならない。
この防衛省前の桜は2代目である。蕾は固かった。
コメント

新聞記事から

2009-02-17 21:29:30 | 怒ブログ
           
ましま氏「反戦塾」の塾長塾話に、
《「偉い!!。村上春樹さんが戦時下のイスラエルで反戦演説をした。国際会議場でヨイヨイの醜態をさらす国辱大臣がいる一方、こんな立派な日本人もいる。結婚式に招待され、新郎新婦の悪口をいうどころではない勇気のいることだ。感激のあまり、当塾としてはめったにしない全文を(YOMIURI ON-LINE)から引用する。」》という記事があった。
 ボクはその新聞記事を見落としていた。慌てて昨日の〝朝日〟を引っ張りだして拡げたが何処にも見つからない。それもその筈、今日の朝刊社会面に、僅か14行の見落として然るべき見出しと内容しか出ていなかったのだ。
 午後、健康診断に町のかかりつけ医院に妻を連れて行き、待合室の「スポニチ」でこのことを再確認した。
 中川大臣は雅子さまのゴシップ記事を凌駕したが、村上反戦講演記事は小さかった。
 それにしても、恥も外聞もない日本政治家には、オレですら、「怒るというより笑っちゃうくらい、ただあきれる」ばかりである。 
 新聞を捜していて、
『秀歌連発のホームレス歌人へ「連絡とれませんか」』を見つけた。全文引用する。

朝日歌壇に「ホームレス・公田耕一」と名乗る歌人が現れた。昨年末以来ほぼ毎週入選を重ねている。経歴も年齢も不明だが、投稿数に比例して“気になる存在”度は高まるばかりだ。
 初投稿で初入選したのは08年12月8日掲載の
〈(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ〉。
冒頭は、ダリの時計の絵を連想させる。

 4人の選者のうち佐佐木幸綱、永田和宏両氏が「真に迫る、知的な歌」と注目した。投稿には「住所明記」の規定があるが、「住所という存在証明を持たないホームレスという立場は実際にある。排除すべきではない」と、選者の考えが一致した。住所表記は(ホームレス)にすることになった。
 入選歌は12月22日掲載の
〈鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄(す)てたのか〉、
1月5日は
〈パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる〉ほか一首。
19 日
〈日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る〉。
26日の
〈親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす〉は3氏が選んだ。

 投稿はがきの消印は「横浜」。本日付の歌壇欄に掲載の歌には、寿町や長者町の地名が詠まれている。
 選外の作品からも人物の輪郭が見えてくる。
〈ホームレス襲撃事件と派遣村並ぶ紙面に缶珈琲(コーヒー)零(こぼ)す〉や〈美しき星座の下眠りゆくグレコの唄(うた)を聴くは幻〉。

野宿の日もあるのか。今の境涯に対する自嘲(じちょう)も見える。
〈百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞〉。

朝日歌壇は原則、月曜朝刊掲載。カップ麺(めん)を我慢しても歌を取る姿が浮かぶ。歌壇係には、ホームレス歌人を思う歌や、「短歌を拠(よりどころ)に生きぬいて」などの励ましが寄せられているが、(ホームレス)では、これらの厚意を届けることができない。

 公田さん、何とか連絡がとれませんか。あなたが手にすべき入選一首につきはがき10枚の“投稿謝礼”も宙に浮いているのです。(河合真帆)

コメント (1)

埋蔵金

2009-02-09 18:29:38 | 怒ブログ
             


ムカシ ムカシ、アル所 ニ、オヂイサン ガ アリマシタ。
犬 ヲ 一ピキ カッテ、大ソウ カハイガッテ ヰマシタ。
アル日、犬 ガ、ハタケ ノ スミ デ、 
「ココ ホレ、ワンワン。」
ト ナキマシタ。
オヂイサン ガ、ソコ ヲ ホッテミマスト、土 ノ 中 カラ、オカネ ヤ タカラモノ ガ、タクサン 出マシタ。

トナリ ノ オヂイサンハ、 ヨク ノ フカイ 人 デシタ。コノ ハナシ ヲ
キイテ、犬 ヲ カリ ニ 来マシタ。
サウシテ、ムリ ニ 犬 ヲ ナカセテ、ハタケ ヲ ホッテ ミマシタ ガ、
キタナイ モノ バカリ 出マシタ。
オヂイサン ハ、オコッテ 犬 ヲ コロシテ シマヒマシタ。
犬 ヲ カワイガッテ ヰタ オヂイサン ハ 、大ソウ カナシミマシタ。サウシテ、犬 ノ オハカ ヲ ツクッテ、ソコ ヘ、小サナ 松 ヲ、一ポン ウヱマシタ。

松ハ、ズンズン 大キク ナリマシタ。オヂイサン ハ、ソノ 松 ノ 木デ、ウス ヲ コシラヘマシタ。ソレ デ 米 ヲ ツク ト、オカネ ヤ タカラモノ ガ、タクサン 出マシタ。

   
 これは、文部省『《名称変更「→文部科学省」》←パソコンが勝手に嗤っている』小学国語読本:尋常科用巻2(小学1年生後期用)にある、「花サカヂヂイ」の一節である。
 花サカヂヂイさんは、日頃の心の優しさが実って、埋蔵金を掘り当てた美談なのだが、最近はすっかり世相が変わった。心の良い人でも、良くない人でも、お金持ちでも、貧乏な人でも『霞ヶ関に埋めてあった埋蔵金』が平等にいただける制度だ。
 ボクも2人合わせると加算金も付くらしいから相当纏まった金額になる。正直云って複雑な気分で日々を送っている。(民主党に献金する気には到底なれない)

  
コメント (2)

埋蔵箱

2009-02-05 21:52:18 | 怒ブログ
            

所用があって、町内のYさん宅を訪問した。
所用といっても俳句会の月例会報を届けるだけである。丁度Yさんは、庭先の建て替えたばかりの車庫前で、何か片付けごとをやっていた。会報を渡して、すぐ帰ろうとしたら、
「物置の中から出てきたものなんだけど…。」と相談を持ちかけられた。
「埋蔵金?」
「そんなもの有るはずがないわ。」
 拝見すると、埃の集った昔の茶箱である。
 開けてみると、古い新聞紙に包んだ漆塗りのお椀のセットが詰まっていた。
「主人は早く棄ててしまえというのですが、勿体なくて…。でもどうしようもないし。誰か貰ってくれる人はないでしょうか?」
 昔は、(約半世紀近く前のことだろうなあ。)冠婚葬祭は、みな自宅でやったから、こういう漆器やお膳が何組もセットになっていて、組合や個人の所持品として土蔵のある家に保管して置いて貰ったものである。漆器の裏にY家の屋号が記されていたから、個人の所有物である。Yさん宅はおそらく大尽どんだったのだろう。 茶箱(お茶を作る農家も大尽どんに限られていた。)がしっかりしていたから、塗りは全く剥げたところはなく、まだ新しかった。
「埋蔵金」や仏像が盗まれる世の中なんだから、盗んでくれる人がいないかなぁと二人で笑ってしまった。

 古新聞は、沖縄返還交渉佐藤首相訪米の読売新聞だった。だから、入ったいたのは1971(昭和46年)頃の世相である。
 この時の交渉で、沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用四百万ドル(当時の換算で約十億円)を、日本が肩代わりする密約があったとされている。
 当時の十億円は現在の兆単位の金額になるのではないだろうか。密約とは公開されないことが原則であるから、この費用も埋蔵金で支払われたものではないだろうかとふと思った。


コメント