狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

贋説葦原帝勅語

2005-07-30 16:21:22 | Weblog
(消息筋談話)
さる古書店の紙くずの中から、《恐れ多くも葦原帝が在院中皇位継承の将来を憂慮遊ばされ、自ら渙発せられていた詔書》なるものを発見した。勿論贋作である確率は極めて高いのではあるけれども、皇位継承問題が真剣に論議されているおりから、その将来観の正確さを検証すれば、「皇室典範に関する有識者会議」もあながち狂人・奇人の戯言と無視することも出来ないものと思われるという。

 贋説葦原帝勅語
大日本帝国ノ国体ヲ護持セムトスル任ハ極メテ重シ偏ニ汝ラ有識者学識者ノ双肩ニ在リ汝ラスベカラク古今ノ史実ニ典拠シ余カ事跡ニ鑑ミ其ノ思索ヲ深メ識見ヲ高メ文ヲ修メ武ヲ練リ質実剛健ノ気ヲ養ヒ決シテ軽重浮薄ノ法ニオチイラス以ッテ負荷ノ大任ヲ完遂セラレンコトヲ祈ル

(ここからは真説)
葦原将軍の履歴は小田晋著「日本狂気誌」によると
芦原将軍は嘉永3年高岡藩士の3男に生まれた。櫛問屋に奉公しているうち発病、清国の高官李鴻章に合わせろと交番にかけあい、「我は正3位芦原将軍藤原諸味なるぞ」と見得を切った。すぐさま東京府顛狂院に強制入院せられ、在院実に56年、昭和12年2月2日87歳で死去した。
墓は世田谷の豪徳寺にあり諡号を「至天院高風談玄居士」という。
またかつて弟子入りした櫛問屋の菩提寺である埼玉県深谷市の東源寺にも分骨され、こちらには櫛型の墓が立てられた。「狂聖」と墓碑銘にある。-狂聖・芦原将軍探索行-出久根達郎。

なおボクは広辞苑第5版には「狂聖」も「芦原将軍」の記述はないと書いた。
しかし昭和6年11月発行の平凡社大百科事典第一巻には
「アシワラショーグン 葦原将軍」の綿密な記載がある。この巻頭に掲げてある「凡例」の第6項「人名の扱い方」には、
「1、現存人物の伝記は国宝的人物のみをあげるに止め、今後の活動がまだその人を成長せしむるであろうと思わるる人々は、大人物であってもこれを採録しなかった。ただし外国の現在人物はこの限りでない」とあるから、葦原将軍は国宝的現存人物と認定されたと、この本には書いている。

ただし戦後編纂の同百科事典には、芦原将軍の記述はない。
※ 芦原、葦原と混用したのはボクの責任ではない。


Re:Kamikochi-2004

2005-07-29 21:02:15 | Weblog
Dear Diane and Tony,
I’m so glad to hear from you and that you liked the photos. I wondered if you could receive my email and remember me.
I happily enjoyed meeting you too at Kamikochi. It was so nice time!

I can understand what you say in your notes, especially in Japanese. Your Japanese is so excellent! Id like to meet you again while your visiting Japan in 2006.
Please have one night stay at my home beside lake Kasumigaura which is located near Tokyo and Narita international Airport.

Please send me sometimes your email and I’ll do so too.

Dozo ogenkide,Mata aeru hio tanoshimini!

SAYONARA

S.Tani.


通人

2005-07-28 17:09:46 | Weblog
昔(これも昭和天皇の御世に実在した)鎌倉地方に「通人」といわれた日本男児がいた。菅原通済(名前からして通人である―出久根達郎「古書彷徨」)その人である。
そもそも「通人」とは如何に定義いたすべきか?一少学究の徒は再び穴倉に這入って「大言海」で調べてみたのであった。
つうじん[通人](達人ノ意)(1)博識ノ人。モノシリ。学者。(2)人情ニヨク通ジ、世故ニナレタル人。俗ニ、善ク他ノ内情ナド察シテ、頑(カタクナ)ナラヌ人ノ称。野暮ナラヌ人。略シテつう。とある。
はて、大槻文彦先生も一番大事なことを書き落としたようだ。
○特に花柳界の事情に通じている人。通客。粋人。(広辞苑)通済を語るにはこの項を落としてはナンニモならない。
俳優である。随筆家である。70冊に及ぶ著書がある。戦後の芦田内閣を誕生させた影の人である。昭電疑獄の主人公の義兄である。売春と麻薬と性病と、いわゆる3悪追放に情熱をもやしや人である。鉄道工業会という土建会社の会長である。鎌倉の自宅に、好きで収集した古美術品の、常盤山文庫を設置した人である。関東大震災で成金になった人である。などなどと長々と並べて、この古書店主兼業の直木賞作家は通済先生を解説する。
ところでボクがここで書きたいのは、出久根達郎の著書[古本綺譚]にある次の一節である。
《山口さとのという女性の『わが愛の記』という1冊がある。いずれも戦時中に出版されたおよそ見ばえのしない装丁の本であるが、この表題をのぞいただけで内容を察知できた人は、よほどの通人であるといってよい。》 ボクはこの『わが愛の記』のことで、世界的作家住井すゑと文学論争をしたことがあるのだ。この本に興味ある方はインターネットで『わが愛の記』で検索すれば今でも1500円くらいで手に入る。
つまりボクも「よほどの通人」のお墨付きを頂戴したわけだが、ちょうど時間となりました。  


狂聖葦原将軍について

2005-07-27 22:10:18 | Weblog
昔(これも昭和天皇時代である)日本の国の然る処に葦原金次郎というお方がおられた。「狂聖・葦原将軍」と巷間には伝わっている。「聖」とは知恵が最もすぐれ、あまねく事理に通じていること。また、その人。ひじり。と広辞苑にある。
偉いお方には違えないのだろうけれど「葦原将軍」はその辞典第5版には載っていなかった。
そこで、インターネットで検索する。
葦原将軍.肉縛淫巨乳 定価:900円(税込み)母の秘め事 定価:900円(税込み)とある。
なんだ、こりゃ!!チョッと「ひじり」とは違うではないか!
腰が抜けるほどぶったまげた。「
しかし落ち着いてその下を見ると、「狂聖」葦原将軍(別敬称名・葦原帝)第二の項目「臨床精神医学辞典」と確実にあった。その考察はちょうど時間となりました。明日にする。


kamikochi-2004

2005-07-27 20:02:56 | Weblog
 Kamikochi-2004
Hello Tani san and Rko san (Rko is a name of my girl friend)

Ogenki desu ka?

Domo arigato gozaimasu!! Anata no shashin no Kamikochi wa kirei ni torete imasu ne.

What a lovely surprise it was to receive your notes and photographs-they made Diane and me smile and remember well the day by the lake at Kamikochi when we met you.

It was very thoughtful of you to take such trouble for two strangers from England.

We enjoyed meeting you both very much and it helped to make our holiday in Japan even more enjoyable.We had a great time.

Watashitachi no Nippon no kyuka wa subarashii deshita.

This was our second visit to Japan and we both love many things about your culture and people.I am particularly interested, though not leamed or skilled in Bonsai, Arts and Crafts and Nippon-to.

As well as books and the internet, I am able to learn about these things from NHK/JSTV that I can sometimes receive by satellite.

Watakushi wa Nihon daisuki desu. We very much hope to visit Japan again soon, perhaps in 2006.

It is interesting that you, Tani, owned a transport company .I was a manager in a British transport company for many years so I am also a Trackman.

Watashi wa shihainin no yuso(transport manager?)tasu nen deshita. British Road Services ni tsutomete imashita.

Suimasen, Nihongo wa amari jozu ja arimasen.

Please accept our apologies for our lack of Japanese. We will have to study much harder!!!

Well, take care, both of you and thank you again.

Domo arigato gozaimashita.

Sayonara

Diane and Tony

PS: As I have had problems recently with email It would be helpful if you could confirm      receiving this. I will send this message by post if I don’t hear from you.


伝声塵語

2005-07-26 19:41:51 | Weblog
いまの教育よーくわ解らん。
「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛される事を自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である」。
朝日新聞の『天声人語』が大學の入試問題に出るという自社のPR版にあった。
岩波茂雄のこの〈ー岩波文庫発刊に際してー読書子に寄す〉もヤマを張って暗記しておいた方が良い、と我がかわゆーいマゴ姫に学識経験豊かなるojiichyanは説くのであった。

怒ブログを造る

2005-07-26 15:25:31 | Weblog
昔(昭和天皇の時代)前田俊彦さんという大人がおられた。
大人は《自分が飲む酒は自分でつくる、わが家でのむ酒はわが家で作るという主張は、人間の自由にとってもっとも根本的な問題提起という、非常に重要な意味をもっている。すくなくとも私は、単なる趣味や道楽としてではなく自由なる人間の尊厳にかけて、酒は自分でつくろうではないかとひろく日本人の全体によびかけたいとおもう。》と叫び続けた。
『瓢鰻亭通信』を発信、「どぶろくをつくる」をライフワークとしたのである。
前田大人の意をうけて酒造りから「怒ブログ造り」に発想を展開したいのが
『狸便乱亭ノート』である。
サブタイトルの「大宇宙への発信」はチョッと拙かったな…である。
             2005年7月26日(友引)     狸便乱亭主人