狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

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乏中有寒遊就館(無言碑)

2005-12-30 20:28:32 | 反戦基地

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メチャラクチャラ博士の迷講義

2005-12-29 15:25:06 | 博物館

   滑稽大學メチャラクチャラ博士について
            (75歳以上の方優先:18歳未満の方要解説者)

 同じ町内に住む、ブロ名平 落人氏が
<いんごう【いんごう】 について辞書で調べたら結果は次の…etc   「因業」 「印形」 「印章」 「はんこ」 「印鑑」 「みとめ」等々。 言葉・名称の意味が記載されているものばかりで期待はずれ!

 僕が知りたい(語源)を調べるにはどうしたらいいのかな…?知ってる方は コメントorトラバ よろしくね!!

 僕の知識では「はんこ」の歴史で呼び名が、当初は「印形」に始まり時代が変わるとともに名称も、順にかわって今に至っているらしいが調べた記憶がないので自信はないんだ。 又、その語源は、「印形」は文字がすべて反対に彫ってあり、捺印して正常な文字になるために、(わからずやで何でも反対する、じじい)のことを例えて(いんごじじい或いは、いんごおやじ)と言うとか…? 語源は「いんぎょう」が「いんごう」となり更に訛って「いんご」になったと以前、博学老人に教えられた。 これで正しいのか、完璧な解答が知りたい。> 
とブログhttp://blog.goo.ne.jp/hekkonet_gg96/
に書き込んできた。そしてその研究結果をTBで送ることを約した。
次がその研究成果である。

 大言海(語源に詳しいとされる辭典)大槻文彦著・冨山房 によれば、

いんごう(名)因業 ①因ト業ト。(因縁ノ條ヲ見ヨ。劉禹錫・碑廣禅師「佛以大慈救諸苦廣起因業故劫濁而益專」 ②頑ナニシテ。苛キコト。心ネヂケテ、情ノナキコト。(悪業ニ因リテ然リトスル意)苛酷「いんごふナ翁(オヤジ)。とあります。

これが正確な語源でしょう。 「いんぎょう」が「いんごう」となり更になまって「いんご」になったとする博学老人は、恐らく
「滑稽大學」(少年倶楽部・大日本雄弁会講談社発行)学長メチャラクチャラ博士の講義から出た学説だと思います。

太宰治「人間失格」に次のようなことが書かれています。
<自分は毎月、新刊の少年雜誌を十冊以上も、とっていて、またその他にも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染(なじみ)で、また、怪談、講談、落語、江戸小咄(こばなし)などの類にも、かなり通じていましたから、剽軽(ひょうきん)な事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。」 

(註)ナンジャモンジャ博士(略称ナ博士)は少女倶楽部担当教授である。

<少年倶楽部のこの学長「メ博士」(メチャラクチャラ博士の略称)は、実在人物「千葉耕堂氏(故人)」であり、大正十五年の4月号に、「滑稽大學創立10周年記念祭」というにぎやかな催しが展開された。この催しの呼び物として、少年倶楽部から滑稽大學学長メチャラクチャラ博士に銅像が贈られ、その写真口絵が巻頭を飾っている。
 銅像は、当時彫塑会の若き俊英杉本宗一氏(後に日展審査員)によって製作され、日本美術院審査藤井浩祐先生によって完成したものである。その口絵写真の説明文に曰く、
 このたび滑稽大學創立10周年記念祭を挙げるにあたり、創立以来十年一日の如く縦横無尽の頓知奇知を揮って読者に「笑いの学問」を授けられる我が親愛なるメチャ博士の偉大なる功労を表彰せんが為に、茲に銅像を建てて博士とその知恵袋の英姿を永久に祈念せんとす。冀くは博士の禿頭いよいよ輝きを加えて、少年の心を絶えず明るき笑いの中に照らし給え。弥栄 弥栄。 

 次はその講義内容の1こまである。
(問)メ博士、一大難問を呈す。ある人が東京駅で十銭白銅を出して、「北京まで下さい」といった。さあメ博士ならどこ行きを差し上げるか、そんなにふるえていると、上から刀が落ちてくるよ。(東京 土井正雄 特賞1円図書券贈呈)
 これははたして子どもの投書だろうか。当時少年倶楽部は家中の人にも読まれていたので、大人にも子供にも人気のあった滑稽大學につりこまれて、「どれどれ」と、こっそり投書した親父さんもいたようだ。

(答)ヘン、一寸考えたナ。北京まで下さいといったら信濃町(支那の町)行の切符をやればよいのじゃ。特賞に慢心してなまけてはいかんぞ。「少年倶楽部時代 編集長の回想 加藤謙一 講談社」より。

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亡国を知らざるは亡国なり

2005-12-28 21:54:25 | 怒ブログ
 
畏友M氏から「怒り狂っています。」と言うメールを頂戴した。
某地方新聞に掲載された「亡国を知らざれば」と題した氏のオピニオンの原稿が添付されてあった。

「震えあがる寒さ。記録的な大雪。あちこちで発生している被害。これは、お天道さまが、この世の人のありさま、動き方を怒っているのだ、と勝手に考えている。」という書き出しである。

そして、医療機関、福祉施設、それに、たべものを作る農業や漁業だけが人の生命に関わる仕事、産業だと考えていたが、JR西日本の事故やマンション、ホテルなどの人の住まい、クルマの車検、暖房器具など、安全性を疑わないできた多くの分野で、死に至るおそれがあったり、死者が出たりしている事実に触れ、孟子の性善説から、違う現実を指摘、さらに、

「証券取引所で、機械の操作ミスから数百億円の儲けが発生した(ということは、同額損をした人がいる)。その前にも、企業の株買占めなどで巨額の利益を得た人がいる。額(ひたい)に汗しないで、モノは生産しないで、である。」と「財界のトップからも、このような行き過ぎた市場原理主義に苦言を呈する声が出てきている」として憤激されていた。

更に氏の専門分野である農業問題に触れ、「国の行政機関や或いは財界、生協までが、我が国の農業をつぶすことによって儲かる人がいる、そしてそれを良しとする国民が多くなっている。 自分さえよければ他人はどうでもいい、という貧しいこころが支配している日本。この寒寒とした光景から、百年も前に田中正造が語った、
『亡国に至るを知らざるは、これすなわち亡国なり』という言葉を思い起こしている」。と結んであった。

畏友M氏は、氏のこのような持論を、不特定者の見る「ブログ」に(小生の独断による概要表現)の引用を、快しとしないのだが、心が動かされてしまった。(意に沿わないグログだったら、直ぐにでも削除して、氏にお詫びしたい)。

年末にかけて、不祥事は更に続く。
只今も震度3の地震があった。
テレビのニュースの解説によると、わが家から数キロあたりの地点に、震源地点の×印が大きく写っていた。拙宅でも妻や、小生の病院通いが慌しい年末を過ごす。

これからが、ほんとの「愛」が必要となってくるかもしれない。

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御璽

2005-12-25 22:02:07 | 怒ブログ
例によって広辞苑による。

ぎょ‐じ【御璽】天皇の印。大きさは方三寸、「天皇御璽」の四字を刻す。律令制では少納言が監して内印とも称した。現行のものは1874年(明治7)改刻の金印で、もと内大臣が保管して、詔書、親任官・認証官の官記、親授・勅授の位記に用いられた。今は侍従職が保管、天皇の国事行為に伴い発せられる詔書・法律・政令・条約・内閣総理大臣の任命書に用いる。玉璽。おおみしるし。→国璽。 

民間では判子(実印)を押すには、印鑑証明が要る。責任の証である。
御璽を押すのは、天皇ではないらしい。印鑑証明も恐らくいらないだろう。

印鑑証明がないのだから、めくら判を押しても、全く責任はない筈である。不思議な法治国家である。

今夜は、「般若湯」を戴き過ぎたので、その考察は明日に持ち越したい。憂国諸氏のコメントやTBで「御璽」の責任範囲のご教教授を賜りたい。   
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軍歌

2005-12-24 22:26:40 | 怒ブログ
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今日は何の日

2005-12-23 21:52:19 | 怒ブログ
  
実は今日は何の日の「休日」であるのかに気が付かなかった。カレンダーを近くで見ると、ちゃんと「天皇誕生日」と書いてあるのだが、先ずそれよりも、3連休の方に気が飛んでしまう。

現在親愛なるブロ友T氏と共に「毎日サンデー」に置く身であるから、カレンダーに赤・青・赤が並ぶのを見ただけで、特に感激は湧かない。然しそれでも嬉しい。

数年前迄、零細運送屋の経営者であった頃の私は、12月中に3連休が巡って来るのも珍しいけれど、23日だけは休日にならなかった。28日が仕事納めだったものなァ。

零細とはいえど、大手建設会社の直受(下受けや、孫受けでないこと)の運送屋だった。それにもかかわらず、建設工事現場は会社職員が1~2人出るだけで、実際工事に当る職人たちは、皆専属の下請けで、孫受けもなお更多い。現場が動いている限り資材の運搬は休めなかった。

確かにわが家から見える国道のトラックの通行量は、大分少なくはなってきてはいる。しかし宅急便はちゃんと届いているし、恐らく主要国道を走るトラックは、今でも3連休は出来ないのではないだろうか。

しかもこの祭日に、門前に国旗を掲げた家はとうとう見かけなかった。

今日は、謹賀来年の願いを込めて、パソコン仲間でささやかな、望年会の後、数人の希望者を募って「カラオケ屋」で第2次会をやってしまった。天皇誕生日に気がついたのは、カラオケ最中である。
 
 なぜなら、2次会の参加者は、平均年齢は70歳ぐらい前後。私は「軍歌」以外の演歌は全く知らない。他の皆さんが歌ったのは、けっこう今の演歌も達者だったが、最高齢者の私を慮って、軍歌が主流だった。

生まれて初めてカラオケのマイクを手にした。

「♪<あぁ 堂々の 輸送船さらば 祖国よ 栄えあれ
遥かに 拝む 宮城の空に 誓った  この決意>」

「♪<貴様と俺とは 同期の桜  離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社  春の梢に 咲いて会おう>」

 その度、スクリーンに、中国戦線の、日章旗や、太平洋上での軍艦旗が翻った。
すなわち今日は、昔でいう「天長節」だったのである。

「今日の吉(よ)き日は大君の うまれ給いし吉き日なり 」の歌詞は今でもはっきりと覚えていはいるが、この曲は入っていなかった。

「♪都の西北~」も歌った。 「若き血」は捜す暇もなく、私が最も好きだった、学徒動員の歌は、歌詞の出だしから、検索しても、とうとう「嗚呼紅の血は燃える」の題名は思い出せなかった。(学徒出陣)

最期は「若鷲の歌(予科練の歌)」で門限の時間となった。大枚700円を割り勘で支出した。









  
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乾杯のたび思うこと

2005-12-22 07:59:05 | 怒ブログ
 
久しぶりに「酒」の記事を書いた。
抑々、この「ブログ」を始めた時、タイトル名を考えたのは、故前田俊彦翁の「瓢鰻亭通信」からヒント得て、迷わずにLiberty-note bookの迷邦訳を考案して命名したもので、「どぶろく」に因んで「怒ブログ」なるカテゴリーを設けたのが始まりであった。

 その後「老年反戦委員会」(参照)の(ましま)さんから、大いに啓発されるところがあり、「反戦基地」の部門まで設けたのだが、元々、無学の元零細運送店主の老生に確たる反戦理論などは展開できなかった。

 反戦の意思や行動も、頑強なほどの堅固さに変更はないが、「酒」の文字が出てくると、勇躍乾杯を惹起せざるを得ないのである。

 過般の解散総選挙の当選祝いで、その乾杯風景や、万歳の場面はテレビで何度も見せつけられたが、酒樽の鏡を抜く行事には一度も出合わせなかった。どうも、イカサマではないらしい。然し、酒も飲まずに「万歳三唱」が出来るものであろうか。

イラク自衛隊派遣延長が決まり、再びその雄途に就く部隊も多数おられるはずである。ご苦労様なことだ。歓呼の声に送られた昔の軍隊とは、雲泥の差があるであろう。戦場にブッシュのアメリカと、日本(?)の国益を、生死を賭けて出発しようというのである。

その前途の無事を祈念するする壮行会は、どこかで必ずやっているに違いない。然しこの乾杯音頭の公開写真などは一度も見聞出来ない。報道も尠ない。同列に扱っては甚だ失礼だが、選挙の当選祝いにしろ、壮行会にせよ乾杯は必ず付き物である筈だ。

小生も、同好の仲間たちの集会があるときなど、最高年齢者を理由に、乾杯の発声を依頼される場合が、稀にある。乾杯の発生の場合、前置きがないと何となく格好がつかない。

然し小生はこれらの弁舌に対し、強烈なアレルギーの持ち主である。だから、指名される可能性が予知できた場合、予めメモを用意して持っていく。
今の乾杯は、決まって「ビール」や「ウーロン茶」で済ませることが多いので、そのメモを読上げてから乾杯の発生をすることにしている。

メモの内容は、次の狩野卓也氏(酒文化研究所)の新聞コラムを参考にして、書いたものである。

  <乾杯に想うこと  祈念の時は日本酒で>
<自衛隊のイラク派遣も国会で決定し、いよいよ陸上部隊の先発隊が旅立っていった。その壮行会の様子をテレビで中継していたが、ひとつ気になったことがある。このときにどのような乾杯がされていたかということである。

 古来、再び会えるかどうかわからぬ旅に赴くときには水盃がかわされてきた。だから今回のように壮行の意図が強ければ酒盃で別れを惜しむべきであろう。しかしながら昨今は飲酒運転の取り調べも大変厳しくなっている。自衛隊のイラク派遣の関係者がその帰途に酒気帯び運転で捕まってはしゃれになるまい。

 北海道では日常的な移動手段に自家用車を利用している者も多いはずだ。そう考えると特に深い考えはなくても酒やビールは口にせず、ソフトドリンク(ノンアルコールという意味では水である)で乾杯した人も多いのではなかろうか。あるいは今回の派遣の困難な状況をおもんばかり、あえて水を選んだ人もいたかもしれない。

 場面は変わって私が参加したとある賀詞交換会でのこと。乾杯は当然のようにビールである。別にビールがいけないというわけではない。しかし、大抵の場合には乾杯の発声をされる方の挨拶は長い。この間にグラスを充たしていたビールの泡はほとんど消えてしまい、後に残るのは気の抜けたビールである。

 それに挨拶の最後は「ご来席のみなさまのますますのご発展と健康を祈念して乾杯!」と結ばれることが多い。祈念するということは何かに祈っているわけだ。

格別信仰心は強くない小生だが、こういう場合にはなんとなくカミ様というものをイメージしている人が多いのではないだろうか。もしカミ様に祈るのであればやはりささげる酒は冷やの日本酒が作法にかなっているのではなかろうか。>

 筆者は「酒文化研究所」代表取役 狩野卓也氏で、某新聞コラム「羅針盤」(参照(2004年02月17日)からの引用だが、拙ブログへの引用掲載については「快諾」を頂いた。感謝したい。

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合併しない福島・矢祭町

2005-12-20 20:42:17 | 日録

   「合併せず」
条例制定へ 福島・矢祭町「自立の道、後退させぬ」

<「市町村合併しない宣言」で知られる福島県矢祭町は19日、将来も合併しないことを明記した自治基本条例案をまとめた。

人件費削減のため役場の定年退職者の不補充も盛り込んでおり、全国でも例のない内容。根本良一町長は「自立のためには財政健全化が不可欠。町が進めていることを後戻りさせないための条例化」と説明する。20日から始まる町議会に提案され可決される見通しだ。

 条例案は、町政の基本理念をうたい「町の最上位の条例」と位置づける。前文には「法令をもって命令されない限り合併をせず、自主独立の道を歩む」と記した。

 第1条で「人口減少に歯止めをかけ」と、町を挙げて少子化対策に取り組む目標を掲げた。第6条では「来たるべき団塊の世代の定年退職にも不補充で臨み」と、役場職員の新規採用に「縛り」をかけた。

 矢祭町は、経費節減のため、03年度から職員の新規採用を停止した。職員数は現在77人だが、団塊の世代の退職が終わる8年後には40人台まで減ると見込み、役場OBらが運営する「第2役場」に業務委託をする準備を進めている。今年度から第3子以降の出産に祝い金を100万円支給しており、今後拡充する方針だ。町は約7000人の人口を10年度に7500人にすることを目標にしている。

 総務省合併推進課は「合併しないという条例は聞いたことがない。こちらは、合併が必要という立場。こうした条例は想定しづらい」としている。>
これは朝日新聞(12版N)第一面の大きな記事である。

小生の住む町でも、今回の平成大合併で、隣村との合併門題が、両町村合併協議会では決定し、新市名決まるまで進展したのだったのだが、調印直前、隣村側の「合併反対の住民投票」の結果、合併は否決されご破算となった。

 かなりの費用が、かかったと思うけれど、その責任を問う議会での発言もなければ、何もない。あったかもしれないが、平穏無事の終わった。町広報でその費用の分担の割合を知らせただけで、その声を町民側は聴くことが出来なかった。共産党議員が2人もいるに拘わらず…。

合併反対の矢祭町長を取材した当時の地方新聞コラムが、オレの日記に記されていたので、再び書き記したい。

これはオレの日記を書き換えで、新聞記事のコピー&貼り付けでないから、多少の誤記はあるかもしれないが、大意は通じると思う。

 <取材で県境の福島県矢祭を訪ねた。人口約7千人の過疎の町は全国で初めて「市町村合併をしない宣言」を議会で決議したことで知られている

▼取材に応じてくれた根本良一町長の第一声は「忙しくて飯も食えないよ。あんた、もう、飯くったガ」こちらが済ましてきたばかりと答えると、「若いんだから、なんぼでも食えっぺ」

▼結局てんぷらうどんをすすりながらの取材となったわけだが、「こんなことで職員を使ってはいけないよ」と言って、町長は自分で丼を洗った。

▼そのくらいだから、職員には厳しい。「『おれの顔色をうかがうな。いつも町民の方を向いていろ』が町民の口癖」という。経費削減への取り組みも徹底している。区長宛の刊行物は郵便を使わず、町長の運転手が配送。職員数は人口が2500人多い隣村より少なく、議員数は再来年3月には現在の18人から10人に。築後41年の木造の役場庁舎は建て替える計画もない。

▼そして外に向けては、一部上場企業の工場を直接談判で誘致し、住宅団地は八割方分譲を終えた。老人福祉施設も建て、介護保険料は全国12番目に安い。年収1億円を越えるシクラメン農家も育てた

▼「合併しなくても」大丈夫だよ、オラの方は。インフラ整備はやったし、町発展に必要なものもほぼ終わった。(合併して)なんで売り渡さねばなんないの」。合併を選択せず「独立独歩」の未知を選んだ町長の自信と覚悟をみる思いがした。(茨城新聞 02.10・29付)とある。(矢祭山)
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春の岬

2005-12-19 21:41:42 | 怒ブログ

1日必ず、何か書く事にした。
しかし、もはやPM10.00近い。
新聞のコラムは、毎日書かねばならぬプロの仕事であるが、それでも、某新聞の「コラム」などは、他出版社からの「本」の記事引用が甚だ多い。最近 三好達治の詩「雪」の引用があった。(天声人語)
      雪
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

小生は、その詩から、何だかんだと、時事問題を絡ませる技術がないので、
今宵は、冒頭の詩を鑑賞して寝ることにしよう。

     測量船

 春の岬
春の岬旅のをはりの鷗どり浮
きつつ遠くなりにけるかも(創元選書)

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日本酒物語回答文の試み

2005-12-18 21:25:20 | 日録
       
 酒の通人らしきオスカーPターサン氏が、

コップ酒・升酒・ひや酒・かん酒・やけ酒・樽酒・生酒・冷酒
茶碗酒・あつかん・ぬるかん・ひや・徳利おちょこ・般若湯 
ぐい飲み・祝い酒・月見酒   ---(順不同)---
  *それぞれ意味あり、ちゃんと答えられるかな?
  *飲み屋のマスタ-、半分しか分かんなかった?
  *ヒント「月見酒」=中秋の名月を見ながらじゃねぇよ。

と問題を提起してきた。コメントでは長くなるので、小生の研究結果を「便乱亭ノート」に書いて答えてみる。

しかし《*ヒント「月見酒」=中秋の名月を見ながらじゃねぇよ。》とあるのが一寸ばかり引っかかる。若しこれが《すべて『隠語』で答えよ》だとすれば小生には全く答えることは不可能である。(月見酒)

今日は日曜日ではあるし、外は強風が吹き荒れているし、遊びに行く処もなし、ゼニもない。従って、晩酌の日本酒の肴にと思って、出来るだけ学問的考察を試みてみた。赦されよ。

 先ず例によって「広辞苑」(参照)に頼る。しかし「月見」は派出語として、月見草・月見蕎麦・月見団子・月見の宴を挙げているが、「月見酒」の項はなかった。

「月見」の項に《卵を落とし入れた料理、卵黄を月に見立てた料理》。とある。しかし黄身を落としただけでは、いくら風邪の季節だと言っても、玉子酒には程遠いだろう。「パス」するしかない。

☆コップ酒 ①コップに一杯ずつ売る店②小さな杯を用いずぐっと飲む酒。ここでいう「酒」は無論日本酒である。(以下全問「隠語」で答えよというのなら、全問「パス」するしかない。)(隠語

☆升酒 辞書には「枡酒」とも書く。①枡に盛った酒。また、枡売りの酒。

☆ひや酒 燗をしない酒。冷たいままの酒。れいしゅ。俳句の夏の季語である。
「冷酒」との違いは、予め燗をしないで飲むように造られた日本酒で、「冷用酒」と記載されていて、飲み屋で注文すると、多少高価になるものが多い。

☆かん酒 燗をした酒。「燗」とは、酒を器に入れて適当な温度に暖めること。その暖め加減。燗をつけるなどという。薬缶や、土瓶や、電気で沸かすのは、かん酒とは言わない。

☆やけ酒 自棄になって呑む酒。パチンコなどで大金を摩ってしまったり、彼女に振られた時など、自棄を起こして呑むアルコール飲料のことで、日本酒とは限らない。焼酎が多いだろう。

☆樽酒 樽に入れた酒。樽詰めの酒。杉の香りを入れた、まがい物の瓶詰めの酒も「樽詰め」として市販されている。

☆生酒 清酒の大半は、〝原酒の状態で酒蔵タンクに貯蔵される直前〟と〝市販酒としてびん詰めする直前〟の2回にわたって火入れされている。これは、いずれも清酒を60度前後に加熱して、清酒中の酵素を不活性化し、同時に殺菌する目的で行われる。

 生酒というのは、火入れを一切行わないもので、搾りたての新酒のままの生である。これが本物の生である。生原酒というものは、水も一切加えていず、火入れをしていな清酒ということである。
(穂積忠彦監修「日本酒辭典」健友館より)(日本酒事典)

☆冷酒は、ひや酒の項で述べた。茶碗酒は茶碗に酒を注いで呑むことだが、何かの「演歌」に出てきた言葉のような気がする。
あつかん・ぬるかん・ひやは、燗酒の項でご理解いただきたい。

☆徳利おちょこ 《徳利&お猪口》という意味ではなかろうか。「とっくり」の場合、水泳の出来ない者を嘲っていう意味もある。(水中に入れれば沈むからいう)お猪口というのは、「猪口」の丁寧語だが、(多く「ちょこになる」の形で)差していた傘が風に煽られて、柄と反対の方向に開いた形になることも言う。

☆般若湯 これこそ(僧の隠語)で、仏教徒でもある小生の、日常欠くべからざる飲料水である。禅寺の山門には「葷酒不許入山門」とあるから、般若湯ならば堂々と、山門に入るを許されるのである。(参照

☆ぐい飲み ①仰向いてぐいと一息に飲むこと。②大きい深い杯(器)で小生も一回だけ、淑女(いうまでもなく今の山の神様)から、ガラス製の「ぐい飲み」1個をプレゼントされたことがある。以後は「あまり、呑むな!」と、怒鳴られることが多い。

☆祝い酒 ①戦争が終わって、侵略者が撤退した時呑む酒。この酒は一番美味いだろう。
イラクからアメリカの侵略軍が撤退し、日本の自衛隊も海外派遣を止め、不戦の憲法が守られ、世界に真の平和がおとずれたとき飲むのが、正真正銘の「祝い酒」であり、一刻も早く飲みたいものだ。

因みに、荷風散人は太平洋戦争が終結した時の「祝い酒」を、「断腸亭日乗」の1945年8月15日に次のように記している。

《(略)S君夫婦、今日正午ラジオの放送、日米戦争突然中止せし由を公表したと言ふ。あたかも好し、日暮染物屋の婆、鶏肉葡萄酒を持来る、休戦の祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ」…》。この時代は日本酒は入手できなかったし、日本酒といっても「合成酒」と言うアルコール飲料水だった。

②多分オレが死んだ時に、仲間たちが集まって、飲む「酒」または、「般若湯」のことであろう。どんどん自腹を切って大いにやって呉れ給え!

☆月見酒は先に述べた。
            以上回答に3時間以上を要した。

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隗より始めよ

2005-12-17 21:50:39 | 怒ブログ
 この項をGooglで検索してみた。
僕の知りたい「隗より始めよ」は、その熟語の前に田中真紀子を貼り付けなければ、検索できなかった。(参照

田中真紀子の名言「隗より始めよ」はどうなったのかを、知りたかったからである。

あれから、何年も経たないのに、既にすべてを誰もが忘れかけている。しかもコイズミの人気だけはますます高い。

辻元も、真紀子も、鈴木宗男の現議員に再選された。
この中には「辛うじて当選した議員」もいるのだが、その3人の中で僕は、鈴木宗男を最大に評価する。

あとは評価すべき発言が全くないし、むしろ軽蔑に値する。落選した「土井女史」など、憲法が危ないというのに何やってんだっぺ!!遊説先も、講演依頼もないんだろうな。可哀想。

まさか、□子さまのようなご病気になられたのではあるまいけど…。
辻元さん、罪滅ぼしに「ピースボート」を値下げして、最大に誇大宣伝したら。
ムネオさん大いにやれ!!

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男児がつくる簡易昼食

2005-12-16 11:11:08 | 怒ブログ
 妻が、9日間家を空けた。(離婚したわけではない)ある事情があって、別居生活を余儀なくされたのである。

娘がいるので、朝夕の食事の心配、衣類(下着)の洗濯、風呂の掃除などは彼女任せで済んだので、全くの独身貴族生活ではなかった。

我輩男児が厨房に入ったのは、お午の昼食だけである。
(写真はフラッシュに為、多少ぼやけてしまったが、実物はもっと美味そうであるし、実際美味く出来た)。

コイズミ首相も・独身であるともれ伺ってはいるが、お正月には、1日ぐらいは、ゆっくり休みは取れるだろうと庶民は考えるけど、休めなかったなら、仮病を使えば良い。

庶幾くは、是非試作、試食されんことを。
靖国神社参拝のことなど考えずに、たまには、庶民の食事を味わう方が良いと思う。

お金の心配はまずあるまいと愚考するのだが、手間や、燃料、光熱費を入れても約100円で済む。

政治家だから、零細小規模ラーメンメーカーの〔考(?)景気〕のことを思うと、喉に通らないかもしれないが…。

くれぐれも、火の始末だけは気をつけること。
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男児が作る簡易食

2005-12-16 10:22:47 | 怒ブログ

 煩わしい事だが、「TEXTエディター」を使って新規投稿を試みたので、内容が重複した。

 理由は、小生が、キリスト教の「愛」の精神にたち返って作った、ラーメンを独身男性に紹介すべく、大きい写真を貼り付けて見せたいだけの、単純な思いつき構想の練習記事で、本当は黒田さんに紹介して、清子さんにご馳走するに足る「ラーメン」の積りだったが、未だ恐れ多い気持も有之、日本臣民としての、良心に苛まれ、コイズミ首相宛てになってしまったのであった。

どうしてもコイズミが、靖国神社に参拝したいなら、先ずこのラーメンで食事をすませてから、「遊就館」を先に見学してもらいたい。

首相なら、展示の零戦や、彗星、桜花にも特別試乗できるかもしれないだろう。

それから後、賽銭を投じるもよし、お祓いをされるのも、手を合わせるのも自由である。

更にこのことを、天皇陛下にご報告なされるのも、良いパフォーマンスになるかもしれない。

しかし、くれぐれも、火の始末だけは気をつけること。これだけは重ねてお願いしたい。

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2005-12-14 21:07:51 | 日録

「日本漢字能力検定協会」が例年、年末に公募する今年の世相に「愛」が選ばれたと、発表があった。 全国から11月1日~今月5日に8万5322通の応募があり、そのうち4019通(4.71%)が「愛」で、2位以下は「改」「郵」「株」などだったそうだ。

 締め切り日が、今月5日だったので、年始めの頃(年前期)辺りの出来事は、すっかり忘れてしまうことが多いので、年2回の応募を年末に集計すれば、亦違った結果が現れたかもしれない。それだけの手間をかけてまでのことではないには違いないと思うけど。

因みに
2001年は「戦」米国同時多発テロ事件で世界情勢が一変して、対テロ戦争、炭そ菌との戦い、世界的な不況との戦いなどを反映した。

2002年は「帰」北朝鮮に拉致(らち)された方の帰国、日本経済がバブル以前の水準に戻ったこと、昔の歌や童謡のリバイバル大ヒットなど「原点回帰」の年である。

2003年は「虎」阪神タイガースの18年ぶりのリーグ優勝、衆議院選挙へのマニフェスト初導入で政治家たちが声高に吠(ほ)えたこと、虎年生まれの方に「千人針」をお願いしたいような、自衛隊イラク派遣問題など。(千人針

2004年の昨年は「災」大型台風が毎週のように、日本列島上陸。「新潟中越地震。浅間山の大噴火。イラクでは残虐な人質殺害。三菱自動車のリコール隠し。幼児虐待。子供の殺人事件多発。などがあり、
「災い転じて福となる」事を願って、年賀状に書き込んだものだった。

阪神大震災が起きた95年の「震」で始まって以来、「倒」「毒」「戦」「災」のような暗く苦しいことを表す字が続いたが、今年初めて明るい印象の字が選ばれた。

「愛」は「愛知」地球博や紀宮さまの結婚《【愛】男女間の、相手を慕う情。恋・=広辞苑》。などに絡めて応募する人が目立ったというが、「愛子さま」への票も充分あったのではないか。

皇居というところは、小生はまだ行ったことがないので、詳しくはわからないが、お噺に聴く限り、「龍宮城」のような所だと想像する。(浦島太郎

若しかして、愛子様が、その龍宮城の城主になる可能性は、確率として。非常に大きいとみなければなるまい。(女性天皇)

『愛』→『哀』邦訓相通じるという。

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中陰の花

2005-12-13 20:33:52 | 日録

妻が某大學病院に入院した。かかりつけだった町医院のG先生が「右肩が重い」という彼女の訴えで
「脳梗塞の疑いあり」と、大学病院を紹介してくれたのである。しかも紹介状の宛先が、その筋の専門家某教授宛であった。土曜日であった。

 月曜日を待ち、妻は早朝医大病院に急行、早速「MRI 磁気共鳴影像法 magnetic resonance imaging」という機械で脳内を隈なく撮影された。

即刻、入院を宣告された。家に帰る一刻を争うかもしれない、と脅迫めいた宣告だった。
 それが、結果的には正解だったのだけれど、1週間後の「MRI」検査の結果、「異常なし」あす退院OKとなったのである。
 
 病室には、有料カードによるテレビもあるのだけれど、テレビを殆んど視ないわが家庭で、40有数余年飼いならされた彼女には、全く不必要の存材だった。
妻の愛読作家は玄侑宗久(玄侑宗久)
で、朝日新聞のPR誌「暮らしの風」や立正佼成会のPR誌(悪いけど捨ててしまって表題忘却)で、欠かさず読んでいた。

オレはまだこの芥川賞作家の著作本を1冊も買った覚えがない。「暮らしの風」を探していたら、オレの書棚にブックカバーをした1冊があった。

今の本屋は、必ずといってよいほど購う客に対して、「カバーをお掛けしますか?」と訊ねる。エロ本ならともかく、小生は要らないといつも断わっている。
だからある筈がないので、その本のカバーを剥がしてみたら、玄侑宗久の「中陰の花」(中陰)であった。妻が買ったに相違ないと思った。

 内容は読んでいなかったので、どんな内容だったか知らずに、早速妻に置いてきた。

しかし、この本は娘を通じて「即日帰郷」となったのであった。(即日帰郷余聞)

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