狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

わからん!

2010-01-29 11:09:23 | 怒ブログ
友人氏が此方の方に来た序でだからといって立寄りになった。 
 氏は小生などから比べると、年齢もずっと若く、政治問題や文芸趣味にも識見が長けているので、役職の肩書きも多い。町の選挙管理員にも委嘱されている。
 懇談中、何処からか氏に携帯電話がかかってきた。
 側で聞いていると、選挙事務所開きに金円を包んで行くのは違反なりやと言うことらしい。
 来月この町では久しぶりの首長選挙と、町議補欠選挙があるのだ。
 主な電話のやりとり。

 氏「選挙管理委員でありながら即答出来なくて申し訳ないが、直ぐ町の選挙管理委員会に電話してから、返事を差し上げるから…。」氏は一旦電話を切って、役所の選挙管理委員会に携帯から電話した。

 問「選挙事務所開きに行くのに、手ぶらでは行けないので、何を持っていったら違反にならないかを、お聞きしたいという方があったので…。」
 答「今日、係がいなくて即答は出来ないが、調べてこちらから電話を差し上げるから、暫く時間をいただきたい。」
 10分ぐらい間をおいて、役所から電話がはいる。
 問「酒はいけなくて、お金なら良いという説もあるが…。」
 答「酒は、持っていくのもいけないし、ご馳走になるのも違反なる。ただし、湯茶に伴い通常用いられる程度の菓子類、まんじゅうだとか、煎餅類は持っていっても差し遣えなく、また、提供してもよいとされています。」
 問「お金はどうなんでしょう。」
 答「告示後であれば、常識的金額なら差し支えありません。」
 問「常識的金額というと、100万、200百万円は、常識的金額ではないと思うけれどど、5万、10万程度の金額なら、常識的金額だと思いますが…。」
 答「そういうことです」←(電話のやり取りから、そう云ったと思う。)
 以上が側で聞いていたボクの記憶である。「まんじゅう」という言葉が繰り返されるので、側に聞いていておかしかった。
 氏は今のやり取りを先刻の電話の相手に早速伝えた。
 
 夜、妻にこのやり取りをオレが解説したら、彼女曰く、
「まるでマンガ読んでるみたい。」
「うーむ。酒は駄目だけれど、「まんじゅう」や、「ゲンキン」なら良いとのことだ。

 そう云えば、大分前の話になるが、村の議員選挙があっ時にそんなことがあったっけ。
酒を持ってきた人もあったが、制度が変わったといって、受付では、お金の入った「のし袋」は記帳して、酒はこっそり何処かへ持っていって終った。

 しかし何とも納得がいかない。
 そこでネットで検索した。
 
 選挙事務所に行く際
質問
質問者:moka23 選挙事務所に行く際
困り度: すぐに回答を!
会社の取引先のOBのかたがこの度選挙に出ています。
事務所にあいさつに伺う際手ぶらではいけないのですが…。金銭は包めないですよね?
お酒を手土産に持っていくぐらいしか思い浮かばないのですがそれでいいのでしょうか?

ご存知の方いらっしゃいましたらお教え下さい
質問投稿日時:07/04/19 15:42質問番号:2933505
この質問に対する回答は締め切られました。最新から表示|回答順に表示|良回答のみ表示 回答良回答10pt
回答者:helpoyaji 金銭は包めますよ。
祝儀袋に御祝と書いて持っていけば良いと思います。
事務所開きのお祝いとか、当選祝いという意味です。
私も今回区議選で3人の候補者にお祝いとして5千円と1万円持っていきました。
お酒でも良いですけど、あまり喜ばれません。
できればお酒ならビール券にしたほうが相手も喜びます。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:自信あり
ログインして投票する参考になった:0件
回答日時:07/04/19 16:03回答番号:No.2
この回答へのお礼 お早い回答ありがとうございます。重ねての質問になりますが
helpoyaji様は個人的にその金額を包まれたのでしょうか?

お時間ありましたら回答宜しくお願いします。
回答良回答20pt
回答者:zorro 金銭でも酒でもなんら問題ありません。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
ログインして投票する参考になった:0件
回答日時:07/04/19 15:57回答番号:No.1
この回答へのお礼 お早い回答ありがとうございます。
金銭も問題ないのですね。
重ねた質問になりますが金額は平均いくらくらい包むのでしょうか?
その際の表書きは祝なのでしょうか?
お時間あれば回答お願いします 。

藤村全集

2010-01-15 21:35:53 | 日録
            

ボクは文学書の雑本を購い集めるのが好きだ。
だからパソコン室を兼ねたわが書斎(?)は、窓を切ってあるところ以外は書架と本がところ狭しと積み重ね散らかしっ放しである。
 訪問客から「これ全部読んだんですか?」と何回聞かれたことだろう。

常識的に考えて、漱石全集28巻全別巻1だけだって、これを読破するとなると、飯も食わないで朝から晩まで本にかじりついていたとしても、オレの読書力では、読み了えるには10年ぐらいは楽にかかるのではあるまいか。
そういう客には、
「殆ど読んだがね。」と真面目くさった顔で答えることにしている。

ボクは、以前何回かこのブログに「全集」本について駄文をエントリーしたことがあるが、不思議なことに島崎藤村の著書は、日本文学全集といった類のもの以外は、一冊も持っていなかった。
 購ったことがないのだから、読んだことのないのは当然である。
 
 10年ぐらい前になるだろうか、町内会グループと、また別の同好会とで、藤村文学記念館のある小諸市へ年2回も訪れたことがあった。
 館内の見学するのに、ガイドがあった方が良いだろうとのみんなの意見で、その場に当たって場内ガイドを有料で頼んだのだった。
 この時のガイドさんが、アルバイトで雇われている「掃除おばさん」のような小母さんで、われわれ一行を只道案内しただけで、何の説明も出来なかったのである。それが反って藤村記念館の存在をオレに浮き立たせた。
 売店で、新潮文庫を2冊ぐらい買って持ち帰った。
 それが、島崎藤村との出会いであった。
 添付写真は、町の図書館廃棄本を頂いてきたものである。
 島崎藤村全集第六、第十三、第十四巻 昭和24年~昭和25年発行 新潮社刊である。
 この内、第六巻は長編小説「新生」第1部と第2部だが、後は旅行記とエッセー集である。
第十四巻の方は、浅草だより(前・後篇)、飯倉だよりの2篇、筋書きのないドラマである。

短章が寄せ集まっていて読んで退屈しない。何処を開いても楽しく読むことが出来る。
 
     老 年
 老年は私が達したいと思ふ理想境だ。今更私は若くなりたいなどと望まない。どうかして、ほんたうに年をとりたいものだと思ふ。十人の九人までは、年をとらないで萎れてしまふ。その中の一人だけが僅かに真の老年に達し得るかと思ふ。

     孫の愛
 私はまだ孫の可愛さというものを経験したことがない。自分の子供のそのまた子供から初めて『おじいさん』と呼ばれた時の気持ちは、果たしてどんな深刻なものだろう。まことの『老年』は孫の愛から始まると言ってもいゝやうな気がする。遠い遠い『未来』の空がそこから明けかゝって来るもののやうな気もする。

 
藤村は71歳で死去したが、これらの「浅草だより」の初版は大正十一年九月五日発行とあるので、書かれたのは四十歳後半だろうと計算することが出来る。 


 

2010-01-11 19:19:40 | 日録
                   
タイトルを「?」としたのは他意はない。
何ともつけようがないから、ハテナマークを付けてしまっただけのことである。
燈刻、自宅近くを散策した。そのときの画像である。
三本の電線にぎっしりと小鳥が留まっている。ちょっと見ただけでは気が付かないだろうが、その下の二本の電線も同じように小鳥が整列しているのだ。
その一斉に飛び立つさまのスナップを撮りたかったが、此方の注文通りに鳥は飛び立ってくれない。
諦めてカメラをケースに収めると、一斉に飛び立つのをみた。
どう考えても指揮官はいないだろうが見事である。

七草粥

2010-01-07 13:39:38 | 日録
            

財務相辞任を聴きつひたすらに愛づ糟糠の七草の粥 谷人
 
 拙宅の七草粥の特徴は、粥の中に「焼き餅」を挿入する独特(?)の作りである。これは嫁いできた糟糠のひとの実家の家風を引き継いできたと思われるが、割合賞味するに足る。
 粥だけをアップして撮って見たが、見栄えしないので今朝の食膳の全体像にした。ここにある「たくあん」は山形の寒村(寒いという意味)育ちのもので市販のものではない。
 この「餅入り粥」は全国に共通する点の有無を、広辞苑でひいてみたら、「七草」の派生語として
《正月七日に、春の七草を入れて炊いた粥。後には薺または油菜のみを用いた。菜粥〈[季]新年〉と簡単な記述のみである。

 漱石全集の置き場に窮し、書架の配置換えを考えざるを得なかった折、これも滅多に開いたことのない「世界大百科事典17」平凡社で調べてみることになる。ただしこの事典は1967年版の古典であり、替わった記述になっている可能性も考えられる。

春の七草をいれた炊いた粥を七草粥といい、正月7日に食べるならわしがあり、年中行事の一つになっている。七草粥の習俗は、古く万病をのぞくといい、正月のはじめての子(ね)の日に、山野に出て小松をひき、若菜をつんであつものにして食べた子の日の遊びにはじまるという。正月7日を人日(にんじつ)とし、この日に七種の菜であつものを作り、これを食べる風は、古くから中国でも行われており、その影響だ考えられる。正月7日は、江戸時代には五節供の一つと定められ、若菜節、七種の祝、七種の節供などとよんだ。当日は将軍以下七草粥を食べ、諸候は登城して祝儀を言上した。また民間では、当日の朝七草粥を食べる外、六日の夜から七種ばやしといい、小さなおけの上にまな板をおき、若菜をたたいてはやした。
七草粥の習俗は現在も広い地域に行われているが、若菜を入れた雑炊をたくところも多い。現今のように新暦の正月7日では、若菜の手に入らぬ土地も多く、この日使用する若菜も限られている。
東北地方ではセリとタラノキの芽、和歌山地方ではナズナだけを用いるが、新潟県ではニンジン、ゴボウ、ダイコン、クリ、串柿などにタラノキの芽を七草としている。
京都北部地方では6日を若菜迎えとよび、この日七草粥に必要な菜を用意し、6日の夜たたく。七草をたたくのは6日の夜か7日未明で、一般には
〈七草なずな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬさきに……〉唱えすりこぎまたは包丁でたたいてはやす。たたいた菜は粥に入れて七草粥とし、神に供え家の者も祝う。七草粥の唱え言は、豊年を祈る鳥追行事にも結びついている。→秋の七草(江馬三枝子)

 即ち「餅入り粥」には触れていなかった。年々この美食(?!)も廃れて行くと思うが、わが家でも恐らく吾ら一代きりの行事になるであろうことは必定である。

漱石全集のお客さん

2010-01-04 17:41:02 | 日録
            
お客さんが舞い込んできた。
漱石全集全28巻別巻1である。

次男が本の捜し物の目的を兼ねて正月にやって来た。オレがこれまで全く開けていない三島由紀夫全集(新潮社版限定1000部 35巻+補巻1冊)の中から何冊かを抽出して、さかんに首を捻っている。
この全集本は二重箱、革装本、天金という贅沢厄介な造本である。二重箱の上に更にカバーが付してあり、索引付きの補巻まで行き着くのも大事だが、やっと見つけ出しても、彼が文庫本で読んだ書名も確かでない著作を短時間で見つけ出すにはかなり困難な作業のようであった。
結局は1時間ぐらいで断念した。
彼が何を捜し何を調べていたのかは分からない。親子の世代の考え方の断絶であろう。
彼は、マンション暮らしなので、本の置き場所に窮していた。三島由紀夫の文庫本をかなり購っていたらしい。その中の一冊を探しに来たのだ。
彼の二人の子供たちも成長するにつれ、それでなくても狭い部屋が尚更窮屈になる。
それで帰郷する度毎に車のトランクに入れて本を持ち帰り、オレの物置を無料で使用して書庫代わりにしていたのである。
碌な本はなかったようだが、彼は新版「漱石全集」を予約購入していたのをオレは知っていた。
その後どうしたかは訊きもしなかったし、彼もオレには何も語らなかった。
きょう話の序でに出たのがこの全集のその後である。
なんと!!全巻揃って拙宅の物置の段ボールの中に眠っていたのであった…。
そして、この最新「漱石全集」を余の城であるパソコン部屋に持ち込んで来たのである。
オレの部屋は彼のマンションから比べれば広いには違いないが、この貴重全集を棒積みにして置くわけにもいかないだろう。
何処へ置くかが最大の悩みの種になってきた。
重さにして約35キロ、三島由紀夫より低い処へは置けないだろうから。