狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

改題日本海の海戦

2006-03-27 21:32:54 | 日録

岩波書店がを発行した、「岩波書店七十年」岩波書店1987 によると、
<1934年(昭和9年12.)
ー中等教科書《国語》刊―全10冊.
編集:西尾実他.
教科書出版は、文部省の監督下にあったため、編者としては自由に所信を発揮することができず、また出版者としては、特色ある出版が困難であったので、岩波書店は従来手がけていなかったが、国民教育の重要性に鑑みてあえて理想的教育書の出版を企画し、数年の準備期間をを重ねて、この教科書の刊行を開始したのであった。
販売に当たっては、従来弊害の多かった学校・教職員に対する直接売込みの方法を排し、まず新聞紙上に教科書発行についての店主の決意を表明し、その後もすべて公の広告宣伝に依存した。反響は予想以上に大きく、最初の年度に第1巻は3万5000部発行、他の巻もこれに準じ、全国国語教科書中第2位の発行部数を示すに至った。>
とある。この《国語》全10冊は1988年復刻版として同書店から発行された。

<(略)この10巻を手にすれば、今の中学・高校の国語教科書と、どうしても比較したくなる。『国語』の、当時としてはやっと手に入れたににちがいない「別漉越前鳥ノ子紙」は、今日の教科書では見られない。和綴も、いまはない。表紙はどうか。『国語』の表紙は正倉院御物「碧地狩猟文錦」の実物三分の二の複写であり、出版社はこれについて「国語教科書としての美と力と品位とを象徴し得たことに於いて他の追従を許さぬものがあると信じます」(刊行にあたって出された宣伝冊子の「編輯室より」)と自信を持って書いていた。(略)> 復刻版『国語』付録・解説 山住正巳
次の〝九 日本海の海戦〟は「国語 巻3 岩波書店」から引用したものである。

         

九 日本海の海戦
 <天佑と神助により、我が聯合艦隊は五月二十七八日敵の第二・第三艦隊と日本海に戦うて、遂に殆ど之を撃滅することを得たり。

初め敵艦隊の南洋に出現するや、上命に基づき、予め之を近海に迎撃するの計画を定め、朝鮮海峡に全力を集中して、徐に敵の北上を待ちしが、敵は一時安南沿岸に寄泊したるの後、暫次北上し来りしを以て、わが近海に到達すべき数日前より、予定の如く数隻の哨艦を南方警戒線に配備し、各隊は一切の戦備を整へ、直ちに出動し得る姿勢を持して各々其の根拠地に泊在せり。

果然、二十七日午前五時に至り、哨艦の一隻信濃丸の無線電信は、[敵艦見ゆ。敵は東水道に向かふものの如し」と警報せり。全軍踊躍、直ちに対敵行動を開始せり。

 午前七時、哨艦和泉、亦敵の東北に航進するを報じ、片岡艦隊・東郷戦隊つづいて出羽戦隊も、午前十時十一時の交、壱岐・対馬の間において敵と接触し、爾後沖の島付近に至るまで、時々敵の砲撃を受けつゝ、終始よく之接触を保ち、詳に敵情を電報せしかば、此の日海上濛気深く、展望五海里以外に及ばざりしも、数十海里を隔てたる敵影恰も眼中に映れるが如く、既に敵の艦隊はその第二・第三艦隊の全力にして特務艦船躍七隻を伴なふこと、敵の陣形は二列縦陣にして、其の主力は右翼の先頭に立ち、特務艦船はその後尾に続けること、又敵の速力は約十二海里にして、なほ北東に航進せること等を知り、本職は之に依り、我が主力を以て午後二時ごろ沖の島付近に敵を迎え、先づ其の左翼の先頭より撃破せんとする心算を立つるを得たり。

 主戦艦隊・装甲巡洋艦隊・瓜生戦隊、各駆逐隊は正午頃既に沖の島北方約十海里に達し、敵の左側に出んが為、更に西方に進路を執りしが、午後一時三十分頃出羽。東郷戦隊等相前後して来り会し、暫時にして、正にわが左舷に当たれる南方数海里に敵影を発見せり。

 ここに於いて全軍に戦闘開始を令し、同五十五分視界内に在る我が全艦隊に対し、
「皇国の興廃此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ」の信号旗を掲揚せり。而して主戦艦隊は小時南西に向首し、敵と反航通過する如く見せしが、午後二時五分急に東に折れ、其の正面を変じて斜めに敵の先頭を圧迫し、装甲巡洋艦艦も続航して其の後に連なり、他の緒戦隊は予定戦策の如く南下して敵の後尾を衝けり。之を当日戦闘開始の際に於ける彼我の態勢とす。

 敵は我が圧迫を受けて稍右舷に舵を転じ、午後二時八分彼より砲火を開始せり。我は暫らく之に堪へて、距離六千米に近づくに及び、猛烈に敵の戦闘艦に砲火を集中せり。敵はこれが為に益々東南に激圧せらるるものの如く、其の左右列共に暫時東方に変針し自然に不規則なる単縦陣を形成して我と並航の姿勢を執り、其の左翼の先頭艦たりしオスラビヤの如きは、須臾にして撃破せられて大火災を起こして、戦列より脱せり。此の時に當り、我が全隊の砲火は、距離の短縮とともに益々著しき効果をあらわし、敵の旗艦クニヤージ‐スワロフ、二番艦アレクサンドル三世もまた大火災に罹り、相ついで戦列を離れければ、敵の陣形いよいよ乱れ、他の諸艦また火災に罹れるもの多く。騰煙西風に靉きて忽ち海面を覆ひ、濛気と共に全く敵影を包みぬ。これ午後二時四十五分前後に於ける戦況にして、勝敗は既に此の間に決したるなり。>

かなり長文に亘るので結びの部分を記す。
<此の対戦に於ける敵の兵力、我と大差あるにあらず、敵の将卒も亦其の祖国の為に極力奮闘したるを認む。しかも我が聯合艦隊が、よく勝を制して前の如き奇蹟をを収め得たるものは、一に天皇陛下の御稜威の致す所にして、もとより人為の能くすべきにあらず。殊に我が軍の損失、死傷の僅少なりしは、歴代神霊の加護によるものと信ずる外なく、嚮に敵に対して勇戦したりし麾下将卒も、皆此の成果を見るに及びて、唯々感激の極み言ふ所を知らざるものの如し。>
    (東郷聯合艦隊司令長官広報)
なお、原文に忠実ならんと、懸命努力したが、一部はパソコン文字に頼った。
【例】 人為→為爲  神霊→神靈 変針→變針
旧字や繰り返しの等記号も「外字エディタ」でも小生には作れないものは
「々」や「ゝ」または、文字そのままを繰り返し使用した。