狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

勉強の時間

2007-11-27 21:59:56 | 日録
朝日新聞土曜日には、be on Saturday という「付録」がある。毎週ここには「Digital」のページがあって、われわれ初心向けのパソコン操作の入門講座が連載されている。これは先週11月24日(土)付の「be」記事からである。

パソコンの操作がわからなくなり、誰かに解決策を教わろうとするとき、電話などで目の前の画面の状況を正確に伝えることはなかなか難しいものです。口で伝えるよりも、画面をそのままメールで送り、見てもらえれば簡単です。今回は、ウインドウズの機能を使ってディスプレーに表示されている画面を保存する方法を紹介します。
パソコンの操作マニュアルを作る場合などにも役立ちます。」(ライター・猪狩友則)

この操作は、「Print Screen」を使って「ペイント」に貼る付ける操作の説明だが「ファイルサイズが小さくなりやすいPNG型式がお勧めです」はこの記事で初めて知ったことである。

 しかし、なんと言ってもボク注目したのは、「ビスタには専用ソフトも」という章であった。早速今日はこれを実験してみようと思った。

▼ ウインドウズ・ビスタには、キャプチャ専用ソフトSnipping Tool」(スニッピングツール)が付いており、これを使えば、「Print Screen」キーを使わずに、
マウス操作だけで画面をキャプチャできます。スニッピングツールにはキャプチャした画像を表示したり、名前を付けて保存したりする機能もあるので、ペイントなどの画像編集ソフトを起動して画像を張り付ける手間が省けます。

「スタート 」→「すべてのプログラム」→「アクセサリー」の順に選び、「Snipping Tool」をクリックして起動します。同ツールは、起動後すぐ画面をキャプチャする準備に入ってしまうので、一度「キャンセル」を押して下さい。「新規作成の横にある「▼」をクリックし、キャプチャ方法を選びます。
「全画面領域切り取り」は画面全体をキャプチャし、「ウインドウの領域切り取り」は、選択したウインドウー画面のみをキャプチャします。この他に、マウスを使って指定した様々な形の領域をキャプチャすることもできます。=図下参照。

 同ツールを標準の状態で使うと、キャプチャした画像の周囲に赤い囲み線が付きます。この囲み線が不要な場合は、「オプション」を選び、「選択」の下にある「切り取り領域をキャプチャした後、選択選を表示する」のチェックを外すと、囲み線がついていない画像を保存できます。

結果は不成功。また暇の時(それがないのだ!!)再挑戦したい。

話題

2007-11-24 17:38:36 | 日録
明日、朝9時から、近くのK湖畔の国民宿舎を根城に吟行句会がある。即吟に限るとのお達しだが、一応内緒で下見をする。灯刻なりしが、3連休2日目とあって、子供連れ家族、ペット連れの夫婦など人、人、人。広い駐車場満車の賑わいであった。
流行なのか、過保護なのか、ペット(子犬)に良質の「ちゃんちゃんこ」と覚しき衣装を纏いたる、カップルに出会いたれば、撮影の許しを乞う。快諾を受けたるも、
相手の動き忙しく、上手く撮影あたわざりき。明日、整理してこのブログに貼り付けたい。

妻に、50円切手を20枚購入を頼まれた。さる、デスカウントの店にて、安売りしていると言う話を聞いた。本とかなと思って、
帰り道だったので寄ってみた。千円で20円のお釣りが来た。詰まり、割り算は不得意だが、49円切手と言うことになるのではないか。年賀葉書の季節、ボクだって、120枚ぐらいは例年買っている。どういう式を立てれば、計算が出来か、答えは直ぐ出てこない小生であるが、安売りは本当だった。


へえっ!

2007-11-21 22:32:03 | 怒ブログ

<「けじめをつけさせていただきたい」と、額賀福志郎氏は首相に辞表を出した。>

真っ先に読んだ朝日コラム「天声人語」しかし、続く文は「あわてるなかれ」とある。何を書き出すのだっぺと思った。全文はこうである。

あわてるなかれ、防衛庁長官として背任事件で引責した9年前の話である。今と同じ与野党逆転の参院から、問責決議を突きつけられての詰め腹だった▼約2年後、今度は経済財政担当相を辞める。汚職事件に絡んだ財団法人KSDから、多額の資金提供を受けた疑惑ゆえだ。辞任の前には「秘書が預かっただけ」「全額返した」と抵抗した▼さて、財務相は続けられるのか。軍需商社の元専務と、前防衛事務次官が「同席した」とする宴がある。額賀氏は「夜を徹して」調べたが、記録にも記憶にもないそうだ。逮捕された者と、国会に喚問された者。それなりに重い両者の言葉を覆すには、とことん説明するしかない▼額賀氏は02~07年、この商社に計220万円分のパーティー券を買ってもらった。欠席者も多い「パー券」は献金のようなものだろう。元専務の接待攻勢が発覚し、これまた全額返したという。それでも、軍需商社が防衛族の有力議員を支えた事実は残る▼額賀氏は商社系のゴルフ場で元専務とプレーした。車代や、口利き絡みの話もある。すべてに納得できる説明が必要だ。産経新聞記者として、報じる側に10年いた氏なら先刻ご承知であろう▼この夏、財務省での就任あいさつは幹部職員を驚かせた。「私は懐は深いが頭はからっぽ。どんどん洗脳してほしい」。人も金も来るものは拒まず、まずいと見ればさっさと返す。頭の中までは知らないが、懐は深すぎる。

わがイバラッケンは、進藤英太郎 (分かるかなぁ)や、月形龍之介、山形勲、原健作…。諸氏の出身地ではない。善良なる、「水戸泉」や、水戸黄門様の出身地なのだが、どうもいかん。
死者にむち打つのはイバラッケン人の忌み嫌うところだが、竹内という嫌知事が範を垂れてから、疫病が蔓延してしまった。
しかし、革命を起こすような水戸浪士は今はいない。選挙は、やはり棄権すべきだと改めて信じた。


心を変える言葉

2007-11-16 18:34:05 | 日録

 断片的記事で申し訳ないが、昨日の続きとなる…。
町主催□□賞記念(町出身著名作家名を冠した賞)読書感想文・感想画コンクールの最終審査が一昨日15日に終わった。
 感想文は小学校生徒との部は、低学年(1~2年)中学年(3~4年)高学年(5~6年)、 中学校生徒の部(1~3年)の4部門で、最優秀賞4編、優秀賞9編がそれぞれ決まった。その受賞作品は、町の広報誌などを通じて逐次公表される予定だが、
その前にボクの審査担当の小学校生徒中学年の部の最優秀作品を紹介したい。

                           人の心を変える言葉 413   N・Mさん

  優しさは人の心をこんなにも変えられる。 私はおどろきました。優しさにこんな力があるとは思いませんでした。

 ジャンバルジャンはたった一切れのパンをとっただけで、五年間のかんごく暮らしをすることになってしまいました。もし、私があのパン屋だったら、パンの一つぐらいならゆるしてあげるのにと思います。 でも、あのパン屋さんは、ジャンバルジャンがまずしくて、家にお金や一切れのパンもないことを知らなかったのでしょう。知っていたらゆるしてあげていたかもしれません。ですが、ぬすみをしなくても、何かよい方法があったのではないかとも思います。例えば、パン屋で一生けん命働いてパンを一つ買うとか、家がまずしいことを正直に話してもらえるようお願いするとか。そうすればよかったのにな。 そして、ジャンバルジャンは、パン一つをぬすんだつみでつかまり、にげ出そうとしたために、なんと十九年間も、つらいかんごくにいることになってしまったのです。もし私が十九年間もかんごくにいたら・・・。

 想像してみるとすごくつらくてたえられません。ジャンバルジャンの身も心もすさんでしまったのがよくわかるような気がします。 
 そんなジャンバルジャンがミリエル神父の銀のしょく台をぬすんでしまったとき、ミリエル神父は「それは私があげた物です」と言いました。何でそんなことを言ったのでしょう。本当のことを言ってもよかったのに。 
 もし私があの場面にいやら、「それはいけないことだよ」とはっきり言ってしまうと思います。
 でも、今まで、私が正しいと思ったことをはっきりと言ってしまったとき、「正しいことでもはっきり言うのはよくない」。と母に注意された事がありました。私は正しいことを言ったつもりなので、何で注意されるのかよくわかりませんでした。そして、この話を読んでいく中で、正しいことを言うことで、相手を追いこんだり、苦しめたりすることがあるのだと気づきました。
 もし、ミリエル神父が「それは私のです。この人がとったのです。」と言っていたら、ジャンバルジャンは変わることはできまかったと思います。ミリエル神父の優しさがジャンバルジャンの心を入れかえさせたのです。
  ジャンバルジャンはミリエル神父が亡くなったと知ったとき、も服を着て心から悲しみました。ミリエル神父からもらった銀のしょく台をずっと大事にとっておきました。ミリエル神父の優しさをずっとわすれずにいたのです。 
 優しさは、人の心を変えられる。正しいことを言うことが大切なのではなく、相手のことを考えて言うことが大切なのだ。そんな優しさが人の気持ちを動かすんだと知りました。 
 私も、だれかの気持ちを変えられる、本当の優しさや、思いやりのあるすてきな言葉が言えたらいいなと思いました。

 前に述べたように、ボクの担当の、小学3~4年生の作品は、29編であった。3桁番号の最初の数字は、学年を表す。(3=3年生、4=4年生である。)
読書対象の本を分類すると次のようになる。 

 ○ りんごあげるね 9編(さえぐさ ひろこ 作/石井 勉 絵 発売元:童心社)
      301・307・311・314・3   15・404・405・410・41   4
  ○ ピトウスの動物園 2篇(サバステイア・スリバス 著 ; 宇野 和美 訳 あすなろ書房)
      303・409
  ○干し柿    2編(あかね・新えほんシリーズ)
    308.403
 ○  ぼくのヒメマス日記 (橋秀雄 本橋靖昭 国土社)?
      411
 ○ハードル」(ときめき文学館)  青木 和雄 (著), 木村 直代 ?
      412
 ○人の心を変える言葉(レ・ミゼラブル:ユーゴ・(豊島與志男:岩波少年文庫)
      413
  ○のら犬物語(戸川幸夫 作/石田武雄 絵金の星社)
      302
  ○イルカと泳ぎたい
      304 
  ○ごみを拾う犬もも子305
   
  ○わたしがふたり309 
  ○ゆりかごは口の中  310
  ○かえってきたボビー 312
  ○カラスの隊長「銀の星」313
  ○レーナ・マリア401
  ○努力する天才 松井秀喜 402 

  ボクには、己の倅、娘3人いたが、子供の頃、どんな本を買い与えたかの記憶は全くない。
 代議士たちが数年前のことを忘却するのであるから、そんなに悲観することはないと思うけれど、小学3~4年の頃は、本は殆どが、何も買ってやらなかっただろう。そういう時代だった。
 この感想文が、最優秀作品候補に推薦されたことにも頷けるが、こうした本を購い与えた父兄のほうも、他の本に比べ、非常に立派だと思った。
 ただボクが選ばなかったのは、戦争に関する感想文のほうが、己の反戦思想に直結したからであって、公正であるべき審査委員としては失格であったかもしれない。 


戦争は厭だ!

2007-11-15 20:58:08 | 反戦基地
               

拙ノートバックナンバー10月25日付に、
「かわいそうなぞう」について書いた。町が、町の小中学生を対象に、読書の奨励と、その推進の目的で行われている「読書感想文コンクール」の最終審査で、その最優秀作品1、優秀作品2の候補作品が決まった。ボクは小学3~4年生の作品審査員4人の中の1人であった。前にも書いたとおり、選には漏れたが、戦争に関する感想文だったので推薦した。勿論学校名(8校)も、学童名もまだ公表されていない。

「かわいそうなぞう」を読んで

てれびを見ていたら、トンキーの話をやっていたので前に読んだのを思いだして、この本をまた読みました。今がへい和でよかったと思いながら読みました。

 今の上野動物園にはぞうが3とういるそうです。昔も3とうで名前は、ジョン、トンキー、ワンリー。せんそうがはげしくなって、ぞうたちがあばれだしたらたいへんなことになるから動物をころすことになりました。
ほんとうは、ころしたくないけれどしかたないのでした。まずだい一に、いつもあばれんぼうでいうことをきかないジョンからです。ジョンは、じゃがいもが大好きでした。でも、どく入りのじゃがいもをたべさせようとしても食べないのです。ぞうは、りこうなんだと思いました。
次に、どくの薬をちゅうしゃすることになりました。でもぞうのかわは、あついのでちゅうしゃもポキポキおれてしまいだめでした。最後は、食べものをやらないことにしました。
 ぞうは、せんそうをしらないからとてもかわいそうでした。十七日目に死にました。トンキーとワンリーのばんがきました。この2とうは、こころのやさしいぞうでした。もうぞうたちをころさないでとねがいました。トンキーとワンリーにもえさをやらないことになり、見まわりにくる人を見ると、「たべものをください」と、せがむのです。それを見ている人は、つらいと思いました。
 そのうちにみみばかりが大きくみえるかなしいすかたにかわっていったのでした。トンキーとワンリーがおたがいにぐったりとした体とせなかでげいとうをしはじめたのです。よろけながらいっしょうけんめいです。トンキーとワンリーは、それだけ生きたかったんだと思います。
 ぞうがかりの人たちは、もうがまんできなかったので、えさをぞうの足もとへぶちまけました。ぞうがかりの人たちはがんばっているぞうたちのことをほっておけなかったんだと思います。
 どう物園の人たちは、これをみてみないふりをしていたのです。一日だけでも生かしておけばたすかりのではないかとかみさまにおねがいをしていたのです。トンキーもワンリーもついにうごけなくなってわんりーは、十いく日目もトンキーは二十いく日目に死んだのです。
 ぞうたちは、あんなにがんばったのにかわいそうだと思いました。みんなおいおいと声をあげてなきだしました。どの人もぞうにだきついたままこぶしをふりあげてさけびました。

「せんそうをやめろ」みんながかなしいおもいをするならせんそうをやめてほしいと思いました。あとでしらべると、たらいぐらいもある大きなぞうの胃ぶくろには、ひとしずくの水さえも入っていなかったそうです。でもしょうがないと思いました。

 せんそうは、よく知らないけど、人や動物がころされていく世の中は、いやだと思いました。せんそうは二度としないでほしいです


 

落ち葉焚き

2007-11-15 09:34:00 | 怒ブログ
 小春日和が続き、朝起きて、飯前に庭の欅の落葉を掃き寄せ、燃やすのがオレの日課となって、しまった。これは今朝の写真である。時刻は、隣のM寺の鐘撞きの始まる7時である。夏の7時の鐘は少々間が抜けた感じであるが、1年を通して撞く時間は同じ時刻でなくてはいけないのだろううか。 ボクの毎土曜日(今週は明後日)に行く、朝詣りのZ寺は年間を通して6時であるから、これからの6時は相当きつい行事だ。

 

 広大な境内敷地で、落葉樹にも取り囲まれているけれど、実に良く清掃されて綺麗である。数年前までは老師夫人が鐘撞きと、庭の清掃は年間を通して担当して来た。高齢と言いたくはないが、最近は姿を全く見せなくなってしまった。
 しかし代わりに若住夫人の交代である。
 寺は出入りの植木職人たちも、みな良く目が届くし、法事や毎月の護摩焚きに集う信徒、写経など人の出入りが多く、みんなが少しずつでも、清掃するから、落ち葉の積もる隙間がない。
 それに比べ、Tani山房はご覧の通りの為体ぶりである。
 幸い、道路向かいに三軒の家屋があるは、住居となっているのは一軒だけて、毎日燃やしても告発される懼れはない。
 だが、欅の大樹が、道路まで覆い被さり、隣家が非常に綺麗好きの方が二軒並んでいるので、道路だけは毎朝掃き寄せ作業をせざるを得ない。

 

 

 

 

 


戦没者追悼式

2007-11-12 09:05:44 | 日録

                                          (北野実氏のH.Pから)

 町の広報誌の別刷り「お知らせ版」に、次のような小さな記事が載っていた。
  「戦没者追悼式」開催。
  「先の大戦において戦没された幾多の町関係者の霊に対し対し、町民をあげて追悼の誠をささげ、平和への決意を新たにするため、表記追悼式を下記のとおり行います。
  なお、当日に参加される人は略礼服または略礼服に準じた服装にてお越し下さい。
  期日・時間・場所・問い合わせ先。」
  
  私は遺族ではないが、村でも顔も覚えている戦死者も数多いし、町が爆撃に遭って死に追いやられた人たちは、なおさら身近にいるので、その悲惨さを考えると、終戦の日か、或いは町が爆撃にあったに6月に、町が慰霊祭を催すべきだと考えていた。
  旧軍人関係の団体の間では、その日前後に、追悼や、慰霊祭に相応しい場所を選んで、毎年開催してきたと聞くが、町主催の追悼式を広報誌で見たのは私は初めてであった。(消息通の話では、4年毎の恒例行事となっていた様である。)
  しかし、この文面を見て、最後の「服装云々」が気になった。私たち一般人の行くところではないと思った。
  町主催の追悼式ともなると、種々式次第の計画や、参列者の数も把握しなければならないのだろう、我々が考える程単純なものではないことが分かってきた。

  後日、参列者参加予定者(案内状発送者)の一覧を見せて頂いたが、「来賓」は県知事はじめ、国会、県議会、町議会の政治家を筆頭に、42団体の長、役員。
「一般」として、8の役職が挙げられ、町関係は、遺族、町三役、社会福祉課12名、交通機動隊8、日赤ボランティア4名などで、
  計約500名とあった。

  この予定者表、式次第、案内状の内容を見ると、一体ご遺族方は何名ぐらいお出でになったのかが気になった。戦没慰霊祭をインターネットで検索したら、この様な写真があったので、わが町とは何の関係もない写真だが、甘んじて無断借用した。
  (どの新聞の地方版にも、わが町当日追悼式の記事は勿論、式場写真も載っていなかったから、大体こういう風なものになっただろうと想像してお借りした。)

  尚、2007年度全国戦没者追悼式の総理大臣式辞は次のようなものであった。
   式辞
天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族及び各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。
 先の大戦では、300万余の方々が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異境の地に亡くなりました。また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。
 終戦から62年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。
 世界中の各国・各地域との友好関係が、戦後の日本の安定を支えていることも忘れてはなりません。
 私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく次の世代に継承する責任があります。
 本日、ここに、我が国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し、世界各国との友好関係を一層発展させ、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓います。国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。
 終わりに、御霊の安らかならんことと、戦没者御遺族の今後の御平安と御健勝を心からお祈り申し上げて式辞といたします。
  平成19年8月15日
             内閣総理大臣 安倍晋三 

 

 

 


カリグラフィー

2007-11-08 21:20:26 | 社会欺評
町の文化祭(芸術祭)の参加作品については、「花」というタイトルで一部紹介してみたが、192□年出生の小生にとって、生まれて初めて観る、色紙にかいてある、ヘンテコな作品が目にとまった。
「カリグラフィー」と書いてあるコーナーである。

 幸い、当番の美人女性が2人いて、観客の来ない時間を持て余しそうな格好に見えたので、問いかけてみた。

小生「〝カリグラフィー〟ってこれ何だや?」→イバラキ語「〝カリグラフィー〟と書いてありますが、日本語に訳しますとどういう意味になるんですか?教えて下さい」を、短縮した質問である。
女性A「簡単に言えば、西洋の書道です。」
小生「これ何語ですか?」
女性B「英語です。下に日本語訳が貼ってあります。」

なるほどカリグラフィー作品の下には、日本語訳のカードが貼り付けられてあった。

豊かな愛  私たちは大いなる愛をもってしても、小さなことしかできません。愛は小さな仕事を大いなるものとし、小さな貢献を大きなものにします。
小さなことをなすすべを学ぶことが出来れば、私たちは精神的に豊かになるでしょう。  マザー・テルサ

 下は先生の作で「アルファベット」を組み合わせだそうである。


花(あまりにも出来すぎた偶然)

2007-11-03 20:52:18 | 日録

文化祭が、各地で催されている。(わが町では"芸術祭"という呼称である。) 
 私も俳句会のグループに属しているので、当番制になっていて、1日から3日まで、半日交替で出席した。ただ作品展示場側の折たたみ椅子に、当番の腕章を付けて座っているだけで、退屈この上ない。特に「俳句コーナー」は見る人も少ないから、隣接する図書館にいったり、会場をぐるぐる彷徨した。妻も来ていたが、趣味が違うので行動は別々だった。
 私は「書」について自分でも書けないし、それほどの興味もなかったが、会場内の「書道コーナー」にあった、畳一畳もある程の大作前に立ち止まってしまった。「花」と作品名と、作者名がしたに貼り付けられてある。この構想に惹かれた。

 自席に戻ると、隣コーナーの席にわれわれ俳句仲間のNさんが、3人の腰掛け椅子を寄せ合って、女性達と雑談をしている。私もその仲間にいれてもらった。それぞれ腕章はつけているが、ただ(芸術祭当番)と書かれてあるだけなので、何のグループに属しているのかは分からない。それぞれ当たり障りのない冗談交じりの世間話である。 

 私は、「書」について語る資格はないが…、と前置きして今見てきた大作「花」について、センスのある「書」だったと、誇大な調子で賞賛した。運送屋だった私に、ある友人から戴いてある「車」の色紙を思い出した。ここにいるNさんは書家という程ではないが、自作の句を色紙にして数点会場に展示してある「書」が達者な人だったからである。
 そしたら、3人いる中の一人が笑いながら、
 「有り難う。あれ、私の作品よ」というのだ。作者名に住所が書いてあったので、
 「貴女のお住まいの所は、同姓の人が多いようですが、漢詩をなさる方で、昔選挙に出た方がいましたが、ご存じですか?」と訊ねてみた。何十年も前の昔の話になるが、その候補者と、中学同級生だという近所の人が選挙運動に回って来て、ウチの家内に
「内緒で1票頼むヨ」と言われたと言う話しを今も覚えていたからである。
 そしたら、
 「それ、亡くなったウチの父です。選挙が好きで、皆さんに大変ご迷惑をおかけしたと思います」
 時間が経ち、妻が私を呼びに来たので、
 「愚妻です」と紹介した。二人は挨拶を交わすと、話題が次々と長くなった。
 なんと!家内の実家の亡母と、この漢詩をモノした亡町議とは従兄妹だったことに到達したのである。

 何から何まで、出来すぎた偶然の巡り会わせの一日となった。