狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

カタクリの思い出

2007-03-17 16:43:10 | 
この「カタクリの思い出」を書くに当って、肝腎の「カタクリ」の画像を探すのに
だいぶ手間取ってしまった。
この写真は、大きい方が、畏友Tさんのもの、小さい方がボクの作品である。
数年前、Tさんが、ボクと妻を、裏筑波のカタクリの「穴場」に案内していただいた時、一緒にカタクリを撮ったものである。
このとき、ボクは「デジカメ」をやっと手にした頃である。
このデジカメは
「Canon PowerShot S50」というやつで、倅嫁から「○の日」にプレゼントされたものである。結構グレードは高いもののようだが、そのときはまだ操作に不慣れであった。「接写」の方法は分らずやっと1枚ものにした。

 山の様子や、周りのスナップをバチバチと矢鱈に撮ったが、残念なことにその後、保存しておいたPCが、2回もウイルス感染にすっかり消滅してしまった。
日付も分らなくなってしまった。
 だからこれは、写真にしておいたものを、スキャナーを使って再生したものである。
 最近閨秀歌人「純情おばさん」とブログの交信をするようになり、
…ところで、taniさんは茨城の情報に詳しいのでしょうか?
八郷から笠間に抜ける峠の吾国山のカタクリの開花の様子を教えて欲しいのです。ここ数年行ってます。今年はどうでしょう?
というコメントを頂戴してしまった。幸い「のん兵衛さん」が次のような助け舟を出していただいた。感謝している。

筑波山近くの山は葉が2枚まで出ていますが、蕾も見ることは出来ません。矢張り桜の咲く頃でないと無理かも。 
 走りとして1~2輪咲いても、咲いただけで豪華さはないが、初物を見た感激はするだろうね。
テレビでも放映していた佐野市の三毳山は2分咲きです。


吾国山は嘗て小生は、トラックを乗り回して工事現場に通ってたので、道すがら路上駐車で「狭き門」を潜り、その先にある洗心館に足を運んだことが何回がある。しかし、遠い昔話なので現在では大分変わっているのではないだろうか。
ネットで調べると、「洗心館」のカタクリ祭りのイベントが毎年行われている様である。





コメント

山は招く

2007-03-13 17:02:12 | 
 
畏友Tさんから先刻Mailがあった。トレーニングがてら今日も筑波山へ行って来たそうだ。氷柱が下がっている写真(沢だろう思う)と、岩場を登って汗ばんだという写真。更に、帰りがけに花畑で撮ったという、「ユリワサビ」と「セリバオウレン」である。ここに載せたのは後者で、「旬を過ぎているので色が出ないね。」という解説が付いていた。
[添付写真」
1.セリバオウレン(上の写真) 
2.ユリワサビ 
3.訓練だ(山歩き風景)
4.凍り付いて(垂れ下がった氷柱)



こちらは、今日西風がビュービュー吹きまくった。
ボクは一日中ストーヴ焚きっぱなしの部屋で、パソコンを弄ったり止めたり。
しかし、Tさん去年の暮れ、悪い風邪にかかってしまい、どこへも出かけなかったようだが、例年のことを考えると、そろそろ腹の虫が騒ぎ出すのでは…。
「啓蟄」はとうに過ぎてしまった。
 これは一昨年(2005年3月16日)の蔵王ルポである。

昨日早起きして山形蔵王のモンスターを見に行って来ました。
月初め暖かかったので、モンスターが傷んだのですが、10日過ぎからの大雪と寒さで修復されたようで何とか見られ、今年は昨年違い樹林帯の中を歩きました。
 天気が良かったので顔は日焼けしてピリピリと痛み、標高差約1000m7時間30分歩いたのでホテルに着いたときは、腰が痛いの腿が突っ張るのと世迷言が………。
 まあ、写真を見てもあの雄大な実感は沸かないと思いますが、想像をめぐらしてみてください。

1.蔵王山麓駅ここが楽しみの入り口  乗るも良し歩くも良し
2.樹雪と言う事にしたが  第一ゲレンデを降りると目の前は 
3.枯れ木に花が  暫くはこの様な風景が  
4.いよいよモンスターの始まり   
5.いろんな形の物が
6.この中をあの山頂まで歩いて楽しむんですよ
7.仲間達
8.中腹から見た下界
9.地蔵山頂
10.地蔵尊の深い雪の中



コメント (2)

休憩室

2007-03-08 07:17:50 | 

Tさんから、昨日今日連続の「花」の便り。
昨日は
   1.ジシバリ 
   2.シャガ 
   3.シュンラン 
   4.ミスミソウ 
   5.ジロボウエンゴサク 
   6.リュウキンカ
今日は                  
   1.キブシ 
   2.ユリワサビ 
の花の写真の他、雪の写真である。道理で寒いと思った。
T氏は北海道出身。雪を見るとさぞ心が躍ることであろう。

昨日本の整理(さっぱり整理にはなっちゃおらん)で、「原色牧野日本植物図鑑」昭和60年北隆館なる本が出てきた。(学生版)なのでチャチナものだが、定価はかなり高い表示である。流石は図鑑である。ちゃんと載っている。早速利用させていただく。
681.ユリワサビ
Wasabia tenuis Matsum. [ ワサビ属] あぶらな科
 葉柄は上部が枯死しても基部が残り、ユリの鱗茎のようになり、香辛がワサビと同じであるから。本州、四国、九州の山地の谷川ぞいの林内にはえる多年草。全株無毛。根茎は細い。根生葉は長柄に径2~6cm、茎上葉は互生で長さ1~2.5cm。花は4~5月、高さ15cmくらいの茎に総状花序。がく片4。花弁4。長さ0.6cmくらい。雄しべ6、うち4は長い。


コメント

夜汽車

2007-02-07 13:59:12 | 

〔エッセー通信④〕
こんなA4版の印刷物が新聞切り抜きスクラップブックの中から出てきた。県内に住まいのM氏が、作者から送られてきた、この「エッセー通信」更にをコピーしてボクに送ってくださったものである。実名を記しても差し障りないかもしてないが、ここではKさんとしておこう。そしてエッセーには触れずに、Kさんが引用した『夜汽車』という詩をお借りする。

   夜汽車      大木実
 いつの旅であったろう
 となりあわせた女のひとが
 窓に向かって泣いていたのは
 その背なで安らかそうに幼児が眠っていたのは

 また いつの旅であったろう
 むかいあわせた老人が
 手紙をしめして行く先をたずね
 哀しい身のうえを語ったのは

 灯火(ともしび)も暗く すちいむも通わぬ
 田舎の小さな町から町へ行く終列車

 ああ あのひと達
 一時間ほどいっしょに過ごしただけなのに
 おそらく生涯 二度と会わないであろう
 何でもないあのひと達なのに――
            (昭和23年刊「路地の井戸」より)
コメント (4)

御製と御歌

2007-01-18 22:05:59 | 

新春恒例の「歌会始の儀」が15日午前、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。今年のお題は「月」。天皇、皇后両陛下や皇族がたに加え、2万3737首の応募作から選ばれた一般の入選者10人、選者、天皇陛下に招かれた召人の歌が、独特の節回しで披露された。(1月16日朝日新聞朝刊)

私のような戦中派と呼ばれる年代は、天皇陛下の詠まれた和歌を「御製」、皇后陛下は「御歌」と教えられてきたので、新聞をみるかぎり、テレビで放映されたあの厳かな雰囲気はこの記事からはとても伝わってこなかった。

>宮内庁によると、天皇陛下は宮殿の認証官任命式を終え、御所へ戻る時の情景を詠んだ。皇后さまは毎年元日の早朝、宮中祭祀に向かう天皇陛下を見送った後、空を見上げて月の満ち方を楽しむ長年の習慣を歌にした。>

と解説があり、両陛下の和歌が記されている。「御製」とも「御歌」とも書かれていない。


天皇陛下  務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり

皇后さま  年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて

「御製」「御歌」といえばやはり
明治天皇・昭憲皇太后がまず頭に浮かぶ。
勿論ここで、その御四方の和歌を比較するつもりではではないが、
現代日本文学全集38 現代短歌集 現代俳句集(改造社)に巻頭に両陛下の御製・御歌を掲げ、巻末に『明治大正短歌史概観』という解説があるのを見つけたので、これを興味深く読んだ。
その中から御製、御歌に関する部分の抜粋を記す。

  
 明治天皇
 明治天皇は和歌を好ませたまひ、且つ歌聖にましました。その歌調の堂々たる、御心のままの直ぐなる、さながらを咏じたまひて、豪も巧むことあらせられず。
これ御製の特色と拝察したてまつるのである。
 ともしびをさしかふるまで軍人(いくさひと)おこせしふみをよみ見つるかな
(5首の御製)以下略。

   昭憲皇太后
 昭憲皇太后は明治天皇の大業を済したまふに配して、内助の功を全くしたまひ、天皇の和歌に執心したまふによって、皇后また御生涯を作歌したまうた。
 鳥羽の海の波風いかで騒ぐらむなみなみならぬ行幸(みゆき)とおもふに
 (5首の御歌)以下略。

…万葉の歌人は、『み民われいけるしるしあり天地の栄ゆるときに遇へらくおもへば』と歌った。上に聖天子をあふぎ、国新に興隆してやまざるときに、文運のこれに伴はずといふ道理がない。明治大正の歌壇が、建国以来の盛観を呈したことは、決して偶然ではないのである。
よって、この小史略のはじめに當り、恐れ謹みて御製、御歌にことを記し奉る。

コメント

あぢさゐ

2006-06-19 21:20:22 | 


隣家の見事な花垣である。この紫陽花はお住まいになっている、老夫妻が、(ご主人はボクより一つ年上である)毎年花が終わった後もそれを摘み取ったり、剪定をして入念な手入れをしているで、垣根代わりに植えた色々な種類が見事に育ち、今では隠れた街の名所になってしまった。

写真ではその一部分しか写っていないが、実際はかなりの量である。道路に面しているので、通りがかりの人が、車を停めてカメラに収めている姿が時折見られる。

 この紫陽花が見事の頃、「美空ひばり」の訃報をラジオで聞いた記憶がある。
 丁度句会があり、その兼題が「あじさい」だったので、その訃報をあじさいに読み込んだら、高位得点をいただいた。だからなお更鮮明にそれを覚えているのだ。

 今調べてみたら、案の定美空ひばりが死去されたのは1989年(平成元年)六月二十四日である。その頃既にこの花垣は見事だったのである。

 ところでこの「紫陽花」の仮名遣いのことだが、ボクも編輯委員の一人になっている町の文化誌の俳句欄に、平仮名で「あぢさい」と書いた投句があった。編輯会議の席上、委員長が疑わず「あじさい」と校正した。

 俳句人は未だに旧仮名遣いを固執しておられる方が多い。(朝日新聞の俳句投稿欄は今も旧仮名が主流である)案の定作者からクレームがついた。しかし辞書で調べたら、「あぢさゐ」が正解で「ゐ」が「い」の混用だった。

 ボクも俳句を始めた頃、旧仮名の句を作っていたが、(旧仮名でないと微妙な感覚表現の違いが出てくるのは否めない)、今は新仮名で通している。ワープロ普及で、どうしても旧仮名遣いは面倒になるからだ。
 ただこの「あじさい」の校正に関しては、作者の書いた通りにすべきであると云っただけで強い主張はしなかった。

コメント (2)   トラックバック (1)