狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

珍花

2009-09-23 05:16:22 | 日録
              

「珍花」だそうである。然り、小生も歳古りて□□年初めて観る花だ。
「サツマイモ」の花も昔は珍しかった花だった。
「支那事変」のころ、サツマイモの花が突然2つ咲いたことがある。当時誰云うとなく、
「あと2年で戦争が終わる」という噂がたった。
…そんなことを思い出した。

Hさんへのメール

2009-09-18 09:17:06 | 日録

 先日「部屋片付け余話」で、今は物置になってしまっていた10年前の住まいの部屋の掃除片付け奮戦の様子をエントリーしたが、義兄の家財道具は翌日中型トラック(ロングボデー車)2台でやってきた。この部屋(写真)の奥に、更に板の間の茶の間だった1部屋がある。家具類はそこにどうやら収まり、なんだか分からない荷物が押し入れ付きの8畳間をこのように占領し、6尺幅の中廊も備品で埋まってしまった。
それでも置ききれず、急遽もう1部屋にあったボロ本箱を持ち出して、寝具らしい大荷物をそこへ入れ、作業はほぼ完了した。
 おかげ様で、大変忙しい思いはしたが、本の整理(?)も、よく出来てしまったような次第である。
んだよなぁ。義兄の家の建坪はどのくらいあったのか、計算したこともないけれど、2階建てのかなり広い家であったことは確かだ…。2間あれば充分置けると踏んでいたのが躓きのもと。随分あったもんだなぁ。 

 蔵書はその人の顔であり、思想であり、人格であり、財産であるという人があった。勿論ここに並べた雑本は、チリ紙交換寸前に拾われたもので、いくらなんぼ何でも「蔵書」とは云え難いだろう。されど、こうして並べてみると、その1冊1冊に、購入時の思い出や、それに纏わる出来事などが、□□歳の現在ですら、脳裏に焼き付いてしまっていて、丁度鏡に向かっているように鮮やかに蘇り、改めて己の来し方に、渺茫たる想いを致すのである。
Hさんにメールを発信した。

略 5時起床。東の空スコーシ白んで、細い月が出ていました。こんなに爽やかな朝になるとは、思ってもみませんでした。由起夫さんのような心地です。ハクサイ畑を見廻ったり、突然やってきた家財道具の部屋、チリ紙になりはごった本箱部屋の網戸にして空気を入れています。けふは、朝一番(9時~)A整形のご高診です。予約してあるので、すぐ終わると思います。それから後、筑波山さ行くド!←こーたファイトはどこかへ消えちゃった。  そんでわ。


片付け最中の外は

2009-09-14 11:22:38 | 日録

戸別所得補償

 農家の期待が高いのが、販売価格が生産コストを下回った場合、差額を補償する「戸別所得補償」だ。実施は11年度で、赤松広隆農林水産相は10年度中に制度の設計に取り組むことになる。
 実現すれば、制度に参加する販売農家には、作物の市況に左右されずに経営が安定するメリットがある。07年度夏の参院選に続き、今回の衆院選でも農村票を呼び込んだ。
 モデル事業などで効果を実証し、1年間で制度を設計。11年度からコメを対象に1兆円規模で実施したい考えだ。その後、畜産物や水産物などに制度を拡大。予算規模は1兆4千億円を見込んでいる。
 課題は、事務作業の煩雑さだ。現在の生産調整(減反)でも生産目標を個々の農家に割り振る作業は大変で、役所JAの担当者は悲鳴を上げている。補償制度の範囲を、他の主要農産物に広げた場合、生産費や販売価格の算出や実際の支払い手続きなど膨大な事務作業が必要となる。
 10年に一部地域でモデル事業を実施する場合、現在の減反政策と併存することになる。減反への参加と戸別所得補償のどちらかが経済的に有利なのかはっきりしない段階で、「実験台」となる農家の賛同が得られるかも課題だ。
 また所得補償は小規模農家温存につながり、課題となっている農家の大規模・合理化が進まないとの指摘もある。仮に世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が早期に妥結して農産品の関税が引き下げられ、輸入増で国内価格が下がれば、補償額が増加して財政を圧迫しかねない。(17 日付朝日新聞3面)


部屋片付け余話

2009-09-13 20:37:04 | 日録
             

これは10年前住んでいた小生の部屋である。
老朽化が進み、何しろ戦後間もなく建てたセメント瓦葺きのあばら屋であるから、冷暖房完備の当世の住宅環境には程遠い。世間体もあることだし、思いきって僅かな貯えと、20年償還の住宅金融公庫からの融資を受けて、同じ屋敷内に今住んでいる茅屋を新築した。
しかし、旧居は運送店経営時代の本陣と同居していたから、何分にも雑物が山のように残っている。敷地が広いので、取り壊さず物置代わりにいろんなモノをぶち込んだまま、今日に至ってしまった。
…実は。東京に住んでいる義兄が、最近になって、突然複雑な事情が発生し、持ち家を急遽手放さねばならぬことになってしまった。
都内といっても、田舎に近い葛飾区なので、代替え候補地は直ぐ見つかったというが、住めるようになるまで、日時がかかるので、当分の間家財道具一切、預かっておいてくれまいかと依頼されてしまったのである。
セメント瓦でも、まだ雨漏りはしていないので、預かるだけの間取りはまだ充分ある。しかし部屋中がらくたの山である。
意を決して、昨日から片付けを始めたという次第。察せられよ。
だがなぁ。
ここに残っているのは、一応片付後のゴミ扱いとなるものばかりだが、それでももう一度再点検し直す必要がある。
また、数ある段ボールの中身が問題点でもある。
新聞の切り抜きや、オレ自身の日記の綴りや、メモがみっちり詰まっているのだ。
(門外不出。オレの結婚式当時のヒミツ書類も出てきた!思わずしばし見とれた。)
そんなのが出てくると、来し方の狂った己の人生設計図を悔いてみたり、色々あるわなぁ。読み返したり、また別の段ボールに区分けして入れ直ししてみたりなどして…。
時間ばかりが経ち、整理は遅々として進まぬ。
手を休め外に出ると、隣接の田圃は稲刈り真っ最中だった。
嗚呼ぁ。オレも農家に生まれれば良かった!!!

一片氷心在玉壺

2009-09-12 20:54:30 | 日録

余のかかりつけ医院。駐車場に車少なし。待合室も大した人数ではなかった。待っている他にも、予約してあるひとの有無を訊ねてみた。3人が予約してあり、10時半頃の診察になるというので、待つ事にした。
スポーツ新聞の記事なり。
一九九三年当時、非自民連立政権誕生で退陣に追い込まれた宮沢喜一首相は唐詩選の「一片氷心在玉壺」披露し、澄み切った気持ちを表現した。政権を去るとき麻生首相がそんな心境に達する事が出来るかは微妙。


芙蓉楼送辛漸  
        王昌齢

寒雨連江夜入呉
平明送客楚山孤
洛陽親友如相問
一片氷心在玉壺

芙蓉楼(ふようろう)にて辛漸(しんぜん)を送る 
 王(おう) 昌齢(しようれい)

寒雨(かんう)江(こう)に連なって夜呉に入る
平明(へいめい)客(かく)を送れば楚山孤なり
洛陽の親友如(も)し相問(と)わば
一片の氷心玉壺(ぎよくこ)にあり

口語訳

寒々とした雨が揚子江にふりそそぐ中を、
夜になってから呉の地にやってきた。
あけがたに、友人を見送ると、夜来の雨もやんで、
朝もやのはれゆく中にぽつんと楚の山が見える。
洛陽の友人がもし、王昌齢はどうしているか、とたずねたら、
彼の心は一片のすみきった氷が玉壺の中にあるようだ、
といってくれ。(石川忠久・訳)


山田風太郎「戦中派不戦日記」から

2009-09-10 20:46:07 | 怒ブログ
      解説
           橋本治
 これは、今から四十年前に書かれた、四十年前の一青年による、四十年前の記録である。
"解説"などという二文字を麗々しくも掲げるのなら、この二点に触れなければならないだろう。四十年前にこうであった、ということと、四十年前にこういう記録を綴ったその青年のことと。(以下略)

九月十日(月)曇時々晴暑し
○近頃バスの混雑言語に絶す。すでにわが村を通過するとき満員にて乗れず。八鹿まで歩いて出て、切符前日申告して夕帰る。
○戦争中の日本は、偏していたかも知れないが、少なくともまじめであった。
 敗戦後の日本はこの最後の徳さえ失ってしまった。この数日、十数日、日本に乱舞しているのは――僕は言論のことをいうのだがただ軽薄の一語につきる。いい大人が汗水たらして軽薄のかぎりをつくしている。

摘録 「断腸亭日乗」

2009-09-04 20:21:05 | 反戦基地

昭和三十二(一九五七)年
昭和丗二年歳次丁酉
            荷風散人年七十九歳

九月四日。晴。小林来話。正午浅草。

昭和三十三年(一九五八)年
            荷風散人八十

昭和丗三年正月

九月四日。晴。後に陰。正午浅草アリゾナに飰す。

戯作一日内閣

2009-09-02 15:24:49 | 阿呆塾

 味噌有の政変に当たり、葦原帝に措かれては、深く之を憂慮、一日内閣閣僚の組閣名簿親任に関する勅語を渙発遊ばされた。


   勅 語
今般新政権誕生目前ヲ控ヒ一日内閣ヲ命ヅル。
   夫レ能ク古今ノ史実ニ典拠シ余ノ意ヲ体セヨ
      2009.9.1        葦原将軍

内閣総理大臣   海部 敏喜
総務大臣     山崎  卓
法務大臣     久間 庄正
外務大臣     小池ユリ子
財務大臣     中川 正一
文部科学大臣   中山 繁彬
厚生労働大臣   丹羽遊哉
農林水産大臣   赤城則彦
経済産業大臣   葉梨安弘
国土交通大臣  金子 二義
環境大臣     鈴木俊三
防衛大臣     田父神利雄(民間))
内閣官房長官   太田秋弘
国務大臣     冬柴哲造
国務大臣     北側和夫
国務大臣     尾身考次
国務大臣     片山五月
国務大臣     佐藤 縁