狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

人間の条件

2006-08-31 20:50:43 | 日録
畏友H兄が、「人間の条件」なるブログを掲載し始めた。これは当時、空前のベストセラーとなった五味川純平の同名小説の映画を、ビデオで録っておいたのを、いまあらためて見たという兄の感想と評論である。
仲代達矢・新珠三千代・淡島千景・佐田啓二・石浜朗・山村聡・小沢栄太郎・安部徹などなど嘗ての名優の名前が並ぶ。しかしボクはこの映画を全く見ていない。ただこのブログの題名「人間の条件」の6冊の本を所持していて、それについては、確かな思いを馳せるものがあったのである。写真がその「人間の条件」三一書房新書版である。

実はこの本の入手先は、変哲もない、絶えず村へやってくるちり紙交換車であった。わが家の庭先で、その交換車の荷台を覗いたら、束ねた本の中にあったものだ。譲ってくれと頼んだら、代金は要らないョ、とタダで頂戴した。この本ばかりでなく、新潮文庫「人間の条件」マルロオ・小松清・新庄嘉章、ドストエフスキー「罪と罰」上・中・下 岩波文庫、更に今では稀覯本の類になるであろう、改造文庫
「芭蕉・夜船・草の詩」吉田弦二郎なども有難く頂戴したのである。

この本の表紙裏には女性の住所名前が記されている。
ご覧の通り、小口にあるNOの文字は所有者の頭文字で、書かれている住所はすぐ近くの隣村であった。

五味川純淳平本のまえがきに
「人間の条件」の題名についてこんなことが書かれている。
引用
>或る局面での条件を見究めたいという途方もない企みを私はした。大それたことだとは、手をつける前から分かっていたが、あの戦争の期間を、間接的にもせよ結局は協力という形で過ごしてきた大多数の人人が、今日の歴史を作ったのだから、私は私なりの角度から、もう一度その中へ潜り直して出て来なければ、前へ進めないような気がした。書き終ってみて、果たして出て来られたかどうかは怪しいものだが、この一年間、作中の人物と共にあの数年間を暗中模索したことだけは事実である。そしてまた、人間が生きて行く条件を、あとになって整理したり修理しても、失われた日日は遂に甦らないということも、悲しい事実である。
「人間の条件」という題名は、アンドレ・マルロオの作品に同名のものがあるので、随分気になったが、他につけようがなかった。

 所持者の彼女はこのまえがきを読んで、マルロウ本を捜したのはないかと勝手な想像をめぐらした。しかし何れにしても、この長編を読みこなし、さらにアンドレ・マルロオにまで及んだとすれば、凄い文学少女だと思えてならなかった。

 署名の上に「2E」とある。高校2年であったことはほぼ間違いない。

 

2006-08-30 21:53:39 | 反戦基地
>定義:2者あるいはそれ以上の紛争当事者のどちらの味方もしない、あるいはどちらも支持しない者の立場。古代と現代とを問わず、真のクリスチャンがあらゆる国で、又あらゆる状況のもとで、世の党派間の紛争に関し徹底した中立を保持してきたことは、歴史上の事実です。真のクリスチャンは、愛国主義的儀式への参加、軍務に携わること、政党への加入、行政職に立候補すること、投票などに関して他の人々が行う事柄に干渉しません。しかし心のクリスチャンは聖書の神エホバだけを崇拝します。それらのクリスチャンは無条件で神に献身しており、神の王国を全面的に支持します。

一般の政府の権威に対するクリスチャンの態度と関係があるのはどんな聖句ですか。

この「聖書から論じる」ではローマ13:1、5‐7を引用している。小生にはちょっと馴染めない「新世界訳」なので、改訳(文語訳)で説明を紹介してみよう。

凡ての人、上にある権威に服ふべし。そは神によらぬ権威なく、あらゆる権威は神によりて立てらる。……然れば服はざるべからず、啻に怒の為のみならず、良心のためなり。また之がために汝ら貢を納む、彼らは神の仕人にして此の職に励むなり。汝等その負債をおのおのに償へ、貢を受くべき者に貢ををさめ、税を受くべき者に税ををさめ、畏るべき者をおそれ、尊ぶべき者をたふとべ。

選挙に投票をしない宗教

2006-08-29 21:34:27 | 反戦基地
新聞代集金にお出でになる○○さんと最近非常に懇意になってしまった。彼女は輸血を拒むことで知られる、ある宗教団体の熱心な信徒であった。
この宗教は、創価学会とは180度違って、選挙はやらないという教えが徹底していた。
 ボクは懇意になったのを幸いに、
「貴女たちはどういう理由で投票に行かないの?」と訊ねてみた。彼女の答えは次第に熱を帯びてきた。聖書の言葉をしばしば引用した。論理整然である。しかし、立て続けに引用する聖書の章、節を述べられてもこちらは困惑するばかりである。
「いろいろ言われても、さっぱり解らない。紙に書いてきて欲しい」ボクは彼女にそう頼んでおいた。

彼女が今日集金に見えた。
「このあいだ選挙をしない理由を、紙に書いてきてくれといわれましたが、書くということは大変容易なことでないので、ここにその根拠を書いてある本があります。これを差し上げますから、お読み下さい。」

彼女は、「聖書から論じる」というその教団の発行する一冊の本を、ボクに恵贈してくれたのである。ボクもタダで頂いたのでは恐縮だから、代金はお支払いしますといった。
「プレゼントします」彼女は、本の代金は受け取らなかった。
その宗教団体の教義を集約してあるテキストであった。

選挙をやらない理由
輸血を拒む理由
戦争・兵役に関する見解
そこに栞を入れてお帰りになった。

八月 二十八日(月)

2006-08-28 21:45:14 | 日録

 漸く涼しくなる。秋の気配忍び寄る。
 水道の水漏れ発見。(自家水道なり)友人のN君デンキ屋を頼んで、その辺りを掘り起す。いまどき小野田少尉のような手作業である。漏れるところは、銀杏の根っこ真下。水道のパイプの上に植えた小さな苗が、約20年、巨木になってしまったのである。勿論ユンボなどある筈がないし、ユンボが使えるような環境でない。
それに、

 二人とも輪をかけた超熟年者。
 N君「おめえがやっているから、オレもやらざるを得ない」。
 小生「君を頼んでしまったから、オレもやらざるを得ない」
 パイプを探し出すのに、正味1日がかり。やっと見つけた。しかし所在地は大きな銀杏の根っこに雁字搦めなのだ。

 すっかり草臥れて仕舞った。
晩酌の時間。テレビから赤坂小梅の「黒田節」が流れてきた。

♪~すめら御国の もののふは
いかなることをか つとむべき
ただ身にもてる 真心を
君と親とにつくすまで

花より明るく 三芳野(みよしの)の
春のあけぼの 見わたせば
唐人(もろこしびと)も 高麗人(こまびと)も
大和心(やまとごころ)になりぬべし



後序

2006-08-27 21:43:01 | 本・読書

「新修平仄字典」林古径の、釈清潭の「序」を引用して、四声雑学としてブログに書いた。この序文は漢文である。しかも訓点がない。さらにその漢文たるや、正字あり俗字ありで、正俗交々、漢字ばかり並べた文で、意の概略は理解できるとしても、訓読せよとなると、難解は否めない。まして、無学の小生に於いておや。
字典読者の対照は、邦人、即ち日本人である。もう少し親切に書いてくれよと言いたくもなる。
折りしも、是非「読み下し文を…」というコメントをましま氏から賜った。
少しベンキョウの時間を、お願いし、その前に字典「後序」を引用して、この書の概略をご理解頂きたい。

後序
予幼時、詩を学ぶ、常に韻字平仄に苦しめり。十四五に至りては、日常用ふるところの語、大抵知らざるはなかりき。偶、先人の遺筐を開いて、韻字に国訓を附せるものあるを見、大に之を悦び珍重愛玩す。會、人之を取り去る。乃ち自ら之を作為せんと欲し、終に果さざりき。書名巻冊今凡て之を忘る。二十前後、全く念を漢詩に断ち、作らず作らしめず、百事抛擲す。三十五六歳に至り、清潭大獅子吼林氏に遇ひ、宿縁再薫、吟詠時に日夜を忘る、此の時、勉めて古人の詩を読み、近代人繊麗巧緻の風に陥らざるを以て務めとせり。然れども韻字平仄に至りては已に茫然一失、殆ど憶に存するなし。其の苦、想ふ可し。淡社詩盟成り、雑誌漢詩の創刊せらるるに及んで、米峰高島大人提議して曰はく、天山川上檉君と予と胥謀りて、當に平仄字典を作るべしと。二人悦んで事に従ふ。已に稿を起こすこと数十行、天山遽かに伯氏の憂に居り、棣蕚の義、故山に帰農し、遺孤を鞠育せざるべからずに会ふ。これより以後、予獨、事に當る。大正四年秋に始まり。大正十年夏に至りて一たび筆を擱く。稿の成るに従ひ、之を紙型に付す。中ごろ、東京活字職工の時間制問題あり、或は原稿の紛雑等、事累頻に至りかつ校正意の如くならず、怒りて泣かんと欲するに至る。其の校正の数、大抵七度、多きは十一度に至る。然れどもなほ脱誤多からんことを怒る。大正十年臘末集秀英舎紙型紛失の責を謝し、原稿の再造を乞ふ。乃ちその頁数を再記し、更に全部を訂正増補し、別に新に補遺を作り、遂に以て公刊するを得るに至れり。事は実に、大正十二年三月なり。爾来九星霜、其の間、誤脱を発見するもの少なからざるのみならず、読者中、或は菊版にては携行不便なりと言ふものあり、或は常用韻字の一覧表。平仄両韻表の如きあらば、便益少なからざるべしと言ふものあり、或は初学者のために、漢詩の作法を添へられたらんにはなどと言ふものあり。乃ち、これ等の要望を満足せしめんがために、旧版を廃棄して、さらに新にこの『新修平仄字典』を編著したる所以なり、この書元より大方君子に示さんとするにあらず。ただ幼年学詩者に、韻を知り、字を識らんとするの便に供するのみ、蓋し多少の裨補なくんばあらざるなり。若し今人の誇るが如く、歳月の悠久を以て能事戸なさば、此の泛泛たる一冊子、亦以て大著作となすべきなり。然れども、予かつて先賢先哲の遺著を見、其の精神と異常なる熱心と、異常なる苦心に驚き、涕涙搒沱、禁ずる能はざることありき。是を思いば、此の書の如きは、泛泛たるの中の最も泛泛たるものたるべきなり。
昭和九年九月
   於四時佳興楼
    古径 林竹次郎


四声雑学

2006-08-26 22:03:06 | 本・読書

新修平仄字典序
古今作詩者所困。在知其平仄。未暁平仄。焉能曉詩哉。梁沉休文。始説四声。後世準據。没有背者。沉之教四声。以天子聖哲。字音入耳。直以解義。是於漢人然也。我皇人之知字。先従訓入。而後及音。曰天曰転。曰子曰詩。曰聖曰成。皆是同音。聴者誰直解有平上去之另乎。僅於入声之一音。得不謬而巳。蓋雖入声。訓読則亦不解。例之如木之與気是也。矧乎如葉之與歯。橋之與箸。釜之與鎌。邦訓則同。聴者誰直解有平上去之另乎。先輩病之。於是乎。示符号於字傍。謂諸四声圏發。以救童蒙之脳。于今受其便也。友人林君子獏。著平仄字典。徴余序。披閲之。凡数千文字。平上去入。一目瞭然。釈音弁義剖析詳明。毫無滲漏。可謂韻学之指南。矢音之衡準也。清洪穉存。評呉梅頓詩云。其人熟精諸史。是以引用確切。裁対精工。然生平殊暗平仄。如以長史之長為平声。韋杜之韋為仄声。実非小失也。梅邨一代大家。而猶如此。況於未成家者呼。況於我皇人乎。是書出乎世。不啻救童蒙之脳。亦以有便大方家也。昭和乙亥立春日
                     清潭釈萬仞 撰

私は漢詩の平仄の講釈を垂れる積りは毛頭もない。この「新修平仄字典序」を引用したのは、こういう字典であるということの説明にしか過ぎない。
 何故?実はこの書名との出合いを語りたかった。
 それは、
《週刊朝日創刊50周年記念
「朝日新聞でみる世相50年」非売品・朝日新聞社》(昭和47年7月10日発行)掲載の、昭和17年5月17日付新聞の縮刷版で、その1面の最下段に並ぶ本の広告記事にあったのだ。

  《新修平仄字典 林古径著 価1.80 〒12 明治書院
 本書は、普通作詩に必要な文字を50音順に配列し、平仄及び韻別を一目瞭然たらしめ、また異韻の場合も併記して、なほ作詩に関する一般的講説を掲げてゐる。作詩家必携の書である。》


紙面は、6段抜きの大きな見出しがある。
我が潜水艦の敵船舶撃沈
開戦以来六十五隻に達す。
合計実に四十四万四千トン
【大本営発表】(16日午後3時50分)帝国海軍潜水艦の開戦以来5月10日までに撃沈せる敵船舶累左の如し。
1、太平洋、ハワイ方面15隻 10万1千700トン
2、西南太平洋方面15隻9万6千トン
3、インド洋方面 35隻24万6千3百トン
合計65隻、44万4千トン

俘虜1万2千、砲2百46
    コレヒドール島等の戦果
【大本営発表】(16日午後5時)比島方面帝国陸軍部隊のコレヒドール島およびマニラ湾口諸島要塞攻略作戦において収めたる戦果の主なるもの左の如し。
1、俘虜  12,495
(大部分は米国兵なり)
 遺棄屍体  640
2、鹵獲品
 ①火砲246門(うち14吋砲を始め重砲83門を含む)
 ②重軽機および自動銃    685
 ③小銃拳銃        5,220
 ④自動車類         270
 ⑤飛行機           8
 ⑥砲弾          10万3千発
 ⑦期間銃弾        89万発
 ⑧糧食     少なくとも1万人に対する2ヶ月分

 しかし巻末の年表で見ると、戦局は大きく反転しつつあったのだ。
 昭和17年
4.18 米軍機、日本本土を発空襲
 5.17 国際スパイ団ゾルゲ事件解禁
 5.20 翼賛政治会結成(会長阿部信行)
 6.5 ミットウエー海戦
 8.7 米軍ガダルカナル上陸。ガ島攻防戦始る。

 こうした中で、町の本屋さんが、こんな本を並べておけたかどうか記憶にない。

 昭和56年(復刻版が出た頃)国学院出の高校の国語教諭に漢詩のことから、この話をした。
 「これだろう」と言って見せてくれたのがこの本である。小生52歳。トラック運転手を兼ねた運送店経営者は、月賦購入の車両代、約束手形に追い回されていた。鈴木善幸首相の頃である。
 そして著者林古径が、歌曲『浜辺の歌』の作詞者であることを教えられた。今所持しているこの字典はそのとき譲り受けたものである。


 



恐怖のバトン

2006-08-25 21:00:33 | 反戦基地
涼しくなるバトン→恐怖のバトン
きゅうりさま。
小説家志望、自ら<文弱の徒です。自称アナーキーな実存主義者。いつか小説家になれる日を夢見がち。>と称するきゅうり氏の「涼しくなるバトン」を拝見した。

<みんなで残暑を乗り切ろう!> と張り切っている若き文学青年に、水を差すような「受け取り方」で申し訳ないと思うけど、愚生は、涼しさを通り越して「肌寒い、身震する、恐怖バトン」として受け取ってしまった。
赦されよ。きゅうり氏。というわけで……。

taniオリジナル「恐怖バトン」。
答えるためにあれこれ思い出していると、鳥肌が立つこと請け合い。

① 口にするのも怖ろしいものは?
戦争。

② 怖ろしくて目をそらしてしまうものは?
戦争。
③ 怖くて触れないものは?
戦争。

④ この世でいちばん怖いものは?
戦争。

⑤ 思い出すと背筋が凍るのは?
戦争。

※久しくご無沙汰のtani少年です。雨にも負けず、風邪にも負けず、暑さに負けずに張り切っています。noaさまのご指導でLivedoor Blogに兆戦中です。折があったらご来駕下され度。
   

「たった一人の30年戦争」小野田寛郎 東京新聞出版局(1995年10月16日初版4刷発行)を町図書館から借りて読んだ。涙が出た。本を読んで涙するなど、考えたこともなかった。
 若い諸君に読んでいただきたい迫力ある1冊である。


戦争責任

2006-08-24 21:35:54 | 反戦基地

朝日新聞は8月13日付社説
〝「侵略」と「責任」見据えて 親子で戦争を考える〟で
次のように書いている。

●天皇や新聞の責任
実質的な権限はともあれ、昭和天皇は陸海軍を統帥し、「皇軍」の兵士を戦場に送り出した。終戦直後、何らかの責任を問う声があったのは当然だが、東京裁判には出廷さえ求められなかった。その権威が戦後の統治に必要だと米国が考えたからである。
だからこそ、天皇は戦後の新憲法のもと、平和国家の象徴として生きることを重い任務として自らに課したのだろう。
新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない。失敗を再び繰り返さないことで罪を償うしかないと考えている。
過去の歴史を素直に学べば、おのずと答えは出てくるはずだ。そんな共同作業を現代の親子に勧めたい。

これまで戦争責任に関する新聞記事を3件引用した。
最後に、自らも特攻隊に深い関わりがあった、元海軍飛行予科練習生出身角田和雄氏の聞書き「等身大の予科練」=常陽新聞社刊の一節をお借りしたい。

「靖国神社で会おう」と死んでいった人たちとの約束があるので私は靖国神社におまいりを続けている。案内の通知を出したり、直接お目にかかったとき、遺族から「戦犯を祭っているところへは行かない」と拒否されると、どう答えていいか分からない。それでも、気持は理解できる。

開戦時の首相で、極東裁判で死刑になった東条大将がまつられていることは事実だが、連合国による極東軍事裁判の結果であって日本自身が裁いたわけではない。本当の戦争責任者なのか、私には説明できない。
こうしたこともあって、戦争責任ということについて、戦友たちと話したり、子供や孫に冷やかされるほど本を読んで近年ずっと考えてきた。しかし、下の者は「上の命令でやった」、上の者は「下から突き上げられた」という具合で、読めば読むほどに混乱する。(中略)
戦後、復員して間もなく、千葉の実家で陛下の「人間宣言」を読み、陛下が、国民のことをもっとお知りになってくれればいいと思った。

振り返ってみると、国民自身も「勝った、勝った」という新聞の報道や大本営の発表に有頂天になってしまった。
戦前、南進論や北進論があったようだが、いずれにせよ。当時の偉い人たちにそれほどの深い考えがあったとは思えない。単なる功名争いの果てに、という思いが残る。

軍人勅諭で「義は泰山よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」と叩き込まれた。このことも明治天皇が直接つくられたわけではなかったと思う。(略)
最近、戦友たちから「お前は大きなことを言うようになった」とか「左がかってきた」とか、笑われたり、批判されたりするが、昔からそうだったわけではない。








戦争責任

2006-08-23 22:06:58 | 反戦基地

<最近、靖国問題に関する議論が盛んになってきたことは歓迎するが、靖国を外形的にどう外形的にどう改革するかに注目が集まり、結論さきにありきの議論になってはなるまい。戦争責任こそが本質と考える。=「戦争責任の議論こそ必要・元駐オランダ大使東郷和彦」(朝日新聞8・12日付オピニオン)

<河野洋平衆院議長は15日、東京・北の丸公園の日本武道館で行われた全国戦没者追悼式のあいさつで、
「新生日本の目覚めを信じ、犠牲を受け入れた有為な人材たちに思いをはせるとき、戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と延べ、いわゆるA級戦犯らの戦争責任を追及した。式典はA、B、C級戦犯も追悼の対象で、遺族も多数参列していただけに、参列者から「不謹慎かつ無礼きわまりない」と憤りの声があがった。
河野氏は故吉田満の著書「戦艦大和の最後」の若い将校の対話を紹介。「敗れて目覚めるそれ以外にどうして日本が救われるか」との言葉を引用して、戦争の責任に言及した。=産経新聞8・16付)


女部

2006-08-22 22:22:18 | 本・読書

方今、わがtani家をはじめとして、一般的なご家庭では男より(女)性の方が偉いように見える。
抑々、我が国の万世一系の皇祖さまは、女神天照大神で有らせられるし、魏志倭人伝によれば、3世紀半ばの頃、多分日本国を指すであろう「邪馬台国」に卑弥呼という偉い女王がましまして、約30国を統治あそばされ、239年魏に使者難升米を遣わして、明帝より親魏倭王の称号を与えられたとある。

コンパクトな岩波「漢語辞典」が机上に置いてある。パソコンを弄るようになってから、国語辞典に比べこれはほとんど開く機会がない。今日は男と女でどっちが偉いのかを考察するに及んで、久しぶりの繙閲となる。

男[解字]会意。「田」(=はたけ・狩猟+「力」。耕作や狩猟につとめる人の意。
女[解字]象形。やわらかな体つきでひざまずく、おんなの姿を描いたもの。

【奴】
[解字]形声。「又」(=手)+音符「女」。手を使って労働する女の意。一説に、「又」を手で捕らえる意とし、捕らえられた女のしもべの意。
【妃】
[解字]形声。「女」+音符「配」(=つれそう)の略体。王族の夫につれそう女性の意。
【妄】
[解字]形声。「女」+音符「亡」(=目が見えない」。女性にまどわされて道理を見失う意。
【奸】
[解字]形声。「女」+音符「干」(=おかす)。婦女をおかす意。「姦」の簡体字。
【妥】
[解字]会意。「爫」(爪・手)+「女」。いきり立つ女を上から手で押さえて落ち着かせる意。
【妊】
[解字]形声。「女」+音符「壬」(=ふくらむ)。女がみごもって腹が大きくなる意。[姙]異体字。
【妨】
[解字]形声。「女」+音符「方」(=両方にはり出す)。両手をひろげて女性に近づかせまいとする意。
【妖】
[解字]形声。「女」+音符「夭」(わかくてやわらかい)。からだのやわらかな女の意。
【委】
[解字]会意。「女」+「禾」(垂れ下がった稲)。女が力なくしなだれる意。なよなよと曲がりくねる意から、細かく行きわたる意になる。
【威】
[解字]会意。「女」+「戊」(=ほこ)。弱い女をほこでおどす意。

この他、今まで何気なく使っていた「女」部の漢字(部首索引)の解字を読むと、成る程と頷くことばかりだが、こんなポケットに入るような小さな辞書でも84の漢字が載っている。初めの方の10項を抽出してみた。
今の女性には当てはまらない疑問な表現も浮かんでくるが、さて御一統様のご家庭は「嬶天下」それとも「亭主関白」??

  後記 どの漢和辞典でも〝「女」部〟はあるが〝「男」部〟はない。男は「田」の部である。
解字の分類は六(りく)書による。




杉本五郎中佐

2006-08-21 21:46:07 | 本・読書
 
 「皇国史観」と簡単に言うけれど、この杉本五郎中佐の「大義」は非常に難しい内容の本である。
 
この本の編者後記によると、
「(略)遺著「大義」が刊行せらるゝや、人々は驚嘆と感激とを以って之を繙き、発行部数は遂に十萬を突破するに至った。然し一般青壮年や学生及び第一線将兵は、日本文に訳したる携帯便なる小型のものを希望せらるゝ向きが多く、茲に広く一般に普及すべく本書を刊行するに至ったのである。
本書こそは真に神勅奉行皇謨顕現に挺進すべき皇国民の経典であり、神の声である。(略)」とある。

然し、この本の内容から推して、復刻再版は有り得ないのではないか。この「大義」は容易に入手できない本だと思う。
 幸い小生はその小型版を所持しているので、その第1章だけでも紹介いたしたいと思う。

        緒 言
 吾児孫の以て依るべき大道を直指す。名利何んするものぞ、地位何物ぞ、断じて名聞利欲の奴となる勿れ。
士道、義より大なるはなく、義は 君臣を以て最大となす。出処進退総べて 大義を本とせよ。
大義を以て胸間に掛(けい)在せずんば、児孫と称することを許さず。一把茅底折脚鐺(さう)内に野菜根(こん)を煮て喫して日を過ごすとも、専一に 大義を究明する底は、吾と相見報恩底の児孫なり。
孝たらんとせば、大義に透徹せよ。
大義に透徹せんと要せば、須く先づ深く禅教に入って我執を去れ。若し根器堪へずんば、他の宗乗に依れ。戒むらくは宗域に止まって奴となる勿れ。唯々我執を去るを専要とす。
次に願はくば、必死以て 大義擁護の後嗣を造れ。而して其は汝子孫に求むるを最良とし、縁なきも大乗根器の大士ならば次策とす。一箇忠烈に死して、後世をして憤起せしむるは止むを得ざるの下策と知れ。宜しく大乗的忠の権化、楠子を範とせよ。
歳々大義擁護以て 皇国を富岳の安きに置き、
聖慮を安んじ奉れ。    至嘱々々
                      父 五郎
   正 殿
     兄弟一統
(補註)この復刻本が靖国神社「遊就館」に売っているらしいです。  

 ※パソコンが不具合である。何時毀れるが分からない。とりあえず急げ!急げ!


吉村昭について

2006-08-20 22:24:29 | 本・読書
昭和20年2月初旬、私たち中学生まで動員して飛行機修理や、マルダイ兵器(人間爆弾〝桜花〟)の生産にあたっていた海軍□空廠は、米艦載機の爆撃で、致命的打撃を受けた。
この日は、マリアナ基地を発進したB29の編隊も大挙して来飛したが、超高空を西に向かって通過しただけで、この地方は平穏に見えた。私たちは早くから、防空壕に退避、時折壕を出ては上空を見上げているほど、暢気に構えていたのである。

その後、間もなく応戦する付近の防空陣地から機関砲の射撃音で緊張した。
約1キロ位離れている□空廠上空に艦載機の編隊の姿が現われたのを確かに見た。身の軽い艦載機は舞うように降下して、空廠施設に爆弾をふるい落とした。 
グラマンTBF「アベンジャー」という機種で、弾倉が開いて爆弾が落ちるのがはっきりと見えた。急降下可能の艦上爆撃機であった。

 B29の高空からの戦略爆撃(無差別爆撃)と違って、艦載機の攻撃は、軍事目標を狙った正確なものであった。
 この爆撃で□空廠の稼動はほとんど不可能になった。爆撃が終わって、壕から元の職場、飛行機組み立て工場に引き上げてくると、そこは爆弾であるから火災こそ起きなかったが、瓦礫ばかりの無残な戦場の跡と化していた。
 通用門附近に飛行機が墜落した。敵機が去ったあとの正午頃の時刻である。米軍機だろうと思って駆け付けたが、飛行機の格好も分からない残骸の塊であった。 
それは味方機であった。
 
 それ以後は、爆撃あとの片付けに追われる日々が続いた。ある日の夕方、近くの飛行場内の中央格納庫と呼ばれる建物に、93中錬の「爆装をする」といってその取り付け作業に連れて行かれた。昼間は空襲の危険で、夜の作業となったのである。「爆装」といっても、ピント来なかった。鉄板を切断して折り曲げU字型にし、溶接した村の鍛冶屋が作るような器具である。その器具を2~3機の通称「赤トンボ」の胴下に取り付けたのである。勿論それは爆弾の懸架装置とは分かった。250㌔爆弾を固定懸吊してそのまま体当たりするものであったことは、戦後になって知り得たことである。
 夜半コッペパンの差し入れがあった。同僚がパンにカビが生えているのを発見したが、パンなどは貴重品であった。貪るように食べた。空腹ではなかったが、パンの味は格別だった…。

 吉村昭訃報のあった日、小生はブログに吉村昭の「零式戦闘機」について触れた。
 学習塾講師のV先生の目にとまり、
『「吉村昭」について述べよ』とオッカナイ顔で詰問されたような気分である。
 吉村昭と言われても、嘗て昔、
 「零式戦闘機」(新潮文庫)「戦艦武蔵」新潮社をざっと見ただけである。
 しかしそれを読み返し感想を述べるには、もう一度も二度も読み返す必要もあるだろう。文庫本といえど、300ページにおよぶ。軍艦については、全くの予備知識を持たぬ。 さらに、最近『「戦艦武蔵ノート」作家ノートⅠ吉村昭』なる文春文庫も発見した。

「v先生、いま少し時間を呉れ」ともいえたいが、V先生は忙しい受験生相手の講師である。そんなものに構っていられないだろう。それにおっかない顔が目に映る。ビンタをくわせらる恐怖もあった。

そこで思い出すのは、
 この書き出しが、「零式戦闘機」は牛車で試作機を、名古屋市港区大江町の海岸埋立地区にある三菱重工株式会社名古屋航空機製作所の門から、48キロ離れた岐阜県各務原飛行場に運ばれる情景から始ること、
「戦艦武蔵」は有明海沿岸の海苔養殖業者が棕櫚の繊維が姿を消したことに気付いたことからの展開なのである。しかも両者とも、

『昭和12年7月7日、北平郊外の盧溝橋北方地区で端を発した中国大陸の戦火は…。』から稿を起こしている。

私は吉村昭「零式戦闘機」「戦艦武蔵」を通読して、戦後61年経っても、あの中学3年の時、鉄の嵐といわれた沖縄戦に立ち向かうのに、93中錬の爆装をしたこと、カビの生えたパンを食した記憶を、ダブル・イメージすることを書いてV先生への答えとしたいのである。


大義

2006-08-19 13:31:02 | 本・読書

盂蘭盆会。帰省客に、不肖老生孫ボケしている間、日本国は、慌しかった。小泉首相の靖国参拝がそれである。
 毎日新聞の世論調査によると、首相靖国参拝評価50%、批判46%、という結果が出た。好むと好まざるとにかかわらず、国民は首相の行動を歓迎したことになる。

 孫軍団(M翁はそう表現した)撤退のあと、その空虚さを紛らわすべく、読書の為の本を捜していたら1冊の小冊子が出てきた。
 皇国史観の権化のような本である。一切の論評を拒否する聖典であるように思えた。
 
杉本五郎中佐遺書
 大義
 昭和18年3月15日印刷
 昭和18年3月20日発行  (20000部)
 昭和19年1月20日4版印刷
 昭和19年1月25日4版発行 (10000部)
    大義 (小形版)
   定価停65銭行為税相当額2銭 合計67銭
 著者     杉本五郎
 発行者    下中弥三郎
 印刷者    斉藤道太郎

発行所  株式会社平凡社
配給元 日本出版配給株式会社

空遁の術

2006-08-18 12:22:57 | 日録
この忍法は『ウィキペディア(Wikipedia)』にもござらぬ。
それもそのはず、tani-hause秘蔵、ならびなき初孫の編み出したる秘法にして
滅多には公開できぬものでござる。
初孫といえば、反戦硬派の論客でさえ、ミットもないほど、darashinaku zukkokeru 態のものでござれは、愚生なおその例にもれずとはなりぬ。慎むべし。
なほ、金遁の術の心得なき者は、懐傷むべしと、しか云う。
神聖を旨とする酒蔵創業者すらも、如下記の体たらくぶりである。
          ***********
山形酒田市にある、東北銘醸という酒造会社の日本酒銘柄がある。
東北銘醸のHP会社案内によると、日本酒醸造をはじめたのは、明治26年。当時回船問屋を営んでいた初代佐藤久吉が「金久」という銘柄で世に送りだしましたのを、昭和のはじめ、長男が誕生したのを機に、みんなに愛され、喜ばれるような酒にしたいとの願いを込めて、酒名を「初孫」と改めたという。

宜なるかな。なにバカというのだろう。調べようがない。

空白

2006-08-17 21:13:53 | 日録

目を覚ますと、戸外雨の音なり。
起きてshoubenを垂る。2時半ではちょっと早すぎる。また寝た。

終日虫熱かりき。台風□号の影響なるべし。
61年前、余もこのふるさとの地にありき。万世一系の大君は現人神様であった。だれもそう思っていたのである。だから天井無給の皇運を扶翼し奉られなかった不忠を涙を流して詫びたのである。しょかし力が抜けてしまって、この日より宮城遥拝は省略した。なにもやる気がしなかった。
全てが空虚で、そんな心の余裕がなかった。灰色だっ太。空腹も、虫熱い記憶もない。
終戦の日、掘建て小屋の疎開工場。万力台が並んでいただけである。周囲の松林に、山百合の花が咲いていた。
挺身隊の、年上のM子さんに、初恋を下。潔い墓ない鯉でありました…。

昨日長逗留の□たちが帰った。何となくわびしい思いもあったけれど、61年前の空虚さとは比すべき筈も内。

「あと8年頑張ってネ。」(是は□が成人になる火である)小学3年生の□が云う。
「大ジョブだよ」とは威って見たもの、地震はなかった。
今宵の缶ビール。ンだ!!美味かった!