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28日朝日新聞朝刊1面は、
「雪国」「細雪」など詠訳海外に紹介
サイデンステッカーさん死去
という見出しでその死去を伝えた。
米国の日本文学研究家で、「源氏物語」や谷崎潤一郎、川端康成の作品を英訳し、日本文学を広く海外に紹介したコロンビア大名誉教授のエドワード・サイデンステッカーさんが26日、外傷性頭蓋(ずがい)内損傷のため都内の病院で死去した。86歳だった。葬儀は近親者で行う。
米コロラド州生まれ。コロラド大学英文科を卒業後、海軍の日本語学校で日本語を学び、占領軍の一員として来日後、ハーバード大で日本文学を専攻。48年に外交官として再来日し、50年から5年間、東大大学院で平安朝文学を研究、「蜻蛉(かげろう)日記」を英訳した。62年に帰国し、日米間を行き来しながらスタンフォード、ミシガン、コロンビアの各大学で教えた。
川端康成の「雪国」「千羽鶴」や谷崎潤一郎の「細雪」「蓼(たで)喰ふ虫」をはじめ、日本の近代文学を100点以上英訳。その訳文は格調の高さで定評があり、68年に川端がノーベル文学賞を受賞した際には陰の功労者と言われた。75年には約15年がかりで「源氏物語」の全訳を成し遂げた。
75年に勲三等旭日中綬章。77年に菊池寛賞。五島美代子賞(81年)、山片蟠桃賞(91年)も受けた。
ボクは、同じ米国の日本文学者でもD.キーン の著作はかなりの冊数を所持しているが、E・サイデンステッカーは、1冊しか所持していない。D・キーンに比べて、単行本、特に文庫本が少ないからであろう。
それでもボクは、この米人文学者を1冊の著作だけで完全魅了した。(湯島の宿にて:E・サイデンステッカー 安西徹雄編訳蝸牛社刊)
読売新聞「編集手帳」に、サイデンステッカーさんの自叙伝「流れゆく日々」の一節が紹介されていたそうである。
「夜の底が白くなった」という「雪国」の一文を英訳した時のこと。サイデンステッカーさんは「夜の底」という表現を用いなかった。「night」と「white」という、響きの似た言葉を一つの文章の中に並べるのが嫌だったという。しかし、「夜の底」から生まれる鮮明な印象を思えば「やはり残しておくべきだった」とほろ苦い反省の弁をつづっている。
ボクは英文は分からないが、川端康成のノーベル賞は、サイデンステッカーの英訳によって生まれたと云う巷説を疑わない。 それにしても氏が、勲三等旭日中綬章受賞とは、何とも不思議としか言えようがない。
(参考になるかどうか?)
東京大空襲作戦を指令したカーチス・E・ルメイ空軍副参謀総長。彼は、名古屋、大阪などの空襲や広島、長崎の原爆投下にも関与した。日本政府は彼に勲一等旭日大授章を贈った。
「負けたら我々は戦争犯罪人だ」。当時のルメイ米空軍少将の部下であったマクナマラ氏はそう語った。これに対してルメイは、「君は10万人を問題にするが、敵を殺さねばこちらに何万も犠牲が出る」と語った(映画「フォッグ・オブ・ウォー」)。その後ルメイは、空軍参謀総長に昇進、むろん戦争犯罪人になることはむろんなかった。それどころか戦後日本政府は、航空自衛隊創設に貢献したとして彼に勲1等旭日大綬章を与えた。負ければ戦争犯罪人でも、勝てば勲章が授けられる。それが人の世といえばそれまでだ(05年3月10日付『毎日新聞』-「余禄」)