狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

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官製慰霊追悼式

2010-06-30 07:19:01 | 反戦基地

1945年6月10日わが町は米空軍の爆撃によって甚大な被害を受けた。この爆撃による死者の数は371名(町史による)とされているが、その資料は、思い出によるものも多く、客観性や正確さには難点があるとする著作もあるなど混乱していたことは想像に難くない。
いずれそのような悲惨な事実があったにもかかわらず、これまでこの日の慰霊祭を行った記録は全くないと言ってよい。
以下の追悼式典は、この日の犠牲者の慰霊祭とは次元の異なった町の行事である。

■【町戦没者追悼式】開催(町広報誌『お知らせ』)
 先の大戦において戦没された幾多の町関係者の霊に対し、町民をあげて追悼の誠を捧げ、平和への決意を新たにするため、標記追悼式を下記のとおり行います。
 なお、当日式に参加される人は、略礼服または略礼服に準じた服装にてお越し下さい。

 期 日 ×月×日(火)
 時 間 午前10時30分~11時45分(受付:午前9時30分から)
 場 所 町民体育館
 問い合わせ  社会福祉課社会福祉係  電話

     平成××年度 戦没者追悼式参列予定者
 【参加者】
  参列者  
  来賓
     県知事、国会議員、県議会議員、町議会議員、町内大学学長
     町内自衛隊各処長他、県当該地方総合事務所長、県聾学校長
在町私立高等学校長、県自動車学校××校長、町内小中学校長
     町消防団長、町農業委員会会長、町教育委員会委員長、町内郵便局長
     町障害者福祉協議会会長、町遺族会会長他役員、町軍恩支部長、恩欠連支部長
     傷痍軍人会協議会会長、民生委員児童委員協議会会長、保護司協議会会長
     更正保護女性の会会長、青少年相談員連絡協議会会長、区長会会長、
     町ライオンズクラブ会長、町ロータリークラブ会長、交通安全協会地区支部長
     T医大地域病院長、防犯連絡協議会会長、町老人クラブ連合会会長、
     JA××代表理事理事長、地区交番所長、町企業連合会会長、
     県遺族連合会地区支部長、県町村会会長、地域法人会地区会長、
     交通安全母の会会長、全抑協県連地域支部長
     一般
     区長、民政委員、単位老人クラブ会長、町企業連絡協議会会員、
     社会福祉協議会理事・監事、更正保護婦人会役員、保護司協議会会員
     町シルバーセンター人材センター時務局長
     遺族他
 町関係 町三役      3名
     社会福祉課    12名
     児童福祉課    5名
 交通指導隊        8名
 日赤ボランティア     4名
     計      約500名 

【参 考】 戦没者追悼式次第
                日 時  平成××年×月×日(火)
                     午前10時30分から
                場 所  町民体育館
 趣 旨
   先の大戦において尊い犠牲となられた本町関係の戦没者等の御霊に対し、敬虔な追悼  の誠を捧げるとともに、ご遺族のご苦労に対し深い敬意を表し、町民あげて平和を祈念  し、町勢発展への決意をいっそう新たにしようとするものであります。
 式次第
   着     席  (奏楽)
   開 会 の 辞    町副町長        (午前10時30分)
   国 歌 斉 唱  (奏楽)
   黙とう(1分間)
   式     辞   町長
   追 悼 の 辞   町議会議長  県知事 町遺族会会長 県遺族連合会会長
             県選出国会議員  県議会議員
   献     花   (奏楽)
             町長 町議会議長 県知事 
             来賓
             遺族 旧軍人軍属 一般
   閉 式 の 辞   町教育長          (午前11時45分)

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沖縄慰霊の日

2010-06-23 20:57:06 | 反戦基地


週刊朝日創刊50周年記念
朝日新聞でみる世相50年(朝日新聞社1972)

 1945年6月10日空襲による爆撃を身をもって体験した。しかし、何分65年もムカシの記憶であり、記憶違いや、明らかな誤りもないとは言えない。赦されよ。

町史には、次の様な記述がある。

「昭和20年6月10日、B29、250キロ爆弾投下による被爆状況。
T海軍航空隊即ち予科練は、7、8割の施設が灰じんとなり、281名の尊き少年航空兵を失った。その他負傷者115名(病院収容後26名死亡)。当日は日曜日であったので、多くの父兄が遠方から予科練の子弟に面会に来ていたが、そのうち面会人の方の死亡13名、A地区台地の奥行300メートルほどの防空壕の入り口付近に爆弾が投下され壕がつぶれ、中に避難していた少年兵が右のような結果となったのである。
B29 250キロ爆弾及び焼夷弾投下による各部落被害状況。
○A地区部落
  死者       13名
  負傷者      多数
  焼失家屋     集会所ほか15戸
             付属家屋物置納屋約30棟
○T地区部落
  直撃死亡    10名
  直撃家屋     6棟
  負傷者      10数名
  大破焼失家屋  15棟
○A地区、T地区の爆弾穴跡200箇所以上に及ぶ
○H地区部落
  死者        5名(内直撃弾にて家族4名死亡)
 旧F村
 S地区部落 
  死者        16名
  負傷者     約15名
  直撃全焼家屋   4棟
  家屋半壊     60棟以上
  F小学校は、直撃弾を受けたるも、日曜日のため学童不在、不幸中の幸であった。爆弾投下穴跡60箇所以上に及び、K湖に相当数落ちたらしい。
○T地区部落(F村)
  死者        7名
  負傷者      10数名
  全焼全壊家屋  10数棟
  殆どの家が大破した。
  爆弾穴跡      96箇所
 
K地区の第2海軍集会所は爆撃で火の海となり灰じんに帰した。不思議にもS町(予科練正面繁華街)だけは爆撃を免れた。
371名の人命を失った6月10日は正に悲劇の1日であった。」

ボクは正直云って「沖縄慰霊の日」を全く忘れていた。朝日新聞コラム「天声人語」で、ゴルフの宮里藍さん(25)が米国ツアーで今季4勝目をあげ、世界ランクの首位に立った快挙を取り上げ、

 
▼世界一を育んだ「日本の亜熱帯」は観光資源でもある。米軍基地がなければ、大自然とリゾートの楽園だろう。そんな夢想を許さない、がんじがらめの現実の下で沖縄は「慰霊の日」を迎えた。本土防衛の捨て石が、20万の命と共に捨てられた日である▼65年を経て、島はなお爆音と硝煙の中にある。基地負担をどう軽くするかの算段は、日米合意で振り出しに戻った。沖縄言葉(うちなーぐち)で通じ合えるほどの関係を首相が築かない限り、普天間は動くまい。国政の関心は参院選に移り、昨日の党首討論も基地を掘り下げなかった▼沖縄タイムス紙上で、宮古島の詩人市原千佳子さんが嘆いていた。「日米共同声明は沖縄(日本)が今なお米占領下にあることを示した……我々の戦後はしつこい」と。米国とのしつこい交渉だけが、霊を慰める道である。 

と記したのを読んで、「あ、今日は沖縄慰霊の日」を知ったのである。
 
沖縄戦から比べれば、わが村の爆撃の惨状などはその比ではあるまい。しかし、あの日(1945年6月10日)あのときの状況は町民として後世に伝えなくてはなるまいと思った。

残念ながら、今では町民も殆どこの日のあったことを忘れ去っている。「慰霊祭」と云えば過去の記録を捜して見ると、10月末町主催の「戦没者追悼式」が行われた記録がある。

謹啓
仲秋の候、ますますご清祥のこととお慶び申しあげます。
さて、先の大戦において戦没された幾多の町関係者の霊に対し、町民あげて追悼の誠を捧げ、平和への決意を新たにするため、町戦没者追悼式下記により挙行いたします。
 つきましては、ご多用中のところ誠に恐縮に存じますが、ご臨席賜りますようご案内申し上げます。                                                                                                                                              謹言
                      記
日時     平成 年月日 午前10時30分(9時30分受付開始・11時45分式典終了)
会場     町体育館
※準備の都合上 月 日までに、返信容葉書に出席の有無をご記入の上返送くださるようお願い申し上げます。
   平成 年 月 
                            町長 氏 名
尚、当日ご参列の際に、お手数ですが本紙をご持参下さるようお願い致します。
又、当日の服装は略礼服または略礼服に準じた服装にてお越し下さい

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やっと席に収まったお客さん

2010-06-16 20:21:27 | 日録

 この漱石全集は、全く招かざるお客さんであった
正月次男が小生の部屋に持ち込んできて、そのままにしておいた。置き場がなかったからである。しかし、いつまでもべた置きで放っておいてはいけない呵責に苛まれてきた。
今日、やっと書架から雑本を持ちだし、席を漱石先生に譲った。
下段には、あまり漱石の作品を評価したくなさそうなD・キーンの著作を並べたが、特に他意はない。

但し三島由紀夫全集(新潮社1,000部限定版)や、鴎外全集(岩波書店37巻)とは別室とした。 

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六月十日

2010-06-10 21:42:17 | 日録


「6月10日魔の90分」:屋口正一より(昭和25年8月9日撮影)

ボクはこれまで、六月十日という日に特別の想いを抱いてきた。弊ブログバックナンバーを検索してみたら、やはり同じタイトルで「六月十日」に関連するものが複数をかぞえることができる。
1945(昭和20)年6月10日午前、村は米空軍B29の約1時間、2波に亘る爆撃で、平穏だった村が一転して「屍の街」と化してしまったのである。
当時の報道機関は、(新聞とラジオ放送しかない)軍のきびしい管制下にあったのだろう、空襲の惨事は一般には伝わらなかった。
町史や、町教育委員会編纂による「町と予科練」、同好会文集などにも、この日の惨状体験の思い出話が何編も載せられているが、
当日は、「雲一つない快晴の日」であったり、「曇天」 であったりする。
また敵機についても、グラマンF6Fと、P51を艦載機として混同したり、カーチスP51と書いている例もあり、必ずしも正確でない。(ボクの記憶が確証とは言えないが…)。
 半世以上経って、しかも高齢者の記憶であるからある程度ヤムを得ないことであろう。

 平成7年8月15日、T中学校・T高等女学校 動員学徒の集い実行委員会の手によって編まれた文集「戦いのなかの青春」誌が手元にある。その中に、当時高等女学校4年生だったU.M子さんの『勤労動員学徒の日記抄』が載っている。
 ちょうどボクとだいたい同じ世代であり、書かれてある環境もほぼ同じである。あの頃あこがれの的であった高女生の考え方が伺われ、ボクも青春に返ったような錯覚で一気に読んでしまった。

昭和20年3月卒業した私達は、4月2日(月曜日)から「国思隊」という名前で養成所へ行く事になり、皆で不平をいうとH中尉より怒られて全員森の中で
重大ないまの戦局をこんこんと聞かされて、泣きながらあきらめる。
今日から挙手の礼を練習して敬礼をさせられる事になった。
午後土運びをして疲れた。
(今思うと、女学校卒業したのに殆どのクラスメイトが動員されていたことが不思議に思われ当時の当時の身分はどうなっていたのでしょう)

昭和20年4月3日
山の上で木の株切りをした。ノコギリでギイコギイコひいてなかなか切れない。暑くて汗まみれなのに、欠席者が多いとH中尉に叱られる。
4月4日
雨で外仕事が出来ず、ヤスリかけをする。半分以上欠席で欠席者の家へ電話をかけろといわれ、Aさんと二人で庁舎へ行ってかけたが、記録なのでなかなか出なくて1人40分も待たされてしまい、H中尉に「明日友人の家を家庭訪問して連れて来い』と言われた。出ている人が怒られて悲しい。
4月6日
今日は溝掘り、廠長巡視が1時にあるというので、雨でも作業を休めず皆ずぶ濡れになってしまった。H中尉が後で焚き火をしてあたらせてくれた。
4月7日
今日も土建作業をしていたら10時空襲になり待避をしたが、この近くに壕がなく、山の中をウロウロしていた。午後材木運びをした。
4月15日
廠長訓示の後、第二工場からトタン運び。H学生(技術委託学生)が2度づつ運んだので「もうよいから帰れ」と言ってくれたのに、H中尉が「終わるまでやめてはダメだ」と6時迄やらされて腕が抜けそうだった。帰り真っ暗い夜道をお腹が空いてOさんの雑嚢に入っていた生のスルメを2枚もムシャムシャ食べながら歩いた。空にはOH中尉のアゴのような月が出ていた。「ガダルカナル戦詩集」を読んで寝る。
4月18日
小松(場所の名前)のところで材木運びをした。仕事は辛いがお国の為だ。お昼は道路脇の草の上で食べた。朝、母が作ってくれた蒸しパンを3人で分けて食べながら、映画「勝利の日まで」「跡に続くを信ず」の感想を話し合った。沖縄の戦局もだんだん不利になり、父母達はこの戦争は負けるかも知れないと心配しているが、私は必勝の信念を持って毎日をがんばっている。
5月23日
朝大雨でカッパ着て自転車で行くが、向かい風で雨が頭にかかって目が見えなくて困った。これが勝利への道と思うと、困難がむしろ楽しく感じられる。
5月29日
午前中空襲でB29が500機も来た。お昼頃空が真っ黒になった。横浜が燃えているらしい。その中、火の粉が、炭みたいのまで飛んできた。恐ろしい。
6月10日
朝6時空襲、近くの航空隊に爆弾が投下され、大きな響き、B29が次から次へ飛んでくる。10時解除になってもT駅の近くに憲兵が立っていて先に行かせてくれない。予科練に面会に来た家族もたくさん足止めされてお気の毒でした。
6月17日
若草工場でタイム取りをした、Aさんがグミを持ってきて。H学生に皆で甘いと嘘をいってすすめたので、本気で食べて怒った。串柿の配給あり。4円。

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前哨戦

2010-06-01 14:06:07 | 日録

 選挙の前哨戦の幕は、普段はさる宗教団体の推薦する政党の候補予定者のポスターから、切って落とされる。

参院戦ともなると、1つは都道府県単位の選挙区選挙で、個人に投票する選挙であり、242名の参議院議員のうち、146名が選挙区選挙で選ばれるそうな。

もう1つが比例代表選挙で、政党に所属していないと立候補できないらしいが、有権者は政党名で投票するか、立候補した人の名前で投票するか、自由に選択することができるという。

いざ選挙選になって、県内に氾濫する立て看板のうち、県内まんべんなく行き渡るには、後援会が強力な宗教団体の組織力であり、この政党の支持者はすさまじい底力を発揮することは言うまでもない。

弱小だと、ポスターの数も当然少なくなる。

 そこへいくと、今回の選挙前哨戦の異変!今朝 隣村の友人の処に用件あり、出向いたら、
途中1キロの道中、このポスターが8件(枚)!も立っているではないか。
カメラに収めるのに車から降りて覗いたら、その宗教とは全く関係のない、かつて政権与党だったJ党から、一等先飛び出した猛者氏の創った政党の時局演説会のポスターだったのである。主催した隣市支部名が記されていた。

誰、それ?!何党!?
それば読者諸兄の賢明なご想像にお任せしたい。そんでわ。 

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