狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

農業風景

2009-07-30 21:11:25 | 日録
            
企業に農業参入を働きかけている牛久市に、大手スーパーのイオン(千葉市)が農業参入することが決まり、22日、同市役所で協定締結式が行われた。同社は新会社「イオンアグリ創造」(藤井滋生社長)を今月10日付で設立。同市井ノ岡町の農地約2・6㌶で、キャベツやコマツナ、トウモロコシなどを生産していく。同社が新会社で農業参入するのは全国で初めて。
 同社の参入は、牛久市が2008年末に農業参入PRパンフレットを配布したことがきっかけ。国の特定法人貸付事業制度を活用して、市から農地を借り受ける。同社は「茨城県は首都圏有数の農業産地。中でも牛久市は交通アクセスがいい。それに加えて、市の情熱や環境に対する姿勢、支援体制などを総合的に判断した」と参入理由を説明した。
 農地となるのは、同市が耕作放棄地対策として再生した遊休農地約7・6㌶の一部。契約は5年間。作物によっては9月に作付けし、今冬販売する。初年度は収量約300トンを目標とし、主に県内や首都圏の「ジャスコ」15店舗で、プライベートブランド(PB)野菜として販売していく。
 同日の協定締結式には、池辺勝幸市長と、イオン本社の岡内祐一郎執行役、藤井社長らが出席し協定書を取り交わした。藤井社長は「安全安心で生産者の顔が見える農業を目指していきたい」と話した。(茨城新聞ニュース)

この風景の田圃は、イオンの農業参入とは全く関係のない拙宅周囲に連なる水田地帯である。幾ヘクタールあるのか小生にはとんと見当がつかないが、この水田農作業は、代掻から、植え付け、収穫まで4~5人の人でやってしっまうのである。
勿論農地は数多い個人農家の所有地であるが、自ら手をかけて農業を営んでいる専業農家は、ボクの知る限り数人に過ぎない。
まだ田圃だからそれでも採算がとれるらしい。
ボクの村には牛久市のような纏まった畑の遊休農地は少ないと見るが、種々の補助金、農業に絡む諸々の助成制度を活用すれば、魅力ある産業になるには違いないだろう。

復刻狸便乱亭ノート

2009-07-27 11:39:08 | 日録

小生がこの「ブログ」を開設したのは、2005(平成17)年7月26日(友引)の日であった。ある文集編纂のため、古い記録を捜していたら、このようなブログの"PDF"が出てきた。2007年7月26日日付である。
懐かしい想いで、また当時のテンプレートに戻してみた。
ブログ開設、今日で満5歳を1日突破したことになるから、考えれば(考えなくとも…)、このブログと一緒に、生まれた「赤ん坊」がいたとしたら、今年で丁度満5歳になった勘定になる。当然のことながら、オレも5つも大きくなってしまったのだなぁと感慨深い。
子供たちが大きくなるのはいいことで、嬉しい事としても、己にとっては、過去を振り返るだけで、これから何々を成し遂げたいなどという気概が、日に日に乏しくなるのを実感する今日この頃である。
こんな事が書いてある。
>初めの頃は、矢鱈未知の方にコメントを出して自己満足した。
最初コメントを投稿したのはleprechaun氏「日々のたわむれ」だったように思う。氏の「皇居買収計画」の名コラムは、今でも忘れがたい。遊彩氏にメールで紹介した。コメントの投稿では、今考えると冷や汗の連続だが、3週年目に入るを機に改めて失礼をお詫び致したい。
また特に、反戦老年委員会のましまさまや、livedoorblogのネコのワッチ研究所norさまには格別の指導を賜った。心から厚くお礼を申しあげる次第である。
2年も続けていると、同じ事を2回ならず、3回も繰り返した教育勅語など、何箇所かある。
歳のことは、まだまだ伏せておく。「しょうがない」とご勘弁願いたい。
追記:最初の「狸便乱亭ノート」のブログテンプレートが、「leprechau日々のたわむれ」と同じものであったのは全くの偶然である。<

わが日記「狸便乱亭日乗」(←昭和57年に稿を起こした貴重なオレの歴史的文献である。)にはブログ開設については詳しくは触れていない。

2005年(平成十七年)七月二十六日(火)
 雨なり。風も強し。少し小降りになった機を捉えて、二階の雨戸を閉め雨養生をしたり。朝窓を開けておいたから、東の窓から雨がふっ込んでいた。分かっていることであるから、雨が降らないうちにやっておけば良いわけだが、そこが中々難しいところなのだ。雨の中合羽を着、茶の間の前の雨樋、旧宅に雨どいのゴミをさらった。
 Tさんに「お茶でもやりにお出でになりませんかとメールを送ったら直ぐにお出でになった。
数日前、旧宅から見つけ出した古い梅干の大瓶を進呈した。雨は午前中にあがる。ブログを立ち上げた。「狸便乱亭ノート」とした。