狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

秋の歌

2009-08-24 08:00:47 | 日録
毎年今頃、前橋の知人から贈られてくる「群馬大島梨」である。
知人の自宅で穫れたものではない。教え子(知人は教師であった)の梨園が、決まって毎年宅配便で届けるよう契約してあるらしい。この梨は、特別変わったものではないが、箱の中に地方紙「上毛新聞」が分厚く入っている。
 古新聞だが、その地方の様子や、古い当時の政治情勢などが読めて、これが一つの楽しみでもある。

 格化する秋を垣間見る。
昨日までの蒸し暑さが、ウソのようである。それもその筈、昨日23日は24節気の『処暑』に当たるのだそうだ。
そんなことはどうでも良いことなんだけれど、日照時間が夏至から約1時間半近く短くなっている。
ポール・ヴェルレーヌ:上田 敏訳「落ち葉」を思い出す。
この訳詩は、あまりにも人口に膾炙しているので、改めてここで引用するまでもないであろう。
偏奇館主人の訳詩を捜したが、見つからず次が出てきた。


秋の歌               ポール・ヴェルレーヌ
                 訳 詩: 堀 口 大 学

   秋風の
   ヴィオロンの
   節ながき啜泣(すすりなき)
   もの憂き哀しみに
   わが魂を痛ましむ。

   時の鐘
   鳴りも出づれば
   せつなくも胸せまり
   思ひぞ出づる
   来し方に
   涙は湧く。

   落葉ならね
   身をば遣る(やる)
   われも、
    かなたこなた
   吹きまくれ
   逆風よ。(さかかぜ)

      

ある風景から

2009-08-18 21:01:25 | 怒ブログ


所用があって(実は急にサンマが食べたくなって、それを買いに来ただけの単純な用件である。) 燈刻、街に出かけてみた。
行きつけのショッピングセンター駐車場入口が、いつになく騒々しい。 近寄って見ると、「生活を守り抜く。」と 大書した幟が何本も建っていて、
数人の女性達が、「〝マニフェスト〟をお配りしています 。」を連呼しながら、派手なポーズで通行人に某政党の〝マニフェスト〟なる冊子を手渡し、さかんに有り難うございますを繰り返していた。
その振る舞いは、どう見ても選挙のため雇われた、にわか作りのアルバイト嬢ではなさそうである。
 かの有名な宗教団体の信者たち奉仕団に相違なかった。
 この度の衆院選で、ボクの住む町の選挙区では、この政党からの立候補者はいない。比例代表制という 選挙の仕組みはよく判らないけど、このマニフェスト配りは、比例区の投票依頼であろう。この宗教団体の政治活動は選挙が近くなったから急に始めたものでなく、日常が政治活動であることは、町中貼り巡らした立て看板、ポスターの数が抜群であることから見ても伺いしることができる。因みにわが町には同宗教の推薦所属政党の町議3名が上位当選の常連である。

 ところで話は変わるが、宗教団体の中には選挙の投票をボイコットしているところもある。
とある機会から、その信者の1人と懇意になった。
新聞代集金人として新聞店に勤めている既婚の女性である。彼女は、輸血を拒むことで知られる某宗教の熱心な信徒であった。
そこは、選挙はやらないという教義が徹底していた。ボクは懇意になったのを幸いに、
「貴女たちはどういう理由で投票に行かないの?」と訊ねてみた。
 彼女の答えは次第に熱を帯びてきた。聖書の言葉をしばしば引用した。理論整然(?)である。しかし、立て板に水を流す如く、滔々と引用する聖書の章、節を述べられても、こちらは困惑するばかりである。
「いろいろ言われても、さっぱり解らない。紙に書いてきて欲しい」ボクは彼女にそう頼んでおいた。
 翌月彼女が集金に見えた。
「このあいだ選挙をしない理由を、紙に書いてきてくれといわれましたが、書くということは大変容易なことでないので、ここにその根拠を書いてある本があります。これを差し上げますから、お読み下さい。」
彼女は、分厚い「新世界訳:聖書」と「聖書から論じるQ&A」というその教団の発行する本を、ボクに恵贈してくれたのである。
 ボクもタダで頂いたのでは恐縮だから、代金はお支払いしますといった。
「プレゼントします」彼女は、代金は受け取らなかった。
その宗教の教義を集約してあるテキストであった。

選挙をやらない理由
輸血を拒む理由
戦争・兵役に関する見解
そこに栞を入れてお帰りになった。
>定義:2者あるいはそれ以上の紛争当事者のどちらの味方もしない、あるいはどちらも支持しない者の立場。古代と現代とを問わず、真のクリスチャンがあらゆる国で、又あらゆる状況のもとで、世の党派間の紛争に関し徹底した中立を保持してきたことは、歴史上の事実です。真のクリスチャンは、愛国主義的儀式への参加、軍務に携わること、政党への加入、行政職に立候補すること、投票などに関して他の人々が行う事柄に干渉しません。しかし心のクリスチャンは聖書の神エホバだけを崇拝します。それらのクリスチャンは無条件で神に献身しており、神の王国を全面的に支持します。

一般の政府の権威に対するクリスチャンの態度と関係があるのはどんな聖句ですか。

この「聖書から論じる」ではローマ13:1、5‐7を引用している。小生にはちょっと馴染めない「新世界訳」なので、改訳(文語訳)を覗いてみたが、それでも抽象的語彙が次々に並び、ボクには全く理解出来なかった。
※この添付写真では、駐車場の喧噪音は聞こえて来ないが、メーン会場は道路を挟んだ左側の第二駐車場入り口でパノラマ写真の右端と思って下されば、ある程度の雰囲気が理解出来ると思う。

書店にて

2009-08-07 20:42:34 | 反戦基地

 必要があって、資料蒐集のため古い日記を整理していた。日記は昭和57年9月から、確実にノートや自由日記に記していたつもりである。
 記載されている日記に偽りはない筈、当時の社会情勢がわかる新聞記事なども書かれていた。(手書きである)
平成5年1月6日
朝日新聞記事である。「クーデター論文」で免職
 元陸自三佐が「不服」申し立て郵送
クーデターを容認する論文を週刊誌に投稿して 懲戒免職処分となった元陸上自衛隊高射学校教官、柳内伸作・元三佐(45)が、防衛庁の審理の課程で「処分の理由を具体的に示されなかった」などとして五日、処分の取り消しを求めて同庁の公正審査会に不服申し立てを郵送した。
柳内元三佐は昨年十月、金丸信・全自民党副総裁の五億円献金問題に関連し、「週刊文春」に「もはや合法的に選挙で不正を是正する事は不可能だ。それを断ち切るには革命かクーデターしかない」などとする論文を投稿。宮下創平・前防衛庁長官が「民主主義制度を否定する見解の発表は許されない」と表明、自衛隊法五八条の「自衛隊の威信を損する行為」などにあたるなどとして、昨年十一月十二日に 懲戒免職 処分とした。
柳内元三佐は「記者会見で公表したような明快な懲戒処分の理由を、個人的に告げられなかった。(投稿も)歴史的事実を示しただけで民主主義を否定する内容ではなかった」としている。
申し立てでは「自衛官の言論の自由はどこまで認められるか」と問うとともに、「週刊誌への掲載にあたり、同誌の編集者が「加筆削除した部分に誤解を生む箇所もあった」として、掲載前の投稿全文も公開する。

田母神俊雄がもてはやされている今日と比べ隔世の感がある。
ちなみに日記には問題視された「週刊文春」誌のコピーも挟んであった。
自衛隊三佐(現役)激白 特集 巨悪を眠らせるな!
「金丸が辞めなきゃクーデターをやる」
 自民党政権の腐敗は佐川疑獄で頂点に達した。しかも竹下内閣誕生に暴力団が一役買っていたのだ。政界に自浄能力なく、国民が傍観をきめこむならば、最後の手段"伝家の宝刀"を抜くしかない!現役自衛官が職を賭して夜に問う「クーデターの論理」とは!?

柳内三佐はこの時45歳とあるから、まだまだ政界進出も可能の年齢とみるが、何故かネットでは忘れられてしまったような存在で詳しい記載はなかった。一方田母神俊雄の場合はすさまじい。田母神俊雄講演会・株式会社田母神俊雄事務所いさましい看板が、目白押しに立ち並ぶ。
書店のこの田母神俊雄の著書の洪水に聊か感を深くせざるを得なかった。

訪朝ニュース

2009-08-05 20:48:54 | 反戦基地
            
 テレビを見ないので、今朝の新聞紙上でクリントン元米大統領の訪朝を初めて知った。我が国の首相があたかも北朝鮮を仮想敵国のようにして、国民に支持を訴えている最中である。安堵した。
 それにしても思い出すのは、過去の小泉首相の電撃的訪朝であった。
このニュースを伝えた朝日新聞(2002年8月31日付)のコラム「天声人語」は次のように書いている。
[天声人語]
 あのときほど心中が悲壮感にあふれたことはなかったろう。56年、モスクワで日ソ国交回復に臨む当時の鳩山一郎首相の心境を推しはかった一節だ(『鳩山一郎』時事通信社)。鳩山首相は交渉を成立させて帰国した翌日引退表明をした▼鳩山ほどではないかもしれないが、72年、北京で日中国交正常化に臨んだ当時の田中角栄首相もたいへんな緊張下にあったろう。日ソ、日中いずれも時の首相が政治生命をかけた交渉だった。小泉首相訪朝の報に、こうした歴代の交渉の厳しさを思わざるをえない▼日ソ交渉は北方領土問題で揺れに揺れた。日中交渉では台湾問題が難題だった。どちらも外交交渉の争点であり、国内問題でもあった。与党内でも意見が割れた。北方領土問題は棚上げによって妥協を図り、台湾問題は国内の親台湾派を押し切る形で正常化にこぎつけた▼今回も拉致問題をはじめ難題が少なくない。その点は過去の交渉と変わりないが、突然の首脳会談発表には驚かされた。交渉を繰り返して機が熟す。そして首脳会談で決着する。そうした過去のやり方から見ると唐突感はいなめまい▼「非公式には綿密に話し合ってきた」と福田官房長官、「水面下で交渉してきた」と小泉首相が言うのだから機が熟した面もあるだろう。そう思うが、決して容易な交渉とは思えない▼30年前の話である。『大平正芳回顧録」によると、中国から帰国する機中、当時の田中首相と大平外相が「オイ、生きて帰れたなあ」としみじみ語り合ったそうだ。

政治家の俳句

2009-08-02 16:59:37 | 反戦基地

終戦忌列島の蝉無き止まず

何年前になるのだろう。1985年8月15日、時の内閣総理大臣・中曽根康弘は、戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝した。この句は、参拝の年から10年も前に詠んだものだそうだが、終戦忌を迎える日本人なべての心境はまさにその通りだろうと、肝に銘じたい俳句である。

鎮魂の黄葉にひざまずく

 当時の官房長官で「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」を作り一年に亘って検討、政府として公式参拝の道を開いたといわれる、藤波孝正の句である。
 中曽根翁は時に応じ機に乗じて感銘を与える秀逸な句を詠んでいるが、この句もまた、今の何の役にも立たない他の政治家並の駄句ではない。

悲しみの夏空へ向け鳩放つ

この句碑が、広島の平和公園の中に建っているそうだ。1987年11月、多くの市民の必死の反対を押し切って、強引に建てられたと反戦団体のホームページに見られるが、私は率直に平和の願いが伝わってくる秀句と受け止めたい。
私は総理大臣の靖国神社参拝の良否を論じるほどの見識もないし、知識も情熱もない。しかしただ、この度の解散総選挙で、これだけの句を詠める候補者がわが選挙区にいたとしたら、迷うことなくその候補者に1票を投じるであろう。

回想

2009-08-01 05:42:27 | 怒ブログ

今日から8月である。

狸便乱亭ノートの開設当時の余の日録を記す。
平成17年
8月1日(月)
終日蒸し暑く何もやらず。
Tさんにメールを送る。
《昨夜から今朝にかけての蒸し暑さでは、2回も起こされてしまいました。
足の脹脛が攣れてとんだめさらいました。
 今日から8月。今Z寺から戴いた天台こよみを開けてみています。テレビ体操も始まったようですが、暑くて全くやる気なし。
八月は 四日 天台宗平和記念日 庚申
    六日 広島原爆記念日
    七日 立秋
    九日 長崎原爆記念日
   十三日 迎え火  己巳
   十五日 敗戦忌
《わが家のヤマアジサイ咲いています。今日は月曜日なのに何もやる気ありません。〝怒ブログ〟執筆のテーマを熟慮中。
 もう少しで 食事のラッパがなりそうです。そんでわ。(6:44)
《H大兄
略 朝から猛暑の様子です。家の廻り草ぼうぼうで朝涼しい内に、1時間ぐらい…と心がけているのですが、とてもとても…毎朝やっているテレビ体操も今朝は流石に省略しました。
16日は出席します。はがき出すの忘れました。謝。謝。謝。医療問題。小生はN・K兄の7年間に及ぶ闘病生活と向き合って来ました。誤診のことはさておいても(小生の感想では彼も恐らく院内感染による疑いが充分あります)今の病院のあり方には疑問をずっと持ち続けております。
彼は記念病院→T病院→T・S病院→T・C病院→U病院→T病院(再)→T 病院(癌の疑い検査のため)→T病院(再々)と盥回しされた。彼が最後に追いやられたT病院などは痴呆症専門病院らしかったです。
患者はまるで動物扱いでした。廊下にはいつも紙おむつを回収した大きなビニール袋が山と積まれてあったのを覚えています。
 いまの動物病院は、脱腸になってしまったわが家の猫君をM町の動物病院に入院させた事がありましたが、実に親切で、猫君の待遇も非常に良かったのを記憶しています。
話は飛びますが、近所に住む独り住まいのI女史、K町のある病院に回され、身のキケンを感じてやっと退院させて貰ったーと、親戚の人がその病院の様子や、あるいは民生院委員について話していた。痴呆扱いで、病気はなんでもないのに退院するまでの手続きが大変だったと胸をなでおろしていました。
長くなります。とりあえずメールで出席の通知失礼いたします。そんでわ。                         (8:39)》
テレビ長岡洋治衆院議員の自殺を報道していた。


8月8日(月)
二階の窓から見ていると、下のバイパス添えの電線が落雷の音とともに激しくスパークしたが停電は短い時間で済んだ。数回短い停電があった。
 郵政民営化法案が今日午後の参院本会議で採決され、自民党から22人の反対、8人の欠席・棄権が出て17票差で否決された。何故かテレビに釘付けされた。
H高校が延長12回を制した。

8月9日(火)
今日は殆ど何もやらず。
  衆院解散9.11総選挙
郵政法案参院で大差否決賛成108、反対125

9月5日(月)
閑話休題(オット、むだばなしはさておいて)。
日本列島はいま選挙戦真最中。わが選挙区は無風であるけれど、異変が一つできた。宗教団体が自民党候補の選挙運動をかって出ていることだ。わが町のちょっとした広場や、至る所の交差点には自民党候補の看板と小泉自民党総裁、神埼公明党代表の写真のたて看板が、ずらりと並ぶ。社民党や、元自民党なのに無所属で立候補した父親が防衛庁長官までした候補は、法定の掲示板以外はほとんど立っていない。共産党が自民党、公明党からやや離れた所に、小さく縮じこまって立っているのが実情である。
そこで勲章に話題を戻そう。
 元公明党の竹入委員長、矢野絢也、運輸大臣まで務めた二見伸明氏の消息である。この中で竹入・二見の両氏は創価学会を破門になっているらしい。
 二見元運輸大臣が勲章をもらったかどうかは不明だが、学会が竹入氏を嫌う理由には、
氏が勲一等勲章を貰った事と、朝日新聞に回想録を書いたことに起因するらしい。
因みに、池田大作は諸外国でさまざまな叙勲、名誉教授、感謝状をもらっているが、何と日本国内からはほとんどそれらがなされていないという。勲章の功罪は思わぬ所に落とし穴があるものである。
 
問題の朝日新聞の切りぬきを添付する。

これは「虚偽報道」ではない。宮沢りえの写真広告を重ねたのは他意はない。これも朝日新聞の1ページ大の新聞広告で勲章には関係ない。時代考証の為と思っていただきたい。
宮沢りえ 篠山紀信「Santa Fe」1991・11月13日全国の書店で発売。予約受け付け中。定価4,500円B4版変形140ページ朝日出版社
秘話55年体制のはざまで―竹入元公明党委員長が政界回顧 1998、8,16~

「秋の生存者叙勲」と広辞苑にあるくらいだから、勲章授与は国の年中行事なのだろう。待てよ。年中行事とは宮中で、1年のなかに1定の時期に慣例として行われる公事。民間の行事・祭事にもいう。

九月十一日(日)
 近所のTさん電話ありて後来訪さる。奥さんが沖縄に行ってきたといってお土産を下さる。今日も暑かりき。倅嫁E子から昨日と今日とメールあり。
 Tさん帰りし後、床屋さんに行き、5千円両替す。香典三千円。通夜見舞い二千円を包みて義兄に村付き合い某の香典を頼みに行きたれば、隣家のK翁いたり。これも香典の依頼かと思ったら、単にお茶のみの遊びだったらしい。故人とは軍恩の仲間にて、香典五千円もキマリがあると云。
 Y君、草刈機で近くの下水溝の回りの草を刈っていた。
 夕方雷雨あり。強く降りたる数分に過ぎず。村内に選挙ポスターを軽トラにて撮りに行く。やゝ涼しくなりぬ。選挙は棄権した。

九月十二日(月)
三時半に起きてしまった。自民党が予想通り圧勝した。それほどの興奮も感激もない。

※ 『朝日新聞が問われている
虚偽報道』
相手に会っていないのに、一問一答の取材メモをでっち上げる。そのメモをもとに記事が出来上がる。報道にたずさわる者にとって決して許されないことが朝日新聞で起きてしまった。総選挙を控え、新党が結成されつつある時期だった。亀井静香・元自民党政調会長と田中康夫・長野県知事が会ったという情報があり、政治部から取材を依頼された長野総局の記者が、田中知事から話を聞いたかのように虚偽のメモをつくり、政治部記者にメールを送った。(2005.9.2付朝日新聞)